元聖女と対峙するがどうもおかしい
マティルデ……コイツ、どうしてこんなところにいやがるんだ!
あたしを破滅に追いやった諸悪の根源、皇太子を掠め取った売……もとい、泥棒猫。一方で人の善性を疑わないいい子ちゃん、慈悲深くて誰からも敬われて愛される稀代の聖女。ソレが目の前にいやがる。
(いや、待て。落ち着けあたし)
そもそもあたしがマティルデと出会うのは聖女適性試験を含んだ洗礼の儀の後だった筈だよな。聖女候補者が一堂に介した大聖堂で出くわして、初っ端からコイツ気に入らねえ、ってなったんだったっけか。
つまり、洗礼の儀をさぼった今回のあたしは間違いなくマティルデとは初対面。最低の屑としての記憶持ちのあたしが驚くのは仕方がねえとして、向こう側があたしに反応するのは有り得ねえよ。
……一つの可能性を除けば、な。
「おいマティルデ。ちょっと面貸せ」
「は? え、ギゼラ様……?」
「見た感じ今は写本の時間だろ。ちょっとぐらい席外してもいいよな?」
「……。分かりました。少しだけなら」
マティルデに心配そうな眼差しを送る生徒達を安心させるように微笑を浮かべ、一番不安そうだった子の頭を優しく撫でた。そうやって人を気にかけるのは記憶の中にあるマティルデと同じで、どうしても苛ついちまう。
教室から少し離れた中庭であたしはマティルデと相対した。
腕組んで足揺すって不機嫌さを隠そうとせず相手を威圧するあたし、胸元に手を当てて不安になりながらも唇を固く結んで強い眼差しを返してくるマティルデ。奇妙な構図だな。
「単刀直入に聞くぜ。お前、あたしを知ってるな?」
「そう言うギゼラ様こそわたしを知ってるみたいですが?」
「忘れねえよ。忘れられるわけがねえだろ……!」
「やっぱりそうでしたか。まさかと思いましたけれど……」
やっぱり今のマティルデもあたしと同じように前回の記憶がありやがるな。だから自分が死に追いやった女と再会して愕然としたわけだ。しかも相手もその恨みを覚えていると来たら、そりゃあもう偶然では片付けられねえだろうがよ。
……ん? でも何か妙だな。
目の前の修道女がマティルデなのは間違いねえんだが、記憶と合致しねえ。
あたしの知るマティルデはもっと言動が洗練されてたんだが。
「それにしてもギゼラ様。何かこう、色々と違ってませんか?」
「ぼかさなくてもいいぜ。ハッキリ言えよ。こんな粗暴だったか、ってな。そう言うマティルデの方こそかなり野暮ったい気がすんだけどよ」
「気のせいじゃないです。わたしは元から……じゃない、元はこうだったんです」
「元は……?」
それじゃあまるであの聖女はマティルデじゃなかった、みたいな言い草……いや、待てよ。それは今のあたしがあのクソ女こと公爵令嬢ギゼラを自分だと認めてねえのと同じだったりしないか?
「便宜上前回って言いますけれど、ギゼラ様は前回の自分に起こったことを自分のことだと思ってますか?」
「いんや。認めねえ。認めたくねえ。あんな最低の屑に成り下がるなんてよ」
「わたしだってそうです。あんなみんなのために存在する聖女って人形になるなんてもうゴメンです」
「あたしとお前は同じだ、とでも言いたいのか?」
「じゃなかったらギゼラ様がパンノニア王国にいる理由が無いですよね」
「まあ、そりゃそうだな」
要するにマティルデの奴もあたしみたいに突如未来で起こった出来事を思い出して、嫌気が差してここまで逃げ果せたってわけか。あたしみたく公爵家からの小遣いがあったならまだしも、貧民のコイツがよく国外脱出出来たもんだな。
「それならマティルデはいつあのいけ好かねえいい子ちゃんになったんだよ?」
「それに答える前に、ギゼラ様がいつこっち来たのか教えてください」
「三年前だが、それがどうした?」
「わたしも三年前です。お互い洗礼の儀を受ける前に逃げたってことですよね」
涼風があたし達の頬を撫でた。
互いに一旦口を閉ざしたのに雑音が酷くうるさく感じる。
「洗礼の議を経てあたし達は変わった、のか?」
「そうじゃなかったらわたしはあんな風になってません。ギゼラ様だってそうなんじゃないですか?」
「確かにあの日を境に心を入れ替えたのは事実なんだが……。んじゃあ、あたし達はそん時に洗脳でもされちまったってか?」
「少なくとも使命を課せられた、って考えるべきかと。わたしは聖女としての、ギゼラ様は聖女を引き立てる悪役としての」
「悪役の令嬢、ねえ……」
ふざけんじゃねえぞクソが! と大声を上げつつ傍にあった木に八つ当たりをかます。木はわずかに揺れただけでびくともせず、逆に叩いたあたしの手が痛え。それはまるであたしが怒ったところで運命は変えられねえ、と暗示してるようで腹が立つ。
「あたしの人生はあたしのものだ! 神聖帝国のでも、公爵家のでも、ましてや悪役令嬢なんかのものじゃねえ……!」
「同感ですね。わたしの人生だって神のものでも、神聖帝国のでも、ましてや皇太子のでもないです。それだけはハッキリ言わせてください」
よりによってテメエが言うか、と詰りながら胸ぐら掴みたい衝動を何とか堪える。怒りに任せてたら目の前のコイツをあの聖女を同一視してることになって、同時にあの最低の屑があたしだったって認めたも同然だからな。
それはマティルデも同じらしく、あたしに向けてくる視線には怒りとか恨みとかが混ざってる。どうやら聖女時代は寛大に許してきたクソ女の悪意を思い出して今更負の感情を抱いてきたみたいだな。少しは溜飲が下がるってものだ。
「前回を水に流そう、とは言いません。そこまで割り切れるほど今のわたしは人間ができちゃいませんから」
「奇遇だな。それはあたしもだ」
「でも前回みたいな人生はもう沢山、とは一致してますよね」
「……まあな」
どうしてマティルデが前回みたくなりたくないのかはどうでもいい。聖女として崇められるのがうんざりだとかちやほやされるのに疲れたとか色々と想像出来るが、こいつが言ったようにマティルデの人生はマティルデのもの。あたしが口出しするのは野暮ってものだ。
「わたし達が取れる選択肢は二つだけです。一つはこの出会いを無かったことにして互いに新たな人生を歩んでいくか」
「そりゃ無理だろ。マティルデだって分かってんだろ? あたし達はもう再会した時点で縁が出来ちまってる。このままなし崩し的に前回みたくされたらたまらねえんだけど」
「こっちだって前回のような理不尽な悪意に晒されるのはもう沢山です。互いに相手を信用してないですし目を離すのは不安だとしたら、もう一つの選択肢しか残されてないですよね」
「相互監視出来るぐらいの距離感を保つ、か」
今回のマティルデが何をしでかすか分からねえ以上、目につく所にいてもらった方が何かと都合がいいか。もし前回みたく周囲がマティルデに惑わされるんなら、今度こそ二度とコイツと会わねえ遠くまで逃げれば済む話だ。
「それは分かったけどよ、あたしがこの街に留まれ、ってか?」
「嫌ならわたしがギゼラ様に付いていきますけど」
「いいのかよ? せっかく新しい生活送ってるんだろ?」
「もう自立しなきゃいけない年齢になってましたし、潮時です」
マティルデがこっちに手を差し出してきた。何を意図してるのかは分かるんだが、クソ女として歩んできた記憶が邪魔して躊躇しちまう。それでも利害が一致してる以上、彼女と握手する以外の選択肢は無かった。
「協力しましょう。望まぬ未来の回避のために」
「いいぜ。ただし裏切ったら首だけになってもその喉を噛み千切ってやるよ」
「そんなコトしませんよ。ただし、前回みたくわたしをいじめるんでしたら同じ末路を辿っていただきますけれどね」
「……上等じゃねえか」
まさかこうなるとは思わなかったが、とにかくあたしはマティルデと手を組むことになった。この決断がどう転ぶかは知らねえが、せいぜい利用しまくってやるとしようじゃねえか。




