最初から間違えてたんだ
「……ふふっ」
「そうやって左手薬指眺めながら笑うの、怖いんで止めてもらえませんか?」
「いいじゃんか。減るものじゃあるまいし」
「こっちの神経がすり減るんですよ。あと業務効率も落ちてますね」
教会で神に永久の愛を誓い合って婚姻届を提出してから数日経った。
あたしが自分の指で光り輝く結婚指輪ににやけが止まらず、マティルデが呆れ果てて苦言を呈し続けた日数でもある。
ちなみに貴族の結婚は爵位問わず国王の許可が必要だったりする。これは勝手に家同士の結び付きが強くなって相対的に王家の威信が低下するのを防ぐ意味があるらしい。ましてやイストバーン様は王族。妾ならまだしも妃はちゃんと正式な手続きがいるわけだ。
そんなわけで教会に提出した婚姻届は国王へと回され、王妃のやらかしのせいで既に半ば引退気味な現国王に代わって王太子が処理した。王太子が呆れまじりでイストバーン様を睨みつけながら婚姻届を返してきた。
「一応受理はしたけれどさ、あくまで仮だからな。彼女の身元保証をする家はイストバーンの方で見つけろよ」
「そこは問題無い。ギゼラは神聖帝国公爵家の生まれだ」
「はあ!? 何でそんな奴がこんな所にいるんだよ!?」
「あー、話せば長いんだが、神のお告げのせいってことで納得してくれ」
王太子が言うには王位継承権を持つ王族の妃にもなると最低でも伯爵以上の爵位を持つ家の娘である必要があるらしい。そうやって国内の貴族間の力関係を調整するのと、妃に相応しい教養を備える必要があるから、だとさ。
そんな建前はあるものの裏技は存在する。それが王太子が口にした身元保証。要するに男爵令嬢だとかは一旦伯爵以上の家の養子になって、その家の令嬢として王家に嫁いでくるわけだ。これも有力貴族の面子を潰さないためなんだと。面倒くせえな。
「イストバーン様。悪いんだが……」
「イストバーン、でいいって言ってるだろ。もう俺達は生涯を誓った間柄。上下もへったくれも無いだろ」
「……イストバーン。あたしは実家から家出してきた身なんだけど。もう勘当されちまってるんじゃねえかな?」
「そこは問題ない。ラインヒルデの要望を受けての対処なんだ。そこは彼女に上手く仲裁してもらうよう依頼しておいた」
仕方ねえんだが、後々のことを考えると、いつまでもあたしをしがない平民娘からの成り上がりってしとくのは都合が悪いらしい。確かにごまかさずにきちんと過去を清算した上でイストバーン様……いや、イストバーンの傍にいる方がいいだろうしな。
しっかし実家、ねえ。最低の屑だった前回のあたしがラースローの野郎に婚約破棄された途端に切り捨ててきた薄情者共。二言目には「我が公爵家」とか言いやがる見栄っ張り共の巣窟。あたしを公爵令嬢として以外には全く見てなかった、愛なき冷血達。
「はぁ~……」
気が滅入る、なんてもんじゃない。もう一生関わらなくてもいいって見切りをつけて脱走してきたのに、何が悲しくてまたあの家に戻らなきゃいけないんだ。名義だけにしたってイストバーンと奴らとの間に繋がりが出来るなんてたまったもんじゃねえんだが。
そんな風にイライラしてたら、マティルデが仕事の手を止めてこっちを見つめてきていた。機嫌が悪かったあたしは「何見てんだオラ」とばかりにガン飛ばしたんだが、マティルデは怯むどころかため息を漏らしてきやがった。
「バイエルン公爵家は大罪を犯した娘のギゼラを早々に勘当して、助けようとする素振りも見せなかった。ギゼラさんの認識ではそんなところですか?」
「……分かってんなら今更口に出すまでもねえだろ。あんな所になんざこれっぽっちも未練は無いね」
「じゃあその情報は誰から聞いたんですか? 大方牢屋の見張り番とか拷問官、あとはラースロー殿下辺りからじゃないですか?」
「……っ!」
確かにその通りだ。「お前を助けようとする奴なんざ誰もいない」的に責められた際に聞かされた情報だって記憶している。
でも、あたしが火あぶりにされる時に家族は誰も姿を見せなかったじゃねえか。
「真実は違った……とでも言いやがるのか?」
「バイエルン公がギゼラさんを除籍したのは事実です。彼には公爵家を守る義務がありました。責任が波及しないよう即座に判断を下したのは見事、と褒めるべきでしょうね。ただ一方で娘であるギゼラさんの助命を嘆願したのもまた事実ですよ」
……嘘だ。
あのお父様がそんな真似をなさるはずがない。
皇太子になったラースローに逆らって一家お取り潰しになる危険を犯す筈が……。
「あいにくわたしに知らされたのはギゼラさんが灰になってからでしたが、面会も何度も希望されたと記録に残ってました」
「じゃあどうしてお父様もお母様も、娘の死に目に姿を見せなかったの!? わたくしを案じるものなど誰もいないって絶望しながら死ね、ってことでしょうよ!」
「『娘が地獄に落ちるならせめて私だけでも一緒に行きます』、って遺書を残して公爵夫人が死刑執行日に自害したせい、でしたっけね」
「お母様が……? 嘘、嘘よそんなの……」
あたしの信じていた、思いこんでいた絶望の結末が音を立てて崩れていく。
それからもマティルデは「公爵は嫡男が成人するとすぐさま引退なさって二人の死を弔った」「公爵になった嫡男は皇太子の罪を暴こうとする聖女マティルデに助力した」などと言うけれど、あたしの頭には全く残らなかった。
だって、マティルデの話が本当だったら、今回のあたしが選んだ道は前提から間違っていたことになるじゃないか。公爵家に愛が無いからあたしは未練無く家を出たんであって、愛があったならあたしがやった事は、あたしは……、
「そんなぁ……お父様、お母様ぁ……」
もう我慢出来なかった。周りの目を憚らずあたしは泣き崩れるしかなかった。
イストバーンが慌ててわたしに駆け寄って心配してくれたり、王太子が驚いてたり、マティルデが辛そうに目を逸らしたりしたけれど、あたしはただただ泣いて泣いて泣きまくった。まるで親とはぐれた子供みたいに。
あたしは……やっぱ最低の屑だ。
愛を知らず、愛を感じられず。
破滅するのは当然だったんだ。
■■■
「……お騒がせしました」
落ち着いたのはしばらくしてからだった。
さすがにあの場で泣き続けるわけにもいかなかったので、隣室で続行した。その間あたしの夫は黙ってそばにいてくれた。途中から彼の胸元で泣いたせいで濡らしちまったのは後で謝らないと。
「粗方の事情はマティルデから聞いた。その、色々とすれ違いがあったみたいだな」
「一方的な思い込みで悲しませたんだもの。言い訳のしようがないわ」
「口調。もう素はそっちの方なんだな」
「……言われてみればそうかもしれない」
鼻をすすってあたしは部屋の中にあった鏡の向こうにいる自分自身を見つめてみる。……本当、酷い顔。前回のあたしだってここまで涙を流さなかったのに。そう考えると弱みを見せられる環境にいるんだな、とも思えてくる。
「丁度いい機会なんだ。向こうに行ったら一度きちんと話し合ってみるべきだろうな」
「……そうする」
「誤解だったら仲直りすればいいんだし、誤解じゃなかったらその家名だけ利用して今度こそおさらばすればいいさ」
「……今更仲直りなんて出来るのかな? 何も言わずに家を出たのに」
「子を心配しない親なんていない、って断言出来ればいいんだがなぁ」
「馬鹿。締まりがないじゃん」
あたしが立ち直るまでの間イストバーンはずっとあたしに寄り添ってくれて、少しでも気が紛れるように自分の家族事情について面白おかしく語ってくれた。初めのうちは黙って耳を傾けるだけだったあたしは、次第に一喜一憂するようになった。
ああ、イストバーンと一緒にいると安心する。
あたし、この人に出会えて本当に良かった。
あたしを大事に想ってくれて、あたしを気にかけてくれて、あたしを心配してくれる。
あたしはこの素晴らしい人と一緒に生きていきたい。
今ではそれがあたしの心からの願いになっていた。




