ひきこもり皇妃
「夜の散策は気持ちがいいわね。だけど、すっかり寒くなったわ」
森の中、枝葉の間に見える月だけが唯一の灯り。
ここの生活ですっかり薄暗さに慣れた目は、それだけで充分。
散策がてら、畑を見てまわった。
夜露や寒風をしのげる程度の小屋を建て、そこに寒さが苦手な作物を移した。ひとつひとつの畝に、麻袋をトンネル状にして設置してみた。
試行錯誤を繰り返し、去年はこれで越冬が出来た。今年も大丈夫なはず。
「作物だけじゃないわね。いろいろ冬支度しないと」
まずは修理。穴の開いた床や壁や屋根の修復。それから、薪を作らないと。ああ、そうそう。暖炉の修理に煙突の掃除もね。
やることはたくさんある。
そして、わたしはひとり。
木々が途切れ、そこから夜の闇を見つめた。
ニ、三日前、火災が起った。派手に燃えていた。一晩中燃え盛り、まるで昼間のように明るかった。
「やっぱりなくなっているわよね?」
火災が起こるよりも以前にあったものが、たしかになくなっている。
以前は月光の中に浮かびあがっていたものが、いまはその姿が見えない。
「まっ、関係ないけど」
ここは見晴らしがいい。だれかに見られたら大変。
踵を返し、歩きだそうとした。
すると、独特の感覚があった。
なにかの気配を感じたのである。
(お肉には適さない系? それとも、お肉に適する系?)
この森には何種類かの動物がいる。
わたしの基準は、その動物が食べられるか食べられないか、である。
が、どうやら違うみたい。
気配はふたつ。ひとつは、あきらかに動物。だけど、もうひとつは……。
「これは驚いた。こんなところにレディがいるとは」
ハスキーボイスとともに月明かりの中に現れたのは、ガタイのいい将校だった。
ひさしぶりに人に会った。人の声をきいた。
独り言が癖になっているので、言葉を忘れることはない。
だけど、会話が出来るかはわからない。
なにせ森の中の屋敷にひきこもって五年。その間、ほとんどといっていいほど他人との接触がなかったから。
「おれは、ロバート・ドナルドソン。怪しい者じゃない。って、きみみたいなレディから見れば、強面の怪物みたいで充分怪しげだよな? なっ、おまえもそう思うだろう?」
「ブルルルル」
彼が手綱をひいている馬に尋ねると、馬はまるでそうだと言わんばかしに鼻を鳴らして首を振った。
「なんて利口な馬なの?」
そのひとりと一頭のやりとりが微笑ましく、つい口から出てしまった。
「ははっ、そうだろう? この『サンダー』は、おれの相棒なんだ」
「ブルルル」
ロバートに紹介されたサンダーは、誇らしげに前脚で土を掻いた。
「黒褐色のきれいな馬ね」
またしても口に出してしまう。
この独り言、どうにかならない?
内心で苦笑してしまう。
「相棒が褒められるのはうれしいよ」
強面ではない。彫りの深い顔と表現したらいいかしら? というよりか、豪快というか精悍というか、とにかく褐色の肌には彼のようなはっきりスッキリくっきりした顔立ちがピッタリ。
「ユア・ダックワースよ」
「ダックワース?」
名乗った途端、彼の表情が険しくなった。眉間に縦皺がよったのが、月明かりの下でもよく見える。
「デイトン帝国の皇族の? 皇族なのか?」
「そういうあなたは、ダルトン王国軍の将校? いいえ。将軍か副将軍あたりかしら? いまのあなたの質問にたいしての答えは『そうよ』になるわ。わたしは皇妃、なの。これでも一応ね」
「なんてこった。ああ、そうだな。いまのきみの問いの答えは、『そうだ』だな。おれは将軍だ。これでも一応な」
おたがいの瞳を見つつ、慎重に言葉を口から出していく。
イヤな予感というよりかは、これですべてが納得いった。先日の宮殿の大火災。それから、深更にひとり皇宮内をうろつく隣国ダルトン王国の将軍。
わたしが皇宮内の森の奥深くにある朽ち果てた屋敷にひきこもっている間に、このデイトン帝国は軍事国であるダルトン王国に滅ぼされてしまったみたい。