まさかここで皇女と会うとはね
さあて、バカ王子を撃退したからあたしはお役御免、とはいかなかった。いかに主役が王太子だからってイストバーン様は第一王子。有力貴族とか近隣諸国からの来賓への挨拶を怠る訳にはいかない。
いやさ、これからこの国は王太子をもり立てていかないといけないだろ。これ以上イストバーン様の評判を良くしてもしょうがねえと思うのはあたしだけか? ならここは大人しく引っ込んでおいた方が無難な気がすんだけどさ。
「そうはいかない。アイツだけに任せておくとパンノニア王国自体の評価が下落するからな。とりあえずアイツが王様になっても俺が支えていきます、って体を装わないと」
「尻拭い……失礼、あの方を支えていかねばならないなど、気苦労が絶えませんわね」
「あーあ。早く成人になってくれないかな。そうしたら俺もお役御免になってぐーたら出来るのにさ」
「有能な貴方様をそう簡単にお離しくださるとはとても思えませんが?」
「王位継承権との引き換えだったら考えてくれるだろ。辺境の地に封ぜられて名ばかりの公爵として余生を過ごすんだ。いやー怠惰な生活が待ち遠しいな」
「とても興味深い未来像ですけど……」
ちょっと想像してみる。のどかな田舎の湖畔に建てられた城で過ごす穏やかな毎日。時間に縛られないし面倒くせえ人間関係とも神経をすり減らす権謀術数とも無縁で、仕事の合間に散策とか釣りとかを楽しむんだ。昼寝だってし放題だ。超いいじゃん。
……いや、待て待て。どうしてあたしはイストバーン様に付いてくこと前提に想像をめぐらしてるんだ? 王都に用が無くなったんだからまたあの街道沿いの宿屋に戻ればいいじゃんか。あそこだってあたしの帰る場所なんだしさ。
(……はぁ~。これ、末期だわな)
認めるしかない。あたしはイストバーン様と一緒にいる時間を楽しんでる。そしてそれがこれからも続けば良いって願ってる。それこそ、彼が王都を離れて辺境に追いやられても同行するのが当たり前だと考えるぐらいに。
そんな思いは認めるとして、コレを果たしてどう呼べば良いんだ?
友情? 信頼? 尊敬?
それとも……これが愛だとでも言うのか?
(愛、ねえ)
最低の屑だった前回を合わせてもわたしは人を愛したことなんて無い。親は尊敬してるし妹や弟は身近に感じていた。婚約者だった皇太子は共に神聖帝国の未来を担う同志みたいなものだ。
身を焦がすような思い。自分の全てをかけてでも守りたくなる相手。
皇太子の奴はクソ聖女をそんな風に言ってやがったっけ。
結局前回は処刑されるまで彼の主張をこれっぽっちも理解出来なかったけれど……。
「ん? どうしたギゼラ。俺の顔に何か付いてるか?」
「いえ、特には。大丈夫ですよ」
いつかあたしもそんな風に愛する相手を見つけられるんだろうか?
それこそ、今の価値観なんざ吹っ飛ぶぐらいの衝撃的な、な。
「にしても……結構大物がいらっしゃってますね」
考え込むのは後でいいな。今は役目に専念しないと。
王太子の存在感を内外に示したいためか、会場には多くの参加者が詰めかけていた。あたしは近隣諸国からの来賓って駐在してる大使とか外交官ぐらいだと思ってたんだけど、大臣だったり王族だったりと錚々たる面々が揃ってた。
「王妃陛下の努力の賜物だろうな。ヤーノシュこそが次期国王、と示すには最適だ」
「当のご本人が分かってるかは別の問題ですけれどね」
「……あの様子だと来て当然とかすら思ってそうだな」
「あの方を持ち上げ続けてて自分に疑問を持たないんでしょうかね」
イストバーン様が挨拶しに向かったり挨拶されたりと半々だったのに対し、王太子は自分から声をかけに行ったりはしてない。あと一応弁えてはいるようなんだけれど、ふてぶてしさがどうしても隠しきれてない。笑顔で受け流す相手の方がよほど立派じゃんか。
あーあ。こうやってまた王太子とイストバーン様が比較されるんだろうなあ。このままだとイストバーン様が思い浮かべた田舎生活がおじゃんになる可能性が更に高まるような気しかしないだけど。
「ところで、肝心の神聖帝国からはどなたが出席なさっているんですか?」
「事前の来賓者名簿には未定だって記されてたな」
「それではどなたがいらっしゃっても対応出来るよう準備しなくてはいけなかったのですね。ご苦労さまです」
「本当だよな。あり得ないけど皇帝ご自身が来ることも考えないといけないのがな。完全に試されてるだろ」
パンノニア王国は決して小国じゃねえけど、大国とも言えない。近隣諸国に目を向ければ同規模だったり粒ぞろいだったりと尽く冴えねえんだけど、神聖帝国だけは別格だ。何せ、近隣諸国が束になったって太刀打ち出来やしねえ列強国からな。
なもので、ぶっちゃけると神聖帝国がこの催しに誰を派遣してきたかで王太子がどう見られてるかが分かるってものだ。あたしの予想だとせいぜい本国の外交官が皇帝陛下の親書を携える程度なんだろうが……。
「イストバーン王子」
不意にかけられた声はとても凛としていた。
イストバーン様は軽く驚いて、あたしは心臓が止まるかと思った。
動揺をかろうじて抑えつつ振り向くと、そこには大体イストバーン様と同年代の女性がこちらに軽く微笑んでいた。美しさと上品さと格好良さを兼ね備えた、とても魅力的な淑女だった。あえてケチをつけるなら若干肉付きが良くないぐらいか。
「これは驚いた。まさか貴女がいらっしゃっているなんて」
「何、あいにく私とて小間使いに過ぎませんよ。報告に備えて色々と情報を集めなければいけないので、気が休まりません」
「それは辛いでしょう。折角我が国に足を運んできたんですから、少しぐらいはゆっくりしていかれてはどうですか?」
「無理を言って一日だけ空きを作ってもらいました。そうさせてもらいますよ」
だがそんなのはどうでもいい。肝心なのは見た目じゃねえ。
まさか神聖帝国とはおさらばした今回で彼女に出くわすとは思いもしなかった。
言葉を失うあたしに気付いたイストバーン様はこっちに軽く謝罪してきた。
「彼女を紹介しても問題は?」
「ありません」
「では、こちらは現在私の秘書官を務めていますギゼラと言います。特定の婚約者を持たない私の相手を務めてもらっています」
「初めまして、ギゼラと申します」
動揺を悟られまいとあたしは深々とお辞儀をした。
彼女はどんな顔してあたしを見つめているかなんて知りたくもねえ。
いかに今回彼女と初対面であってもな。
「ギゼラ?」
「はい、ただのギゼラでございます」
「そうか。ありふれた名だものな。貴女のことはイストバーン王子から頂く手紙にも良く記されている。優秀な秘書官だそうだな」
「滅相もございません。わたくしなどまだまだ至らぬ点が……」
「尊大さが鼻につくように過度な謙遜も嫌味に捉えられるぞ。それが分からぬ貴女でもあるまい」
「……っ!?」
は? どういうことだ? どんな意味をその忠告に含ませた?
思わず顔を上げたら丁度彼女がこちらにおじぎをしているところだった。
癪に障るぐらい優雅で、上品で、存在感を放っていた。
「神聖帝国第一皇女ラインヒルデ。以後お見知りおきを」
彼女、ラインヒルデ皇女、皇位継承権第一位の皇太子。
この時期にはとっくに亡くなっている存在があたしの目の前にいた。
「ラインヒルデ皇女。ギゼラと知り合いなのか?」
「私の知り合いとよく似ていましてね。聡明で見目麗しく、私も見習う点が少なからずありましたよ」
「ほう、皇女がそんな評価を下すのは珍しい。何をやらせてもそつなくこなす完璧超人でしたからね」
「よく仰りますね。王子の方こそ主役となる筈の王太子の存在感を霞ませているじゃないですか」
「ははは、不可抗力ですよ」
穏やかに談笑を続けるラインヒルデとイストバーン様を余所にあたしは必死になって思考を巡らす。
(どうしてラインヒルデ皇女殿下がまだ生きてるんだ? いや、そもそも殿下って亡くなったのいつだったか?)
神聖帝国では基本的には男子優先で家を継いでいくものだけれど、決まりじゃない。なので長女が著しく優秀なら嫡男を差し置いて継承する場合もある。現代は神聖帝国皇家が正にそうで、ラースローの姉たるラインヒルデが皇太子とされている。
そんな第一皇女は、突如として表舞台から姿を消した。
その頃は聖女としての修行を積んでた時期だったから外界の情報はさっぱりなんだが、確か……そう、大体今の時期にぱったり彼女の名を聞かなくなったんだよな。それまでは神聖帝国は次世代も安泰だって言われるぐらい優秀さを発揮してたんだけどさ。
(おっかしいなぁ。別に神聖帝国内の貴族連中から反感を買ってたわけじゃねえし、市民受けも良かった。病死したって話も聞かねえし、事故死した記録も残ってねえしなあ)
ある時期を境にラインヒルデの存在がぱたっと消失する。これ以上書くのは憚られるかのように。
皇太子になったラースロー殿下と婚約した後に気になって調べても分からねえし、聞いてもはぐらかされたんだよな。最低の屑は失脚した敗北者なんざ無用、とばかりにそれ以上踏み込まなかったんだが……。
(皇女殿下ともあろう方が問答無用で退場させられるような大失態でも犯したのか? 又聞きの評判を聞く限りはそんな感じはしなかったんだけどなぁ)
考え込むあたしを余所にイストバーン様とラインヒルデは雑談で盛り上がってた。こっちの気も知らねえで給仕から酒の入ったグラスを受け取って、笑顔で再会を祝おうとしていた。
(ったく、ただでさえイストバーン様が表舞台から姿を消すってのによ。もう神聖帝国なんざ関係ねえんだから皇女がどうなろうがあたしには関係……)
いや、待てよ。
イストバーン様と、ラインヒルデ皇女が、同時期に?
たまたま? それとも――。
「ともあれ、こうして再び会えたんですし、折角ですから祝いましょう」
「ですね。ではお互いの益々の健勝を祈って」
「そして更なる活躍を祈って、乾杯」
「乾杯」
二人がグラスを鳴らし、そのまま飲もうと口をつけて……、
「だ……駄目! それを飲んだら――!」
神様。アンタは試練だとかぬかして人を苦めて、そのもがく姿を面白おかしく眺めてるど畜生だ。直に会う機会があったら徹底的にぶちのめしてやる。
そう罵りたくなるぐらいその可能性に行き当たるのは遅かった。
文字通り、致命的なほどに。
あたしがグラスに手を伸ばした時には既にイストバーン様はその酒を喉に通していて、はたき落とすまでもなくイストバーン様の手からグラスが滑り落ちて、胃と心臓付近を押さえながら痙攣する彼が倒れるのにそう時間は要らなかった。
パンノニア王国第一王子は神聖帝国第一皇女に暗殺された。
それが前回の筋書きだったんだ。




