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とりあえずさっさと逃げるか

 公爵家を脱出したあたしが真っ先にやったのは散髪だった。貴族令嬢としては長くて艶のある髪が誇りだったけれど、ろくに手入れも出来ねえ環境だとただただ不潔で鬱陶しいだけだからな。あとやんごとなき家柄の娘だって一発でバレるし。


 で、どこまでやるか、だけど、肩口まで切ればもう貴族としてははしたないと蔑まれる領域なんだが、あたしは思い切って指先から関節二つ分ぐらいの長さまで刈り上げる。ここまで短けりゃ男とも勘違いされること請け合いだね。


 鏡も見ないでバッサリやっちまったから酷い出来なんだろうけれど、その辺りは新しい環境を整えて落ち着いてからでいいか。別にお洒落に気を使う必要も無いし、髪がどうとかこれっぽっちも役に立たないって思い知ったからな。


「次は……どうやって帝都から抜け出すか、だな」


 当たり前だけど神聖帝国の帝都に残ってたら、いくら帝都の人口が結構多いからって言っても公爵家の捜索の手からは逃れられねえよな。変装するとか匿ってもらうとかもその場しのぎに過ぎねえし。そもそも明日の朝には脱出がバレちまうし。


 てなわけで、事前にあたしは公爵家の敷地内の地面で適当にゴロゴロしまくった。程よく薄汚れたあたしは街のどこにでもいる少年のように見えるんじゃねえかな。口元を隠しちまえば人相もごまかせるしな。


 その状態であたしが向かったのは長距離用乗合馬車が集う駅舎だ。神聖帝国中に張り巡らされた交通網によって国の発展が支えられてるって言っても過言じゃねえ。値段は張るけれどその分安全で快適な長旅が確約されるのは実に有り難い。


 駅舎には既に明日の早朝便を待つ旅人が集ってた。あたしは案内板を頼りに切符売り場まで向かう。狙うのは明日の早朝に出発して出来るだけ遠くに行く奴。国境を超えるならなおよし。


「パンノニア王国行き、かぁ……」


 そして見つけた。あたしの希望に叶う行き先が。


 あたしは迷わず切符を購入。身分証を求められたけれど、公爵令嬢としての本格的な教育を受ける前までいたずら小僧だったあたしは何度もお忍びで帝都内を遊び歩いた。その時用に偽りの身分証も作っておいたのがこんな所で生きてくるとはね。


 用が済んだらあとは出発時刻まで寝るだけ。駅舎では問題が起こらないよう警備員もいるから、女子供が一人でも安心していられる。第一あの暗い地下牢で地獄を見たあたしからすればこの程度恐れるほどじゃない。


 そんな感じに空が少し明るくなりだす時刻まで爆睡したあたしは、何事もなく乗合馬車に乗りましたとさ。


 あたしの他には出稼ぎに来ていたっておっさんと親子連れ、その他旅人やら商売人やらが乗っていた。聞けば途中で立ち寄る街道沿いの町とか村で降りる人が大半で、国境沿いの終着駅まで行くのはほんの一握りらしい。


 お日様がおはようする頃に出発。帝都を囲う城壁での検問も難なく突破した乗合馬車は一路パンノニア王国に向けて旅立っていく……筈だったけれど、そうは問屋が卸さなかった。


 暇だったので馬車内で喋り合ってたら、後方から次第に轟音が鳴り響いてきた。うるさくて後ろを見やると、なんと帝国軍の騎兵がこちらに向かってくるじゃねえか。先を急ぐのかと乗合馬車は道を譲るとなんと騎兵は止まった馬車を取り囲んできた。


「騎士様、あっしらに何かご用で?」

「国より正式に下された命令により中を改めさせてもらう。これがその命令書だ」


 げっ。もう手が回ってきたのか。早えよ父よ。


 えっと、朝侍女が起こしに行ったら部屋の中はもぬけの殻。そこであたしの失踪が発覚して、まずは敷地内から出てないかくまなく探し回る。見つからなかったら帝都内を捜索させる。外はそれから……とか思ってたのになあ。


「あの、一体何をお探しで?」

「それは機密事項だ」


 そりゃ言えねえよなあ。失踪した公爵令嬢を探してますーだなんてさ。


 護衛の傭兵から御者、乗客の一人一人まで入念に調べる……と思いきや、その取り調べは思ったとおりザルだった。薄汚れた短髪小僧なんてまず違うだろ、って先入観もあって幾つかあたしは質問されただけで終了。こんなザマでこの先大丈夫かよ。


 あっけなく調査は終了して騎士ご一行は先を急いでいった。あの様子で帝都近郊の往来をくまなく潰し込んでいくつもりなんだろうな。ま、当のあたしが捜索の目をかいくぐれたんだから、無駄なお仕事お疲れさん。


 その後の旅路は特に波乱もなかった。公爵家の領地と帝都を往復するぐらいだったあたしからしたら何もかもが新鮮で、何もない風景にも感動したものだ。それとこんなにものんびりした時間を過ごすなんて一体どれぐらいぶりだったろうな。


 隣国のパンノニア王国とは関係が良好なのもあって国境での検問も難なく通過。あたしは晴れて国外脱出にこぎつけた。もうここまで来りゃあ神聖帝国公爵家の威光なんざお手洗いの役にもたちゃしないね。


「さあて、こっからどうすっかな」


 あいにく貴族社会かつ男社会な世の中で女が働ける職業は限られてる。折角あのクソ女の能力を継承してるんだから有効活用したいんだが、そう上手く発揮出来る機会には早々巡り会えないだろうな。


 独りごちながらあたしは一番近い町を目指し、新たな一歩を歩み始めた。


 ■■■


 それから三年の年月が経過した。


 神聖帝国から遠く離れた土地までやってきたあたしは街道沿いの宿屋で住み込みで働くことにした。初めのうちはヘマこいて大目玉を食らいまくったけれど、何ヶ月か経てば慣れてきて、一年すればもう効率的に業務をこなせるようになったわな。


 客層はやっぱ旅人とか商人が多かったな。出稼ぎで都市に向かう田舎の大人もたまに見かけたし、そう頻繁じゃないけど貴族連中が一晩泊まりにくる場合もある。珍しい時は騎士団ご一行が屋根を借りた時もあったな。


 一応宿場町に該当するので周りはそれなりに栄えてるとは思う。酒場も飲食店もあるし、家も少なからず建っている。宿はあたしが住み込みで働いてるところ以外にも何件かあるけれど、うちは大衆向けと言っていい。


 ちなみにこの三年間、神聖帝国からの追手の影はなかった。さすがに王国までは指名手配されていないらしく、隣国で公爵令嬢が失踪した、って噂がしばらく後に耳に入ってきたぐらいか。


 あたしの一日はまず日の出前に起床して水くみと料理の手伝いをする。日の出と共に出発する旅人のための軽食を提供、日が昇りきったら朝食を提供。客が全員出払ったら一気に掃除と洗濯を済ませる。昼が過ぎたら女将さんと一緒に帳簿の計算をして、日が傾き始めたら新たな客を迎え入れて夕食を提供。夜は酒場として食堂を開くのでまた接待。閉店時間になったら片づけと清掃をして、朝まで熟睡さ。


 ちなみに朝食と夕食は面倒くさいので残飯のつまみ食いで済ませてる。女将さんがみっともないから止めろってうるさいけれど、食事の時間をもっと別の時間に使いたいからと嫌がったら向こうが引き下がってくれた。おかげで早食いが得意になった。


 こんな毎日だから何が楽しみかっていうと、わりと昼間はのんびり出来るんだよな。なので昼寝とか散歩とかしてる。町民とは結構顔見知りになれたから通りすがると挨拶を交わす仲にはなれたかな。


 あとこれ大事なんだが、クソ女として獄中生活した反動でどうも清潔じゃなきゃ嫌になっちまった。なもので風呂は欠かせない。なお湯を沸かす手間が面倒なのでもっぱら蒸し風呂なんだけどな。あたしのわがままで作ってもらったら宿の名物になったんだから不思議なものだ。


 そんなわけで、あたしは町娘生活を満喫してたってわけだ。

 いやあ、あの最低の屑がこれ聞いたら憤慨するんじゃねえかな?

 やれば結構楽しいんだけどなあ。むしろ人生損してたんじゃね?


 そんなある日はいつも違った。


「ギゼラ。とんでもない事になったよ」

「とんでもないことって何? どっかのアホが肥溜めにでも落ちたとか?」

「そうじゃなくて、とうとうこっちにも回ってくるんだってさ。第一王子がさ」

「第一王子……」


 女将さんの話だとこの国の王子王女は例外なくある一定の年齢に達すると地方を巡回するんだと。これは王都とか別邸しか知らないお坊ちゃま達に国の現実を知ってもらうためなんだと。


 あと、これはめったにないらしいけど、優秀な人材の引き抜きもやってるらしい。王族の目に止まった平民が中央の文官として成功するなんて話は珍しくないんだってさ。貴族社会では珍しい実力主義の採用とは驚いたものだなあ。


「んで、その王子様はどこ泊まるんだ?」

「お付きの方々はうちらしいけれど王子様達はあっちの方みたいだね」

「あっそ。じゃああたし等には関係ないじゃん」

「ん? ギゼラは王子様に興味ないのかい?」

「生憎だけど全く」

「ったく。ギゼラも男っ気がこれっぽっちも無いねえ。しなびてるのかい?」

「大きなお世話だっての」


 そんなわけでやってきた第一王子御一行様に宿場町は浮かれた。あたしの所の宿も例外じゃなく、王子様をひと目見ようと仕事に手が付かない様子。連中のケツは後で蹴飛ばしてやるとして、あたしはその分客人の出迎えに明け暮れた。


 女性や女子は口を揃えて格好いいだの素敵だのと感想を喋りあった。挙げ句ガン無視していたあたしは勿体無いことした、と決めつけてくる始末。内心でげんなりしながらも機会を見て確認してみる、と話を合わせておいた。


「ギゼラ、このエール酒をそっちのお客さんに届けておくれ!」

「分かったよ女将さん!」


 とはいえ第一王子がいようがいまいがあたしのやる仕事は変わりねえ。御一行様の到来でいつもより賑やかだし。おかげで夜の酒場は大繁盛。むしろもっと別の食堂とか酒場行けよと内心で愚痴っておいた。


 そんな中、明らかに雰囲気が違う奴が現れやがった。馬鹿笑いとか大声でやかましかった酒場の中が彼らの入店で一瞬だけ静かになったのがおかしかった。客だけじゃなくあたし以外の同僚も目を奪われてるみたいだった。


 第一王子連中のご到来だった。

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