29話 終焉への足音
〝シメイラ〟の咆哮により、オーバークォーツの花の火災は一通り消えていた。
まだ少し地面には小さな火が揺らいでいるが、人の手で消火できる範囲だ。
だが生き物の焼けるにおいと、鉄の溶ける有害なにおいがひどかった。
言葉も出てこないキースだったが、まずは戦況を確認すべきだと通信機に手を当てる。
「ソーマ…。ルカは…、コアたちは無事か?」
ソーマから返答はなく、ザザ…ザザ…とかすかに砂嵐が聞こえた。
これはイングの調子が悪いということだろう。
「伏せて‼」
突然マナがキースの腕を引っ張り、地面に伏せさせた。
何事かと尋ねる直前。
コアたちがルカを追って入った建物が――――ズンッッッ‼--――と大地から突き上げる振動に揺れ、砂埃を激しく舞わせながら大地へ消えるように崩れた。
建物が完全に消えるまで地鳴りは続き、ようやく止んだ頃にマナとキースは顔を上げた。
「…ソーマ…、聞こえないのか…コアたちの、建物が…」
キースは耳から通信機を外して、ぼやくようにソーマを呼びかける。
そんな彼を見ていたマナは、-――心臓が止まるような息苦しさを覚えた。
〝シメイラ〟に匹敵――いやそれ以上の気配が雨雲と共にやってきたから。
小麦色の長い金髪を広げながら女性が一人、天使のように舞い降りた。
「〝ヴィアン……ゲルド〟」
マナの言葉に、キースは青ざめる。彼が〝ヴィアンゲルド〟に会うのは初めてだ。ただソーマやコアたちから話は聞いている。
ギフトそのもの――正真正銘怪物であると。
〝ヴィアンゲルド〟は流し目でマナ達を見た後、煙が立ち上がっている〝シメイラ〟の亡骸へそっと近寄った。
金糸の糸が〝ヴィアンゲルド〟から数本解かれた。
〝カタム〟、〝メモリア〟、〝シメイラ〟の核を絡め上げる。
黒い繭を三つ手に収めてから、〝ヴィアンゲルド〟はマナたちに近づいた。
ひんやりとした、琥珀色の瞳が2人を見下ろす。
ポツポツと小粒の雨が降ってきた。
地面に膝をつけるマナたちの裾は一秒ごとに汚れる。
対して、〝ヴィアンゲルド〟には雨粒が当たっていない。
雨粒の当たる位置に金糸を張って濡れることを防いでいるからだ。
「…ああ。良かった。〝フラム〟はちゃんと役立たずでいるらしい。」
〝ヴィアンゲルド〟の、「役立たずでいることが正しい」みたいな言い草が妙にマナの胸を刺した。
マナはなぜか…懇願するような心境になる。
「どう、して…私に…〝フラム〟なんか宿ったの」
どこに〝今〟に繋がってしまうような〝間違い〟があったのか。
たとえそんなものが存在していたとして、もうどうしようもないのに。
それでもマナは怪物に返答を求めた。心の底から。
しかし怪物の声は雨みたいだった。
「ギフトは自分を使いこなせる人間を選ぶ。だが〝フラム〟は逆だ。ただそれだけだ。」
知らず、マナは拳を握った。
そして…泥をはねる地面に視線を落とす。
(どうして…私の身体はこんなにも…からっぽなんだろう…)
悔しいとか。悲しいとか。
怒れないならせめてそれくらい湧いて出てくれないだろか。
自分の視線を落としている重さは〝惨め〟だ。
空虚な自分を、ただそう思っている。
〝ヴィアンゲルド〟はマナたちに背を向けた。
「先ほどは疑似的に出力を上げたから、少し気になって見に来たが。本当に良かった。〝フラム〟は弁えている。」
そこに背の高い女性がいたことが幻だったみたいに。
〝ヴィアンゲルド〟は布擦れ一つさせずに立ち去った。
―--------――
まもなくして、地上に精密兵器の姿をしたイングとソーマ、そしてカマとカヴェリがやってきた。
マナの〝ラダル〟を使って崩れた建物から〝生存者〟の気配を探す。
少し時間はかかったが目星をつけ、イングとカマが性能を駆使してがれきを退かし、マナたちも手作業で手伝う。
砂と灰をかぶった銀の盾がやっと見つかった。
それをどかすと身体の大部分を黒化させたリーヴスがいた。
その下にサラを抱えたペトラ。
三人とも意識を失っているが生きている。
内陸政府の増援が来る前に、彼らは負傷者を連れて潜水艇〝イング〟に戻った。
エディ、エレナ、カヴェリがペトラたちの手当をしている間、マナ、ソーマ、キース、ヒヨリ、カマは食堂に集まった。
テーブルに雫ボディの――いつもより二回りも小さい――イングを置いて、現状を確認する。
「オーウェンとイルファーンが回収された」
潜水艇にいたメンバーもイングの世界化によって連絡を受けていたが、改めて…、彼らの死亡が確認される。
誰も言葉が発せられない。
どちらも前衛として心強い戦力だった。
「イングの性能も大幅に落ちた。いつこの潜水艇が泥蛇に乗っ取られるかも分からない。今はこの潜水艇と精密兵器の権限、プロテクトライブとエモーションコピー、…あとは分化システムが少し残っている状態だ」
そのワードに、マナとヒヨリが顔を上げる。
タイミングが重なったので思わず顔を見合わせるが、ヒヨリが少し苦笑を浮かべてソーマに尋ねる。
「分化システムってことはフレイアの他にイングのコピーがいるってこと?」
キースとカマはよく分からないのでソーマに説明を求めるような視線を向ける。
ソーマは静かにうなずいた。
「だがそれは〝道案内〟の性能しかない。簡単に言えば、〝しゃべれる〟程度だ」
「それはめんどくせーとこだけコピーしたもんネ」
思わずカマはため息をついた。
子供の掌サイズになっているイングはプリプリと尻を左右に振る。
〈一番優れたトコです!エモーションコピーなにがすごいってお喋りが堪能になるってことなんですから!〉
「それは絶対違うだろ」
今度はソーマが思わず突っ込んでいた。
彼は咳払いをしてから、組んでいる手を指で軽くこすった。
「…今回出てきたAIは〝ペガサス〟と〝クリュサオル〟だった。それを沈めたから次、信号戦になるとしたら…」
またもやマナとヒヨリがギョッと目を見開いた。
マナが「一基でその二基のAIを…」とイレギュラーなイングに慄く。テーブルの上で「えっへん」と腰に短い両腕を当てているAIだと思いたくない、とんでもない戦果だ。
マナとヒヨリの引きつった表情に気づくと、イングは両腕を組んだ。
〈まぁそんな顔をされるのも分かります。アイアムマイミーが最強かつ優秀に思えるでしょうが、性能事態が上位AIより優れているわけではないのです。次の信号戦でアイアムマイミーが生還する可能性はありませんから。〉
断言するイングに、カマが冷や汗を流す。
「じゃあ逃げ回るしかないってコト?」
〈逃げ回ることも不可能です。上位AIには攻撃性能のないAIが2基いますのでそれらは省きますが、そうなるとアイアムマイミーを攻撃できるAIは船員番号4〝チャック〟。〉
そこでようやく、元沈没都市出身のキースが事の深刻さに理解が至った。
「待て。〝チャック〟って確か内陸政府の攻撃手段を全て無効化させているAIじゃないか?」
キースの質問に、ソーマが頷く。
「昔、大国の内陸政府が沈没都市にミサイルを向けたことがあった。それに自爆コードを送って強制的に不戦敗にさせたAIだ。システム殺しのAIと俺達研究員は呼んでいて、エンドレスシーでも姿が船じゃない。霧のような形をしているんだ。イングが万全な状態だとしても一基では勝てないだろう」
〈しかしですが〝チャック〟は沈没都市への直接的な攻撃でない限り動きません。
アイアムマイミーが平手打ちしたのはAIであって沈没都市のインフラではないので、今回も動かなかったのでしょう。
となると残るは――…船員番号1〝エンリル〟。〉
マナは少し躊躇ったが、一つ情報をこぼした。
「…〝ボア〟も〝エンリル〟には関わらないよう細心の注意を払ってた。沈没都市内のシステムに直接なにもしないのはそのAIがいるから。〝エンリル〟の性能は〝ボア〟にも有効なのかもしれない」
その場の空気がなんともいえない不安定なものになる。
泥蛇の兵士であるマナが零す情報だ。慎重になるだろう。…いや、マナ自身が慎重な気持ちでいっぱいだから、そんな空気にさせているのかもしれない。
ソーマたちも静かになってしまうが、ぶち壊すようにイングが訴えた。
〈エンドレスシーでの〝エンリル〟の姿って知ってます⁉やばいんですよ⁉妖怪みたいで!キャプテンたらどうしてイングにだけ地味な戦艦を与えたのでしょう⁉ちなみにアイアムマイミーが一番好きな戦艦スタイルは船員番号2〝セベク〟です!〉
仲間が死んで落ち込んでいるのにそんなテンションだ。カマは思わず本気で切れそうになったが、ハッと短い息を吐いて自分を制御する。
「…大きな問題はそれだけじゃないわよネ」
本題だ。
ソーマはイングに指示してテーブルに地図を放射させた。
「…コアが…ルカと共に連れて行かれた。ご丁寧に移動を逐一こちらに送ってきている」
潜水艇〝イング〟の点滅は青。
対するコアとルカが乗っていると思われる潜水艇は赤。
赤の点滅は南米の方向へ動いていた。
「…この、方角…」
呟いたのはマナだ。
ソーマたちの視線が集まる。
つい口を閉じてしまったマナだが、ここには彼女がいるのでどちらにせよ割り出されるだろう、とマナは心の中で言い訳をする。
「〝プレリュード〟が行われていた海底施設に向かうルートだよ。私たち〝ボア〟の兵士は違う海底施設で訓練を受けるから、もうここは閉鎖されていると思っていたんだけど」
マナの言葉に、ソーマは一瞬だけ息を止めた。
そこは…ティヤとコアたちが出会った場所であり、…ティヤが死んだ場所だ。
「次でこちらの全てを回収するだろう。だからあえてコアを殺さず、〝全員で来い〟と意思表示しているんだ」
ソーマは私情を完全に隠して、落ち着いた声音でそう告げる。
「イングにこの海底施設の調査をさせたら、コアたちの潜水艇以外にすでに一艇、施設に入っている。
…マナ」
名前を呼ばれたマナはソーマに目を合わせた。
「君のような兵士は他にどれくらいいる?」
「…正確な数は、分からないけど…、私の上官を合わせて20人くらい。ほとんどは内陸での情報操作や兵士集めと育成に出払っていたけど、…」
言いよどむマナに、カマがキツく言い放つ。
「ねえ待ってヨ。その前にアンタがアタシたちの味方かどうかハッキリさせましょう」
カマはマナに詰め寄り、小柄な彼女を思いっきり見下ろす。
ヒヨリとキースがわたわたとカマと背や肩に触れたので、カマはバシッと両腕を振り上げて二人のそれを払った。
「なんで、キースたちを助けに行ったのかしラ?――それまで何もしなかったくせに」
ヒヨリとは違って期待などではなく、カマの眼差しには明確な敵意と蔑みがあった。
――助ける気があったのなら。
マナが最初から味方していればオーウェンとイルファーンは死ななかったかもしれないのに。
眼差しだけでそんな声が聞こえてくる。
ヒヨリがなおも「ちょっと言い方…」と口をはさんできたので、カマは彼女の首に腕を回して口をふさぎ、後ろからキースが「やめないか!」と掴んできたのでみぞおちに肘を入れた。
むー!むー!と暴れるヒヨリと床でうずくまるキースが気になったが、マナはカマの眼差しにゆっくり目を合わせた。
(…憎まれている方が落ち着く)
暗い心がいっそカマの眼差しを受けて満足している。
あの時医療室が開いていたのを話したところで信じてはくれないだろう。マナだってアレがなんだったのか分からない。…幻聴だと言われてしまえば言い返せない。
イングが意図的にマナを地上へ行かせた、と結論付けば結局「それで君は今後どうするのか?」と尋ねられる。
カマのこれは、この後の戦いに味方として参加するのか、彼女の針路を質問しているのだから。
必要なのはその答えだけだ。
「…あなたたちの敵でいる理由がないと、思ったから」
零れ落ちるようなマナの返答では、カマの眼差しは全く緩まなかった。
後ろで慎重に様子を窺うソーマも、口を閉じたままだ。
カマは無言でマナの胸倉をつかんで引き寄せる。
「……ほんと、ムカつくわネ。いたぶられても殺されても、ずっとそんな顔でいそうなところが。ほんとうに」
カマの言葉に、ヒヨリが動きを止める。彼はマナから彼女自身の言葉を言わせたいのだ。
でも出てきたのは針路にならない、立ち止まったままの理由。
「今のアンタはネ。殺す価値もないワ。なにを見て、泥蛇の命令を無視することにしたのヨ。アンタのどこが変わって、サクタを守ろうとしたのヨ」
ようやく、マナの瞳が動いた。心の奥底に置いてどんどん遠ざかっていたものをカマが指さした。
カマはマナからかすかな反応を得られたのでーー少し突き放すようだったがーー手を離した。
(これ以上〝今の〟この子から引き出せるものはなさそうだし。何より、多分その役割はアタシじゃないワ)
カマのそんな心の声が聴こえたみたいにおとなしくなったヒヨリに気づき、カマはそちらの手も離した。
「ま、アンタが協力しないってゆーんなら、アタシがアンタを殺すワ。わざわざ痛い思いしたくないなら協力しなさい」
マナが動き出す〝言い訳〟を、カマが作ってやる。
へたに情に弱いヒヨリやキースではできない、カマなりの良心だ。
これをきっかけにして自分の意志を見つけろと、カマは態度で示す。
胸元のしわを軽く押さえながらマナは頷いた。
これで言い淀む必要も、躊躇う必要もなくなった。
「〝ボア〟の兵士は実働部隊として準備期間を終えていると思う。その実働部隊は――〝キヴォトス兵〟。回収したギフトを搭載した兵士が待ち構えているはず」
一応、想定はしていたソーマだが、マナからはっきりとした情報として言われると緊迫感は増した。
「全てのギフトが回収されていなくとも、キヴォトスは使えるのか?」
「キヴォトスは〝システムマップ〟って呼ばれる、ギフトを調整できる機能を持つギフトが集められれば大体動く。
使用者にギフトの負荷がかからないための〝チューニング〟
負荷がかからない最適値を記憶する〝メモリア〟
個々に重さのあるギフトを軽くする〝カタム〟
出力を一時的に上げるための〝シメイラ〟…
〝ヴィアンゲルド〟も入るけど、あれが怪物として〝ボア〟に味方しているのであればキヴォトスに搭載されていなくても問題ないのかもしれない」
話し方がしっかりしてきたマナを、床に膝をつけながらキースは見つめた。
マナは「無理していないだろうか…」と顔に書いてあるキースと目が合ってしまい、気まずく感じた。
視線をソーマに戻して続けることにする。
「〝スキルエリア〟と呼ばれる場所にはすでに〝ブリッツ〟と〝ミエ〟がある。長距離攻撃と接近戦はできる。
〝モーションエリア〟には〝グラビティ〟。主に使用者自身を軽くする…応用すると海面で立って歩くことができるようになる」
「水面での戦場になった場合、相当不利になるな」
ソーマはマナの情報をイングに読み取らせ、戦術を演算させていく。
マナはソーマの言葉にうなずいた。
「本来は〝システムマップ〟に通信機能として〝エア〟がいるけど、それは〝ボア〟から支給される皮膚シールで代用すると思う。
〝スキルエリア〟の一つでもある〝イリュジオン〟は敵味方問わず影響を与えるから、これもまだ回収しないはず。
…だからそうなると、20人のキヴォトス兵とギフト持ち〝エア〟、〝イリュジオン〟、――〝ラダル〟は別動隊として攻撃してくると思うよ」
イングがマナの情報をまとめてテーブルに表示していく。
カマとヒヨリはテーブルに近づき、床にいたキースも立ち上がり、それらを見ていく。
戦力が大幅に開いてしまった。
それも懸念点が一つある。
ソーマはマナに尋ねた。
「〝アスタロト〟はいるか?」
「…〝プレリュード〟を行った際の戦闘で死んだ〝アスタロト〟の死骸はあるかもしれない。ただあれは…確か試作体で、地上に放流するものとは別に作られたもので…、
試作体は本来、このギフト回収戦でも使う予定だった。
でもティヤがあの海底施設で飼っていた〝アスタロト〟を全滅させたから、残っている〝アスタロト〟は〝Causal flood〟用、つまり放流するための〝アスタロト〟だけだとは思うんだけど…」
ティヤの名前を出す前にマナは少し間を開けた。
ソーマの表情は特に変わらない。続けて大丈夫だと落ち着いた表情を向けられるが、マナが出せる情報はここまでだった。
「〝ボア〟が私を最初から途中で切り捨てるつもりだったのなら、あまりこの情報はあてにしない方がいいかもしれない」
「〝アスタロト〟がいることを想定しておくに越したことはない、か」
ソーマはそう呟くと、イングがピッとマナを指さした。
〈いえいえ!それは海底施設に入ればおそらくあなたが分かります!海底施設という限定された空間であれば海中でも〝ラダル〟は使えるのでは⁉〉
指摘されたマナは目をぱちくりとさせ、「…それはできるかも」と呟いた。
〈ではパターンの中に〝アスタロト〟がいない場合も作っておきましょう。コネコネコネコネ…〉
「絶対その効果音は違うと思うケド」
小さな手で粘土をこねるようなフリとするイングに、カマがすかさず異議を唱える。
イングは自分のボディを少し切り分け、本当に粘土細工のように花を一輪作った。
カモミールに似ている。
〈それにもう一つ。未完成のキヴォトスゆえに悪用できることがあるかもしれません。〉
イングは銀の画面の陰影をいじり、ニヤリと口角を上げるようにみせた。
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-――ガン‼と鉄格子に身体をぶつけたコアは、息を荒くしてそのまま倒れこんだ。
腹部の治療を施されたが、鎮痛剤は使われていない。全身から汗が滝のように流れ、何度も意識を失っていた。
それでも意識を取り戻すたび、脱出を試みる。
「うっるせーなぁ。どうせ出られないんだからせめて休んでおけよ」
能天気な声の主は見張りであり、治療を受けていたランだ。
ランを治療していたハオも、――なぜか、ルカもいた。
医療室に鉄格子をはめて隔離されているので、会話するには問題のない環境だ。
コアとルカが簡単に接触できる状態にして、むしろ神経を逆なでた。
コアは倒れこんだままランたちを睨み上げる。
「……なんで、俺を殺さない。人質ならルカだけで十分だろ」
「あーあ。うっせぇうっせぇ。こっちは危うくてめーの仲間と一緒に建物の下敷きになるとこだったってーのに。一体どこにこの不満をぶつけりゃいいのかねー」
「〝エア〟が、ある。あなたは、どうせ、死ななかった」
言葉を区切らせながら話すハオはランの胸に塗っていた薬の瓶を置き、細胞シートを貼った。
「…、自分で、できる、のに、甘えないで」
「自分の怪我が治ったらそれかよー。寂しいねー俺は」
そう言いながら、ランはハオの太腿に大きな手を置いた。
「もう痛くない?さすってやる?」
優しい声音だが、甘い雰囲気を持つたれ目にはしっかりと下心のあるきらめきがある。
ハオは彼の厚い胸板から手を這わせ、首に絡めた。
「そこ、は、痛く、ない」
「どこ痛いん?」
「……」
ハオは黙ってランの手を取り、腹部の方へ持っていく。
好青年と美少女の刺激的なやり取りに、ルカが「はわわ…」と頬を赤らめ、目を離せずにいた。
コアが「子供のいる前でやめろ!」と懸命に声を張り上げる。
すると「ぷっ!」とランが吹き出し、声を上げて笑った。
「そういやこのルカってやつ、こっちでも性教育受けてねーんだよ。なんでかな?ちゃんと教えといてやれってー」
「知るか!ルカに余計なことしたら殺すぞ!」
「やってみろよ」
声はまだ優しく――だがランはその太い腕でルカの身体を捕え、ハオと自分とで挟むようにした。
「わわ!なに!やめて!はなしてよー!」
いつもクールな表情でいるルカだが、漠然とした恐怖に慌てふためいた。
するとハオの方からも体重をかけられ、少女特有の柔らかさに羞恥を覚えて叫んだ。
「っきゃー!」
「女の子みてーな声出すなよ…」
ランが思わず眉間に皺を寄せる。
特別危害を加えているわけではないが、いつでもできる状況であることをコアに見せつけた。
コアは遠のきそうな意識を怒りで繋ぎとめる。
「…ルカに…いや俺達に敵対する理由がお前らにあるのか?なんでこんなことしてんだよ」
「あーそれ〝カーボナイト〟のおっさんも言ってたなー。〝こっちに寝返る気はあるか〟ってさ」
ランは腕を回してハオを抱きしめる。そうなると自ずとルカもさらに挟むのだが、きゃあきゃあと喚く彼のことは眼中になかった。
ハオの艶やかな黒髪を指先に巻き、するんと流して遊ぶ。
「〝ボア〟に勝つ手段があるなら考えるけど、そういうわけじゃないんだろ」
「でもギフトの回収を防ぐことはギフト持ちの命を守ることに繋がる」
「そうか?お前らの旅ってホント、博打もいいとこだろ。敵は相変わらず通りすがりの内陸住民、野良の武装組織、〝アロンエドゥ〟、内陸政府、果ては沈没都市…。〝ボア〟の兵士でいる限り、沈没都市からは攻撃されない。戦い方も教えてくれるから大抵の内陸関係なら敵じゃない」
ランはハオの瞼に唇を落とす。ハオからは頬擦りが返ってきた。
言葉にならない、ランにとっての大切なものを体温で確かめると、彼は冷え切った眼差しでコアを見た。
「俺達はただ、良い暮らしができる方を選んだだけだ。勝てない喧嘩かどうか分からない馬鹿みたいだぜ、お前らって」
「いずれ自分たちも殺されるってわかってて、命がけの任務を任せるここのどこが〝良い暮らし〟だよ」
「そんなん、内陸にいたって同じじゃね?むしろ内陸と違って〝ボア〟からの報酬は確約されてる。その分〝良い〟だろ。苦しんで生きるくらいなら、楽しんでから死んだ方がいいに決まってる」
ランのゴツゴツとした男らしい掌がハオの頬を撫でる。ハオは吸い付くように彼の掌に潤んだ唇を寄せた。
飛べるくせに同じ巣にいる仲間と身を寄せ合っているみたいだと、ランとハオを見てコアは思った。
だから、-――めいっぱいの虚勢を張ってあざ笑ってやった。
「…臆病だな」
声は大きくないが、低く挑発的にそう言った。
コアの一言に、ランの無感情な眼光が彼に向いた。
一般人であれば首を引っ込めてしまいそうな殺気だが、コアは慣れた様子で受け止める。
「力もあって、好きな奴もいるくせに、〝自分はなにもしなくていい〟言い訳を並べてるようにしか見えないよ」
「失敬な奴だな。ちゃんと〝ボア〟から与えられた任務はこなしてるんだからなにもしてなくないだろ」
「そう。そうやってやってる風を取り繕って、一番面倒くさいことから逃げてる。…同じだ。内陸が抱えている問題と、沈没都市で溜まってる問題と」
「なんの話だよ」
次第にランの声に苛立ちが目立ってきた。
ハオが口を開く前に、コアはトドメを刺すように言い放った。
「逃げてないっていうなら、選んでみろよ。
――ここ以外でお前らが生きていける場所がある。挫折と悔しさがたくさんある場所だけど、そこには味方がいる。
自分の針路を自分で選べる場所を、選んでみろ。
それが〝苦しい〟っていうなら、お前の弱さは没都市住民と同じものだ。
あの人たちにとっての針路調査が、お前にとっては泥蛇だってだけの違いだよ」
内陸住民にとって、沈没都市住民の嫌いな一面と似ている、という言い方は耐え難い侮辱だ。
ランも無論、そうであった。
ルカごとハオを退かし、殺気に満ちた表情で鉄格子の所まで歩み寄る。
ハオが急いで彼の背中に手を置いて止める。
「だめ。ラン。この人、殺す、のは。怒ら、れる」
ハオに止められても、ランから発せられる殺気は減らない。
それを向けられていないルカでさえ、怯え切った子猫のように床で震えていた。
ちょうど部屋がランの殺気のせいで冷え切った時、ガチャと扉が開いた。
ニーナだ。
「に、にーな…」
助けを求めるようなルカの声を、ニーナは無視した。
初めて彼女に無視されたルカは悲しそうに涙を流す。
今すぐ抱きしめてやりたいとコアは顔を歪ませた。
「こちらは明日のうちに目的地に着く。各自配置を確認しておくように」
有無を言わせない彼女に、ハオが小さく震える。
ハオにとってランより強い人間はみんな恐怖の対象だ。彼の服を握って、「行こう」と引っ張る。
目線がニーナとほぼ変わらないランは、ニーナと目が合う頃にはいつも通り、爽やかな笑みを浮かべていた。
「了解」
端的に。必要な返答だけ。
ランはハオの手を握って医療室を出ていく。
彼らが出ていくと、ニーナは雫色の瞳でコアを見下ろした。
コアはその冷たい視線に睨み返しながら言った。
「まさか、〝ヴィアンゲルド〟の金糸の武器を、〝フルート〟みたいに使えるなんて。ちょっとずるくないか?」
「ただ振り回して投げただけだ。おたくらみたいな戦い方はできないよ。なにせ消費する燃料の種類が違うからな」
コアは眉を寄せた。言いぐさからして、彼女は〝ヴィアンゲルド〟の武器を主体に戦えないように思えた。
なにが違うのか問いただしたいが、そろそろ喋る体力も尽きてきた。
それを挑発するように、ニーナは無情に言い置いた。
「安心しろ。さいごまで、ルカと一緒にいさせてやるから」
その言葉に反応したのはルカだ。ポロポロと泣きながら、ニーナに尋ねる。
「ど、どう、いうこと?僕、これからどうしたらいいの?この人と一緒にいればいい?ニーナは?」
一生懸命立とうとしても、腰を抜かしたようで立ち上がれない。
ますます、彼は涙を流した。
いつもだったら、温かい手で触れてくれるのに。
ニーナは一切ルカに近づかなかった。
代わりに、敵と同じ視線を向けた。
「…まだ思い出さないのか、お前は」
呆れと失望が、子供でも分かるほど顕著だった。
ルカは喉が詰まってもう言葉が出なくなる。
ニーナは気絶寸前のコアにもう一度だけ視線を向けて、静かになった医療室から出ていった。
「……っ、ルカ」
額が床についてしまっても、コアはルカを呼んだ。
「大丈夫だから。大丈夫だよ」
(エレナのことや、サラのこと…みんなのこと、話してやりたいのに……)
痛みから身体を守るために、身体が本能的に眠ろうとしている。
抗えない感覚に、コアの意識は落ちるように遠くなっていく。
意識を失う前に、ちょん、と何かが手に触れた気がしたが、その感覚を最後にコアは目を閉じた。
這うように、ルカはコアのもとまで行き、鉄格子の隙間から細い腕を入れた。
汗だくのコアの手に触れて、ルカは自分で涙を拭った。
「ご、ごめん、ね…。悪い人だと思っ…たんだ、グスッ、ごめんね…」
拭っても拭っても、不安と罪悪感が無限のように湧いてくる。
目元を真っ赤に腫らしながら、ルカはコアの手をきゅ、と掴んで同じように寝ころんだ。
「…あとで僕のこと…教えてね…」
覚えのあるその手の温かさに目を閉じたら、少しだけ、不安が減った。
―-------――-----------
日本沈没都市で、乾亮は荷物をまとめていた。
ピピッと部屋に取り付けられた音声電話が鳴った。
〈乾上等兵。休暇届の日程について話がある〉
乾は振り向きもせず、上官の「はやく電話に出ろ」という催促を平然と無視する。
〈もう出立したのか?水門所でとっ捕まえるからな。……内陸でできた彼女に会いに行きたい気持ちは、まあ分かる。でもそれは感情的な行動だ。沈没都市の決定はどうしようもない。お前だってそう言ってたじゃないか〉
この電話は仕事用なので、部屋から出ても耳に取り付けた皮膚シールに継続される。
リュック一つに必要なものをまとめて、片づけた部屋から出る。
上官の説得は続いた。
〈内陸はやりすぎた。取り返しのつかないことをしたんだ。その報いを受けるのは然るべきことだよ。…大丈夫。ウォームアースにいる住民も保護対象だ。お前のその、〝仕事先で護衛してたら付き合うことになった彼女〟?だったか?彼女もその辺りに住んでいるんだろ。なにも直接赴かなくたって…〉
(仕事先の護衛相手の元彼女だって)
つい言い返したくなる気持ちをがっつり抑える。冷静というか、なんだか意地だ。
〈ウォームアースの保護はもう始まってる。お前の彼女がそこにさえいれば沈没都市の研修所区画に連れて行かれるはずだ。そこで会えばいい。……他にも…〉
上官の声色が少し変わった。
乾はプライベート用潜水艇駅へ向かう。建物の中にある駅で、自身の持つ潜水艇が迎えにくる仕組みになっている。
〈…他にも、お前みたいにこの大規模撤収に合わせて、何人か内陸に行こうとする奴がいる。この日本だけじゃなくて、他の沈没都市からも。中には民間人もいた。今内陸に行かれたら守れない。どうか、愚かなことはしないでくれ〉
善良で、親切な人だ。
多くいる部下の一人をこんなに気にかけてくれるのだから。
内陸の保安部隊ではまずあり得ないだろう。
(命令違反扱いで処されるだろうな)
相変わらず、自分は内陸が大嫌いで軽蔑している。
正直、全部無くなってしまえばいい、という気持ちも残っていた。
昔の地下鉄のような駅で自分の潜水艇を待っていると静かにやってきた。
ハッチが開き、乾は少し警戒を滲ませてのぞき込む。
「……俺の他に一体何人の案内役をしているんだ?」
〈ざっと6万人でございます!世界規模とはいえ、想定よりも多くてアイアムマイミーも大忙しですよ!アッ、ほら急いで!今のアイアムマイミーはか弱いベイビーAIです!〝エンリル〟に気づかれたらこの潜水艇も沈没都市の外には行けず、あなたは上官にとっ捕まってしまうでしょう!〉
潜水艇のスピーカーからお調子者のAIが喋る。
これが上位AI船員番号7〝イング〟だというのだから驚きだ。
ラクスアグリ島で調査隊と共に沈んだと言われていたから、幽霊のような怖さすら感じる。
とはいえ、もう方針を決めた乾の足に迷いはなく、彼は潜水艇に乗り込んだ。
Fage.45. 現在
以前、オーバークォーツの花による大火災があった。
これからその時以上の規模で沈没都市支援総撤収が実行される。
各沈没都市代表議会では度々議題に上がっていたが、アロンエドゥの日本ウォームアース襲撃が最後の決め手となった。
一つ残らず、全ての沈没都市が支援対象の内陸住民の保護・内陸に設置してある沈没都市の建造物の撤収を、武力を持って行われた。
無論、ウォームロードやその奥の内陸から批判の声・または実力行使に出る集団が押し寄せる。
沈没都市は軍人一人の資源すら失わないため、精密兵器、〝トンボ〟などで民間の内陸住民を追い払い、総撤収完了後、それらは自力で沈没都市へ戻る予定だ。
エンドレスシーで漂っていた白い濃霧が生き物のように動き出し、白けた空へ上がっていく。
雲、と呼ぶには形があいまいで、霧がそのまま空に溜まっているみたいだ。
これは船員番号4〝チャック〟だ。
これから想定される内陸政府からの攻撃に備え、敵を黙らせる準備を整える。
沈没都市を取り入れなかった大国を含め、内陸に残された武器・兵器は古いとはいえ当たれば強力だ。やるからには徹底的に対抗せねばならない。
そして戦うとなれば沈没都市は内陸のあらゆるものを凌駕する。
内陸にある全ての兵器・旧式の電子機器すべてに照準が当てられても、内陸の技術では一切気づけない。
気づいた時はすでになにもかもが停止した時だろう。
船員番号1〝エンリル〟もまた、その奇妙な船をゆったりと動かした。
超弩級戦艦のように大きな船だが、船の形に見えるように巨人な腕が何本も組み合わさっていた。
静かだったその船が動き出すと、海面からジュウウウウゥ!と蒸気が激しく上がる。
一本一本は強烈な熱を持ち始め、エンドレスシーの海を蒸発させながら進んでいく。
自然とその蒸気がジャミング効果を持ち、恐ろしく最強のAIが動いていることを他のAIは気づけない。
蒸気に紛れて、〝エンリル〟は進行しながら――深い深い底なしの海中へ、幾本もの手を伸ばしていった。
―----――
〈〝ニゲルアルカ〟にいた時のこと、覚えている?〉
泥蛇はある沈没都市の動いていない風力発電のてっぺんで座る〝ヴィアンゲルド〟に尋ねた。
ここは泥蛇がソーマたちを誘っている海底施設に最も近い沈没都市だ。
ギフト持ちの怪物化が確認された場合、速やかに行けるよう待機している。
長い小麦色の髪を夜風になびかせて、満天の星空を見上げる。
砕いた宝石をちりばめたみたいに綺麗だ。
「さて。私が外界の記録を始めたのは宿主を見つけた時からだ。他のギフトも同様だろう。」
〈そうなんだね。〝我々〟は違くてね、〝ニゲルアルカ〟から出る前に臨界点に色々連れまわされたんだ。異世界の様子も少し見てきたんだよ。すごく変な場所だったなぁ。…あ、君はエンドレスシーを通して〝視る〟ことはできないんだっけ?〉
「〝聴く〟ことはできるがな。だから異世界を見たのはオーバークォーツの花の吹き出し口から見た空くらいか。急にどうした?」
〈異世界は変だけど面白くもあってね。エンドレスシーとは違う法則で〝縛り〟をつけて人間と生き物が生息しているんだ。…でも、フフ。こっちだって向こうに負けてない世界がじきにやってくる。我々はこっちの方で生まれたから、向こうより良いものにしたくなっちゃうんだ。他のひとも〝視る〟ことができたら比較できるのに、ちょっと残念。フフ。〉
クスクスクス…と何種類もの笑い声が夜空にこだました。
せっかくの満天の星空も気味が悪く感じるだろう。ここにいたのが〝ヴィアンゲルド〟ではなく人間であったら、だが。
〝ヴィアンゲルド〟は水面下でエンジンを鳴らす沈没都市を眺めながら、エンドレスシーの音を〝聴く〟。
〝エンリル〟が〝腕〟を世界中に伸ばしている。
その指先がエンドレスシーの泥蛇に当たった。正式に、泥蛇の存在を認識して計測している。
〝外敵〟だと認識されれば消し飛ばされるというのに。
―――もうそんな可能性は微塵も残っていないから、泥蛇は本当に楽しそうだ。
〝エンリル〟は泥蛇から指先を遠ざけた。
AIにとってこれは〝MSS〟の理念に抵触しないものだと認識された。
あとは人間の判断の域だとして、沈没都市の代表議会へ泥蛇の存在を提出する。
(…結果はすでに決まっている。ただの後押しになったな。)
各国の内陸政府は連絡を取り合い、沈没都市支援総撤収に抗議を始めるようだ。
そして裏でオーバークォーツの花によって作られた燃料・火薬が集められる。
アロンエドゥの資金源が自分たちであることを、もう隠しもしない。
沈没都市が内陸を見捨て、罪のない内陸住民に銃口を向けたのだ!と。
内陸政府が沈没都市を攻撃する華やかな大義名分が咲いたから。
どちらもFageの身支度を整えるようなその音は。
Nageへ歩き出す足音みたいであった。




