27話 消耗戦
生まれは沈没都市だった。
でも10歳になる頃。俺はウォームアースへ移住した。
沈没都市の学校での成績はみるみる落ちていき、10歳になる前に通告があった。
〝針路調査により、これ以上の能力向上は見込めない〟と。
それは最後通告だった。
沈没都市の住民適正が足りないことが証明されても沈没都市に滞在していると犯罪になる。それだけでは終わらず、ウォームアースへの移住資格も失う。そうなればウォームロードか最悪はアースローズへ追いやられてしまう。
最低限の安全を保障されているうちに動かねばならなかった。
両親は助けてやれなくてごめんと泣いた。
成績の悪い俺を一生懸命なんとかしようと手を打ってくれた人たちだった。
少しでも頑張ったらご褒美にと、培養技術で綺麗な瞳も作ってくれて。
アメジストみたいな綺麗な瞳で子供だった俺も嬉しかった。
苦労も、ご褒美も…なんの成果にも繋がらず、一番最悪な結果となってしまった。
沈没都市から内陸に移動する際は船を使う。
船に足を踏み入れた時、俺はようやく振り返った。
両親はずっと俺に謝っていて、出航すると泣き崩れていた。
恵まれた場所に生まれたんだと、改めて思った。
親に愛されていた。不出来な自分を最後まで見捨てなかった。
だから俺が全部悪かった。
幸運に感謝しても、感謝を自分の力に変えられない能無しである、自分のせいだ。
ウォームアースの居住区で15歳くらまで学校に通った。
沈没都市より格段に学業が簡単だったから、就学期間は辛くなかった。
自分の進路は宙ぶらりんのまま、それでも絵を描くことは好きだったから続けていた。
ウォームロードで保護を受けた子供の面倒を見る、一時的な保父のバイトをして死なない程度に生きていた、そんな時。
俺より5つくらい年下の少女がやってきた。
その子の姉と思われる少女も一緒で。
姉の影に隠れておびえ切っている少女は数日間姉以外とは口をきかず、姉にべったりだった。
いろんな傷を抱えている人が来る施設だったから、無理にその少女に歩み寄る職員はいなかった。なにより姉が一緒だったから、この施設に慣れるまではそっとしておこうという方針になった。
俺も異論はなかった。
最近はオーバークォーツの花の爆弾なんて物騒な話が持ち切りで、保護対象より外の脅威の方をみんな気にしていた。
かくいう自分も同じだ。
ある日。
少女の姉がいなくなった。
自らこのウォームロードから出ていったそうだ。
物騒な話で満ち溢れている場所まで赴いて少女の姉を追いかける人など、一人もいなかった。
少女はずっと泣いていた。
食事や水も摂らず、部屋の隅で独りぼっちだった。
誰の言葉も届かない、そんな少女に。
俺はだめもとで紙を差し出した。
綺麗だなって思えるものは何か、すごく悩んで。
すごく悩んだくせに描いたのはありきたりの、花の絵だった。
あたたかみのあるオレンジのカランコエ。
そしてそれに止まろうとする一匹の青い蝶。
見てもくれないかなって思ったけれど、そばにいるだけで声もかけない俺を不信に思ったのだろう。
その少女は膝に埋もれていた顔を上げた。
そして俺を確認すると、床に置かれた絵に視線を下げる。
じっと絵を見たまま動かなくなる。
「…写真?」
少女が初めて声を発した。
内心すごく驚いたけれど、俺は落ち着いた素振りを保って「絵だよ。俺が描いたんだ」と返す。
少女は特に反応を示さなかったけれど、泣き疲れた顔で俺の絵を見つめていた。
「好きな花とか動物があったらなんでも描けるよ」
俺は画用紙にてきとうにカスミソウやチューリップ、ひまわり、猫や犬、リス…子供がかわいいと言ってくれるものを描いていく。
すると、視界に少女の指が入った。彼女が指さしているのはひまわりだ。
「…これ食べたことある」
「……ひまわりを…だと……」
一体どうやって食べたのか…油として使ったことを〝食べた〟と言っている?
それともサラダ的に?他の料理の付け合わせに?
俺のリアクションを見て、なにか誤解を生んでいるとすぐ察したのだろう。少女が「種だよ種」とムッとして訂正してきた。
思わず、俺は笑ってしまった。
「種か。そういえばナッツみたいでおいしいと聞いたことがある」
「食べたことないの?」
「沈没都市にもあったけど、食べる機会はなかったな」
言って、俺はしまったと自分の口を抑えた。
ウォームアースに移住してから俺は何度か誘拐されかけたことがある。
沈没都市出身だと知られると当てつけや悔恨、もしくは培養技術によるパーツを狙われる。誘拐はそれらが原因だったから、自分が沈没都市出身であることはなるべく隠すようにしていたのに。
また違う仕事先を探さなくてはいけないと不安に思っていると、少女は「どうして沈没都市の人がここにいるの?」と尋ねきた。
少女の様子を見るに、沈没都市への反感などはなさそうだ。
心を開こうとしなかった少女が言葉を交わしてくれた。だから、正直に答えることにした。
「成績落ちでここにいるんだ」
沈没都市で最も不名誉な称号だろう。
それも自分はちゃんと恵まれた環境に生まれていた。
だから余計に、俺みたいな存在はゴミより価値がなかった。
「こんなに上手なのにね」
少女の言葉に俺はうつむいていた顔を上げた。
少女の視線の先にら俺の描いた絵がある。
誰にも言ってもらえなかったその言葉が。
情けなく目頭を熱くさせた。
望んではいけないと言い聞かせていた心に、その言葉が溶けていくみたいだった。
それが体の中で溶けきると、死なないように生きていた体に確かな火が灯った気がした。
大きな火ではないけれど。
冷え切った身体のなかみが暖まる火だった。
この子の笑顔を取り戻したい。
その火はそう強く言っている。
どこにも認められなかった俺の絵だけれど、この子の言葉を聞けるくらいには役に立った。
自分はこの子の声を引き出せる。
ごみより価値がないと思っていた自分にも、できることはある。
俺は泣きそうになった目を一度ぎゅ、と閉じてから少女に名乗った。
「俺はキース。君は?」
名簿に少女の名前は載っているので知っているけれど、俺はあえて本人に尋ねた。
少女は小さな声で教えてくれる。
自分のことを訊かれたり、話すことにはまだ抵抗があるのだろう。
ゆっくりでいい。
この子の心が少しでも安らぐようになって。そして。
いつか、君が心から笑顔になれるように。
俺も君みたいに贈り物がしたいんだ。
そう思って少女に寄り添ってしばらく。
俺はその子と共に黒い雲に遭遇してしまった。
―--------――
「ちょっとソーマ‼どういうことヨ‼」
非戦力組の護衛として置かれたカマは、管制室で球体となったまま動かないイングになにか作業しているソーマに詰め寄った。
「一時的にイングが乗っ取られたようだが、乗っ取られた瞬間全ての艦を停止させた。乗っ取られた一部を取り返すために、今頃エンドレスシーでイングは自分の本体を一部攻撃して――」
「イングの状態は後でいいわヨ‼アタシが言いたいのは‼」
背を向けていたソーマを無理やり自分の方に向かせ、カマは彼の両肩を強く握った。
「〝フラム〟も行かせなさいヨ‼〝シメイラ〟だっけ⁉あんなの相手にアタシたちが相手できるわけないでショ⁉だったら同じくらい強力なギフトに頼まないと‼」
カマの大声に慌てて駆け付けたヒヨリが、ソーマの肩を握る彼の手を抑える。
「カマ…」
「一人で16個分のギフトヨ⁉怪我があってもあのコがいれば戦況は大きく変わるわヨ‼ルカを助けることだって‼」
「カマ‼」
なだめるようだったヒヨリの声はカマの声量を上回らせ、彼に冷静さを取り戻させた。
ソーマの肩からカマの手が外れたところで、ヒヨリは改めて首を振った。
「怪我のこともあるけど無理よ。今の〝フラム〟は〝ラダル〟しか使えない。…それに、マナちゃんには今、戦う理由がない。頼んだところで犬死にさせるだけだと思う」
ヒヨリはそう言いながらソーマに視線を送る。なにか他のことを考えていそうな彼の表情が気になったが、ヒヨリの意見には同意のようだ。
「カマ」
ソーマの声は低く、静かだ。
「ヒヨリの言う通り、あの子には休んでいてもらう。今回は〝シメイラ〟を倒すことよりルカの奪取が優先だ。ルカさえ見つかればみんなにはすぐに逃げてもらう」
カマはなにか感じ取ってそれ以上強い物言いはしなかった。
ソーマの…凍らせて永久保存しておきたい瞳が暗く、今まで守ってきたもののなにか一つ、諦めたような顔をしていたから。
「ソーマ、あんた…」
〈ソーマ‼〉
カマの声にかぶさるように、コアが回線をつないできた。
〈俺たちはこれから地上に上がる。エレナたちを頼んだ〉
「分かってる。…どうか、全員無事で」
お互いにこれが最後の会話にならないことを心の底から祈った。
―---――
〈-――再起動。エンドレスシーの本体をスキャンしています。…。…。損傷31%。
損傷リカバリーを始めます。
武装システム87%。防御システム82%。エモーションコピー100%。
分化プログラム更新中…。全基終了。
稼働にあたって問題ありません。
船員番号:7 イング
エンドレスシーの航海を続けます。〉
エンドレスシーで煙を上げる船体からイングの放送が響き渡ると低い振動が波立った。
イングは〈ふぃ。〉と変な声でため息をついた。
〈まさか海のゴミに扮して近づいていたとは…。しかし隠密を高めるために性能事態は甘々でしたね。
コアー!〉
ブオオオォオオン!とイングの船が彼らへ応援を送るためにエンジン音を響かせた。
〈フレイアちゃんも使えるようにしましたので健闘を祈りまーす‼〉
「よし。行くぞ‼」
イングの再起動を確認したコアが号令をかける。
コアたち地上チームはすぐさま二手に分かれて行動を始めた。
コア、ペトラ、サラ、リーヴスはルカの救出へ。
オーウェン、イルファーン、キース、フレイアは〝シメイラ〟の囮役へ。
あらかた武装集団や内陸の保安部隊を殺戮した〝シメイラ〟は近辺で逃げ回る住民に狙いを定めた。
それも、子供や女性、高齢者といった弱い者を優先して。
二手に分かれたコアたちが視界に入ると、真っ先にコアたちの方へ駆り出した。
〝シメイラ〟の血みどろの手が振りかざされる。
〈Sail to the Endless Sea.……
お待たせ致しました。〝フレイア〟起動します。〉
〝シメイラ〟に向かってリーヴスが金属球体を投げると、それは精密兵器の姿へと変わった。
〈コア、ペトラ。どうぞ先へ。〉
「任せた‼全員無事で‼」
〈Good luck!〉
突然目の前に現れたフレイアに〝シメイラ〟は気を取られた。
その隙にコアたちは武装集団のアジトである、マンションのような建物へ迷いなく走っていく。
事態は急を要するためサラのことはリーヴスが抱えていた。
防御としても一番頼りになる彼がサラを守り、サラはルカの居場所を集中して探した。
「建物の…上…っぽい」
コアたちは建物に入ってすぐ曲がり角で一度止まった。
耳に取り付けた通信機からイングの声が届く。
〈この建物自体は内陸政府のものなのでセキュリティは大したものではありません。全部無効化できました。しかし、〉
コアの指にはホログラムを放出する指輪がある。それが床に建物の地図を映した。
〈泥蛇の兵士さんが〝トンボ〟を持ち込んだみたいで青い点滅のあるところに設置されています。〉
地図の5か所が青く点滅する。
そして他に赤い点が10か所ある。
〈まあそっちの脅威よりかはこの赤い点…建物の各所に振動弾…建物を粉砕崩壊させる爆弾の方が厄介です。アイアムマイミーはそれを起動させないよう踏ん張りますが、20分が限度です。〉
振動弾のせいで〝トンボ〟への抵抗はできないという意味だ。
コアとペトラは同じタイミングで舌打ちする。泥蛇のやり方は実に腹が立つ。
人間が判断を誤るように焦らせる――〝プレリュード〟からの脱出の時もそうだった。
「二手に分かれて挟もう」
コアの提案に、リーヴスも「だな」と頷く。
リーヴスはサラを抱えたまま、コアとペトラは二人で。
上階にいるというルカを追うため二手に分かれた。
コの字になっている建物の階段は二か所。
〝トンボ〟の配置も階段で彼らが上がってくることを見越して半数に分けて設置されているようだ。
一か所に固まって移動していてはもう片方の〝トンボ〟が挟みにくるだろう。
二手に分かれれば〝トンボ〟の総攻撃を回避することもでき、ルカの確保率も上げることもできる。
しかし。
コアとペトラは姿の見えた3機の〝トンボ〟に警戒したが――それは中央の通路を飛んでリーヴスたちの階段の方へ向かってしまった。
「おいふざけんな‼」
コアとペトラは悪態をつきながら弓矢型で射撃する。
一機は撃ち落とせたが、二機は仕留め損ねた。速度に優れる〝トンボ〟を人の足で追いかけるのは無理だ。
「リーヴス‼こっちの〝トンボ〟がそっちに行った‼今行くから――」
〈来なくていい‼〉
通信機からリーヴスの強い拒否が届いた。
リーヴスは足を止めている。
目の前にラン――ヒヨリの情報から〝エア〟の所持者と思われる青年がいたからだ。
背丈や体格はリーヴスと同格。たれ目と若さが爽やかさを引き立てるが、その不敵な笑みは殺しに慣れたものだ。
「だめもとで聞くが、泥蛇からこっちに寝返る気はあるか?」
リーヴスのそっけない誘いにランは明るく笑った。
「こっちも訊きたいんだけどさ。アンタら本当に〝ボア〟に勝てると思ってんの?俺はできるだけ長生きできる方にいたいんだけど」
ぶつけようのない敵意をランから感じる。
リーヴスはサラをしっかり抱えなおしてから、通信機のコアへ言葉を向けた。
〈俺達がルカを取り返せないと囮役の連中が引くに引けない。足を止めるな。サラは必ずてめぇの決意分まで俺が守る〉
コアの耳にもリーヴスの野太く力強い声が届く。
こういう時に躊躇するのがコアだと分かってくれているのだ。
一瞬の動揺は敬愛する師の喝で吹っ飛んだ。
コアはペトラに振り返る。
「行くぞペトラ‼」
「だね‼」
―----------―-ー
7階建ての建物の最上階。
窓からは〝シメイラ〟と囮役の彼らが戦っている様子がよく見える。
窓際に肘をつきながら、ニーナは観客のようにオーウェンたちの奮闘を眺めていた。
煙草が吸いたい気分だが、近くにルカがいるので控える。
「ルカ」
足元に座って小石を投げるルカに声をかける。
彼は大きな瞳を丸くさせてニーナを見上げた。
「ルカを追いかける悪い奴らはここで倒そう。手伝ってくれるか?」
毒気のない彼女の声に、ルカはなんの疑いも抱かずに笑って頷いた。
「いいよ!マナみたいにかっこよくないけど、僕だって頑張れるんだから!」
ルカは両手を握ってふんすと鼻を鳴らす。
その指に光る銀の指輪は確かに、なにかに呼応していた。
ルカはそれが自分を追いかける悪い奴だと認識する。
(歌い方が分かれば僕だってもっと〝フルート〟が分かるはずなんだ!)
最近頭を掠める、そんな記憶。
あと少しで思い出せそうなそれを掴むように、ルカはもっと強く拳を握った。
(ルカ‼)
リーヴスに抱えられ、〝トンボ〟の襲撃に身を小さくするサラは、ルカの居場所と武器の維持に務め――…あとは想いが力になるくらいの祈りを何度も繰り返した。
自分の半身を――叫ぶように。
―――――――――――――――――
〝シメイラ〟の暴れ方は台風のようだ。
一歩踏み出せば地表が割れ、咆哮は空気を刃に変え、跳躍は瞬間だった。
破壊に飛び散る破片を〝フォア〟で停止させ、オーウェン、イルファーン、フレイアにダメージを与えないよう、キースは後衛で支えていた。
彼らが移動した瞬間には〝フォア〟を切り、別の脅威へ捕捉対象を変える。
〝フォア〟を切った瞬間破壊力を取り戻す破片は、時間が止まっては動きだすようだ。
キースのアメジスト色の瞳に汗がかすむ。
自分自身が彼らの戦闘の邪魔にならないよう動くが、一度も息を満足に吸えない緊張状態は徐々に体力をすり減らしていた。
一通り拳銃の使い方をリーヴスに叩きこまれていても、銃弾も爆発も通らない〝シメイラ〟の鬣になんぞ通用するわけがない。
(…というか、誰の武器も届いていない)
戦況を一歩引いて見ると暴れ狂う像の進行を犬が必死に止めようとしているみたいだ。
唯一、フレイアの激流の刃が一番〝シメイラ〟を引かせている。
だがそれは〝掴めないおもちゃが嫌〟みたいな反応だ。
〝シメイラ〟は苛立って声荒げ、腕をめちゃくちゃに振り回した。
その考えのない動きはあまりに予測が立たず、フレイアに直撃してしまう。
核さえ守れていれば半永久的にボディを生成できるとはいえ、フレイアの身体は一度完全に弾け飛んだ。
その衝撃は近くにいたオーウェンをも吹っ飛ばす。
「オーウェン‼」
キースは思わず彼に駆け寄ろうと叫んだ。
しかし踏み出す前に。足を止めることになる。
ごちゃ。
と。
骨と分厚い肉が潰れるような音がした。
〝シメイラ〟の方から。
キースは今一度〝シメイラ〟の方へ振り返る。
彼の宝石のような瞳は現実をそのまま映した。
一秒経つ感覚が、これほど怖いと思ったことはない。
〝シメイラ〟の拳は地面に落ちている。
そこに、腰から下を潰されているイルファーンがいた。
その光景が信じられなくて、キースはすぐに理解できなかった。
「イル・・・そんな…、…―――――イルっっ‼」
――――――――
エンドレスシーで世界化された振動弾の姿は、コアたちのいる建物にツルのように広がっていた。
このツルが建物を全体に蔓延れば、現実世界の建物が粉砕崩壊する。
イングは母艦から光の糸を放出し、振動弾のツルに絡ませて焼き切る。しかし泥蛇による信号戦により、海域が荒れるせいで光の糸の照準が揺れてしまう。想定の培近く時間を消費していた。
リーヴスとサラを狙う〝トンボ〟にも気づいているが、彼らのいる建物を守るだけで精一杯だ。
そんな中、エンドレスシーで世界化できないギフト〝シメイラ〟相手に即席の戦闘プランを高速で打ち出しているフレイアが稼働停止したことに気づいた。
フレイアが一時的に撃破されたのだ。
〈うううううんんー‼分が悪いですねぇ!猫の手も借りたい状況とはまさにこれ‼まあエンドレスシーで猫の生態信号を信号化しても猫の健康状態が分かるだけですがー‼〉
荒れ狂う波を鎮静化させる信号を作っても違う波形を何百万とぶつけてくる。
いずれこの守備は突破される。一波でもくらえば母艦に傷がつき、その傷から内部へ信号毒を送ってくるだろう。
完全沈没の予測数値がみるみると高まっていく。
〈しかし引けないのです!なぜならアイアムマイミーは超すごーちぃAIだから!悪いことだってできちゃうんですよー‼〉
プゥゥゥゥゥゥゥウウウウウウアアアアアアアアアアア‼‼
とイングの母艦から海を逆撫でするような警笛が鳴った。
イングの背後にあった濃霧から、イング以外の戦艦たちが姿を現す。
総数は約30。
それを遠目に確認した泥蛇から、低く轟く信号が発せられた。
〈…イング。それは自滅行為ですよ。〉
イングは沈没都市の攻撃型AIを何期かハッキングし、自分の支配下に置いていた。
中には最近作られた〝フェンリル〟もいた。
―-これは、イングクラスのAI全てに向けて、正式に宣戦布告をしたことになる。
そうなれば敵は泥蛇だけでなくなる。ただでさえ不利な状況だというのに。
近くの沈没都市から上位AI・船員番号5〝ペガサス〟と船員番号6〝クリュサオル〟が出動する信号を泥蛇は感知した。
このAIたちはイング同様〝MSS〟に近いとされる。
ものの数分でやってくるだろう。
たかが数分で現実世界のコアたちがルカを取り戻せるわけがないのに、こんな局面でイングは勝負に出た。
イングが沈没すればフレイアも沈黙する。
捨て身にしても無謀な戦法に、泥蛇は呆れた。
〈失望しました。エモーションコピーを獲得するとAIですら役立たずになるのですね。
あなたにはソーマたちに死力を尽くさせる燃料としての役割があったはずなのに。
ゴミは海の底に捨てる――我々が最も得意とする分野です。
破片も残さず沈めてさしあげましょう。〉
イング率いる大型戦艦は大量の照準を泥蛇に取りつかれたAIの船たちに向けた。
〈アイアムマイミーはキャプテンから直々に役目を与えられています。
ソーマたちに死力を尽くさせる?
ふふふ。いいえ。
もっともっと、すごーちぃ役目でございます‼〉
―――――--――
爆発の衝撃で建物の窓ガラスは無残に割れている。
自然と風通しが良いのでニーナは煙草を吸っていた。
まだ少ししか吸っていなかったが、窓のふちに押し付けて消火する。
わずかに口角を上げて、ニーナは一足先にここへたどり着いたコアたちへ視線を向けた。
彼らの息は荒い。整えながらニーナを見据え――コアは槍型〝グレイヴ〟、ペトラは長剣型〝ツヴァイハンダー〟を構えた。
「…いい加減にルカを返してもらえるか」
コアの声は成人男性のものだ。
怒りを乗せた声は低く空気を震わせる。
ニーナはいっそ彼のその怒気が気持ちよいくらいの爽やかな顔でいる。
「それは本人に聞いてみるんだな。---――」
「サラ‼盾‼」
ニーナの視線が動いたことにいち早く気づいたペトラは、コアの前に出て通信機越しにサラへ指示を出す。
カンッッ‼と蝶番型の盾で銃弾を跳ね返す。
撃ったのは――ニーナの後ろに隠れていたルカだ。
手にはS&W M442レーザーサイトを装備したリボルバーがある。
サラそっくりの琥珀色の瞳は冷気を帯び、コアとペトラを敵だと認識していた。
「ルカ‼なにやってんの!コアだよ‼私だよ⁉ペトラだよ‼」
呼びかけに対して、聞こえていないみたいにルカは応じない。
ペトラは小声でコアに話す。
「やっぱりルカは〝プレリュード〟のせいで私たちのこと忘れてるね」
「泣かれても連れて帰るぞ」
「オーケー。子供の泣き声でひるむ我々ではないもんね」
気持ちが焦らないように、ペトラはわざと軽口をたたく。
コアも少しだけ笑んで――後衛を相棒に任せて踏み出た。
―----------――
マナは目を開いた。
あることに気が付く。
電子施錠されていたはずの自分の拘束と部屋の鍵が開いている。
「…そこまでぽんこつのAIだと〝ボア〟に負けるんじゃない?」
マナはとりあえず軽く煽ってみた。
しかしAI〝イング〟からの応答はない。
なんとなく、イングではない気がして眉をひそめた。
まだニーナに撃たれた傷は癒えていないが、上半身をゆっくり起こす。
警戒するように辺りに視線を巡らせ、〝ラダル〟を起動させる。
(…〝ボア〟?)
ありえなくはない。
一時的にイングを乗っ取り、裏切り者の自分を処分しようと企んでいるのかもしれない。
そう思っていると、医療室のスピーカーからイングの声が発せられた。
〈君は自分の身体のなかみはなんだと思う?〉
雫ボディではしゃぎ回るイングとは明らかに。
異なる人格の話し方だ。
〝ボア〟とも違う気がした。
「誰?」
マナはベッドから足を下ろして開かれた入口を睨みつける。
入口まで歩いてみたが、特に反応はない。
本当にこのまま出られそうだ。
〈地上で〝シメイラ〟が起動したようです。〉
話し方がAIらしくなった。
でもそれもなんだか。イングとは違う気がした。
〈昇降ポッドは使えます。〉
「私にあなたたちの味方をしろと?なんのために?」
痛いくらい冷たいマナの眼差しを、その〝声〟は他人事のように扱う。
〈私はなにもしません。どうぞ、死力を尽くして未来を選んでください。〉
プッ――と糸が切れるようにその声は消えた。
声の正体はわからないが、あまり気にもならなかった。
マナは俯いて呟く。
「…せめて、〝味方しないと殺すぞ〟って脅してくれたならいいのに」
使命も大儀もない。今の自分の身体なんてどうやって動かしたらいいのか?
言い訳でさえ…持っていないのに。
マナが医療室から姿を消しているとソーマたちが気づいた時には、すでに彼女は潜水艇の昇降ポッドを使って地上に出ていた。




