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Causal flood   作者: 山羊原 唱
36/43

26話 最後のギフト

 コアとペトラは5年ほど前に〝プレリュード〟を行っていた海底施設から潜水艇で脱出をしている。

 その潜水艇は民間のものなので突出した性能は持っていないものの、搭載したAIはイングの分身であるフレイアだ。

 内陸移動をするコアたちをいつでも潜水艇で運べるように、海底を渡って彼らを追っていた。



 ルカを囮にされ〝サンクミー飼育施設〟でニーナと戦った後、休息を取ってすぐ潜水艇〝フレイア〟へ彼らは移動した。


 潜水艇〝イング〟と合流すべく、海底移動を続けているとイングから通信が来た。

 〝チューニング〟が回収されたこと。

 ヒヨリ、カマ、オーウェンは無事であること。

 そして彼らが連れ帰ったという〝フラム〟所持者のこと。



 交代で潜水艇の航路を見守っていたコアのもとへ、ペトラがやってきた。手にはバナナが一本握られている。

 食い意地を張るペトラがバナナを半分に折ってコアへ差し出したので、コアは悪戯っ子のように笑った。

「なに?なにかやらかした?」

 ごまかすための賄賂かと言われ、ペトラは呆れた顔になる。

「かわいくないねぇ。〝フラム〟が見つかったお祝いだよ。一つめの目標だったもん」

 かわいくない相棒の口にバナナを突っ込んでペトラは隣に座った。

 大きな画面は現在地とこれからの航路が表示されている。


 コアはモゴモゴと口を動かして口に入った分のバナナを頬張った。

「…でも所持者は泥蛇の兵士だ。それに、ソーマの話じゃ性能としては〝ラダル〟と同じなんだって。本来の機能としては強いんだろうけど、色々条件が良くない」

 二口目が中々進まないコアはそう言って暗い眼差しで画面を見つめる。

 そんな彼とは反対に、ペトラはぱくんと最後までバナナを食べきった。

 一瞬だけ悲しそうな感情が彼女の中でよぎったが、明るい声で返した。

「でもジアンだってそうだったよ」


 コアは驚いてペトラに目をやった。

 彼女はジアンの死後、彼の話をすることはなかった。


 だから驚きすぎて言葉が出ずにいるとペトラはぷぷっと吹き出した。

「ヘンな顔ー」

「…うるさいな…」

 どう反応していいのかわからない彼をひとしきりからかった後、ペトラはやはりどこか悲しそうな表情で笑みを浮かべる。


「…〝フラム〟を持ってる子はさ、キースの知り合いなんだって。その子がキースを覚えているかはわかんないけどさ。でもキースと会ったらなにか思い出したり、…なにか…今までとは違うものがその子の中に生まれるかもしれないよ」


 根拠のないうわべだけの希望みたいだ。

 けれど、ジアンの話を彼女から切り出したということは、似たようなことが彼にあったのだろう。

 一番近くでそれを見たのはペトラだ。

 コアたちの知らない…きっと本人のジアンも分からなかったその変化を、彼女だけが見たのだ。


 少しだけ弱音を吐いたコアは、自分の持つバナナを狙っているペトラにようやく気付き、彼女の額をペチン‼と叩いて阻止した。





―-――---―――


 潮騒の音が遠くで聞こえる。

 でもここは私の知る海じゃない。と彼女は思った。

 〝ラダル〟は使っていないのに、ギフトを使っている感覚だ。


 目を閉じていたことすら忘れるくらい、その音は心地よい。

 目を開くことが勿体ない気もしたけれど、彼女は少しずつ瞼を上げていった。


 一面の水面に、永遠の境界線があった。

 霞のかかる空は遠い。


 手に届くもののない景色に見入っていると、遠い空が塞がってしまうような影が近づいてきた。

 あまりにもゆっくりだが、その影は確かに彼女の方へ向かっていた。


 圧倒されて、彼女は佇む。

 潰されてもおかしくないくらいの距離でその影はピタリと止まった。


 影の全貌なんて見えないのに不思議と、それが〝船〟であることが分かる。



〝---―――――――――――〟



 その影は彼女になにか送ったが意味は分からない。

 応答のない彼女を置いて、その影はまたゆっくりと離れていく。




〝清々しいな。君は。〟

 自分の中で自分の声がそう応えて、――――マナはハッと跳ねるように目を覚ました。




「…変な夢」

「どんな夢?」


 誰もいないと思ってぼやいたマナは、すぐに返された女性の声に少し驚いた。

 視線だけ動かして声の主をとらえると、そこにはにこやかな表情を浮かべるヒヨリがいた。


 七草学園から自分を連れ出した〝ブースト〟だとマナは思い出した。

 黙っていると、マナの包帯を取り換えた彼女はもう一度「どんな夢を見たの?」と尋ねた。

「…忘れた」

「ええ?絶対嘘だよー。ちなみに私は〝エア〟を持ってる男の子を〝ブースト〟で追い回す夢を見たよ。捕まえるあと一歩で目が覚めちゃって残念」

「ボコボコにされたみたいだね」


 フフン、と胸を張るヒヨリの姿は中々痛々しいものだった。頬には大きなシップが貼られ、胴体に受けた傷を庇うような姿勢をしている。服の裾や袖から見える肌にも治療の後があった。

 相手の状況を一瞬で把握するマナの観察眼に、ヒヨリは脱帽した。

「君もそうだけど泥蛇の兵士って優秀だよねー。〝プレリュード〟で訓練を受けるとみんなそうなれるの?」

「ある程度は鍛えられるけど…。ルカは違ったかな」

 ルカの名前を出すことを一瞬躊躇ったマナだが、ヒヨリの様子を見ながら話した。

「あの子は銃の使い方も戦い方もいまひとつで、私の教官も〝ボア〟も〝後衛の後衛のうしろでいいか〟って言ってたから」

 ルカの名前を出してもヒヨリに変わった様子はない。ほう、と相槌を打つ彼女は「能力向上は個人差あるってことだね」と返した後、〝プレリュード〟というシミュレーション世界になにか既視感を覚えた。

「沈没都市の針路調査に少し似ているね。よく内陸の人が勘違いをするんだけどさ、沈没都市のカリキュラムを受ければ誰でも優秀になれるって思われてるの」


 内陸の運動にはとにかく沈没都市に入る権利を一律に許可すべきだと主張するものもある。

 優秀な人間をウォームアースに集めている時点で人権侵害だと叫ばれるのは、沈没都市のカリキュラムに際限のない可能性があると思われているからだ。


「でも実際は能力を伸ばすことも個人の力量のうち…てのが沈没都市じゃない?」

「…沈没都市の人間じゃないから知らない」

「何に才能があってどれくらいその能力値が高いのか。最速で育てて最大限に役に立たせるカリキュラム。それが針路調査なわけで。苦手分野の向上には全く役に立たないっていう」

「…」

「その〝プレリュード〟もさ、似たような感じなんじゃないかな。君みたいに射撃能力がある子はぐんぐん伸びるけど、ルカみたいにそういった才能がない子はやらせても意味がない」

「……」


 なにかの尋問なのだろうか。

 特段意図のなさそうな話題にマナは相槌も打たない。

 しかし言われてみればそうかもしれないと内心思ってもいた。

 ルカと同じく同じくランやハオにも射撃能力があまりない。それを育てるより地の体力とギフトを鍛えることにして、沈没都市の軍人並みもしくはそれを上回る兵士に育てられた。


 〝可能性(もしも)〟を捨てる。失敗を繰り返してできることを増やすより、できることを洗練するという価値観は針路調査と似ている。


 とすれば。

 マナは目を細めた。


 〝沈没都市の医療の恩恵を、より多くの内陸の人へ〟。


 それが彼の夢だった。

 けれど…失敗を無価値とするあの都市で。

 内陸住民の価値など最初から勘定にすら入れない社会で。


 彼の夢なんて、やはり叶うはずなんかないのだ。


 サクタだってそれがどれだけ無謀な夢か理解していたはずなのに。

 彼はそれでもその望みを捨てなかった。


(無謀で馬鹿だと思えていた頃ならこんな風に思い返さなかったな)

 じゃあ今の自分はなんなのだろうか。

 他人みたいに、今の自分の心がわからない。



 マナが胸を押されるような重たさにため息をついていると、「とういうか後衛の後衛のうしろってもう現場にいないよね」とヒヨリが軽い声音で小さく笑った。


 マナはヒヨリのことを明るい笑顔の人だと思った。

 こういうタイプは周りにいなかったので、どことなく新鮮な気持ちになる。


 マナは一つ瞬いて「ルカは前衛に出すには兵士に向かない子だった」と呟く。


 しばらくして、マナはまた呟くように言った。

「大した時間一緒にはいなかったけど、やけに人懐っこい子だと思った。でも私と教官以外には割と警戒心が強かったから、…きっと、母親のエレナと姉のサラに、私たち二人を無意識に重ねていたんだね」


 頭に花を乗せる、彼の癖。

 変な遊びだなと一蹴していたけれど、ルカにとっては大切な遊びの一つだったようだ。


 ヒヨリはひとまずルカが丁重に扱われている安堵と、記憶を操作されていても完全には家族を忘れていない切なさに表情を曇らせる。

「…ルカがどこに連れていかれるか、わかる?」

 聞き出せる情報は聞き出しておきたいのだろう。

 拷問して吐かせないあたり良心的だとマナは思った。

 しかし、マナにはわかりかねることだ。静かに首を振った。

「行先は〝ボア〟が直接教官に指示していた。〝笛持ち〟の誘導に使われることがほとんどだったみたいだけれど…」

 次考えられる〝ボア〟の動きはおそらく〝笛持ち〟やイング一行をおびき寄せることになると思った。

 そうなると後手に回る。


 〝ラダル〟での追跡も不特定の広大な地上や海中ではほとんど機能しない。

 先んじて動ける情報も力も、マナにはなにもなかった。


「私が〝フラム〟だってわかる前からどうして」


 虚無な自分に耐えかねて、マナは胸に突っかかっていたヒヨリの行動を尋ねた。


「サクタと一緒にいた時に、どうして私に〝一緒に来ないか〟って言ったの」


 敵であった時にそんなことを言っていたヒヨリに、マナは今更不思議でしょうがなかった。

 ただ気を引くための発言にしては、ヒヨリの言葉はどうしてか力強い。

 …力強かったからあの時の自分は彼女の言葉を忘れられないのだろう。



 目を合わせず痛そうに目元に皺を寄せる少女を見つめながら、ヒヨリは静かな間を開けてから答えた。

「…私って、あんまり物事の本質を見る力がないんだよね。内陸でできた友達とね、お芝居をしていたんだけど、〝Fageの空をなんだと思ってる?〟って訊かれた時、答えられなくて。…今もそうなんだけど」

 ハツラツとしていた彼女の話し方が少しこもるようだった。

 マナが視線を向けると、どこか申し訳なさそうな顔でいる彼女がいた。

「現実が残酷で理不尽でも、綺麗なものがあるって信じたい。それがただのきれいごとだって言われても、そうあって欲しいって思いたい。もう飛行機も飛ばないFageの空でも、私たち人が自由でいるって思いたい」



 空輸を禁じられたこの世界。

 Fageの空がテーマになるのなら、ヒヨリはこう思った。


 でも海運がある。

 道はいつだって一つではないし、なくならない。

 だから青い鳥には飛んで欲しかった。その場で生き続けるだけの人生ではなく、その生涯にたくさんの希望がある終わり方を求めた。


 しかしハンナは違った。


 なぜ空輸を禁じたのか。

 恐らく彼女はそれを一番に表現したかったのだろう。

 その選択は正しいのか。どの失敗がその結果に繋がったのか。

 曖昧でいて星の数のようにある美しくない真実を彼女は求めたのだ。


 ギフトを宿し、泥蛇との闘いに身を投じていってようやく、ハンナの考え方を覗けるようになった気がした。


 結局はどちらが正しいとかそんな話ではなかったのだ。あの時はどちらも意地になって喧嘩までしてしまったけれど。

 今なら、あの時のテーマを彼女の価値観と溶け合わせて違う物語を作れる気がした。



 やっとこっちに視線を向けたマナに気が付き、ヒヨリは少しの自嘲と暖かさが含まれた笑みを浮かべた。


「〝フラム〟かどうかはどうでもよかったの。――泥蛇に騙されている可能性があるのなら、目を覚まさせて味方にできるかもしれない…――そんな甘っちょろい考えだっただけ」



 黙ってしまったマナに、ヒヨリは苦笑を浮かべる。

「これからコアたち…〝笛持ち〟と合流する予定でね。君に会いたいって人がいるんだ。体調が良かったら会ってあげてね」

 マナが目を丸くしたので、ヒヨリは片目を瞑って手を振った。長居してマナを疲れさせることを配慮して、そのまま医療室を後にする。


 部屋から出ると、扉側の通路にエレナが立っていた。

 さきほどのヒヨリと同じような表情だ。

 ささやかな安堵と、切なさ。


 ヒヨリと目が合ったエレナは目元を赤くさせて唇を食いしばる。

「…ひどい目には遭ってなくて良かった」

 内陸で育ったエレナなら、いくらでも〝ひどいこと〟を考えついただろう。


 ヒヨリはそんなエレナの肩を軽く抱いて、気持ちを落ち着かせてやる。

「ルカを取り返せたらさ、たくさん遊んであげようね。私とは初めましてだけど、たくさん遊んであげるから」

 ヒヨリの暖かな言葉にエレナは何度も頷き、声を殺して涙を流した。




 突如。

 潜水艇内でイングのアナウンスが流れた。

〈皆さん!管制室に来てください‼〉

 各々休息を取っていた潜水艇内は静かであったが、一気に緊張が張り詰められた。


〈黒い雲が発生しました‼消去法でいくなら――最後のギフト、〝シメイラ〟の起動です‼〉




――――----―――

 イングのアナウンスと同刻。

 雫色の瞳に、黒い雲が発生した映像が映った。


 潜水艇の通信室にある大きな画面を前に、ニーナは冷めきった面差しでいた。

 霞んだ空が徐々に暗くなっていく。

 ひどい悪天候なのか、異常気象なのか、噂のギフトなのか。

 その場にいる人々には分からないだろう。


 だがギフトを知るものならばすぐにそれの正体が分かることになる。


 神獣のごとき遠吠えは烈風となり、家も木々も吹き荒らしていた。

 烈風の真ん中に、鋭い眼光があった。

 獅子に似た頭部は黄金の鬣がなびき。

 黒い眼球に青い眼光。

 むき出しの爪は青黒く、尾は蛇のような鱗を持ち生きているかのように揺らいでいる。


 〝シメイラ〟だ。


 それが宿った人物は内陸のマフィアの一人だったのか。それとも誘致されていた誰かなのか。

 武器を持った男たちに攻撃されると気持ちよさそうにその弾丸のシャワーを浴びた。

 ひとしきりその感覚を愉しんだ後。

 自分に銃口を向けた人間を貪るように殺し始めた。



 商品として取り扱っていたオーバークォーツの花の爆弾もあるようで、あちこちで火柱が上がっている。粉々になった肉片と焼き付いた血痕が地面を覆っていく。

 地獄が地上に出てきたみたいだ。



 その光景を映像から見るニーナははて、と首を傾げた。

「見た目はすっかり怪物なんだが、人間を殺してるってことは」

〈人間性を残しているんだ。〉

 すぐさま耳裏の皮膚シールから泥蛇が答えた。

 ニーナはやれやれと肩を上下させる。

「〝ヴィアンゲルド〟の管轄外か。キヴォトス兵は?」

〈準備中だよ。それに彼らはまだ使わない。〉

「んじゃ、どうする?」

〈一応〝ヴィアンゲルド〟にはもう向かってもらってる。さて。じゃあ我々はここらで大きな一手を打とうか。〉

 どこかわくわくしているような声だ。だから泥蛇の思惑がニーナにはすぐに理解できた。


 指先に引っ掛けるようにして持っていたルカの銀糸の薔薇を自分の瞳に映す。画面から漏れ出す光を柔らかく受け止めて、銀糸の薔薇は床や天井…彼女の瞳へ暖かい光を反射させる。


 異論もなにも挟まないニーナへ、泥蛇は告げた。


〈ルカを呼んで。そろそろコアたちと逢わせてあげよう。〉





―---――------――


 コアたちの潜水艇がイングと合流する。

 久々の再会だが感傷に浸っている暇はない。


 連絡を取り合っていたソーマとコアにより、すぐさまチームを再編する。


 コア、ペトラ、リーヴス、オーウェン、イルファーン、キース、フレイア。

 そしてルカがいる可能性を踏まえてサラ。

 ソーマのもとにはカマと負傷中のヒヨリが残ってマナの見張り兼非戦力組の護衛を務める。


 コアたちの潜水艇が潜水艇イングに連結すると、オーウェンとエディがすれ違う。

 エディの〝ソルジャー〟を効果的に使うには、怪物の耳に彼女の声が届く必要がある。だが彼女自身はあの地獄の戦場を走り回れるような身体能力ではない。今回は非戦力として下がることになった。


 エディは前衛へ行く仲間へ激励する暇もなかったが、オーウェンとすれ違う際、「…気を付けて」とだけ伝えた。

 オーウェンは精悍に微笑んで応え、コアたちの潜水艇へ乗り込んだ。


 オーウェンが乗り込んですぐ、コアたちの潜水艇と〝イング〟が動き出す。

 速度は潜水艇〝イング〟の方が速いので、コアたちの潜水艇を引っ張るような形だ。


 それぞれの潜水艇に乗りながら、ソーマとコアは作戦を立てていく。

「〝ヴィアンゲルド〟の姿は今のところ確認できていない。つまり、こんな姿だが人間性を残した起動ということだ」

 イングがエンドレスシーに現実で起きている信号を世界化させ、自分の潜水艇とコアたちの潜水艇の画面に〝シメイラ〟の姿を映した。

 通信からコアだけでなく、他のメンバーからも驚きの声が上がる。

〈すでに怪物っぽい見た目なんだけど。これでまだ人間性が残ってるって?〉

 コアはため息と苛立ちを声に乗せた。


 銃撃を受けてもその鋼のような鬣は一切傷を負っていない。

 やがて自分に銃口を向けた相手を追い回し、強靭な腕で相手を引きちぎったり凶悪な顎で嚙み砕いては吐き出している。

 無邪気な赤子のように嗤っていて、ある意味その悪質な一面は人間らしいものにも見える。


 状況の激しさとは反対に、潜水艇のスピーカーからイングが冷静に状況を分析する。

〈周囲の人間が故意に殺害されています。怪物にはできない行為が確認できました。…とはいえ知性を感じない。〝あの時のブリッツ〟よりも。〉


 潜水艇〝イング〟で待機するカマ、そしてコアの隣にいるペトラの表情が歪んだ。

 人間性をぎりぎり残した〝ブリッツ〟の起動を思い出す。

 姿かたちはもう人間らしいところなどなかった。

 それでも狙いをジアンに絞っていたのは人間性――知性があったからだろう。



「…あの時の〝ブリッツ〟より怪物化が進んでいて、手が付けられない状態ってことだね」

 寒気を感じた腕をさすりながらペトラはコアに視線を送る。

 コアは顎に手を当て、ひどく冷たい眼差しでいた。


 泥蛇にギフトを回収させないために今まで黒い雲を追っていた。

 しかし、もうこの〝シメイラ〟は会話もままならないだろう。

 ギフト所持者はこちらに8人もいる。彼らを守り切れれば実質〝Causal flood〟は回避できる。

 暴れている場所も武装集団のアジトであれば、助けに行く理由もない。

 オーバークォーツの花の爆弾に銃弾が着弾して燃え上がるあのような場所に。


 〝シメイラ〟を切る――

 不干渉でいる方が今の自分たちにとって最善の選択ではないかと考えた、

 その時だった。




〈――こんちには。コア。ペトラ。そしてソーマ。〉

 その柔和な男性の声は。

 コアとペトラは一瞬呼吸を忘れた。





 これはかつて自分たちを閉ざされたシミュレーション世界に誘った黒幕の声。



 ソーマも言葉を失う。

 一つは彼らとの闘いで失った娘の記憶が蘇ったから。

 もう一つは――潜水艇〝イング〟が泥蛇に乗っ取られたから。


〈ギフト所持者の皆さんもお揃いですね。さて御覧になっている通り、最後のギフト〝シメイラ〟が起動しました。このギフトはとにかく狂暴で強力です。〝シメイラ〟が完全に怪物化するまでにあと4時間といったところでしょうか。それまで〝ヴィアンゲルド〟は動きません。〉


 泥蛇は画面の視点を動かし、〝シメイラ〟から別の場所を映した。



 全員、息が止まるような感覚に襲われた。


 〝シメイラ〟のいる場所からどの程度離れた映像なのか。

 誰かに手を引かれて、〝シメイラ〟のいる場所に手を引かれている――

 ルカがいた。


「ルカ‼」

 一番最初に叫んだのはソーマの後ろにいたエレナだ。

 ちょうど潜水艇を乗り換えたエディが居合わせ、悲痛に叫ぶ彼女を抱き留める。

「エレナ…」

「ルカ‼ルカ‼――やめてよ‼どこに連れていくの⁉お願いやめて‼」

 正気を失って画面に駆け寄ろうとするエレナをエディに加えてソーマも抱き留める。

 彼女の悲鳴は潜水艇で繋がるコアたちにも届いていた。


 彼女の悲鳴を聞きながら、オーウェンはルカの手を引く〝誰か〟に思い当たる。

 ルカをトラックに乗せたなどと平然と嘘を吐く、一度見たら忘れられないあの時の女性。

 今度は本当に〝餌〟としてルカを使うようだ。


「返して‼もう返してよ‼あの子を返して‼」

 その身に収めきれない怒りはエレナの膝を床につかせ、彼女は押しつぶされたように泣いた。

 そんな彼女の背を撫でながら、ソーマは画面を睨みつける。


「…なにがしたい」


〈エレナが望む通り、ルカをお返しいたします。迎えにきて下さい。〉


 端的だった。

 もうこれで、コアたちが人間の悪質な一面だけを残した怪物のもとへ行くしかなくなった。



「…お前たちの兵士を一人こちらは捕えている」

〈交渉になると?彼女は自分の役目を放棄しました。もとより〝フラム〟は最初から必要ありません。どうぞお好きになさってください。我々への怒りをぶつけるなり、過ぎた理想を押し付けるなり。〉


 だめもとでマナのことを引き合いに出しても、泥蛇から〝躊躇〟など全くなかった。

 ソーマは目元に深く皺を刻む。


 一同から燃え滾る怒りを一切感じ取れない泥蛇は最後まで柔和な口調だった。


〈それでは皆さん。地上でお待ちしております。

 どうぞ、()()()()()()()()()死力を尽くして下さい。〉




―---――--――


「ねぇニーナ」

 ルカは少し力を込めてニーナの手を握った。

「今から行くところ、すごいドンドン鳴ってない?」

 悲鳴、怒号、銃声、爆発音、怪物の遠吠え、全てが合わさればそんなてきとうな表現も間違ってはいなかった。


 ニーナは〝トンボ〟やら爆弾やらを詰め込んだ大きなリュックを背負って、黙ってルカの手を引く。

 本来なら近辺の住民もニーナたちのような通りすがりも入ることのできない、内陸政府と繋がった武装集団のねじろだ。

 〝シメイラ〟が大暴れしたため内陸政府管轄の武装機関も出てきている。

 ひどい騒音だった。


「ニーナ…」

 ルカは目に涙を浮かべてめそめそと泣き始めた。


 ようやく、ニーナの視線が動いてルカを見下ろした。

 ニーナに全幅の信頼を置いていても不穏な気配を感じ取れるのだろう。

 だというのに、手を引かれてしまえばついてくる。


 子供とは本当に不思議な生き物だとニーナは思った。


 〝シメイラ〟の破壊行動が目視で確認できるところまで近寄った。

 そこでニーナは足を止める。


 やっと止まってくれたニーナをルカは涙ぐんだ目で見上げた。

 彼女は片膝を地面につけてルカと目を合わせた。

 ルカの頬から涙腺に耐え切れずに落ちた水滴を拭ってやる。


「マナがいない分、お前に協力してほしいんだ」

「…マナ、死んじゃったの?」

「さあな」

 声だけ聞けばどこまでも冷血なものだ。



 ルカはかすかに感じるニーナの指先の温かさに安心しながら、彼女の雫色の瞳をじっと見つめる。

「…マナがいなくて寂しいの?」



 ニーナは瞬きを忘れたように止まった。

 ルカの涙を拭う指先も止まったので、彼女だけ時間が止まったようだ。


 ルカは小さな手をニーナの青みがかった髪に乗せて「僕も寂しいんだ」とまためそめそと泣き始めた。


「…ふっ、ふふ…」

 ニーナの時間が動き出したかと思えば、彼女は身体を震わせて笑った。


「ルカ。お前は寂しいやつじゃない」

 そう言って自分の頭に乗っかっているルカの手を軽く握り、――武装集団のアジトである建物へ向かった。











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