第8話「陽だまりの消しゴム」
高校2年秋。
よく陽のあたる教室で受ける化学の授業は、昼飯後の高校生にはつらい。
教壇ではボサボサ髪の化学教師が、不思議な色に薄汚れた白衣を着て独特の身振り手振りで化学式を詠唱していた。
席替えしたばかりの怜の席は教室の一番後ろの真ん中だ。
その日も早朝からエアコン工事のアルバイトで寝不足だ。
退屈な授業は、怜の意識を花畑へ誘う。
⋯⋯ ねむい。
眠ってしまわないように、新しい座席になった教室を見回すと、通路を挟んで隣の席が女の子だと気づく。
「こんな子クラスにいたかな⋯⋯」
ポニーテール。自然なブラウンの髪は陽の光を反射してキラキラと輝いていた。健康的に焼けた肌で運動系部活なのだとわかる。
大きな瞳とツンと尖った鼻先。
口角の上がった小さな口元に八重歯が似合っている。
怜は彼女の存在自体気づいていなかった。
彼女に限らず、同じクラスの女子を怜は誰一人知らなかった。
怜は口もきいたことがないその彼女をぼーっと眺めていた ⋯⋯ ねむい。。
そんなとき、
彼女の机の上にあった消しゴムがコロン。
”あっ”、と驚き追いかける彼女。
”あ〜あ”、と目で追いかける怜。
あたふたと、転がる消しゴムを彼女がつかまえると、
彼女は、”ほっ”
怜も、”ほっ”
そして二人は目があってしまった。
理由などない、ただ可笑しかった。
自然と笑いがこみ上げてきた。
怜が笑うと、彼女は下を向いてクスクスと笑った。
彼女が笑っているのを見て、怜もうつむき肩を揺らして笑った。
もう止まらなかった⋯⋯
二人は授業中ずっとクスクスと笑い続けた。
怜の心に、なんでもない陽だまりの幸せが記憶された。
「オートバイ」と、「陽だまりの消しゴム」が怜の孤独な心を癒やした。
10年後、怜と彼女は旅に出る。
オートバイで始まった、永遠の約束を交わして。