30・5話
〝ボア〟に保護され、〝プレリュード〟にて訓練を終わったかつてのマナは。
一つのある課題に直面していた。
彼女はニーナや〝ボア〟が感心するほどポテンシャルが高く、〝プレリュード〟の訓練は彼女の能力を最大限育て上げた。
戦闘能力・言語・記憶力・計算・社交性…また〝ラダル〟を使えることから即戦力として扱われていた。
が。そんな彼女にも苦労したことがあったのだ。
マナは〝ボア〟が管理するとある海底施設で射撃訓練をしていた。
そこで世間話でもするように、ニーナから「課題」を言い渡された。
思わずカーアームズK9を置き、ニーナに近寄る。
「……確かにその…必要だとは思うんだけど…、ユリウスが相手っていうのは…」
基本聞き分けの良いマナが承諾しかねているので、ニーナは柔らかに説得する。
「好みじゃなかったか?でもあいつは上手いよ。他に希望の兵士がいるならそいつでも構わんが、それでもユリウスの教育は受けといた方がいい。性交中の逃げ方とか殺し方が実用的だ」
ユリウス、というのはニーナの同期の一人でもある。
色気のあるハンサムな男性で、ニーナ以上に人を育てる能力が高いと〝ボア〟から評価を受けていた。
のちにランやハオの教官として彼らを指導するのだが、ちょうどこの期間、〝ボア〟の兵士の半分がここの海底施設に集まっていた。
またじきに各々任務のために地上に出るため、それまでの間に済ませておけ、というのが「課題」であった。
内陸にいた頃の記憶がないマナは、自分が経験者であるかも分からない。身体チェックでは特に性病は見つからなかったので、身体を売る仕事はしていないと推測された程度だ。
マナはハッとして、いつも通り聞き分けの良い表情を作った。
まずは相手の要求を受け止めることにする。
そしてその後代替案を二つ出す。大抵の交渉はこれでうまくいく。
〝プレリュード〟で培った処世術は満遍なく利用するのだ。
「うん…。や、分かるよ。兵士として内陸を練り歩くからね。情報と経験は多いに越したことはないよ」
「ご理解いただけたようで」
「待って待って待って待って」
交渉もなにもなく、くるっと背を向けてしまったニーナに、マナは単調な物言いで必死に止める。
心の底から「?」という顔をしているニーナが振り返り、彼女と目が合ったマナは歯がゆい気持ちになる。
真意を中々伝えられない。
「え、ニーナもユリウスと、その…そういう感じなの?」
「そりゃそうだろ。あいつはあたしより身長もあるし、〝敵〟として想定して訓練するには丁度良いんだよ。お前なんかは特に体格差のある相手と場数をこなした方がいい」
合理的な理由を並べれば、マナの表情から納得の色が見える。
ではなにがそんな受け入れがたいのか、とニーナは首を傾げた。
マナはついには表情を制御できず、頬を染め上げた。
(別にユリウスが嫌とか、行為が嫌とか…そうじゃなくて…。な、なんでだろ。なんでこんなに最初の相手に執着してんだろう、私…)
自分でも分からないけれど、どうしても譲れなかった。
まさか自分にこんな痒い初心な一面があるとは思わず、声が一気にしぼんでいった。
「………その、最初は……せめて……気心知れた相手が……いい、とゆーか……まぁ……最初、かどうか…定かじゃないけどさ……」
蚊のような声だがニーナには聞こえた。
羞恥と必死さのせいで瞳を潤ませたマナが見上げてきた。
ここまでされればはっきり言われなくともニーナにはマナの本音が伝わった。
なにやら少し考えた後、天井を見上げる。
「背の高い女が好みなんだよな…」
「…ッッ‼」
マナがガアァン‼とひどくショックを受けた顔をする。
わなわなと震えるマナを見て、ニーナは内心少し笑った。
ここまで表情が暴走していることは珍しい。なんだかもう少しからかいたくなった。
ニーナが「例えばなー」と言うと、射撃場に誰かが入ってきた。
どうやらニーナに用があるらしい〝ヴィアンゲルド〟だ。
小麦色の長い髪を珍しく一つに束ねて、いつもより人間らしい出で立ちだった。
〝ヴィアンゲルド〟がニーナに声をかけるより先に、ニーナは〝ヴィアンゲルド〟に近寄って相手の肩に手を回す。
「コイツはタイプど真ん中だな。背も高いし顔も良い。素っ気ない牙城を崩せないか、わくわくする」
「人外じゃない‼」
速攻でマナは突っ込む。さすがに怪物と比較されてご立腹のようだ。
そんなマナがかわいいと思われているとも知らず、マナは眉間に皺を刻んで抗議した。
「ニーナには分からないの⁉〝ヴィアンゲルド〟から漂うおっかない気配が!」
「わからん」
〝ラダル〟を持っていることも隠し、平然と嘘を吐くニーナに〝ヴィアンゲルド〟は黙って「うわ。コイツ」と呆れた視線を送る。
しかし怪物がこんな茶番に付き合う気はない。ニーナとマナのじゃれ合いを無視して要件を伝えることにした。
「他のギフトの怪物と戦うことに備えて、いくつか想定訓練を――――」
〝ヴィアンゲルド〟は言葉を切った。
ニーナはマナをからかいながら、さらっと〝ヴィアンゲルド〟を手先で誘ったからだ。
〝ヴィアンゲルド〟の肩に回していた手を二の腕に置くと軽くぎゅ、と抱き寄せる。かと思えば脇に四指の腹をピタリとつけ、胸を掠らせて腰まで撫でおろした。
「ちょ――ニーナなにしてんの!」
マナがそれを見てなんだか許せない気持ちになり憤慨する。
(ま、まさかこんなに重い気配を感じる怪物相手でもイケるってこと――⁉)
マナはとにかく〝ヴィアンゲルド〟からニーナを引っぺがそうとつかみかかろうとした…
が。
〝ヴィアンゲルド〟の方が速かった。
激しい動きではなかったが、一息の合間でニーナの顎を掴み壁に押し付けていた。
思わずマナはそのまま動きを止め、セクハラを働いたニーナの手を掴み、もう片方の手でニーナの顎を押さえたままの〝ヴィアンゲルド〟を見つめる。
さすがのニーナも大人しく怪物の様子を窺っていると、〝ヴィアンゲルド〟はギラリと琥珀色の瞳でニーナを睨みつけた。
「……〝ボア〟め。もっとマシな人間を選んでほしかった。」
ギリィ…、と奥歯をかみしめてなにか耐えている〝ヴィアンゲルド〟はそう言い残し、ニーナから手を離して射撃場から出ていった。
しばらくシン…、と静まり返っていたが、マナが「ニーナ。さっきのは私もふざけすぎだと思うよ」と冷たく言う。
ニーナは顎をさすりながら「…悪かった」と素直に非を認めた。
(…お、しょげてる?珍しい)
ニーナからそんな空気を感じ、マナはバレないよう心の中でほくそ笑んだ。
ゆっくり彼女に歩み寄って、マナはにっこりと朗らかに微笑む。
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってるよ。…怪物の殺気はさすがに血の気が引いた。直接殺せないってわかってても結構クるもんだ」
「ね。怖かったね~。じゃあちゃんと反省して」
「してるって。なんだよ。あたしに何かさせたいのか?」
マナの朗らかな笑みはうわべだけのものだ。
本音がその下にあることを知っているニーナはやけに遠回しに絡んでくるマナを訝し気に見る。
尋ねても可愛らしく微笑んだままのマナにニーナは目を丸くさせるが、数秒後には彼女の意図に気づいた。
「…わかったよ。お前の教官はあたしだからな」
ユリウスより先にニーナからの指導をなんとか掴み取ったマナは、満足げに頷いた。
すると、ルカが射撃場に入ってきた。手には何か持ち、一度入口を振り返ってからニーナとマナのもとへ駆け寄る。
「〝ヴィアンゲルド〟が、海底3階に来いって言ってたよ!」
どうやら要件すら言いたくなくなった怪物は通りすがりのルカに頼んだようだ。
そう言いながら、ルカは手に持っていた折り紙をマナへ差し出す。
「あげる!チューリップ作ったんだよ!」
〝ヴィアンゲルド〟からニーナへの伝言は二の次らしい。ルカはマナに受け取って欲しくて仕方ないように満面の笑顔だ。
マナは兵士に向かないこの少年の立ち位置が相変わらず分からないままなのだが、とりあえず腰を低くして彼のプレゼントを受け取る。
「はいはい。いつものだね」
こうやって素っ気なくしても、ルカは嬉しそうだ。
マナは視線がルカに近づいたので彼の外見を改めて観察した。
…すると既視感を覚えてニーナを振り返る。
「なんだかルカってちょっとだけ〝ヴィアンゲルド〟に似てるよね?」
怪物の気配があまりにも異質で、人間であるルカに〝似てる〟という感覚はあまり抱かなかった。しかし外見の特徴を見ると「もしかして〝ヴィアンゲルド〟の宿主と関係があるのでは?」という可能性を感じた。
しかし、ニーナは目を閉じて眉間に手を置いていた。
「…怪物は直接人間を殺せないが、訓練となれば…集中的にあたしを狙うだろうな…」
と、これから海底3階で〝ヴィアンゲルド〟が行う戦闘訓練を嘆いていた。
それどころではないらしいニーナにため息をつき、マナはルカの手を軽く引いた。
「行こ。折り紙は手先と脳の運動にとても良いものだからもっと難易度の高いものを作ろう」
「〝フルート〟の使い方に活かせるかな?」
「多分ね」
マナはキヴォトス兵として作戦に参加しないことを事前に通達されているので、ルカの暇つぶしに付き合うことにした。
〝ヴィアンゲルド〟に現を抜かしたニーナを良い気味だと思いながら射撃場を出ようとすると、いつの間にか後ろを詰めていたニーナがマナの耳に唇を優しく当てた。
「こっちが終わるまでにルカを寝かしつけておくように」
そのささやき声を追うように視線を上げた時には、ニーナはマナとルカを通り越して先に射撃場を出て行っていた。
ニーナを見送るようにマナが立ち止まったので、ルカもニーナを見送るべく手を振った。
しかしいつまでも動き出さないマナを見上げる。彼女の表情はいたっていつも通りだ。
「マナ?マナってば。……うん?」
繋がれている手を軽く揺らすと、ルカはなにかに気づく。
そしてヒィ、と嫌そうな顔をした。
「手汗がすごいよぉ…」
ポーカーフェイスのマナでも、逆転ホームランを打ってくるニーナの攻撃力に手汗まで制御することはできなかった。
―--――――――――――――――――
「ではこれより、第二回。チーム対抗鬼ごっこ大会を始めます」
三日月が煌々と輝く夜。
キースを保護してからしばらくした後の話だ。
コアはもはや当たり前の如くそうメンバーに告げた。
しかし数秒経った後、キースが愕然と叫んだ。
「歓迎会ではなくて⁉」
「デジャブね」
隣でエディが呟く。
この時のコアたちのメンツにヒヨリ、カマ、オーウェンはいない。
ヒヨリを鍛えがてら、〝ヴィアンゲルド〟の目撃情報をこの三人は追っていたからだ。
〝ヴィアンゲルド〟は誰よりも早くオーバークォーツの花のもとへ訪れる。目撃情報を頼りに怪物を追っている中、三人は民間人の避難場所として要になるウォームロードを幾度となく守ることになる。
そしてこの〝笛持ち〟には
コア、ペトラ、サラ、リーヴス、イルファーン、エディ、そしてフレイア。
キースが加わることになるわけだが。
アジアのある山で、夜の大会は強制的に始まった。
鬼役にはフレイアとペトラ。
子役にはコア、サラ、リーヴス、エディ、イルファーン、キース。
鬼役はペイント付きの棍棒を持っている。子役はそのペイントが衣服や身体についたらアウト。
ギフト持ちは使用可だが鬼役が怪我をしないように使うこと。
〝フルート〟は盾のみ。
フレイアは人体信号を感知できるので、人数が多い方向を優先して追いかける。
制限時間は30分。
この時間内に子役が一人でも逃げ切れば子役の勝ちだ。
「…あり得ないんだが…沈没都市の軍人でもないのに精密兵器と鬼ごっこなんて…あり得ないんだが」
雲一つない満月の夜は明るかった。
とはいえ、木々の下を歩くにはやはり足元が見えづらい。
キースはすでに疲れ切ったような顔でそう呟くと、前を歩くリーヴスが悪戯に笑った。
「貴重な体験だなぁ?今度ヒヨリにもやらせるか」
「あなたはヒヨリをいじめるのが好きね。セクハラよ」
「…ちげーわ」
ケラケラ笑っていたリーヴスはエディの鋭利な一言に目を座らせる。
キースの後ろには子供の姿のイルファーンがつき、フレイアの追跡を警戒している。
キースは自分と同じ民間人であったヒヨリに親近感を覚えるも、話を聞けば聞くほど、沈没都市出身らしい優秀さが耳についた。
静かに気落ちしていると、改めてリーヴスが振り返って方針を伝える。
「いいか。フレイアには人数の多い方向を優先して探すよう設定してある。
この鬼ごっこの子役には囮役と生存役に分かれて行動してもらう。
前衛で戦える俺とイルファーンがなるべくフレイアを引き付けるが、そこで二人やられちゃ子役は負けちまうから、状況見てどっちかは前衛から離脱」
「子役には実質、鬼を倒す手段がありませんからね」
イルファーンは両手の平を軽く上げる。
以前のフラッグ戦のように、双方に攻撃手段があるわけではない。子役はとにかく逃げなくてはいけないのだ。
リーヴスは頷き、キースの方へ視線を向けた。
「お前、足に自信はあるか?」
「え、ど、どう、だろうか…普通だと思うんだが…」
いかにも自身なさげにしどろもどろになるキースに、リーヴスは少し苛立った。
「ハァ?その見た目で足が遅いのはねーだろ。元とはいえ沈没都市出身で、内陸でも暮らしてたわけでよ」
キースの身長はリーヴスよりも高い。190㎝以上ある。
男性として恵まれたアドバンテージを持っていると思われてもおかしくはない。
だからなおのこと、だろう。
リーヴスはまるで自分は小柄なんだ、みたいな態度を取るキースのことが好かなかった。
「てめーにゃ最悪、俺とイルファーンがやられた後、〝フォア〟を使ってフレイアと戦ってもらう必要があんだぞ。エディの〝ソルジャー〟は機械には通用しねーんだから」
「わ、わかってはいる。…でもあまり期待しないでくれないか…。喧嘩は昔から得意じゃないし、なにより、」
まだまだ年若い彼の脆さは、大人にはもう理解できない所にある。
キースの声が痛そうに掠れながら、自身を縛る呪いの言葉となって出てきた。
「俺は成績落ちした人間だ。期待されても応えられない」
沈没都市を自ら出た、優秀な軍人には分からないだろうけど。
…そんな本音が見えるくらいの言い方だった。
リーヴスがキースのことを一発ぶん殴ってやろうと一歩踏み出ると、それをエディが「〝やめなさい、リーヴス〟」と〝ソルジャー〟を使って強制的に止める。
リーヴスは舌打ちして動けなくなった。
心を閉ざしてしまったキースの背中を、後ろからイルファーンがぽん、と軽く叩いた。
「リーヴス。作戦を変更しませんか?」
急な提案にリーヴスは「あ?」と反応する。
態度の悪い彼に反して、イルファーンはにっこりと笑った。
「こちらにエディがいる以上、ギフト対象である人間のペトラはコアたちの方へ向かうでしょう。十中八九確かに、フレイアはこちらへ来るはずです。
フレイアが近づけば俺がなんとなく分かりますので、そうなったらすぐこちらも囮役と生存役に分かれましょう」
―――‐‐―――――――――
〈おや。予測演算の中で一番低い勝率ですね。囮役はあなたと、彼女、ですか。〉
暗がりから、鬼役にふさわしい揺らめきを持った精密兵器が姿を現す。
月光を受けて反射する液体のボディはゆったりと重力を無視して循環し、銀の面が水面の光を映した。
フレイアは銀の面の形を少し変え、鬼らしく二本の角を立てている。
また普段は激流の刃を作る腕にはペンキ付きの、およそ1mの棍棒が握られている。
そんな鬼の前には。
精密兵器と幾百も戦闘訓練を行ってきた、リーヴスが立っている。
「やっぱ人間の信号を感知するようじゃエディを隠してても意味ないか」
〈というより、彼女のギフトは私に効果がありません。せめてキースを残した方が懸命だったと思いますよ。〉
「な。俺もそう言ったんだが」
どうやらリーヴス考案の作戦ではないらしい。
なんであれ、鬼役は制限時間に子役を全滅させればいい。
フレイアはペンキ付きの棍棒を構えた。
〈ご安心ください。エディは優しく捕まえますので。〉
「そりゃあお構いなく」
ご丁寧な物言いに釣られてリーヴスもそう返した。
近くの木に登らされた――もはや自力では降りられない高さである――エディは、リーヴスの返答にムッと口を尖らせた。
―‐-――--‐
軽く走っていたコアは足を止めた。
コアの背中に手を置きながら、サラも足を止める。
「コア?どうしたの?」
「…なんとなくだけど、いる気がする」
コアは集中力を集めて周囲を警戒する。
野生のバナナが多くなっている場所だ。
地面には熟れたものが落ちていて、足場が悪い。
ただの一般人ならば足音を気にして歩くことはできないだろう。
(…動物みたいな奴だからな。足音消すのもうまい)
コアは少しかがんでサラに聞こえるように囁いた。
「サラ。ペトラが虎みたいに飛び出してきたらすぐに俺から離れて」
「え⁉二人で協力してペトラを倒そうよ!」
「子役は鬼を倒せないよ」
サラが元気よくエアパンチをしてペトラ撃退を言うので、コアは思わず笑ってしまう。
和やかな時間が一瞬にして変わった。
暗闇からペトラが走り出てきた。
本当に虎のような勢いに、サラが「わああ!」と恐怖で声を上げる。
「サラ!離れろ!」
コアは〝フルート〟で作られた盾を構え、ペトラの槍さばきを防ぐ。
先は槍でなくペンキが染み込んだ布だが、その扱いは〝フルート〟のグレイヴだ。
守りと攻めがぶつかり合う中、ペトラがニヤリと笑う。
「コアが子役で良かったよ。鬼役じゃ、私勝てないからね!」
「鬼役なら勝てるみたいな言い方、だな!」
コアは体重を乗せて盾を押し、ペトラを飛ばす――が、なんとペトラは盾をひっつかみ、両ひざを盾の正面につけた。
「いや重ッッ‼」
「失礼‼」
女性とはいえ人一人分が引っ付いた盾を持つことはできず、コアは早々に盾ごと手放した。
盾を奪い取ったペトラはそれを放り投げ、容赦なくコアへ棒を振り回す。
避けるしかできないコアは後退しながら必死に躱す。
「ペトラずるい!性格悪い‼」
離れた場所でサラが悪態をついてペトラの油断を誘う。
「へへーん、悔しかったらやり返してみなよ~。ああ!ほらほらコアがやられそうだぁ」
と、ペトラからもっと神経を逆撫でするような挑発が返ってきた。
サラは頬を真っ赤にさせてプンプンと怒った。
「んもぉぉぉぉ‼怒ったからねー‼」
サラはそう声を張り上げて地面に放置された盾のもとまで走った。自分が持てるようにサイズを小さくすると、わー!とペトラの方へ駆け出した。
スルッ、とペトラに躱されるが、若干コアとの距離が開く。その距離をさらに広げるため、コアは地面の土を一握り掴んでペトラへ投げた。
(ペトラが怯んだらとにかく逃げないと‼)
コアの機転をすぐにサラは察する。示し合わせたようにコアがサラの手を掴んだ。
だが。
土だと思って投げたそれは――強烈な甘さと吐き気のする腐敗臭のするバナナだった。
ペトラの顔面にベチョルル‼…とぐちゃぐちゃな実が直撃した。
ペトラの顔からバナナが地面へ落ちる、ベッチョ、ブベ…という音だけがよく響いた。
そんな落下音も静かになった頃、コアはなるべく明るい口調で謝罪した。
「ごめん。土だと思って投げた。わざとじゃない」
顔についたバナナが落ちきって露わになったペトラの形相は――本当に鬼のようだった。
コアはサラを抱えてその場から死ぬ気で逃走した。
―‐‐――――――――‐
リーヴスとフレイアの攻防はかなり見ごたえのあるものだった。
ペンキ付きの穂先が当たりそうな時は、リーヴスは手短にある枝や大きい石を使って防御する。
しかし流動的に手数を増やせるフレイアはリーヴスの攻撃パターンを学習して予測演算に入力すると、4手目でリーヴスの身体にペンキをつけた。
木の上から見ていたエディは、がさつな男だと思っているリーヴスの健闘に感心する。
(生身であそこまで戦えるものなのね)
あ~あ、とリーヴスの残念そうな声が聞こえる。
子供みたいな彼に少し笑っていると、フレイアがいそいそとエディのいる木の方へ近づいた。
「あ、そうか。リーヴスがやられたら私も失格同然ね」
フレイアが登ってくると思いきや。
下の方から〈お構いなくと仰ったではありませんか。〉「そういう意味じゃねぇよ‼」となにやら揉める声が聞こえる。
なんだろうか?と待っていると。
なぜかフレイアの腕に絡めとられたリーヴスが不服そうな顔で持ち上げられた。
フレイアの腕がここまで伸びることも驚きだが、それ以上にその絵面がおかしくてエディは吹き出した。
悶えながら笑っていると、リーヴスが「くそが」と呟く。
どうやらリーヴスがエディを抱えて、フレイアが降ろすことになったそうだ。
「く、フフ…あはは…フレイアにとって〝優しい〟って人の手を使うことなのかしら」
「知らねーよ。はやくしやがれ」
リーヴスは不愛想なまま両腕を伸ばす。フレイアに抵抗する気力もない顔だ。
それが彼の照れ隠しであるならば、エディの胸の内にほんの少しだけ気恥ずかしさが生まれる。
そんな思いが零れないように気を付けて、彼女はその〝優しい〟にあやかることにした。
―------――
「あと10分。なんとか勝てるかもしれません」
大人の姿に戻っているイルファーンは小さなタイマーを確認して言った。
小さな反応しか返ってこないキースに振り返り、イルファーンは倒木の上に腰かけた。
「キース。ちょっとこちらへ」
イルファーンは自分の隣をぽんと叩いた。
若干ふてくされたような顔をしていたキースだが、一つ息を吐いて大人げを取り戻し、彼の隣に座った。
「…他人に、あんな子供のような態度を取ったのは初めてだ」
言い訳か、いや本心だろう。未熟な自分に恥を覚えていた。
イルファーンは優しく微笑む。
「君は今いくつなんですか?」
「…18。そろそろ19になる」
「若いですね」
「でも物事の分別はできていないとおかしい年齢だ」
「そうなんですか?沈没都市の住民は早熟なんですね。物事の分別なんて俺よりもっと年を取っても学び続けることです。だって新しいことに出会う度、何度だって測り直すものですから」
キースはチラ、とイルファーンに視線を送る。
彼は内陸出身だそうだが、話し方だけでなく所作など、一度しっかり教わったことがあるような人だ。
「…俺が会う人たちはみんな俺より優秀な人ばかりで、…ギフトという特別なことに巻き込まれても、俺が一番嫌いな俺の部分はなに一つ変わらない」
「変えたいんですか?」
「変えたいよ。嫌いなところなんだから」
「どう変わりたいのですか?」
イルファーンの言葉は月夜の静けさと同じだ。そのせいなのか、心の中の自分が話すような不思議な感覚を覚えながら、キースは言葉を繋いだ。
「…助けたいと、思った子がいたんだ」
「一緒にギフトが宿った少女のことですね?」
「ああ。あの子は俺にとって大切なきっかけだった。…でも、俺は結局、無力で、諦めることしかできなかった。……こんなの、ずっとだ。ずっと…諦めることだけは、得意で…」
ああ。そうか。と、キースははっきりしたものを掴んだ。
諦めることが正しいみたいな人生だったから。そう言い訳してきた。
もう言い訳したくないと初めて思えたきっかけすら、守れない自分が本当に大嫌いで。
…でも守れなくて当たり前なのだ。
だって今まで守れたことがないのだから。
何度も何度も向き合わなくてはいけない時に逃げきた。
だったら。
守りたいと思えるものがあるのなら今度こそ。
何度も何度も向き合わなくてはいけないのだ。
失敗に終わろうとも、〝それでも〟。
(俺は二度と…諦めたくないんだ)
キースのアメジスト色の瞳に、月の光が入った。
それは彼が顔を上げたからだ。
影に落ちていた瞳が、しっかりと前を向く。
イルファーンはもう一度微笑み、少しだけ身の上を話した。
「俺もね、キース。俺と似た境遇の人たちを置いて逃げたことがあるんです」
彼の声は穏やかで落ち着いている。でもイルファーンの表情を見ると、どこか泣きそうなものだった。
「君のように助けたいなんて思ったことはありませんでした。
だから溶けないしこりとして今も残っているのでしょう。
…それが後悔なのか、己の弱さなのか、今も分かりません。
例え時間が巻き戻ったとしても、自分があの時と違う決断をするのかすら」
キースと自分の大きな違いはそこだと、イルファーンは言っている。
きっとキースならば次こそ。その少女を助けるだろう。
過去でも未来でも、彼には変わらない答えがある。イルファーンは心の底からキースへ憧憬の念を抱いた。
「自信を持って下さい。
君の目に俺達がいくら優秀に映ったとしても、その少女を助けるのは絶対に君なんです。
物事の分別だけでは測れない失敗を、すでに君は力に変えられている。
小さなことでも、些細なことでも、君にできることは全て誇って良いんです。
だってそれは君だけの大切な価値なんですから」
キースは面食らったように言葉を失っていた。
思わず震えそうになった声に力を込めて耐える。
「…そんなことを言われたのは初めてだ。でもリーヴスはもっと厳しいことを言いそうだな」
「ははは。そうでしょうね。彼は人の命を背負い、時として天秤にかける重責を背負ってきた人です。だから彼の言葉もしっかり胸にとどめておいてください。背中を叩いてくれる痛みというのも人には必要だと思いますので」
「う…。わ、わかった」
「いい子です」
リーヴスに叩かれたら背中が割れそうだなと思うキースに、イルファーンは年の離れた弟でも見るようにそう言った。
…イルファーンがピクリとなにかに反応した。
倒木から立ち上がり、キョロ、と辺りを見渡す。
キースも同じように周辺を見渡した。
「フレイアか?…イルファーン、あなたのその、〝波動〟って一体何なんだ?誰も説明ができていないことみたいなんだが…」
イルファーンに対して不信感があるといえばその一点だ。キースは訝し気にイルファーンへ視線を送ると、彼は静かに首を横に振った。
「フレイアではありません。…波動、というか…これ、悲鳴では?」
ようやく方角が定まったイルファーンはじっ、と暗い林の奥を見据えた。
―――しばらくして、目を血走らせた鬼のペトラに追われる、悲鳴を上げるコアとサラが見えてきた。
死に物狂いなのだろう。サラを抱えた状態でなんとかペトラより速く走れている。
イルファーンはタイマーを確認する。
「あと5分。ふふ、これはもうこっちが勝ったも同然かもしれません。ペトラは俺が引きつけますのでキースはコアたちと――」
余裕の笑みを浮かべたイルファーンだが、前方のコアが「だめだめだめ‼今のペトラと戦ったらだめだあああああ‼」と叫ばれ、事態が深刻であることを知る。
「おやおや…。これは全員でとにかく時間の許す限り逃げるしか…、――!」
少し後退したイルファーンだったが、次に反対側を振り向いた。
反応の速い彼に、キースは「今度はなんだ⁉」と過剰に恐れる。イルファーンの波動にはどうしてもついていけない。
「フレイアが来ます。挟み撃ちにされ――」
イルファーンがコアにそれを伝えようとした時にはすでにコアは叫びながらイルファーンを通り過ぎる。
「コア‼そっちにフレイアが、」
一瞬の隙を突かれ――ドス‼とイルファーンが膝から崩れ落ちた。
ペトラはイルファーンの膝裏に棒先を投げつけ、息を飲むくらい衝撃の強い膝カックンを食らわせる。
体勢を整え棍棒を持ち直すことを同時に行い、ペトラは言葉もなくドン引きしているキースの腹をザッ!とペンキで一閃した。
彼女のあまりの速さに呆然とするキースを捨て置き、ペトラは烈風の如くコアを追いかけた。
残り1分まで耐えたコアだったが、フレイアとペトラの挟み撃ちに遭い、アウトとなった。
――――――――――――
コアとペトラは近くに滝を見つけ、衣服を着けたままお互い頭部と顔面を必死に洗っている。
ペトラは仕返しに最後、コアの頭に腐ったバナナを思い切り投げつけ、更なる悲鳴を上げさせたのだ。
「わざとじゃないって‼言ってんのに‼」
コアは痛いくらい頭皮を指で擦りながらペトラに訴える。
ペトラは口にもバナナが入ったようで、激しく口をゆすぎながら勢いよくペエァっっ!と吐き出す。
「よりにもよってあんなくっさいバナナと間違える⁉最悪だよ‼最低だよ‼悪いと思うなら同じ目に遭ってよ‼」
「ふざけんな!それとこれとは話が別だろ‼」
収まらない怒りが爆発し、コアはペトラに思いっきり水をぶっかけた。
するとペトラが全力で体当たりをしてきて、コアはザッパンと川に沈む。
激しさを増していく二人の喧嘩に、川辺で焚火を起こしていたリーヴスが「いい加減にしろお前ら‼」と怒鳴る。
しかしリーヴスの怒声なぞ過酷な環境で生きてきた双子にはそよ風みたいなものだ。一切の反応も返されず、双子の取っ組み合いは続く。
金属球体となったフレイアが焚火では足りない光量を足し、野生動物の嫌う音波を作って安全を確保する。
フレイアの傍でエディは川の水を鍋に入れ温め、温かいタオルを作っていた。
それでサラの顔や髪を拭いて綺麗にしながら「頑張りなさいよお母さん」とリーヴスをからかう。
「誰がお母さんだ。テメェの方がそれっぽいことしてんだろうが」
「エレナに頼まれているのよ。仕方なくやっているの」
「んの割に手際良くやってんじゃねぇかよ。てかテメェの〝ソルジャー〟であの双子止めろや」
「いやよ。忙しいのに」
「……絶対にサラの世話したいだけだろ」
当のサラは「あったかぁい」と嬉しそうに顔を綻ばせている。
エディ自身気づいていないだろうが彼女もまた口元が緩んでいた。
リーヴスはそれ以上文句が言えず、荒くため息をついた。
と、その時。
二人の騒ぎに激しく波打っていた水がピタ!と止まった。
踊り狂っていた雫と大きく立ち上がっていた水の膜がそのまま宙に浮いていて幻想的だった。
コアとペトラも驚いて動きを止める。
薪を集めていたイルファーンとキースが戻ってきて、どうやらキースが〝フォア〟を起動させたようだ。
他のメンバーも〝フォア〟の力に驚き、サラは目を輝かせて「すごいすごい‼」とはしゃいだ。
サラはエディに頼んで小麦色の金髪をお団子にまとめてもらい、裸足になってコアとペトラのいる川に入った。
宙に止まった水たちに触れてもそれは落ちない。手で弾いた分だけ動く、というよりズレる。
くるくると回りながら何度も手の平で水を弾いた。そのたびに月明りが水滴に反射する。キラキラと輝く光の粒の中にサラたちがいるみたいだ。
すっかり喧嘩が収まったコアとペトラはサラが転ばないようにたまに手を貸した。
次第に二人はサラに付き合って先ほどの10倍は優しい水遊びになっていった。
にぎやかな子供たちを見ながら、イルファーンはこっそりとキースに耳打ちする。
「君もまだあそこに入ってもいい年齢ですよ」
「…それは違うと思うんだが…」
「いえいえ。恥ずかしいようなら俺も行きますよ」
大人の姿だったイルファーンはすぐさま子供の姿となる。袖と裾をまくり、ざぶざぶと川へ入って行く。そしてキースに振り返った。
「大丈夫です。濡れてもそこのお父さんとお母さんが水を温めて待っていてくれますから、若い我々は遊びましょう」
途端リーヴスとエディから抗議の声が続々と上がった。
「誰がお父さんですって?」
「そこじゃねぇだろなんでテメェは俺を母にしたがるんだ。ってかイルファーンは俺とそう年齢変わらないんじゃねぇのかよ⁉」
リーヴスが忘れがちな彼の実年齢を突っ込むとイルファーンはサササ!とコアたちのもとへ行ってしまった。
それがなんだかおかしくて、キースは笑いながら――彼も川へ入って行った。




