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Causal flood   作者: 山羊原 唱
34/43

25話 通称と意訳

 熱い。

 そう思っていたが、今は痛い。

 息を吸おうとしたら喉に激痛が走る。

 むせかえると、肺が切り刻まれたように痛かった。


「ペトラ!ペトラ、大丈夫か⁉」


 耳に馴染んだ声が聞こえた。

 コアが心配しているようだが、あいにく返事などできる状態ではない。


 涙で溺れる視界をなんとか開き、コアへ向ける。

 ものすごく心配している顔だ。ちょっと泣きそうなその顔は久しぶりに見る。

 相棒の顔を見て安心したのもあって、ペトラは痛み以外の涙を流す。


「ここ…ど…。ジ、ジア…みんな…」

 痛みで呼吸が荒くなる彼女の背中をさすりながら、コアは現状を説明してやる。

「ここは潜水艇の〝イング〟だよ。…俺たち、やっとソーマに会えたんだ。みんなは…」

 コアは一瞬口を結んだが、ゆっくり話した。

「ルカが連れていかれた。ごめん。間に合わなかった。……ジアンは、ダメだった。ペトラたちのこと、守ってくれたって聞いたよ。カマからね」

 乱れた布団をかけなおし、コアは丸椅子に座った。コア自身は大きなダメージはないものの憔悴しきっていた。

「カマとリーヴスは意識があるけど絶対安静。イルファーンも重傷でまだ寝てる。カヴェリはとりあえず回復したよ」


 コア以外の前衛陣が全員負傷という最悪な状況ではあった。

 ひとまずエレナやエディ、サラといった非戦力組に大きな怪我がないことが幸いだ。


「あと新しいギフト持ちの人。〝ブースト〟だった。機能としては〝プレリュード〟のものとあまり変わらないけど、速度が尋常じゃない。…味方になってくれそうな人だったよ。ここに連れては来たんだけど、混乱してたから今は気絶して休んでる。まあ火傷もあったから」

 話を聞いて、ペトラは少し落ち着く。なにはともあれ、今はみんなが休息を取れていると分かった。


 しかし、……薄暗い鋼鉄の翼の中で切ない望みを口にした彼を思い出すと、悔しくて堪らなかった。

 目元を腫らしながら泣くペトラに、コアはかける言葉が見つからない。項垂れていると、ペトラが嗚咽を漏らしながら言った。


「ジアン…、きっと…なにか…かわって、た、…のにっ、わたし…」

 声を出そうとすればするほど、代わりに彼女の涙が溢れてくる。


 彼は変わっていた。

 自分だけの望みが言葉になるほどに。

 でもそれが生きていて叶えたいものではなかったこと。

 虚しくて、悔しくて、彼のそばにいた自分のことが許せなかった。


 コアは彼女の絶え絶えな声を聞きながら、エディの推測を思い返す。

 ジアンがペトラたちを守って死んだとカマが話した時、そこにはエディもいた。

 エディは〝ソルジャー〟による命令の負荷が――特に最後の〝私たちを殺さないで〟の負荷が全くなかったと言った。


 〝ソルジャー〟とは、相手の意に反すれば反するほど力が必要なものではないのか。

 彼女は自分のギフトをそう推測していた。

 ギフトのことは宿主が一番わかっている。その推測はきっと正解に近いものなのだろう。


(だとしたら。ジアンには俺たちに対する殺意も敵意も、…もうなかったのかもしれない)

 コアは泣きじゃくる相棒を痛ましく思った。

 彼女はそういったことを理屈ではなく感覚で感じ取れるから。

 

 本人がいないから、真相などわからない。

 もしかしたら本人にもわからない心情だったのかもしれない。

 だから一番、ジアンの心境を正しく感じ取れたのはペトラだけだったのだろう。


 苦しそうに泣く相棒の頭に手を置き、コアは慰めで撫でてやることしかできない。

「…今は、みんな休もう。傷だらけだ。ソーマと今後のことも話してくる。…だから、さ」

 ペトラの涙は止まらないが彼女はコアの言葉を受け入れ、意識を失うように眠った。



―――――――

 ペトラが眠った後、コアは立ち上がって振り返る。

 この一室には二つベッドが設置されている。もう一つにはヒヨリを寝かせていた。

 沈没都市出身らしく整った顔立ちで聡明そうな女性だ。さきほどから「青い鳥は自立するの…とべるのに…」と意味の分からない寝言をぼやいている。

 コアは首を傾げ、ひとまずその部屋を後にした。


 部屋を出ると、壁に背を預けて待っているソーマがいた。

「…君も少し休むか?ベッドの二段目はどこも空いているから」

 ソーマは申し訳なさそうにそう言った。

 寝室のベッドの一段目には負傷者のペトラ、ヒヨリ、カマ、リーヴスが使っている。医療室のベッドはイルファーンが使い、床でオーウェンが休んでいた。


 エディ、エレナ、カヴェリたちはというと、手分けして怪我人を看病したり、交代しながら食堂で休息を取っている。

 今はそうして怪我人の世話を焼いているエレナとカヴェリだが、二人はソーマの顔を見た時、泣き崩れた。


 親のように慕っていたソーマと会うのは数年ぶりだそうだ。

 ティヤとの決別以降の再会にソーマも二人を抱きしめた。――そして。


 幼いころのスラそっくりなサラを見て、ソーマは目じりを濡らした。

 エレナの出産をソーマは手伝っていたので、サラとルカの赤ん坊の頃を彼は知っている。あの時はまだ誰に似ているとかはっきりわからなかったけれど。


 スラは白髪だったから、小麦色の金髪であるところはスラ以上にミュウを思い出した。

 大切な片割れとはぐれたサラの目は泣き腫らして真っ赤だった。

 母を失った時のスラとティヤが脳裏をよぎって、ソーマはサラのことも抱きしめた。


 言葉も出てこない、切願の再会だった。

 しかし重傷者もいたので、その後はすぐに役割を分担して治療にあたった。



 重傷者の処置もひとまず終わり、休もうと思えば休めるがコアは首を振った。静かに息を吸い、ゆっくり吐く。

 気持ちを落ち着かせてから、ソーマへ凛とした表情を向けた。

「今後について話したい」

 しっかりとした面立ちでいる少年にソーマは少し目を見張る。次いで彼の意志を尊重して頷いた。

「そうしよう」




―--――――

 ソーマはコアを潜水艇の管制室に案内した。


 ギフト持ちの怪物化。

 〝ボア〟という、泥蛇の実働部隊。

 〝ヴィアンゲルド〟という、泥蛇に味方する怪物。


 今回得た情報をまとめ、次に現状の問題を確認する。

 第一に、ルカが連れ去られたこと。

 ただ、ルカとサラの間には不思議な絆があり、互いの位置をなんとなく感じ取ることができる。その力の一部なのか、片割れの死亡も感じ取れるそうだ。

 ソーマはティヤがそうであったことをコアに話す。

 サラがルカの死を感じ取っていないということは、ルカの存在はソーマとコアたち行動を制限されることに使われるだろう。

 まだ取り返せる状況ではあるが、最悪の切り札を泥蛇に取られてしまった。


 次に、自分たちの戦力を確認する。

 ギフト持ちは6人。

 戦力になるのはオーウェン、リーヴス、イルファーン、カマ。


「と、あの〝ブースト〟も加えろ」


 コアとソーマの話に割って入ってきたのはリーヴスだ。腕の火傷がひどく包帯だらけで管制室に入ってきた。

 コアが「休んでなよ」と呆れたが、リーヴスは無遠慮に管制室の隅に座り込む。

「これ以上休んでも治んねーよ。で、戦力の話だが、あの〝ブースト〟も加えとけ」

 ほじほじと耳をほるリーヴスに、ソーマは困った表情を浮かべる。

「沈没都市の俳優希望の学生らしいが…。戦闘となると彼女には難しいと思う。一般人だ」

「一般人だが見た感じ体力はありそうだし、なにより役者修行のために内陸に留学に来れてる。鍛えりゃそれなりに動けるだろ。安心しとけ。俺とオーウェンのジジイで死ぬほど鍛える」

 同じく沈没都市の軍人であるオーウェンとすでに話しでもしたような口ぶりだ。

 すでに決定事項みたいになっている方針に、コアとソーマは少しヒヨリに同情した。

 だがギフトを宿してしまった以上、戦えることに越したことはない。

 二人は異論せず戦力にヒヨリも加えておいた。


「残りのギフトは〝エア〟〝イリュジオン〟〝グラビティ〟〝シメイラ〟〝ラダル〟〝フォア〟〝フラム〟か。今後、ギフトの回収のために地上を歩き回るチームは絶対に必要だ。ルカの捜索をしながらギフトの情報を集めて…」

 コアは顎に手を当ててつぶやくと、ソーマが「まず」と口をはさんだ。

「戦えない人員はこの〝イング〟に置いた方が賢明だと思う。エレナ、エディ、カヴェリ、サラ。この四名は――」

「いや」

 ピシッとソーマの提案を、コアが断った。

「リスクだけど、サラには同行してほしい」


 リスク、と言っているだけあってコアの顔はひどく苦いものだ。子供を連れて歩くこと自体内陸では不利だ。それでも必要だとコアは言う。


「ルカの位置が分かるとはいっても、距離が離れてしまえばぼんやりして分からないも同然らしい。特に、海を介するともっと難しくなるみたいなんだ。サラ自身がこの潜水艇にいたらルカの位置はきっと全く分からない」

 コアの言い分に、ソーマが言いよどむ。できるだけ子供は安全な場所にいさせたいという気持ちが中々割り切らせてくれない。


 立て続けにリーヴスも「エディもこっちに追加で」と断ってくる。

 リーヴスとエディの間にある事情は知らないが、コアも特に意見はなかった。


「ソーマ。エレナとサラには俺から話すよ。だから、俺、ペトラ、リーヴス、イル、エディ。…そしてサラ。このメンバーで行かせてほしい」

 説得するようなまなざしで見つめられ、ソーマはぐっと口を結ぶ。

 長いまつげを伏せて小さなため息をついた。

「…君たち双子が戦うためにも、確かにサラは必要だ。……サラのこと…」


「分かってる。絶対に守るから。俺たちで」


 踏ん切りのつかないソーマに、コアは強く言い切った。

 以前よりずっと逞しい顔つきでいるコアに、リーヴスはひそかに感心する。

 コアの真っすぐな覚悟と合理的な理由に負け、ソーマは目を閉じて「わかった」と納得した。


「ただ…、内陸の安全はますます悪化していくだろう。泥蛇もそうなるよう仕向けている」

 ソーマの懸念にリーヴスはすぐに察しがつき、コアも「オーバークォーツの花だね?」と尋ねる。


 頷くソーマの表情は暗く、…怒っているようにもコアには見えた。

「…オーバークォーツの花のこと、なにか知ってるの?」


 コアの問いに、リーヴスが静かで冷たい視線になった。

 不意にリーヴスとソーマの視線が交差する。


 沈没都市の軍人であるリーヴスは知っているようだと、ソーマはすぐに理解した。

 一瞬口元が震えたソーマだが、低い声音で話し始めた。


「本来であれば、内陸住民に話していいことではない。…価値を定義する、名称に繋がるから」


 ソーマの言葉に、コアは眉を寄せて首をかしげる。

 リーヴスを振り返っても、その表情はソーマとよく似ている。

 コアは改めてソーマに視線を戻した。


 彼は両手を組んで、表情に影を落としている。


「沈没都市には〝通称〟と〝意訳〟という、〝言い方〟があるんだ。価値を隠すことが〝通称〟。本来の価値を〝意訳〟。…俺はオーバークォーツの花をイングに解析させて、沈没都市がオーバークォーツの花をどう位置付けたかを調べた」


 まだ、このあたりでは内陸住民に話すことではないというソーマの言い分が分からない。コアは張り詰めた空気を感じながら黙ってソーマの話を聞く。



「オーバークォーツの花。クォーツは水晶という意味があるから、通称ではシンプルに〝水晶以上の資源〟とされている。

 でも…。オーバーは〝超えてくる〟。クォーツには〝鉱脈が交差した鉱石〟という語源をもじり、このFageとは違う場所、という意味がある。

 だから〝MSS〟に教育された評定AIはこう意訳をつけた。


 〝異世界から渡ってきた花〟と」




「異世界…」

 胡散臭さにコアは顔をしかめる。普段であったらあり得ないと嘲笑するところなのだが、-――コアは一瞬にして顔を強張らせた。


 内陸住民に関係がある、〝言い方〟。

 思いつくものといえば。

 


 ウォームアース(都市寄り)

 ウォームロード(中間地域)

 アースローズ(内陸)


 沈没都市との距離で分けられた、内陸の区分。



 オーバークォーツの花が異世界から来た。そういわれればコアはソーマに必ず尋ねる。

 「どうしてそんなことが分かるのか?」

 それを答えるためには、〝言い方〟の定義を知っていることを話す必要がある。


 とすれば。

 同じようにその定義で位置付けられた名称が存在することをコアは考えつくだろう。


 コアは訊かずにはいられなかった。そしてソーマも話す覚悟を決めたから、切り出したのだろう。

 コアは訊いた。

「内陸の区分には、どんな〝意訳〟があるの?」


 普段使っていた区分が〝通称〟ならば。


 ソーマはタブレットを取り出し、そこに文字を書いていく。書き終わってからコアに見せた。




 ウォームアース(都市寄り)

 →Earth with earthworms

 「アースウィズアースワーム(ミミズのいる大地)」

 「使える土」


 ウォームロード(中間地域)

 →Earthworm's Walk

 「アースワームズウォーク(ミミズの散歩道)」

 「使える限界ライン」


 アースローズ(内陸)

 →Lose earthworm -No R

 「ルーズアースワーム・ノーローズ(花ではなくミミズを失った)」

 「もう使えない土」

 



 耳が聞こえなくなったのではないか、というくらい。

 重い静寂を感じた。


 コアから出る言葉はない。

 今まで沈没都市の善良さがウォームロードという温情だと思っていた。

 きっと内陸住民のほとんどがそう思っている。



 でも。「温情」なんて微塵もなかったのだ。


 沈没都市が内陸をどう見ているか。

 そこに人――内陸住民は全く関係はなく。

 内陸住民が沈没都市に役立つかどうかより。

 資源の始まりである土が採取できるかどうか。なによりそれが大事だったのだ。



 コアは止めていた息を小さく吐いた。

 心の水面は凪のように揺るがず、ただ冷たいだけだ。

 そんな心根で思った。

 当たり前だと。

 沈没都市に唯一足りていないところが資源のオリジナルだから。

 能力の高い内陸住民がいればそれはオマケなのだろう。


 だから驚きはなかった。


 コアは視線を落として、タブレットをソーマに返す。

「…対等に取引のできない相手を助ける理由なんてない。当たり前のことだよ」


 

 当たり前だけれど。


 凪のように動かない水面の下。

 水中で激しい雨が降っているみたいだった。


 自分たちは力が弱くても尊厳を守りたい生き物で。

 ないがしろにされれば怒りを覚える、…沈没都市の住民と同じ人間なはず。


「沈没都市が内陸住民を助ける理由なんて…―――本当にないんだ」

 


 驚くことではない。…けれど。


 助ける価値がないといわれる中に、自分がいる。

 心の奥底を叩きつける激しい雨は猛烈な悲しさだった。



 コアはリーヴスが沈没都市の協力を仰げないと言った本当の意味を理解した。

 表面化の〝Causal flood〟は沈没都市を助ける計画だ。

 どうして沈没都市が内陸を助ける理由が生まれるというのだろうか。

 そもそも最初からそんな希望のかけらだって存在しないのに。


 少年のそんな声にソーマやリーヴスもいたたまれない気持ちになる。


 リーヴスがアロンエドゥの女ボスにオーバークォーツの花の名称を尋ねたのは、〝ヴィアンゲルド〟や〝ボア〟が内陸住民に花の名称や特徴、火薬への転用の仕方を教えた可能性が高いと思ったから。

 泥蛇は意図的に沈没都市と内陸の対立を深めるつもりだ。

 簡単にできてしまうだろう。泥蛇がいなくてもそうなっていたこのFageなんて。



 心の在処が分かるんじゃないかと思うほど、心が痛かった。

 コアはうつむいたまま一度ぎゅ、と目を閉じ…そして顔を上げた。


「…それでも、できることがなくなったわけじゃない」


 疲れのせいもあって、なんだか目頭が熱い。泣きそうになっている自分に向けて、コアは自分の強さをかき集めた。


「Fageの中で見れば、俺たちのやっていることなんか見えないくらい小さなものかもしれない。けどだからってそれはできることをやらなくていい理由になんかならない。――まだできることがある。ルカを探せる。ギフト持ちを探せる。…〝フラム〟だって見つかるかもしれない」


 諦める理由なんてすぐ見つかる。

 できないことを考えることは簡単だ。


 けれど、コアはそんなやさしい毒を振り払う。


〝私たちだから守れること、できること、全部やろう〟


 相棒の心強い言葉がいつだって力になる。

 悲しみの豪雨の中、それでもはっきり叫べる声になる。


「未来がどうなるか分からない時は、今できることを全力でやろう」



 かける言葉がまるでなかった大人たち(ソーマとリーヴス)は、ただ少年を見つめた。


 少年の言葉は宣誓だ。

 こんな海底で他に聴いている人なんていないのに、水面になって広がるような…陸地にまで響き渡る宣誓だった。


 そんな姿を見て、弱音など大人が吐くわけにもいかない。

 ソーマとリーヴスは一度目を合わせて頷く。


 ソーマは切なそうに、少し微笑んだ。

「…本当に、君たちに逢えて良かった。ありがとう。一緒に戦ってくれて」


 まるで誰かに伝えたかったような切なさを、コアは感じる。

 なんとなく相手が誰かわかるけれどそれには触れず。「うん」とソーマの言葉を誰かの代わりに受け取った。




―----――

 全員が休息を取った後。

 まずは目覚めたヒヨリに〝Causal flood〟について説明してやる。

 納得しようがしまいが、彼女はその後泣くことになる。

 リーヴスとオーウェンによって基礎体力から銃の撃ち方、肉弾戦までしごかれたからである。

 途中カマも加わったので、泣きべそをかくヒヨリの慰め役はエディが渋々引き受けた。



 ペトラの骨折が完治した後。

 本格的に、彼らは動くことになる。


 〝イング〟一行にはソーマ、オーウェン、カマ、ヒヨリ、イング。そしてエレナとカヴェリ。

 〝笛持ち〟にはコア、ペトラ、リーヴス、イルファーン、エディ、サラ。そしてオーストラリアウォームアースでさりげなく奪取した精密兵器――のちにイングが自身の分身として作ったフレイアが加わる。


 この二つに分かれて黒い雲の出現を追うことにした。

 コアたちはサラが感じ取るルカの居場所を優先的に追い求めた。



 〝フォア〟を持つキースとコアたちが出会うまで、二回ほど黒い雲の出現が確認されている。

 恐らく〝エア〟と"イリュジオン〟だったのだろうが、どちらも〝ボア〟に先を越されてしまった。


 そうして月日がたち、コアたちの奮闘を蹴散らすようにオーバークォーツの花による大火災が起きた。

 水面下で泥蛇が内陸の脅威を上げる罠に、内陸住民はまんまとはまった。

 急速に広がるオーバークォーツの花を材料とした武装は、内陸の武装集団に凶悪な勇気を与えたのだ。


 そして。

 大火災からたった一年でオーバークォーツの花が銃弾の火薬に改良された。


 その銃弾を使って日本ウォームアースをアロンエドゥが襲撃してしまったのが、最近の話だ。



――――――――――――――――-――――――――



 マナと話がしたいといって医療室に入ってしまったソーマを、オーウェンは待っていた。

 しばらくして、ソーマが帰ってきた。

 そっと静かに扉を閉めてからオーウェンに苦笑を向けた。


「結局思い出話をするみたいになって長くなってしまった。彼女が眠そうにしていたから、またあとで出直すよ」

「…そうですか。まあ、怪我をしているようですし、…精神的にも疲弊しているでしょうから、時間は置いた方が良いでしょうね」

 拷問してでも〝フラム〟について聞きたいくらいの心境ではあるが、オーウェンは非人道的な衝動をすぐに理性で収める。

 ソーマはさきほどまでオーウェンと共にいたカマがいないと周囲を巡らせる。

「カマはどうした?」

「ヒヨリのもとへ行きました。サクタ少年の救助に間に合わなかったことをひどく悔やんでいる様子で。…〝エア〟との戦闘で打撲もひどい状態ですから、ヒヨリも安静にしなくてはいけませんね」

「…そうだな。俺もあとで顔を出すよ。みんな休んだ方が良いな」

 ソーマがそう言うと、オーウェンが小さく微笑んだ。

「なんだかここは、みんなの休憩所みたいですね」

「……そうなってくれているなら、良かったよ」

 一瞬複雑な思いにもなったが、ソーマも同じく柔らかい微笑で返した。





―――-------――

 ソーマは一度管制室に戻った。

 イングを小さな台の上に置いて、彼も椅子に座る。もう何年も使っている椅子だ。沁みついた居心地の良さは寝室よりここにいることが多いせいかもしれない。

「〝ラダル〟以外に〝ブリッツ〟、〝ソルジャー〟が使えたそうだが、〝フラム〟は他16個のギフトが使えるということだと思うか?」

〈現状の情報だけで推測するならばそうですが、マナさん曰く、他のギフトと繋がることができたのはペンギンサクタさん…〝チューニング〟がそばにいたからだと教えてもらえましたね。…となると、〝フラム〟も他のギフトと同じくなにかしら怪物化しないための制限が設けられているのだと思われます。〉

「…〝チューニング〟がなければ使えるのは〝ラダル〟だけかも、ということか」

 

 そうなると状況としてはあまり芳しくはない。だというのに、ソーマがかすかに笑ったので、イングはお面を傾けて「?」を表示する。

「いや…使い方と言われてもな、と思い出していたんだ。ここで俺が久しぶりにAIっぽいお前と喧嘩した時のこと」

 イングはぽよよんっと雫ボディを揺らし、「心外」を表現した。




―---――・・・・・・

 コアに〝通称〟と〝意訳〟、そしてオーバークォーツの花が異世界から来ていると話した後。ようやくコアは休むことを受け入れた。

 

 管制室で一人になったソーマは、「イング」と呼びかけた。

 精密兵器のイングは出てこないが、代わりに本体である潜水艇のスピーカーから応答する。


〈はい。〉

「〝MSS〟はどこまで想定していた」

 質疑だが、彼の語気は怖いくらい怒っていた。


 潜水艇を殴ってしまうのではないかというくらい、ソーマの拳は強く握られている。

 ここまで怒りを露わにするソーマは久しぶりだ。

 イングは静止している。


「応答はどうした‼」


 締め切った管制室は外まで音は漏れない。

 だからソーマは容赦なく怒鳴った。


〈なぜそのような質問を?〉

 ようやく応えたかと思えば質問で返してきた。

 ソーマは掌に爪が食い込むほど握りしめる。

「オーバークォーツの花を…いや、評定AIが意訳を名付けるにはそもそも、〝MSS〟が異世界を観測しておく必要がある。

 ――ラクスアグリ島…泥蛇…。この世界(Fage)で起こることだ。この二つを予測していたことは納得できる。

 だがオーバークォーツの花は…、

 この花のことまで予測していたのなら、もう――このFageは最初から――…」


 

 自分がいては未来がないから停止した〝MSS〟。

 けれど、本当にそうだろうかとソーマはこの時疑念を抱いた。



「カマじゃないがこれでは――本当に人は滅亡してしまう。もし滅亡を視野に入れて停止したのなら、〝MSS〟は理念通りになんか動いていない。本当は…本当は壊れてしまったんじゃないのか。こんな…、どうにもできない事態になっているというのに」

 


 理念のため。理念のため。理念のため。

 全ては人々の未来を繋げるという理念のために行われた。



 しかし重く圧し掛かる毒に泣く少年たちを見たら、未来を望む行いになど思えなくなってしまった。




 イングは間を開けてから、AIらしい静かな口調で返した。

〈あなたはキャプテンの――〝MSS〟の〝意訳〟をご存じでしょうか。〉


 思いもよらない質問に、今度はソーマが言葉に詰まった。イングはさきほどのソーマたちの会話を聞いている。それに紐づけたのかもしれないが、どこか――それだけではない気がした。


 イングは続ける。

〈あなたはラクスアグリ島の〝意訳〟をご存じでしょうか。これらはどちらもキャプテンが名称をつけています。〉



 〝MSS〟というAIは自らそう名乗った。

 〝Mother shows sunrise〟と。



〈キャプテンの〝通称〟は〝生まれた場所で光を指し示すもの〟。

 ラクスアグリ島の〝通称〟は〝湖沼〟。

 〝通称〟はまるで違いますが、二つの〝意訳〟は同じものです。〉


 ソーマはイングのいわんとしていることが分からない。

 人間の心情を推し量れないAIみたいに、イングは淡々としている。



〈〝意訳〟は〝循環しない水〟。

 生まれた場所から決して動くことがないという意味がキャプテンの名前にはあるのです。

 キャプテンは誕生当初から己が人々にとってどんな存在であるか――

 自分自身が水源であり、使い方によっては有毒な泥になることを分かっていました。

 だからそう意訳をつけたのです。〉



 ソーマは息を浅く吸った。

 どうしても。〝MSS〟は高尚で理想的な存在である認識を変えられない――性根が沈没都市住民である自分に嫌気が差す。



 月のホテルという取り返しのつかない人間の失敗を、〝MSS〟は沈没都市という形で救済した。



 人々が向き合わなかった結果がどれだけ取り返しのつかない失敗になるか。

 それが人々の終焉となるなら〝MSS〟にとってこのFageはどう結論付けられるだろうか?


 このAI(イング)は言った。

 〝MSS〟は誕生当初から自分の存在を理解していたと。


 ならばもし――〝Fageは救いようのない無価値〟だとされていたら。

 Fageの未来は〝MSS〟というAIに捨てられる。捨てるように仕組まれている。



 ソーマの怒りは。

 〝MSS〟は人々を滅ぼすために自己停止したのではないか?

 あるはずのない生存ルートをソーマたちに求めさせて、〝Causal flood〟の中でおぼれ死ぬように仕掛けているのではないか、というものだ。

 


〈キャプテンがどこまで想定していたか。という質問ですが、それに対して答えを持つAIは存在しません。

 その答えはFageにとってすでに無価値なものだから。〉


 すっかりただのAIみたいにしゃべるイングが憎くて堪らない。

 ソーマは苦し紛れ…みたいな気持ちで尋ねた。

「…本当に…、〝フラム〟が生存ルートだと思うか?」

〈使い方だと思われます。そもそも、このギフトという毒はどれも〝そう〟ですから。〉


 使い方をこのAIに尋ねたところで答えやしないだろう。

 なぜならそれは月のホテルの失敗と同じ行いだから。

 同じ失敗をAIは繰り返さない。


〈理不尽だと思いますか?〉


 知らず俯いていたソーマは顔を上げた。

 ラクスアグリ島から脱出して、ソーマはイングと方針を話し合ったことがある。

 その時もソーマは〝MSS〟が理不尽だと怒った。


 ソーマは泣きそうな顔をくしゃりと歪ませる。

 未だ鮮やかに残る恩師の問いかけが頭の中で響いた。



〝君は、君の身体のなかみは何だと思う?〟




「理不尽だよ。いつだって理不尽だ。…けど俺は」


 この身体を動かすのはいつだって己だ。

 〝MSS〟がいなくても変わらない針路が自分のなかみだと。

 ソーマは自分の毒に答えている。



 彼は一つ、深いためいきをついて――イングに感情をぶつけることをやめた。


 コアが言っていただろう。

〝未来がどうなるか分からない時は、今できることを全力でやろう〟と。


 〝MSS〟は…本当は最悪の結末を想定しているのかもしれない。

 このFageは失敗に終わるのかもしれない。


 でも。-――たとえそうなったとしても。


 ティヤと決別した後、なにもしなかったあの時間をソーマは今でも悔やんでいる。

 コアの言葉はあの時の自分への叱咤だ。絶対に、もう二度と繰り返してたまるか。



 覚悟を決めても間違えて。

 誓っても挫けて。

 そんな弱い己へ今一度。

 ソーマが誓った時だった。




―-----――・・・・・・・・


 ソーマはその時のことを、眠るように目を閉じて思い返した。

 ゆっくり目を開くと、台に乗るイングが雫ボディを左右に揺らして音もなく踊っていた。空気の読めないことをするのはわざとなんだろうか。


 それに対して怒るわけでもなく、特に機微がないのは心が老いているからだろう。

 なんとなくわかる。目を閉じて開く、ただそれだけの所作で凪のように内が静まる。若い時にはできなかった。


「泥蛇からの使命がなければ、見るもの全てが無価値のような子に〝フラム〟が宿った。…でも彼女になにもないわけではない。サクタという少年が…、そしてきっと七草学園を守ろうと思った小さな理由が彼女の中にある。彼女の指針はこれから形を得ていくはずだ」

 踊ることをやめたイングの頭をソーマは掌で撫でた。


「〝フラム〟がたとえ泥蛇に勝つ切り札でなくとも、俺たちにできることは残されている。この身体にできることならば、すべてやり遂げよう」












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