愚かすぎる婚約者との婚儀
「夫に会うのは、正直どうでもいいわ。もちろん、会った方がいいのならそうするけれど。それはともかく、連れて行って欲しいのは、これでも一応皇妃だからその責を果たしたいだけ。五年以上ここにひきこもっている間、多くの人たちが飢えや病で苦しんでいた。じつは、それは予期していたことなの。それを防ぐことが出来なかったのは、わたしの怠慢。だから、まっさきにわたしが断罪されるべきでしょう?」
「ユア。きみは、このような状況になっていることを知ったいまでも、自分は皇妃でその責を負うと言うのか?」
「ええ。当然よ」
「きみは、おかしなレディだな。きみの夫であるバカ皇帝は、きみの存在などひとことも言っていなかったぞ。それどころか、側妃たちを『みんなが平等に皇妃だ』などと寝とぼけたことを言っていた。側妃たちは側妃たちで、『わたしは関係がない。無理やりここに束縛されている』と口を揃えて言っている。あるいは、他の側妃に罪をなすりつけるかだ。それなのに、きみはきみ自身の命を捨て、そのあとも悪名高くあろうとするのか?」
「言っておくけど、バカ夫やその側妃たちの為ではないし、彼らの為に命を捨てようというわけではない。そうね。保障みたいなものかしら? これであなたたちが帝国民に平和で穏やかで豊かな生活を与えてくれるのなら、わたしの命や評判なんて安いものでしょう?」
衝動的でも自棄になっているわけでもない。
わたしがここにひきこもったとき、こうなることはわかっていた。いつか必ずこうなることが。
その対策をしてこなかったのは、ひとえにわたしの落ち度。というよりか、そもそもひきこもらずにうまくやればよかった。それなら、すくなくとも帝国民たちはここまで追い詰められることはなかった。
罪の償いが、命というのはちっぽけすぎる。
だけど、いまわたしに差し出せるのはこの命だけ。
「きみの男っぷりに惚れたよ。いや、失礼。レディだったな。正直なところ、おれも突然の出会いと展開でどうすればいいかわからない。今夜、たまたま相棒とウロウロしていただけだからな。そうだな。しばしここで待っていてくれないか? きみを連れて行くとしても、まずは部下たちに話をして準備をしなければならない」
ロバートは、真摯な態度で言った。
「わかった。ここであなたを待っている」
というか、行くところなんてないんだけど。
ロバートとサンダーは、わたしに見送られて帰って行った。
どうも落ち着かない。なにも手につかず、気がついたらボーッと作物を眺めていたりブツブツと意味のないことをつぶやいていたりする。
ロバートとサンダーに出会ってから、すっかりかわってしまった。すべてのことが。あらゆる意味において。
だけど、不思議と夫のことは気にならない。というよりか、夫の顔さえほとんど覚えていない。声なんてまったく思い出せない。
たとえいま、彼の声をきいてもだれの声かわからないはず。
もともと公爵令嬢だったわたしは、生まれたときから彼に嫁ぐことが決まっていた。物心ついたときからその為だけに教育を受け、マナーを叩きこまれ、思考や思想をおしつけられた。
皇妃になる為に、その為だけに生きてきた。いいえ。生かされていた。
わたし自身、その使命に燃えていた。我が強く、負けず嫌い。向上心や好奇心が旺盛すぎて前向きすぎ、努力を惜しまずがんばりすぎる。
そんなわたしは、決められたり義務付けられた勉強や練習だけでは物足りなかった。だから、独学で政治学や経済学や帝王学を学んだ。
自分の夫になる皇子は、少年の頃からレディ好きでドスケベで手が速くてどうしようもない問題児だった。皇宮内の侍女たちだけでなく、皇宮を訪れるご令嬢や夫人たちにも手を出していた。
彼は、どうしようもなさすぎた。
彼がどうしようもなさすぎるから、彼の分までしっかりしなくてはならなかった。だから、よりいっそうあらゆることに励んだ。
そして、彼が皇太子になったと同時に婚儀を行った。婚儀のあとも彼の不行跡はかわらなかった。それどころか、つぎからつぎへと見境なくレディを漁り、気に入ると側妃にした。皇帝が逝去し、彼が皇帝になってからはさらにひどくなった。
政務? 彼は、そんな言葉さえ知らない。
すべてはわたしが行った。彼にかわり、政治や経済や外交や文化的活動、果ては軍事のことまでわたしが介入した。