いざ新たな旅立ち、てか
「それじゃあ女将さん。世話になりました」
「ああ。王子様に愛想が尽きたらいつでも戻ってきな」
「あっははは! そうさせてもらいますよ」
「行ってらっしゃい。達者でやりな」
そして出発の日がやってきた。
さすがに三年間も世話になった人との別れ、住んできた町から離れるのは心に来るものがあった。それでもあたしはイストバーン様と一緒に行く道を選んだ。なら胸を張って去っていくべきだろうな。
名残惜し見ながらもあたしは女将さん達に手を振って別れを告げた。あの人達が見えなくなるまでは後ろを向き続けて。もっと爽やかな旅立ちになるかと思ってたんだけど、思った以上にあたしはあの町を気に入ってたらしい。
「ん? ギゼラの荷物、少なくないか? もっとあるかもって身構えてたんだけど」
「ああ。昨日のうちに整理しといたからな。雑貨は現地調達すればいいし、旅は身軽の方が楽だし」
「そんなものなのかぁ。貴族の令嬢達に見習わせたいところだ」
「清潔で美しく、富もある。そんな見栄張りたい生き物なんだからしょうがねえよ」
イストバーン様ご一行は何とも変わっていて、あの影武者が王族用馬車で移動するのは道中も変わりなかった。んじゃあイストバーン様本人はどうしてるかっつーと、護衛騎士に紛れて馬に乗ってるってわけだ。
途中参加のあたしは徒歩だ。毎日汗だくになって働いてたのもあって体力はそれなりにあるっつっても、あたしはまだ成人してない女子。なかなかにしんどいものがある。まあ、お付きの使用人とかも歩きだから文句は言ってられないか。
「そういや聞きたかったんだけどさ。どうして影武者使ってるんだ? 命でも狙われてんのか?」
「いや。単に敬われない立場からの目線でこの国を確認したかったからだ。道中だってすれ違う旅人はいるから、移動中もこうしてる」
「ふぅん。徹底してるんだな。ちなみにこの入れ替わりって旅のご一行様は全員知ってんのか?」
「そりゃ勿論だ。知ってるやつは知ってるからな」
そんなものか、と思いつつ周りを伺うと確かにイストバーン様も守れるような隊列になってるな。どういうわけかあたしはイストバーン様の隣で喋ってるんだけど。そんなに彼のお気に召しましたかねえ?
ちなみにこの長い旅もあと地方都市数カ所を回って終わりを告げるんだとか。なものだから、道中とか休憩中の雑談も段々と王都に戻ったら何をするか、の話題で占められてくる。恋人に婚姻を申し込むとか家族を愛しまくる、とか。
「イストバーン様には婚約者っているのか?」
「いや、いない」
野営も全員長旅を経て手慣れたもので、天幕とか夕食とかは分担して作っていた。あたしも係に加えてもらって手伝いをした。結構楽しかった。
明日も日の出と共に出発の支度が始まるのもあって、飯を食い終わってから即行で寝る人が半分、酒を飲んだりカードゲームとかで遊ぶのが何割か。一人で読書に勤しむのが残りわずかか。
で、あたしとイストバーン様は焚き火を囲って満天の星空の下で語り合ってた。
「珍しくねえか? 後継者がー、とか親から言われねえの?」
「焦る年でもないしなー。出発前に押し付けられかけたけど断っておいたし」
「え? ソレ許されんのかよ? だってイストバーン様、第一王子だろ?」
「あいにく立太子されてないんでね。そういった責任は優秀な弟が受け持ってくれるんだ。俺は気楽なもんだよ」
イストバーン様、あっけらかんととんでもないことを口にしてきましたよ。
ただ、そう語るイストバーン様は日常会話をするように平然としていた。
「俺、正妃の子じゃないんだ。だから皇位継承権の順位は弟より下。第一王子なせいで野心丸出しな連中に担ぎ上げられそうだったから、早々と王位は継がないって宣言して自分から脱落したってわけ」
「それは……何だ。色々と複雑そうだな」
「一番王位に執着してるのはやっぱ母上なんだよなあ。俺は一世一代の大博打に打って出るより正統な後継者をたてる安全策を取る方がいいって説き伏せて渋々認めて貰ったぐらいだし」
その辺りの事情は神聖帝国と同じか。尊き血統とでも言うのかな。
まあ確かに強い武官、頭脳明晰な文官、見目麗しい女、人望がある領主みたいな人の血を残そうとする気持ちは分かる。傾向として高貴な身分の者ほど優秀な奴と婚姻を結びやすいのも事実。
でもなあ、爵位が高いのと番として最適なのとは必ずしも結びつかないんだよなあ。最低の屑がその最たる例だろ。人格が破綻してちゃあ相手と愛なんて育まれないしな。ま、慈しまない今のあたしが言える立場じゃねえけど。
「王座を奪おう、だなんて全く企んでないって?」
「大丈夫大丈夫。弟達の次世代の王国も安泰だから。俺はさっさと片田舎に領地頂いて早々と隠居生活さ」
それからイストバーン様が語ってくれたのはお役御免になったらどんな日常を送りたいか、の理想だった。のどかな田園風景の中で責務に追われず、日中ものんびりとくつろげる。そんなぐーたら生活を送ってみせる、と豪語してきた。
正直いいなぁ、と思っちまったのはしょうがないよな。ただ働いて忙しいからこそそうしたのどかな時間の使い方が羨ましくなるんじゃねえかな、とも思うんだが。刺激を求めて王都が恋しくなっても知らねえぞ。
「それはまた贅沢な心配だな! なあに、ギゼラもじきに分かるさ。王都に戻ったら忙しくなるからな」
「それはまた、何だ? 期待しとく、とでも答えとけばいいのか?」
「それでいいんじゃないかな?」
そんな感じに他愛無い会話ではずんで夜も更けていくわけだ。
どっちも眠くなってきた辺りでその日はお開きになった。寝袋に包まって夢の世界へと旅立っていく。おやすみなさい。明日も良い一日を。
■■■
そうして数日間の旅を経てやってきたのは少し栄えた街だった。
領主は王都にいるらしく不在。なので領主代行には影武者御一行が会いに行くとのこと。その間イストバーン様は街を見て回る予定なんだとか。他の者達は同じく街の調査だったり食料や物資の調達だったりと班ごとに手分けして役目にあたる。
で、あたしは食料班に加わる筈だったんだけれど、どういうわけかイストバーン様の一声で彼に付き合うことになった。この街来たことねえぞ、って言っても聞かなかったから諦めて付き添うことにした。
「で、どこ行くんだ? 住人全員に声掛けするつもりじゃねえだろうな?」
「さすがにそりゃ無理だろう。情報が集まりやすい場所に行くんだよ。教会とか酒場みたいな場所だな」
「……あたし、まだ酒飲めねえ年なんだけど」
「酒まで付き合う必要はないって。相手を上機嫌にさせて話を聞き出せればいいんだからさ」
随分と手慣れたもんだよなあ。道中ずっとこんな感じに情報吸い上げてたんじゃねえかな、この王子様はさ。
そんなわけでやって来たのは教会だった。敬う神が神聖帝国と同じなのもあって建物の雰囲気同じだな。無駄に豪華な作りなのは確か神の権威を市民に知らしめるため、だったっけ? 芸術的観点なら分かるんだけど人を救う教えとしてはどうなのよ。
イストバーン様が神父と面会している間、あたしは教会敷地内をうろつき回ることにした。市民と語り合う修道女、掃除に勤しんだり手を組んで祈りを捧げる修道士など、随分と勤勉なことで。
で、だ。建物のやや奥側、教室っぽい部屋で子供達が何やら文字を書いていた。お手本にしてたのはどうも教本っぽいから、写本の最中か。こりゃ感心物だな。字の読み書きが出来るようになれば結構便利だし将来の選択肢も増えるしな。
「ん?」
ふと、先生らしき修道女と目が合った。
年はあたしと同じぐらいか。手と顔だけの露出でも可愛いと断言できる見た目してるな。高位貴族の目に留まったらすぐにでも愛妾にされそうだ。ま、その年で教会に留まってるんだから、もう神に仕える道を進むって決めたんだろうけど。
それにしてもコイツ、どうもどっかで見たことがある気がするな。
向こうもそんな既視感があるのか、あたしをじっと見つめてきてるし。
「……っ!?」
先に何かに気付いたのは向こうの方だった。目を見開いて顔を青ざめさせて、後ずさろうとして腰を抜かしたのかその場でへたり込んだ。こっちが分からんのに相手だけが分かるとか何かムカつくんだけど。
「ど、どうしてこんなところまで……?」
「……!」
この鈴を転がすような声、まさか……!
目を凝らしてもう一度修道女の顔を確認して、記憶の中のアイツと照らし合わせて……年齢こそ違うけれど特徴が一致するじゃねえか! 輝かんばかりの瞳、シミ一つなく白い肌にほんの少し赤く染まった頬、潤った柔らかそうな唇、どれも一緒だ。
「ギゼラ様……!」
「マティルデ……!?」
最低の屑女だったあたしを破滅させた元凶、聖女マティルデとな……!