「ありがとう」が言えない
「ロバート。何度も尋ねるけど、みんなは無事なのね?」
「ああ、心配ない。擦り傷や切り傷や打撲はあるが、ピンピンしている」
「よかった。ほんとうによかった」
「ユア、きみって人は……」
ロバートの大きくて分厚い手がわたしの頬を撫でた。
「みんなのことより、自分のことを心配すべきだろう?」
「わたしは、ほんとうに大丈夫。みんなが無事だときいて、緊張の糸が切れたのよ」
そう言いながら、大事なことを思い出した。
「その、殿下。あの、助けにきてくれたことなんだけど……」
ロバートに礼を言えていない。
そのことを思い出したのである。
「ああ、そのことか。きみからメリッサの実家に視察に行くと手紙をもらったとき、ムシの知らせというかイヤな予感というか、とにかくなにかしらの勘が働いた。このダルトリー王国もけっして安全とはいえない。各地に賊はいるし、王都でも組織ぐるみで悪事を働いている連中がいる。実際、警察でも手に負えないような連中がいて、そういう連中はわれわれが鎮圧や掃討する。もしもそういう連中がいれば、親衛隊といえど対処しきれないかもしれない。だから、モーガンに頼んで調べてもらったんだ。するとどうだ。盗賊集団の根城があるという。それですぐに帰国出来るようデイトン帝国での対応を急ぎ、帰国してここまで急行したわけだ」
ロバートは、勘違いしている。わたしがいま言いたかったのはそのことではない。
だけど、彼の勘違いのお蔭で彼がタイミングよく現れた経緯を知ることが出来た。
「そうだったの。それについては、わたし自身の落ち度よ。油断していたわ。ちゃんと下調べをすべきだった。それから、あの司祭には前夜に教会で見たときに胡散臭いと思ったのよ。だから、警戒すべきだった。それ以前に、いくら契約や表向きとはいえ王太子妃であることの自覚がなかったわ」
「おいおい、ユア。自分に厳しすぎるぞ」
「いいえ。ダメね。ひきこもり生活が長すぎて、すっかり感覚が鈍っている。そのせいで、マットたちに怖い思いをさせ、危険な目にあわせてしまった。あなたやモーガンやメリッサのご両親や多くの人たちに迷惑をかけてしまった」
自分で自分を責めつつ、ロバートに礼を伝えるタイミングを必死に計る。
「きみは、がんばりすぎた。もっと気楽に適当にするくらいでちょうどいいかもな。いまのこのときが、それを実践するちょうどいい機会かもしれないぞ」
「そうは言われてもね」
ロバートの苦笑交じりの提案に苦笑してしまった。
「おれも、きみを守り助けたいし……」
「なんですって? きこえなかったわ」
彼がなにかつぶやいたけれど、よくきこえなかった。
「いや、なんでもない。それにしても、きみはよく眠っていたぞ」
なんと、丸一日眠っていたらしい。
安心感や緊張が解けたからというだけでなく、疲れがたまっていたのかもしれない。
結局、ロバートに礼を伝えることは出来なかった。
『助けにきてくれてありがとう。うれしかった』
たったこれだけのフレーズを伝えられなかったのだ。
自分でも理由は分からない。関係のないこと、関係のあることでもこのフレーズ以外のことはいくらでも言えるのに。
(どうして言えなかったの?)
それからは、そのことで頭がいっぱいで眠れなかった。
結局、その理由はわからずじまいだった。
ちなみに、すっかり忘れていたことがあった。
訂正。すっかり忘れたかったことがあった。
おバカなティモシーのことである。
彼のことは、おバカさも含めてすっかり抜け落ちていた。
残念ながら、彼は無事だった。しかも、まったくの無傷だった。
マットは、わたしを盗賊からかばおうとして殴られ口の中を切りまくって流血した。それだけでなく、殴られた拍子に床に叩きつけられ、腕や肩を打撲した。
メリッサもまた、わたしを助ける為に盗賊と揉み合いになった。平手打ちを食らい、殴られた。頬が赤くなり、体に痣が出来た。
ラッセルと親衛隊の隊員たちは、わたしたちを逃す為に囮になり、盗賊たちと剣で戦った。切っ先で衣服を破られ、皮膚が傷ついた。殴り合いにもなり、顔や体が痣だらけになった。
わたしもまた、切り傷や擦り傷だらけになっていた。ついでに、腕に痣も出来ていた。
さいわい、全員が塗り薬や貼り薬で治る程度だったけれど。
それなのに、ティモシーはまったくの無傷だなんて……。
ああいう奴は、案外そんなものなのかもしれない。




