15話前半 その夜は花の火に照らされる
七草学園に来たばかりの俺は幸運なことに、すぐに友達ができた。
彼は俺より背が高く、運動神経も良くて。
元気なお調子者で、おっちょこちょいなところもあったけれど、みんなあいつと遊ぶのは大好きだった。
彼がいたから俺は心底、七草学園に来て良かったと思えた。
ただ生きるだけではない。
楽しいって思えるその時間が、どう生きていこうか、自分の大切な指針の土台になった。
…たまに部屋を抜け出してお互いの部屋でこっそり遊び通したことがあるのは、流未先生には絶対に内緒にしておかないと。
彼も母親とウォームロードまで避難してきた。
けれど、母親は男遊びがやめられず、しまいには彼を置いて姿を暗ませてしまったそうだ。
「内陸住民はそんなもんだよな」って空笑いしながら、彼は自分のことを教えてくれた。
でもある日。
移住試験の準備試験結果を受け取った日だ。
日色に部屋に呼ばれて、最初はいつもみたいにくだらないことを駄弁っていた。
成績があまり良くなくて落ち込んでいるみたいだったから、きっと俺と話したかったんだろう。
そして、ようやく要件を口にした。
「サクタ。一緒に内陸に行かないか?」
俺は「母親を探したいってこと?」と尋ねる。
そしたら、彼は笑って首を横に振った。
「母ちゃんなんか探したってしょうがないだろ。…それは関係ないんだ。な、ここの勉強大変だろ。内陸で仕事した方がやっぱり俺達に合ってるんじゃないかなって。お前は頭が良くて、俺は体力に自信あるし、なんとでもやっていけると思うんだ」
しばらく俺は言葉が出なかった。
この時、色んな気持ちが体の中を巡った。
それも悪くないなっていう気持ちと、俺は医療培養を勉強したいんだよなって気持ち。
でもこの俺の静寂は、彼にとっては否だった。
彼は少し悲しそうに笑って、「急にごめん。話はこれだけ」と言って俺を部屋から追い出した。
「ちょ、日色!」
俺は閉じられた扉に向かって友達の名前を呼んだけれど、なにも返ってこなかった。
明日、もうちょっと詳しく話を聞こうと思って、その日はくるりと背を向けて自分の部屋に戻った。
次の日、日色がいなくなったと流未先生から聞いた。
――――――――
「寮をまず封鎖して下さい‼〝トンボ〟を出します‼」
流未が各教員に無線で伝達し、自室のパソコンから〝トンボ〟を起動させた。
真夜中。この時間は全生徒・教員は寮にいる。
教室の地下シェルターへ行くより、まず寮内で生徒たち全員と合流することになった。
他の教師は手分けをして各階へ走り出した。
七草学園はアロンエドゥから襲撃を受けていた。
最初は校庭に爆弾を投下され、図書館と寮の一階の窓ガラスは全て破壊された。
教室は沈没都市製シャッターを降ろしていたためダメージを負っていない。
先日のサンクミー施設への見学でアロンエドゥの存在を生徒たちは理解している。
沈没都市を忌み嫌う彼らが狙うのは、手厚い支援を受けている内陸住民だということも。
10歳以下の子供たちは職員と同じ階なので、すぐに教師が集めることができた。
3階にいる13歳組は自分の意志で自室から出て教師と合流し、自分たちより年少者の部屋を叩いて呼び出す。
何度も行った訓練と自分たちが殺される側であることを熟知しているその動きは、恐怖を覚えながらも冷静だ。
――しかし。
二階の教員階にいた流未は、寸でのところで年少者たちと共に防弾シェルターへ入った。
途端、その扉に散弾がガガガガガガガガガガ‼と激しく発砲された。
すぐさま無線で各階の教員へ叫ぶ。
「二階に来ないで‼寮の方に入ってきてる‼三階から防火扉降ろします‼避難経路を確保できるまで各階の防弾シェルターにいて下さい‼」
防弾シェルターは普段、各階の掃除道具をしまうために活用している空間なので、計7人の子供と流未一人が入っても余裕はある。
声を押し殺す子供たちと共にそこでじっとしていると、騒々しい男たちの怒号がどんどん増えていく。
「大人の男は全員殺せ‼一言もしゃべらせるな‼」
アロンエドゥの声だ。
子供たちは先日のサンクミー施設とは比較にならない恐怖で震え上がった。
ここを通り過ぎる構成員の足音も聞こえる。しかし流未の指示はすぐに届いていたため、防火扉が降りた3階へすぐに行けず、怒鳴り散らしていた。
流未は持ってきた小型端末の画面で、〝トンボ〟の〝目〟を確認する。
校庭を飛んで、外にいるアロンエドゥたちを攻撃している。
教室のシェルターを優先して守ってはいるのでこちらには来ないが、教室まで辿り着ければ助かる。
と思った矢先、弾丸がドアを貫いた。
薄暗いシェルター内で火花が飛び、子供たちは悲鳴を上げて泣き出した。
幸いにも誰にも当たらなかったが、急いで掃除道具を収める棚の後ろに子供たちを誘導する。
流未は戦慄した。
(なんで⁉内陸の銃弾じゃここの防弾素材を貫通するはずが――)
すぐさま、彼女の脳裏に「オーバークォーツの花」が過った。
内陸の手作業の技術は凄まじい。
それだけは、沈没都市の住民では適わない内陸の強みだ。
とはいえ、人間から作られる部品はどれも耐久性が低いという致命的な欠点があった。
けれど。
オーバークォーツの花と人の血液から作られる金属は、なぜか相性が良いという。
花を銃弾の火薬にまでおとしこんだという情報は、流未の耳にも入っている。
(うそでしょ――じゃあここも、ここより素材の質が低い防火扉だって壊されてしまう‼)
扉の穴が徐々に増えていく。
苛立ちの声が多かったアロンエドゥだが、次第に笑い声になっている。
もう扉がもたない――流未は子供たちを抱きしめ目をぎゅっと瞑った。
〈もしもしもしもし~⁉こちらは超すごーちぃAIでございます‼〉
流未の持っていた無線――つまり他教師のものも――から、聞いたことのない声が飛んだ。
子供たちが大パニックになる中、外のアロンエドゥの騒ぎの種類が変わった。
怒号から悲鳴に変わり、苦し紛れの悪態を叫んだ後、静かになる。
「ヒヨリ‼アンタのが速いわ先行って‼」
〝エスタ〟で流未たちのいるシェルターを攻撃していたアロンエドゥを壁に挟んで潰してカマが言う。
ヒヨリは短く「任せた」と返答し、〝ブースト〟を使ってその場から消えた。
通路に誰かいると思いながら、流未は無線から流れる〝声〟に狼狽えた。
「あ、あなた、一体…」
〈声帯信号分析・索引・特定…あ!河童流未さんですね!この学校で唯一の沈没都市在籍の先生さん!…随分妖怪じみたお名前で…。〉
七草学園のデータベースはエンドレスシーだ。イングはすぐに教員リストから流未を割り出し、特徴的な苗字に感心する。
〈我々はあなたたちの味方です!今二階の通路の確保と三階の救助に向かっています!ご安心下さい!〉
よく聞けば色気のある男性の声音なのだが、どことなく間抜けな話し方をする相手だ。
流未はぐっと眉を寄せた。
「味方なら嬉しい限りだけれど、あなたさっき自分をAIと言ったわね?そんな話し方できるのはメンタルサポートが必要な医療AIだけのはずよ。――でも無線という小さな信号をエンドレスシーに形作って乗っ取るなんて、かなり上位のAIでなくては出来ないはず。一体どこの所属なの」
〈ど、どうしましょうアイアムマイミーが優秀すぎるせいで信用してくれな――〉
〈イング、ちょっと替わってくれ〉
イングの声にかぶせ、ソーマが替わった。
〈俺は元ノルウェー沈没都市在籍・IK1T20TN51 -T4IN18。FR:ランクステラ:ソーマ・フォレステライト・ティムだ〉
流未はソーマと会ったことはない。
けれど、背筋に寒気が走る思いだ。なぜなら。
「なにを、言っているの?ランクステラのフェイジャースレサーチャーはこの世で7人だけよ。――ラクスアグリ島の調査に選ばれた彼らは、全員島で死亡したはずでしょう」
無線の向こう側にいる男性の言葉が本当なら、死人と話していることになる。
口頭ならいくらでも虚言を吐けるが、「IK1T20TN51 -T4IN18」という暗号は沈没都市の中でも一部の人間――フェイジャースレサーチャーや代表議員といった都市の重要機関に所属している人間だけが知るものだ。
この暗号が今まで漏れ出したことは一度もなく、エンドレスシーでも監視AIが優先的に、そして厳重に統制している情報でもある。
その暗号を知っているというだけでも、彼がただの沈没都市住民でないことは確かだ。
流未の信頼を得るためにその暗号を使っているのだから、暗号の重要性も無論、彼は理解している。
言葉を失っている流未は、子供たちの 泣き声で我に返る。
同じタイミングでソーマが彼女を説き伏せた。
〈今は緊急事態だ。これ以上俺の身元の証明をする材料はない。でもそのままそこにいても全滅するだけだ。――賭けだと思って、部屋の前にいる俺の仲間と共に教室のシェルターに向かってくれないか?必ず、もう一人が他の生徒も助けるから〉
流未は数秒逡巡したが、ここの防弾シェルターが役に立たないのなら、一秒でも早く教室に行かなければならない。
彼女は腹を決めた。
「みんな、行くわよ」
―――――――
〈ヒヨリ!防火扉を一人幅分だけ開けるのでそのままノンストップで進んで下さい!ピヨッ!〉
黄色のインコ――イングっ子は必死にヒヨリの襟に掴まり、その強靭な速度の風に耐える。
道中アロンエドゥを切り倒しながら、ヒヨリは三階へ向かう。
「サクタ君の居場所は⁉」
〈算出中です!三階にはいません!――ヒヨリ‼止まって‼〉
イングっ子は音量を即座に上げてヒヨリの制止を強制した。
――彼女の動体視力は並外れている。
〝ブースト〟の副作用でもあるのか、〝ラダル〟ほどでなくとも、不意打ちには強かった。
「-――ッッッ‼」
――いきなり、通路の壁を通り抜けて振り払われた一蹴を、ギリギリでかわした。
一気に距離を取って相手を確認する。
壁から現れたのは一人の青年だ。
かなり背が高い。180㎝は優に超えているので、恐らく背丈はカマと同じくらいだ。
20になる前くらいの若者だろうが、その鍛えられた体はリーヴスを想起させる。
相手は挑発的に微笑み、靴先をコツコツ鳴らしてヒヨリをじっくり観察している。
「イング…」
〈ええ…ギフトです。壁を通り抜ける‥‥推測するに〝エア〟かと思われます。〉
ヒヨリの服に爪を刺しこんで彼女の肩にくっつくイングっ子は、そのつぶらな瞳に青年を映す。
イングっ子の示唆に、ヒヨリは冷や汗を拭って苦笑を零した。
「コアたちの話しじゃ、〝エア〟は通話機能じゃなかった?」
〈コアたちのギフト情報と本物のギフト情報には齟齬があります。〝プレリュード〟とはギフトを誰でも使えるようにスケールダウンさせる実験でもあるので、コアたちの情報のギフトは本物のギフトより性能がかなりダウンしているということです。物体を通過するその機能をスケールダウンさせると、海風や遮蔽物に邪魔されず、声を届けるという状態になるのかもしれません。〉
「物体の通過、ね」
近接戦の得意なヒヨリだが、銃一つ持たず出会いがしらに蹴りを入れてくるあたり、相手も近接戦が得意のようだ。
物体を通り抜けられるのなら、ヒヨリの袖に仕込んでいる隠し武器はなにひとつ効果を発揮しないだろう。
彼女は奥歯を噛みしめた。
相手の青年――ランもヒヨリを興味深そうに見ている。
(あれが〝ブースト〟ね。速さじゃ全くついていけねーから、逃げに徹されたらかなわんけど。壁も床も天井もある通路なら、――4分で殺せるな)
―――――
ニーナは七草学園から離れた森の中、トラックにいた。
運転席で座り、ルカから貰った銀糸の薔薇をくるくると回す。
視線は端末の画面にあり、七草学園や周囲の様子を観察している。
七草学園には各階の通路に監視カメラが設置されている。それを〝ボア〟によってジャックしてもらい、ランやハオの配置を確認していた。
各階のカメラを順番に確認していると、ある階のカメラが壊されていることに気づく。
…ニーナをよく知る者でなければ、今の彼女が微笑んでいることは分からないだろう。
無表情の中に、嬉しさが潜んでいることなど。
〈沈没都市の応援が到着したみたいだね。〉
不意に〝ボア〟が通話を繋げた。
ニーナは平然とした口調で「どこだ?」と尋ねる。
〝ボア〟はタブレットに地図と沈没都市の部隊を示した。
〈内陸側・北東の森だね。アロンエドゥの予備基地のある所だよ。〉
「七草学園と随分距離が離れているな。随分といやらしいやり方をする」
〈ふふ。しょうがないよ。この襲撃の犠牲を口実と証拠として次の命令に使えるからね。合理的だよ。数名、君の居る場所に派遣するよう手配しておいたから、適当に使ってね。〉
助手席に座らせた袋が窓にコトンと倒れた。
ニーナは子供一人分くらいの大きさをした袋をしっかり座らせ、戦況をじっくり眺めた。
――――――
「一番上の階に逃げる連中もいるだろうから、お前らは壁伝って最上階まで行け。上と下で挟みうちだ。窓から侵入できれば防火扉なんて意味をなさない」
顔を無理やり縫合したアロンエドゥのリーダーが、日色を含めた5人にそう指示した。
日色の案内で上りやすい場所に行き、騒然とする校庭・一階・二階とは裏腹に、静かに屋上を目指した。