辺境伯チャド・ジョンストーン
チャドの領地は、土壌は貧相で農作物や牧草が非常に育ちにくい。かといって、鉱物資源があるわけでもない。険しい山河があるだけで、狩猟や漁業も出来ない。
つまり、皇都に税を納めるだけのなにかがあるわけではない。
ないない尽くしであるばかりか、悪天候ばかりで災害が多すぎる。橋や街道が不通になったり、崖崩れや山崩れで村や町が壊滅に近い状態になることもしばしば。
それを修復する力がない。
それが、彼と彼の領地の実情なのである。
ただ、この領地がひどすぎるというだけではない。帝国の他の領地も、ここまでひどくはなくても貧困や設備の不足で困っているところは多々ある。
どこの領地の人たちも、それを不満に思っている。長年、それは積み重なっている。不満の種は、芽を出し大きくなり、実を結ぶ。それが帝国全土に広がった。
だからこそ、皇族の破滅に繋がったのだ。
それはともかく、わたしが元夫にかわって政務を行っていたとき、チャドの領地の事情をつぶさに調べた。
結果、なにも言わないでおくことにした。つまり、税を納めないことをうっかり見落として、あるいは知らなかったふりをした。
一領地だけこのような待遇をしていることを知られれば、他の領主たちに不満が生じる。
だから、皇帝は気がついていないという言い訳をするつもりにしていた。
こういうとき、元夫のバカさ加減が役に立ってくれた。
いずれにせよ、チャドの変人っぷりはあらゆる人たちを倦厭させ、出来るだけ関わり合いにならないでおくという風潮があった。そのお蔭か、わたしが知るかぎりでは税を納めていないことで騒ぎにはなっていない。
というわけで、チャドが通行税なるものを要求してきたのにはなにか裏がある。
そう推測し、ロバートといっしょに会いに行くことにした。
ちなみに、ロバートはチャドに興味を抱いている。そういう反骨新旺盛な人物、しかも元軍人というところに惹かれるという。
ロバートは、ほんとうにかわった人である。
「おうっ、待っていてくれ」
チャドは、薪を作っているところだった。
残念ながら、一度も会ったことがなかった。
これが初対面というわけ。
チャドは初冬の朝の寒い中、上半身裸で薪を割っている。その上半身は、汗で黒光りしている。
まったく衰えの知らない彼の体を、肩を並べるロバートもじっと見つめている。
一本一本、力強く正確に割っていく。
あっという間に薪の山が出来てしまった。
「待たせたな。わしが足蹴にした使者の大将か?」
チャドがタオルで体の汗を拭いながら近づいてきた。
年齢を感じさせない若々しい顔には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「ロバート・ドナルドソンです。お目にかかれて光栄です、将軍」
「大昔の栄光だな。チャド・ジョンストーンだ」
ふたりはがっしり握手を交わした。
「レディ、ようこそ。あー、彼の……」
チャドは、わたしを見て戸惑いの表情を見せた。
(それはそうよね。行軍にレディを同伴する将軍なんてまずいないわよね)
その彼の戸惑いの表情を見つつ、心の中で苦笑する。
「彼女は、まぁおれの相談役みたいな存在です」
ロバートもまた苦笑している。そして、彼はわたしを妻だと紹介しなかった。
チャドに嘘やごまかしは通用しないと思ったに違いない。
「ユア・コーンウエルです、将軍。お目にかかれて光栄です」
「コーンウエル?」
コーンウエルは、旧姓である。
チャドと握手を交わしつつ、彼の眉間に皺が寄っていることに気がついた。
「そうか。あんたが……。とにかく、中に入ってくれ。茶を馳走しよう」
彼について屋敷内に入った。