18話 それは過去の
「おぉ…。ニーナは無傷なんだね…」
潜水艇に帰ってきたニーナに、ルカは感嘆と畏怖を覚える。
ランが連れて帰ってきたハオは左足に風穴を開けて帰って来た上、ランにも左肩の貫通やひどい痣がいくつもあった。
本人曰く、「〝ブースト〟に油断させられた。〝エスタ〟でめっちゃ蹴られた」ようだ。
内陸にいたら縫合の必要な負傷だったが、〝ボア〟から提供される医療物資のなかみは沈没都市と同じものだ。
培養細胞を使った細胞再生シートを患部に貼りつけ、傷が塞がるまで日数をかけて重ねていく。内臓の損傷や切断でもない限りこの方法でほとんどの怪我が完治できるので、1週間から2週間もあれば二人は前衛に戻れるだろう。
ルカは二人の傷口を清潔にして丁寧に細胞再生シートを貼る。その上に包帯を巻いたところ、ニーナが潜水艇に入ってきたのだ。
てっきりニーナの後ろにでもマナがいると思ったルカは、きょとんと目を丸くした後、不安そうに目尻を下げた。
「マナは?一緒じゃないの?また別の任務?」
ルカの発言にランがプッと嗤う。
「とんだ裏切者だよ。俺達の先輩は。対象に惚れちゃったわけ?」
マナの直接の教官はニーナだ。ランはここぞとばかりに皮肉たっぷりの笑みをニーナに向けた。
ニーナは特別な反応は示さず「潜入先で感化されただけだろ」とだけ返した。
そんな彼女の反応が気に食わないと、ランは嗤笑を口に残したまま目つきを鋭くさせた。
「…アンタの責任だろ。俺はともかく、ハオの負傷は裏切者のせいだ」
「ああ。気を付けるよ。まさか対象を守りながら戦うマナにハオが負けるとは思わなかったからな。命令が下りる前に撤退を選んだことも目を瞑ってやる。あたしの責任だからな」
切り捨てるような冷たい彼女の返事にランから笑みが消える。
途端、ハオが怯えたようにニーナを見上げた。
「私の、傷、治る。まだ、私、役に、立てる」
普段は口数も少なく表情にも乏しい彼女は一生懸命まくしたててそう言った。
壁に手をついて立ち上がろうとするハオを、ランが急いで支え座るよう言い含める。
ついでにルカもハオの手を小さな力で引き、「座ろ」と優しく声をかけた。
ハオは無言だったが、脂汗を拭ってもう一度座った。
若者たちが静かになるとニーナは一言告げた。
「少しの間潜伏する。次出るとしたら〝シメイラ〟の起動時だ。それまで回復の時間に使ってくれ」
待機命令を残して、ニーナはその場から出て行ってしまった。
ルカは救急箱を片付けながら、ランに尋ねた。
「…マナ、どこかに行っちゃったの?」
ランはハオを心配そうに見つめてから、ルカの質問にはそっけなく答えた。
「さぁな。でも次会ったら敵だ。割り切っていかないと、殺されるのはお前だぞ」
ルカとマナの人間関係なんて知らないランはそのまま仰向けになって寝転んだ。
ルカは悲しそうな顔で俯く。
(どうして帰ってこなかったの?…僕、マナと戦いたくないよ)
ぎゅっと目を瞑り、無意識に指にはめている〝フルート〟を握った。
『――いっぱい練習して――強く――難しい――?じゃあ、-――歌で――』
記憶の底で、男性の声がとぎれとぎれに聞こえた。
ルカは静かに目を見開く。
『歌で――覚えれば――戦える』
優しく、力強く、頼もしい笑顔の――〝その人〟。
戦う術を自分は知っている。
教えてもらったはずだ。
でも思い出せない。
身体がざわりと騒いでもどかしい。
思い出せたなら。
ルカは大切そうに〝フルート〟を擦り、瞬いた。
(…マナを助けに行けるかもしれない)
―----――
潜水艇特有の、低い循環音が聞こえる。
海中という特殊な路を使う潜水艇では、〝ラダル〟は正確に機能しない。
数多の命の気配。
宇宙みたいな無限の反響。
怒り狂った海による異常気象の嵐。
とてもではないが、ここがどこでこの潜水艇の外がどうなっているのかなんて感知することなどできなかった。
しいて分かることといえば。
自分はまだ生きていて。
…あの子が死んだことが事実だということ。
マナはうっすら開いた目で天井を見上げた。
右肩と左腕が治療されている。
耳裏の皮膚シートは皮膚ごと除去されているだろう。痛みはまだないが、これから痛みそうな熱を感じる。〝ボア〟との通信手段は完全に絶たれた。
点滴の落ちる微かな音。
自分の心拍音。
潜水艇の医務室だ。
自分の手足が拘束されていると分かっても、マナは瞬くだけで動かなかった。
ぼーっとしていると、医務室の外から人の声が聞こえる。
「あなたが敵と直接会うなんて推奨できませんが…」「ここはオーウェンかアタシが行くわヨ」「なんだったらこのプリティボディのアイアムマイミーが尋問しますよ‼︎」と騒がしい。
それを「俺が直接話したいんだ。イング、念のためお前が俺の護衛で付き添ってくれ」と男性の落ち着いた声が制していた。
不満な空気のままみたいだが男性は律儀にノックをした後、入って来た。
彼女は静かに、彼へ視線を向けた。
柔らかな金髪に黄金がかかったペリドットのような瞳。
おとぎ話の王子様を再現したような顔立ちだ。
年齢は30代程度に見える外見だが、落ち着き払った雰囲気と物憂げな眼差しは初老のような印象を感じさせるそんな男性だ。
彼は手短にあった椅子を引き寄せ、腰かけた。
「俺はソーマ・フォレステライト・ティム。‥‥泥蛇から俺のことは聞いているか?」
慎重さは感じるが敵意はない。
対話を望んでいるのだと、彼の瞳から感じ取れる。
マナは一度目を閉じて、天井を見上げた。
質疑応答するロボットのように答える。
「22年前にラクスアグリ島に出航した第二調査隊フェイジャースレサーチャーの一人。現在は〝イング〟、〝笛持ち〟の司令塔的立場で、〝ボア〟の計画を止めようとする第一人者」
マナは一瞬だけ、ソーマの肩に乗って大人しくしている奇妙な物体に目を配った。
赤茶色の液体を雫型にして銀の面をつけている。精密兵器の変形バージョンだろうが、意味不明過ぎて見なかったことにした。
抵抗も怯えも一切ないマナは人形のように口を閉ざしてしまった。
ソーマは尋ねた。
「君は、ジアン、という男性を知っているか?
もともと泥蛇――君たちは〝ボア〟と呼んでいるがその兵士だった男性だ。出逢ったのは〝笛持ち〟の方だが、〝ブースト〟と起動時に〝笛持ち〟を守って回収されている」
一拍置いてから、ソーマは「彼のギフトは〝ミエ〟だ」と言った。
そこで、マナがようやく口を開いた。
「〝ボア〟が回収したギフトの一つとして知ってる。でも宿主だったその男性のことは知らない。世代的に私の先輩にあたる人だと思うけど」
恐らくニーナと同期の兵士だとマナは思った。
注意深くマナの様子を観察したソーマは、視線の強さを少し和らげた。
「…なぜペンギンサクタを殺さず、屋上へ向かったんだ?」
ヒヨリとオーウェンの話しから、サクタを撃った相手がニーナであることは聞いていた。
撃たれた彼を抱いて、この少女が泣いていたことも。
この少女は。
サクタを殺さず、屋上からの奇襲を防ぎに向かった。
〝ボア〟の意向を無視した独断だと分かる。
でもマナの瞳は虚ろのままだ。
ソーマは心が遠くに置き去りにされている少女を痛ましく思いながら、もう一つ、重要なことを尋ねた。
「君のギフトは〝フラム〟だな?」
虚ろな瞳が、微かに揺れた。
その小さな反応を見逃さなかったソーマは確信した。
「〝フラム〟というギフトを知らないんだな。――ジアンも同じだった。ギフトは全部で17個。〝フラム〟というギフトが存在すること。そして…」
今まで大人しかったイングがぴょんとソーマの肩からマナの胸に飛び乗った。
割と重くて、マナはぐ、と目元に皺を刻む。
「泥蛇の兵士さんは〝Causal flood〟――泥蛇の計画を正確に知らされていません。あなたはなんと聞かされているのでしょうか?」
よく聞けば色っぽい男性の声だが、でっぷりとしたフォルムが全て台無しにしている。
マナは無遠慮な物体から目を逸らして答えた。
「Fageを沈没都市だけの時代にする計画。そのためには内陸住民を殲滅する必要がある。その際に使われる武器が16…個のギフトを集約した武器を使うから、ギフトはいずれ全部回収される。それが〝ボア〟の計画だと聞いてる」
「それもジアンと同じだな。
〝Causal flood〟の要点は大きく分けて三つある。
沈没都市の次の姿〝ナグルファル〟。
内陸を殲滅する怪物〝アスタロト〟。
アスタロトと戦うための武器〝キヴォトス〟。
沈没都市だけの時代というのは間違いではない。
ギフト回収がこのキヴォトスのためであることは知っているようだが…。
間違いではないけれど、過去にあったことを教えた方が泥蛇や計画の本質が見えてくると思う。
‥‥俺達が泥蛇とどう戦ってきたか、なぜ戦ってきたか、聞く気があればいつでも話そう。少し長い話になるからまた後でも」
目覚めたばかりのマナに気を遣ったつもりだったが、マナの方から「今で良い」と返ってきた。
からっぽの身体は生きる気力なんかないくせに。
なにか欲しいと求めている。
驚いて目を丸くさせていたソーマだが、マナのそんな心中を感じ取った。立ち上がりかけた腰を椅子に戻す。
イングが粗相をしないように膝の上に乗せて捕まえておく。
「〝笛持ち〟のリーダー、コアとペトラが〝Causal flood〟のシミュレーション実験から脱出した時からだから5年ほど前か」
―—――――――ー・・・・・・
Fageは突然終わりを迎える。
それは大陸に現れた人と兵器を喰う怪物が現れたせいだった。
怪物から逃げるため各国の沈没都市は理念を守れる人々を乗せて、湾岸から離れていった。
大海原で合体した沈没都市は〝ナグルファル〟と名前を変える。
だから怪物と戦う時代は〝Naglfar age〟――「Nage」と呼ばれるようになる。
Fageの兵器すら餌となる怪物――アスタロトを倒すために開発された武器〝キヴォトス〟を使って、〝彼ら〟はアスタロトと戦っていた。
アスタロトに殺される度、何度も〝一日目〟に戻って。
・・・・・・・・・
キヴォトスには17個の機能が搭載されている。それを誰でも使えるように最適化・検証するためのシミュレーションが〝プレリュード〟だった。
泥蛇は内陸から被験者を集め、海底施設で〝プレリュード〟を行っていた。
しかし、ある人物の襲撃によって〝プレリュード〟は強制終了させられた。
シミュレーション世界から目覚めることができた被験者たちだが、施設中を這いまわる幼体のアスタロトと遭遇し、ほとんどが命を落とすことになった。
最初から、泥蛇は被験者を生かして帰すつもりなどなかったのだ。
そんな中。
被験者として巻き込まれていた〝彼ら〟――コアとペトラは襲撃した人物の手によって、海底にあった施設から潜水艇で脱出することができていた。
・・・・・・・・・
「美味い!このチョコバー!」
潜水艇にはかならず非常食が常備している。
ペトラは非常食から内陸では食べることが難しいチョコバーを堪能していた。
傍らで、コアは常備品の内容を確認していく。
「ティヤが渡してくれたポイントまで三日。うん、ペトラが馬鹿食いしなきゃ全然余裕。分かった?見て。このスピード以上で食べたら縛り付けるから」
コアは床に一日で消費する備品をペンで書き、ペトラにきつく言う。
ペトラは一応その内容を見たが、フッと自嘲した。
「読めないからちょっと分かんないね。余裕で残る分を食べたっていいじゃない」
「到着した後必要になるかもしれないだろうが。分かった。もう食べ物触んないで。俺が管理する」
「ええええ⁉︎何があるのか見せてよー!コアだけずるい!」
一度棚から全部備品を出したコアだが、シュバババ!!と手早くもとに戻していった。
そんなコアの背中にペトラが乗り「見るだけ見るだけ‼︎」と駄々をこね、コアは無言で必死に彼女の猛攻を防ぐ。
わちゃわちゃとしていると、潜水艇内のスピーカーが急に乗っ取られた。
〈おっっひさしぶりでーす!!ティヤー!!〉
「わああああああッッッ⁉︎」
二人は突然の声に同時に叫んだ。
思わずひっしとくっついた双子は周囲を見渡した。
「ま、まさか泥蛇⁉︎」
「やばいあいつらに乗っ取られたらこの潜水艇を停止させられるかも!」
すでに海底施設で殺されかけているので、二人は心臓をバクバクさせながら戦々恐々とした。
しかし、相手はどうやら違った。
双子が叫ぶと、相手はしばらく黙り〈…そうですか。〉と小さな音量で呟いた。
〈ティヤはいないのですね。察するに、あなたたちは泥蛇の実験から脱出した被験者でしょうか。双子さんですね。そっくりです。〉
ティヤ…それは〝プレリュード〟を強制終了させ、コアとペトラを助けた人物の名前だ。
ペトラが身を乗り出した。
「ティヤを知ってるの⁉︎じゃああなたがティヤの言っていた仲間?」
喜びがあふれるペトラの肩をコアが掴み、自分の方に引き寄せた。
「馬鹿!すぐに信じるなよ!泥蛇の仲間かもしれないだろ!」
「あ‼︎そういえばさっきも馬鹿って言ったよね⁉︎謝ってよ‼︎」
「今そんなこと言ってる場合じゃ――」
〈シャアラァァァァァァアアッップッッ!!〉
ぎゃいぎゃいと喧嘩しそうになった双子よりも大きな音量で、相手は双子を黙らせた。
〈全く双子とはどうして‼︎全部が二倍になるですか⁉︎いいですか!!今はこちらの自己紹介が最優先でございます!ではまずこの超すごーちぃAI、イングから!アイアムマイミーは――〉
「第一調査隊と一緒にラクスアグリ島に行った潜水艇の名前…」
「ソーマとティヤとスラが島から逃げる時に使った潜水艇…」
〈アッ。そうです。まあそれに搭載されたAIの名前でもあるわけで。…え?なんで知ってるですか?‥‥。‥‥。〉
実験の最中、泥蛇に気に入られたこの双子はラクスアグリ島で起きた一件を教えられていた。
知っていたとはいえ、本物のAIに会えるとは露とも思っていなかった二人は目を見開かせて呟いた。
出鼻を叩き折られたイングも驚愕して静まり返る。
そこで、イングの声が別の男性の声に変わった。
〈一つ、確認していいか?〉
こうして聞き比べると、AIイングと男性の声はやはり異なる。
男性の声にはどこか血の通っている〝揺れ〟があった。
〈そこにティヤは…いないんだな〉
それはきっと、悲しみと涙が滲んだ声だったからだろう。
コアとペトラが黙ってしまう。
その沈黙は是という答えだ。
男性は苦しいほどの悲しみがマイクに乗らないよう、静かに息を吸って吐き出した。
そして明朗な話し方で仕切り直す。
〈俺はソーマ・フォレステライト・ティム。ティヤとスラの育て親だ。泥蛇と敵対している人間でもある。…君たちの話しを聞かせてくれないだろうか〉




