24話後半 導線の先で答え合わせをしよう
ギフトの中で明確な攻撃手段は二つ。
近距離戦の〝ミエ〟と遠距離攻撃の〝ブリッツ〟。
出力でいえばほぼ同等だ。
(だからこの二つが戦った時、勝つのは)
ジャックは役目を最大限全うするため、〝ボア〟に許可を求めた。
「ジアンは裏切り者ということでいいか?」
〈そのようだね。彼の耳に取り付けた皮膚シールも切除されていて行動を抑えられない。だからいいよ。君は最後まで役目に忠実で素晴らしかった。〉
「光栄だ」
異界への入り口でも開きそうな激しい閃光と巨人の咆哮みたいな雷鳴。
熱い風に顔を守りながらジアンは目を見張った。
「…死ぬつもり?」
ジアンはギフトの使いすぎで怪物になることを知らされていない。
ジャックですら、ここに来る前に教えられたのだ。
だからジャックは即決だった。
〝ミエ〟と〝ブリッツ〟。勝敗を分けるのは「いかに命を懸けられるか」――それに委ねられる。
ジャックは限界ギリギリまで〝ブリッツ〟を起動させる。
ジャックの皮膚がすべてめくりあがり、薄青い光がかろうじて人の形を維持する。
顔だった部分は大きな光の円として広がり、余った光は糸のように伸びて風になびかれる。
怪物は人を直接殺すことはできない。だからそのラインを超えない程度に人間性を残したが、今のジャックは葉先の露だ。
その露が落ちるまで――死力を尽くしてペトラたちを焼き払うつもりなのだ。
ジャックが矢を放つような構えを取る。
その矢先は――ジアンだ。
ジアンはとっさに一番近くにいたペトラをカマの方へ突き飛ばし、〝ミエ〟をジャックに向けて放つ。
地面から波のように溢れ出るその刃を。
ジャックの雷撃矢は一閃して消し飛ばした。
「ジアン―――ッッッ‼」
カマが反射的に〝エスタ〟を起動させ、ジアンを叫ぶ彼女を背に庇った。
余波で届く雷撃は跳ね返すが、その凄まじい風圧に耐え切れず結局カマもろともペトラは吹き飛んだ。
光に飲み込まれたそこにはかろうじて命を繋いだジアンと完全に意識を失ったカマ、カマと蝶番型の盾のおかげでまだ動けるペトラが残っていた。
あとは草の一本もない。
左半身が焼けただれたジアンは呼吸もままならない。
手足は肉が削がれ短く細くなってしまった。左目も雷光と熱のせいで完全に視力を失った。
リーヴスたちを守っている刃の山の方へけだるげに右目だけで視線をやる。
刃の山は焦げてはいるが無事だった。
(強力な分、攻撃範囲はかなり狭いワケだ…。でも一度狙われたら避ける時間は一切ない)
次に盾を支えにして立とうとするペトラを見る。
(不思議。〝エスタ〟では跳ね返しきれない。〝カーボナイト〟では耐え切れない。〝ミエ〟でも突破される。それでもあの盾はだいじょーぶなんだ)
ペトラもジアンに視線を向けた。そのせいで目が合ってしまう。
心の中を見られているような、彼女の屈託のない眼差しが彼の瞳に映る。
ジアンがなにを考えているのか察したように、彼女はハッとして懸命に歩み寄ってきた。盾を支えにして右足を引きずりながら。
よく見れば彼女の右足は折れていた。辺り一面の熱波と息苦しさは生きているだけで辛いだろうに。
痛くて、苦しくて、辛いのに。
それでもこちらへやってきた。
〝やれることは全部やる〟
まるでその意志が彼女の燃料みたいだ。
(僕より弱いくせに。どうしたらそんな風にいられるんだろう)
尽きることのない羨望がジアンの胸の中に積もっていく。
汗だくの彼女はジアンの前に立ち、蝶番の盾をドン!と地面に突き刺すように置いた。
ジャックの雷撃矢は実質防げない。結局〝ミエ〟の刃が突破されてしまえばたかが人間二人分の体重しか乗らない盾では、ペトラも、ジアンも地面に叩きつぶされるだろう。いや、その前に焼き消えるだろうか。
けれど、蝶番型の盾が雷撃矢を少しでも抑えておけるのなら。
その僅かな時間で〝ミエ〟の刃がジャックに届くかもしれない。
ペトラは息を吸うたびに肺が焼ける中、それに賭けることにした。
お互い、電撃の熱波によるせいで喉がろくに使えない。
話し合って戦う余裕など残されていなかった。
――〝ブリッツ〟をここで倒す。骨も残らなかったとしてもコアたちのもとへは行かせないと、ペトラは身体の中で誓う。
すでにジャックは二撃目を用意している。
ペトラもろともジアンを貫くつもりで。
二撃目が無情にも放たれる。
瞬き一つできなかった。その速さ。
驚いたのは。
もはや驚く顔を持たぬジャックだった。
地獄の剣山のように。
大小の銀の剣が、至るところの地面から突き出ていく。
放った雷撃矢は巨大な刃の翼で覆われたジアンのもとへ飛んだが、それまでに地面から突き出した刃に当たって威力が弱まった。
全てを無に帰すその破壊の矢が刃の翼に届いても、貫通にまで至らなかった。
ジャックはその事実も受け入れがたかったが、それどころか地面からの刃はなおも突き出されていて、自分に迫るそれらを雷撃で破壊するのに手いっぱいだった。
「なんで、なんでなんでなんでなんで‼なんでだッッッ‼」
破壊しても。破壊しても。
飛び散る刃の破片が足もとに雪のように積もっていく。
――雷撃で炭化していないのだ。
「なんでだああああッッッ‼」
ジャックの苛立った叫び声はもはや轟雷だ。
彼の葉先の露は今にも落ちそうだった。
ペトラは――…体がはじけ飛んでしまったかのような衝撃を感じて目を強く瞑っていた。
しかし。
熱さと息苦しさに閉じ込められてはいるが、次第に自分が無事でいることに気が付いた。
なにが起こっているのか――そもそも目の前も刃で覆われて、外で何が起きているのか見ることもかなわない。
ゆっくりと、後ろを振り返った。
自分は今、〝ミエ〟の刃の中にいる。
〝彼〟の腕、背中、腹…なおも人間の身体である場所から飛べぬ鋼鉄の翼が生えていく。
ジアンが…自分を包んで守ってくれていたのだ。
外の光は遮断されて薄暗く、彼の表情があまり見えない。
「ジ、ア…」
声にならない声で、ペトラは彼を呼ぶ。
ジアンはまだ微かに息はしている。尽きかけの呼吸を、彼は必死に集めた。
「…かみ、さまが」
かたい口を動かす彼にペトラは首を横に振った。無理にしゃべらないでくれと言いたくても喉が痛くて声にならない。
かわりに彼の両頬に手を添えるが、彼は口を動かした。
「きみを、たすけて…くれ、ない、理由」
ようやく彼の話そうとしていることが分かった。
あの時、意地悪で教えなかった。
そんなこともういつでも教えるから。
命を使ってまで聞こうとしないでとペトラはまた首を振る。
絶対に、彼ならペトラの意図が伝わっているだろうに。
「たぶん、僕、わかった…よ。だから、あの世で…答え…合わせを、してくれる?」
残された息を使って、最期の切望をはっきり伝える。
ジアンの頬は死んでいるみたいに冷たかった。
くやしさがペトラの目じりを滲ませる。
ペトラはもう人間でない彼の額に自分の額を合わせ、悲鳴を上げる喉を無視して声を出した。
「かならず。だって私は、あなたをわすれないから」
声と共に血が混じる。
彼の中で、自分たちのなにが残ったのか。
自分たちに味方をしようと思ったその理由も。
ちゃんと分からないまま。
彼は〝ブリッツ〟を上回るために――怪物化した。
荒れ狂う雷撃を縫って、オーウェンの俊足がジャックへ向かっていた。
走る稲妻が身体を掠めて血肉が飛んでも気にせず。
ジャックは狂った紳士に気が付いた。
「馬鹿が‼」
剣山を盾にしながら動くオーウェンに向けて、稲妻を走らせる。
剣山は〝ブリッツ〟の稲妻を完全に防ぐが、ジュウウウ‼と激しく熱せられ切れる前に焼失する刃へと変貌する。
オーウェンはその殺人的な熱気に、時間はかけられないと即座に判断する。
〝メモリア〟を高出力で起動させ、先ほどまでジャックが放っていた稲妻やコアたちの姿が再生される。
人間性の大部分を失っているジャックはそれが「コアたちが戻ってきた」と認識してしまう。
稲妻の照準が過去の彼らを追いかけて割れていった。
〝メモリア〟が幻覚のようにジャックを困惑させた瞬間。
オーウェンの足がジャックの懐に踏み込んでいた。
ブレードがジャックの雷と化した身体を縦に真っ二つにした。
生身ではない体にどれだけ有効か…もう考えることをやめたオーウェンだったが、人間性を残したその体にはまだ明確な〝命〟があった。
加えてジャックの命は葉先の露だ。死にかけの命は軽く、あっという間に散った。
放射線のように雷が広がり、ジャックの体は消滅する。
オーウェンはふらつく足をなんとか踏ん張り、胸辺りを抑えた。心臓をトンカチで叩かれているような痛みを感じる。
本来〝メモリア〟は自分にだけ過去を見させるものだ。それを他人に――且つ広範囲に見えるようにした。これは怪物になりかねないほどの負担だった。
加えてジャックの懐に入るために全身大やけどを負った。呼吸を止めていたのに鼻の粘膜が焼かれ鼻血も止まらない。
しかし休んではいられない。
オーウェンは振り返った。
刃のギフトがどんどん膨れ上り、刃の鱗を持つ顔のない翼竜のような姿になっていく。
ここまでの惨状になった経緯など知る由もないが、〝ブリッツ〟と拮抗――いや上回っていた刃のギフトを放ってはおけない。
ペトラを閉じ込めたまま、刃の翼竜が大きな翼を広げた――その瞬間。
巨人が持つような金の三叉槍が空から翼竜を突き刺した。
槍の落ちた風圧は人もろとも飛ばしそうだったが、三叉槍が一気に金糸となって解け、竜巻のように巻きあがる。
その竜巻は雷雲も。熱波も。刃の鱗も。
人以外すべてを巻き込んで海へ投げ飛ばした。
ブレードを地面に突き刺し平面の部分を縦にして衝撃から身を守ったオーウェンは、風が収まってすぐブレードを手に取った。
戦闘が始まるかと覚悟していたが、動きを止めることになる。
刃の翼竜の姿は消え、そこには横倒れになったペトラがいた。蝶番型の盾を持っていたおかげか金の三叉槍による衝撃で死ぬことはなかったようだ。
そして〝ミエ〟が倒されたことで、リーヴスたちを覆っていた刃の檻も粉々の炭化となって崩れていく。
リーヴスとイルファーンに意識はあり、オーウェンと同じく先手を打つような行動は起こさなかった。
金の三叉槍を振り下ろした人物がペトラのすぐそばに立っている。
イルファーンは朦朧とする中、その人物の特徴がすぐに先日の人狩りからの情報とつながった。
小麦色の金髪。金色の、というより晴れた空から降り注ぐ光を受けて、その瞳は煌めく琥珀のようだった。
理知的な面差しは沈没都市住民に似て。
平然とした凶悪さは内陸住民にも似ていて。
けれどそれ以前に。
人間らしい温かみも冷たさもなく。
動物らしい息吹も感じない。
その異質さは存在を見ただけで漠然とした違和感を覚える。
ソーマがさきほど足を止めたその人物は、あっという間に自分の足に追い付いてきたのだと、オーウェンは静かに慄いた。
……実際には、〝ヴィアンゲルド〟はオーウェンより一足分早くたどり着き、〝ミエ〟と〝ブリッツ〟、どちらが先に怪物になるか見定めていた。
どうあがいても絶対に勝てない。
おそらく、相手に触れることすらかなわないと身体が最初から敗北を認めている。
対人相手にこんな感覚は初めてだった。
(…いや、人…なのか?)
オーウェンは額やこめかみからずっと流れ続ける汗をぬぐいながら、相手を観察する。
〝ヴィアンゲルド〟は軽く人差し指を動かして、地面に埋もれた〝ブリッツ〟の核を金糸に絡ませた。スッ――と飛ぶように上へ飛び、〝ヴィアンゲルド〟の手元に落ちる。
そして同じように足元の〝ミエ〟の核も手に収める。
黒い繭は女性の掌に収まるほど小さい。
〝ヴィアンゲルド〟はオーウェンに視線を流した。
「ソーマには怪我をさせていない。後で迎えに行ってやるといい。」
そう言い置いて、〝ヴィアンゲルド〟は彼らに背を向けた。
反射的に銃口を向けるリーヴスだったが、裾をイルファーンに引っ張られ止められる。
異質な空気感はリーヴスにも伝わっていた。意味がないとすぐにおろした。
全員がギフトを限界に近いところまで使ってしまい、もうそれ以上の激しい戦闘は不可能だった。
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時は少しさかのぼり。
ルカはカマを人売りだと思った女性の手によりウォームアースの建物に避難させられていた。
突如オーストラリア内陸で起きた異常気象のせいで、避難民はどんどん多くなる。
保護者のいない子供は一つの区画に集められた。絵本や積み木、お絵かきやパズルなど知育玩具が揃えられ、みんな不安そうな顔をしながらも暇を潰していた。
何度かこの区画を出ようとしたルカだったが、職員が迷子になるといけないと言って許さなかった。
(…僕、今がまいごだよ…)
ぐすん、と鼻をすすり、体育座りをして顔をうずめた。
(ママ…サラ…ママ…会いたいよ…。一人であそんでてごめんなさい)
何度も遠くに一人で行くなと言われたのに。
つい花を探すことに夢中になってしまった。
もう二度とするもんかと心の中で強く思っていると、入り口にいた職員がルカのことを呼んだ。
なんだろうと顔を上げると、その職員はだれかと話している。
「あの少年の知り合いですか?」
「あの子の母親と知り合いなんだ。エレナって言うんだが、ここには避難していないのか?名簿を見てもルカの名前だけあったから」
母親の名前が聞こえ、ルカはパッと立ち上がった。
「ママ!ママなの⁉」
入口のところまで走り寄ると、職員がルカの肩に手を置いて落ち着くよう言い含める。
ルカは職員と話していた人物を見上げた。
すごく、見上げた。
想像以上に背の高い相手だったので、ぐぐーっとルカの顔が真上を向いて行ってしまう。
「…だれ?」
ルカは相手の顔をまじまじと見つめた。
青みがかった銀髪に雫色の瞳。
ガラス細工のように繊細な美形。
見惚れるほど綺麗な女性だが、知らない。
職員もルカが知らないというので、困った顔でニーナの方を見る。
ニーナは落ち着いた様子で、ルカのために腰を下ろした。
「エレナの知り合いだよ」
「ママのこと知ってるの?」
「ああ。お父さんのことも知っているよ。ティヤだろ?そういえばサラはどうした?」
さも無害を装うニーナはあまりにも自然体で、職員の疑わし気なまなざしも少し弱まる。
なにより、ルカの反応が決定的だった。
「パパも知ってるの⁉パパのお友達?パパ、お友達いっぱいいたから」
「エレナとティヤの友達だよ。で、サラは?一緒じゃないのか?」
「うっ…僕ひとりでここに来ちゃって…サラ、絶対怒ってるよ…」
途端後ろめたそうにルカはごにょごにょとつぶやいた。
ニーナはスッとまた立ち上がり、部屋を出ようとした。
ルカは急いでニーナの袖につかみかかった。
「ちょ!ちょ!ちょ!どこにいくの⁉」
「サラを探さないとな」
これは絶対についてくると確信したニーナは、あえて無理に連れていくことをしなかった。
案の定、職員がルカに慌てて声をかけるも、ルカは首を振った。
「いいの!僕もサラを探さないと!だってそうじゃなきゃ怒られる!せめて僕も探してたってことにしないと!」
颯爽と出ていくニーナの手をルカから掴んだ。
自ら意志を持って安全地帯を出ていく相手は、原則追うことはできない。
沈没都市住民であるその職員は当惑しながらもルカを止めることはそれ以上しなかった。
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エンドレスシーのイングは泥蛇の分身と接戦だった。
お互い、発射される信号のミサイルを迎撃し、機動力の高い駆逐艦を向かわせる。
空は光と光がぶつかり合い、海面では何度も水柱が吹きあがる。
ウォームアースを巡回していたAIはすぐさま退去し、オーストラリア沈没都市の保安AIに通報を始めた。
応援が来る前にイングは急いだ。
〈ちょあちょあちょあちょあちょあぁぁーッッ!らっせいらっせい!ウルトラキュートラブリーイングゥアアアアアア‼〉
かけ声という、あっても性能が変わらない無駄なことをするイングに、泥蛇はこっそりため息をつく。
〈…定義上は我々と非常に近しい存在ですが、我々はああいう現象毒でなくて本当に良かったですね。さて大詰めです。〝ブースト〟は〝ボア〟が頂きます。〉
〈なんですかどろんこ蛇のくせに〝ボア〟ですってぇ⁉かっこつけです!〉
〈自主的に悪口まで使えるのですか。AIとしての格は下がっていますね。〉
言語としてお互い意思疎通しているわけではないが、言い争いの中にも相手の予測演算を抜き取ろうと熾烈な攻撃信号を送り合っていた。
イングの駆逐艦が何機か精密兵器の影に沈められる。
イングの心臓を乗せた母艦へ滑走するその影は――途端。
一機、海に引きずり込まれた。
泥蛇はすぐさま海中の包囲網を再検知する。
潜水艇などなにもない。
しかし、海中のレーダーをハッキングされていたことにすぐさま気が付く。
イングが使っていた悪口の数々にはウイルス信号が含まれていた。
「悪口を捨てる」というAIの特性は泥蛇にも備わっている。生理的に働くその特性はエンドレスシーの海へ悪口を捨てるのだが、捨てた時の波の揺れを利用して泥蛇の海中レーダーを鈍らせていたようだ。
〈ハッッハハーんンン‼どうしてあなたァそんな怠慢なヘビぃ⁉アイアムマイミーが最初から真っ向勝負するとでもー⁉では!用は済んだので撤収しまーっっすッッッ!シーユーフォーエヴァああああ‼(歓声の声)〉
ウィエエエエエエエイイイイ‼とどこからのデータから引っ張り出した歓声を響かせて、イングは濃霧を大量に発生させる。
信号による追跡を遮断させるものだ。泥蛇であれば蹴散らすための信号風を作れるが、分身では数秒かかる。
その数秒をついてほかの精密兵器を取られることを踏まえ、エンドレスシーのイングを追いかけることはしなかった。イングの戦力が一時的に〝今〟、有利になればニーナに任せた任務が失敗するかもしれないから。
しかし濃霧に覆われていく中、泥蛇はまるで怒っているかのように低い声で呟いた。
〈怠慢とは。なんと失敬な。〉
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現実世界では精密兵器の姿でいるイング、そして敵だった精密兵器の一騎が戦力に加わった。
イングという高性能のAIが操る精密兵器が二騎となり、形勢が覆っていく。
そのおかげで余裕が生まれたコアがフルートを弓矢型にしてイングの後衛を務める。
残り二騎となった精密兵器の破壊に成功する。
一瞬安堵の空気が流れたが。
泥蛇は意趣返しといわんばかりに、〝トンボ〟の銃口をサラに向けた。
〈――サラさん!〉
〝トンボ〟の信号からすぐに狙いがサラだとわかり、イングは液体の棘を飛ばして〝トンボ〟の動体に着弾させる。
しかし、一歩間に合わず、着弾と同時に数発のハルス弾が放たれてしまった。
エンドレスシーでは瞬間的にAIの機能を下げる信号風が広範囲に吹き狂った。付近のAIをも巻き込んだ泥蛇の嫌がらせに、イングはハルス弾への追撃がすべて外れる。
「サラ‼」
コアは発射されたハルス弾のまばゆい黄色の光を見て駆け出す。
人間の足ではおおよそ追い付くはずもない。
サラの顔面を正確に狙ったハルス弾は――地面に着弾した。
その場にいたはずのサラはまるで瞬間移動でもしたようだった。
目をぱりくりさせているサラは、ヒヨリに抱えられていることに遅れて気が付いた。
「はぇ?」
とはいえ何が起こったのか。
サラは目をぱちぱちさせながら、コアやイング、そしてヒヨリを見ていく。
コアは尋常でない速度で回避したヒヨリに驚いた。
誰より。
ヒヨリは自分がやったことに驚き、次いで力が抜けたようにサラを抱えながら地面に膝をつけた。
沈没都市の住民だから、〝トンボ〟がいかに怖い兵器かを知っている。
速度で勝てるはずがない。人間なら。
「…わたし…これ…」
精密兵器から雫ボディに戻ったイングがててて、とヒヨリのもとへ近づいた。
〈…あなたのそれは〝ブースト〟。ギフトで最も速度に優れた機能です。詳細はのちほど説明致しましょう。ささ、ここをひとまず離れますよ。〉
「待って‼」
呆けているヒヨリの腕の中でサラがもがいた。地面に転がり落ち、イングを抱える。
「ルカは⁉ルカを探さないと!」
ぬいぐるみと揶揄された通り、イングはサラにされるがままだ。ボディをぷる…と小さく震わせ、沈んだ声色を出した。
〈…ルカさんは今も近くに感じますか?〉
「え…」
サラはぞっとしたように青ざめていく。
イングは伝えにくそうにもじ、と小さな手を動かす。
〈泥蛇の撤収が思いのほか早いのです。エンドレスシーでもっとしつこく追いかけてくるかと思って挑発的な発言も使ったのですが…。追いかけてこないということは…。〉
かつ、サラがルカを感じ取れなくなっているのなら。
イングは最悪の想定にいきついていた。
〈ルカさんは、泥蛇に連れていかれた可能性が高いのです。このイングを追うより、ルカさんを連れていくことを優先したのではないでしょうか。〉
言いにくそうな態度だけれど、イングは言いよどむことはなく。
人間にとってそれが絶望に近い現実だとしても、正確にはっきりと伝えた。




