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ああ駄目、死なないで……!

 イストバーン様が力なく倒れていく。

 そんな光景を目の当たりにしたあたしは、悲鳴も上げず、恐怖に怯えもせず、すぐさま彼の傍にしゃがみ込んだ。


 周りがやかましく騒ごうが関係ねえ。この後の事は一切考えないことにする。

 とにかく、このかけがえのない人を救わないと――!


 あたしはこんな事もあろうかとドレスに忍ばせていたエリクサーを取り出した。聖女の奇跡とやらの体現を惜しみなくイストバーン様の口に注ぎ込むんだけど、痙攣する今の彼には聖水を喉に通す行為すら出来ないらしい。


「だったら……!」


 あたしは躊躇わずに自分の口にエリクサーを含め、そのままイストバーン様の口に移してやる。強引に勢いよく押し込んでやったのが功を奏したのか、かろうじて喉を通って胃に入っていったようだった。


 効果アリと判断して何度もそれを繰り返す。その間何度も死ぬな、死ぬな、と願いながら、一心不乱に。けれどエリクサーの残りが少なくなっていくにつれて段々と絶望が芽生えだす。あたしには誰も救えねえ、と言わんばかりに。


「が、はっ!」


 丁度エリクサーが空になった直後だった。呼吸すらまともに出来てなかったイストバーン様が激しく咳き込んだ。これまで出来ていなかったのを取り戻すかのように激しく息を吸って吐いてを繰り返す。


「よかった……!」


 もう大丈夫だ、と安心したせいか、とめどなく涙が溢れてきた。それにつられて感情が高ぶったせいか、あたしはイストバーン様を抱きかかえていた。まだ息をして温かくて、生きている彼を、大事に。


 救えた。こんなあたしでも。人を。イストバーン様を。

 本来失われていた未来を、あたしが変えたんだ。

 人を虐げて害するしか出来なかったこのあたしが……。


「心配させるなよ、莫迦……! 心臓止まるかと思ったじゃんか……」

「頭痛がする……それに超気持ち悪い。なんか吐きそうなんだけど」

「吐くなよ絶対に! なけなしのエリクサー使ったんだから、身体の隅々まで行き渡るまで我慢だ!」

「エリクサー……」


 ようやく冷静になったあたしが離れると、イストバーン様はしげしげと自分を見つめ、それから周囲に視線を巡らせる。そうやって現状を把握し終えると、役目を果たして床に転がったエリクサーの空瓶を手に取った。


「そうか……。毒を盛られて、ギゼラに救われたのか」

「……まあ、簡単にまとめるとそうだな」

「ありがとう。ギゼラは命の恩人だ」

「どう、いたしまして」


 屈託なく喜ばれた。どう返していいか分からなくなって視線を逸らすしかねえ。顔が熱くなってるのが自分でも分かる。


「このエリクサー、高かったんだろ? 後で代金払わせてくれ」

「いらねえよ、バカ。ソイツはちゃんと役目を果たしたんだ。本望だって」

「そういう訳にはいかないだろ。その辺りきっちりしておかないと……」

「その埋め合わせは後で議論させてもらうとして、だ」


 イストバーン様が命を落とさずに良かったのは良かったんだが、それでめでたしめでたしと済ますわけにはいかねえ。イストバーン様を害した輩には落とし前をつけてやらなきゃいけねえからな。


「ラインヒルデ皇女殿下。これも毒盛られてるかもしれないので預かりますね」


 余裕が出来たからか、マティルデの声が耳に入ってきた。見上げたら青ざめた様子のラインヒルデが持っていたグラスをマティルデがにこやかに没収していた。そしてやりましたとばかりにこちらに合図を送ってくる。


 それから人混みをかき分けてこちらにやってきたのはヨーゼフ様だった。彼は先程イストバーン様方に毒入りグラスを渡していた給仕の腕を締め上げていた。何やら必死こいて自分じゃない的な言い訳を発してるけれど、聞く耳は持たれない。


「マティルデ。彼が君の言っていた、殿下を害した犯人かい?」

「はい、その人が実行犯に違いありません。わたし、ちゃんと見てましたから。少なくとも皇女殿下は彼から受け取ったグラスをそのままイストバーン殿下にお渡ししただけでしたよ」

「なら後はこの者から事情聴取するしかないか。おい、連れて行け」


 ヨーゼフ様に命じられた警備兵が給仕を引っ立てていく。給仕は観念したのかがっくりと項垂れて力なく連れて行かれた。そのついでとばかりにマティルデもラインヒルデのグラスを近衛兵に押し付けて持って行かせる。


「ところでギゼラ様。イストバーン殿下はまだ気分が優れない様子。一旦医務室にお運びしませんか?」

「え? あ、ええ。そうですね。それじゃあ……」

「ほら、そこで自分で担ごうとしない。命じれば動いてくれる人が沢山いるんですし、遠慮なく力を借りましょうよ」

「ですが……」

「でももだってもありません。意地を曲げないのも立派ですけどたまには柔軟に、です」

「うぐっ」


 そんなわけで会場内が騒然となる中、イストバーン様は医務室に運ばれていった。当然救命措置をしたあたしも同行して、念の為にとラインヒルデも診察を受けることになった。そして事態収拾にヨーゼフ様を残して何故かマティルデが後に続く。


「ラインヒルデ皇女殿下。さっきのお酒ですけれど、飲んでませんよね?」

「あ、ああ……。ギゼラが叫んできたから少し口に含んだだけで、すぐ吐き出した」

「それはいけませんね。念の為に口を洗浄してください。イストバーン殿下と同じようにエリクサーを飲むのもオススメします」

「そう、させてもらうとしよう……」


 ラインヒルデはさっきの騒動によほど衝撃を受けたようで、動揺を隠しきれてない。まあ暗殺未遂が目の前で起こったんだから当然と言っちゃあ当然なんだけどさ。


 医務室で診察を受けたイストバーン様は命に別状はなくなったので気分が良くなるまで安静にってことになり、寝具に横たわった。ラインヒルデの方も特に毒を摂取していなくて問題無し、との結論になった。


 ならこんな危険な場所に留めておけない、と帝国近衛兵がラインヒルデに促すものの、マティルデがどういうわけかちょっと待ったをかけた。更に、話したいことがあるから人払いを、と主張する始末。


「……すまないが彼女の言う通りにしてくれ。せめて会話が聞こえないよう部屋の端で待機してくれればいい」


 最終的に皇女に命じられた近衛兵は渋々部屋の片隅で待機する。医務室の医師達は別室に退散し、イストバーン様の周りにはラインヒルデとマティルデ、そしてあたしが残る構図になった。


「それで、私達だけへの話とは何だ?」

「イストバーン殿下とラインヒルデ殿下はギゼラ様に救われた、という話です。本来の運命でしたらお二人共今日を区切りに破滅していましたから」

「……は?」


 ラインヒルデは何を言ってるんだコイツとばかりに疑問符を投げかけてくる。そりゃ当然の反応なんだが、まさかその話を切り出すとは思ってなかったあたしは驚きの声を上げそうになっちまった。


「ちょっと待てマティルデ。イストバーン様方に話すつもりか?」

「話すも何も、もう知ってもらわなきゃいけない段階まで来てると思うんですけれど」

「いや、まあ……確かに」

「そのために神はわたし達にやり直しさせてるんでしょうから」

「やり直し……?」


 混乱するラインヒルデとイストバーン様にマティルデはあたし達の事情を語り始めた。あたし達が前回送った人生をかいつまんで。そしてその上でイストバーン様とラインヒルデが突然として途中退場することも。


 沈黙が医務室内を漂った。本当なら今日命を落としていた、と知ったイストバーン様は深刻な顔つきで考え込むし、ラインヒルデは信じられないとばかりに目を見開くばかり。説明する際のマティルデが真剣そのものなのとは対照的だ。


「聖女だった前回のわたしにはどうもラースロー殿下が信じられませんでした。だってあの方からも悪意を感じ取れたんですもの」

「悪意? あの愚弟からか?」

「はい。悪意に染まったギゼラ様を断罪なさった時も正義とは別に悪意を抱いていたようでした。邪魔だった彼女をこれ幸いとばかりに排除したかったんでしょうね」

「けっ。アイツの考えそうなこったぜ」


 聖女としてのマティルデは人の悪意を感じ取れる。最低の屑が仕掛ける悪意を掻い潜ってきたのはその奇跡の恩恵が大きい。

 ただしそれを彼女が公表したことはない。あたしだって数々の失敗談からそんな能力があるんだろう、って漠然と思ってるだけだし。


「んで、真っ黒すぎた前回のあたしに消えてもらったら今度は真っ白すぎた前回のマティルデが鬱陶しくなったってか?」

「そうですね。人の救済に全く結びつかない賄賂だとか横領だとかを咎めてましたから。ああ、でも決定打はアレでしたね。当時皇太子だったラインヒルデ殿下の謀殺について知ってしまったからですか」

「謀、殺……?」

「ええ、ここまで来たらなんとなく察しが付きますよね」


 ああ、つまりそういうことか。

 とことんな外道め。


「ラースロー皇子がヤーノシュ王子と結託して、邪魔だったイストバーン殿下とラインヒルデ殿下をまとめて排除したわけです」

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