あたしは悪女だった前回を認めるしかない
「あ……」
「気がついたか?」
意識を取り戻したあたしの視界に真っ先に映ったのはイストバーン様の顔だった。
周りを見渡すと、どうやらあたしは見慣れない豪華な、けれど落ち着いた内装の部屋にいるようだ。横になっている寝具もふかふかで温かい贅沢な作り。家具や敷かれた絨毯、立てかけられた絵画、窓にかかる天幕等、何処にいるかが自ずと知れた。
「あたしは一体……?」
「服飾店で鏡の前の自分を見たギゼラは悲鳴を上げて気を失ったんだ。医者にも見せたかったから王宮に連れてきたんだ」
「そう、だったのか……」
考えたくなかった。見たくなかった。知りたくなかった。
あたしはずっと見ないふりをしていた。それを認めたくなくて。
でも思い知らされた。逃げられなかった。どれだけ否定しようが事実になった。
あたしはただのギゼラじゃなかった。公爵令嬢ギゼラなんだ、と。
「どういった事情があったかは俺は知らない。貴族の令嬢らしく振る舞うギゼラをどうしてか『らしい』と感じたし、けれど辛くも見えた」
「……! 気づかれて、たんだな」
「俺じゃあ力になれないかもしれない。けれど吐き出せば少しは楽になるとも思う。どんな悩みがあるか……教えてくれないか?」
イストバーン様はあたしと真摯に向き合ってくれた。
精神的にまいっていたのもあって、あたしは彼なら話してしまって良いかもしれない、と思った。思ってしまった。
自分だけが向き合わなきゃいけなかったのに。彼に分かってもらいたい、と浅ましくも願っちまったんだ。
「……あたしの過去、喋ったことあったっけ?」
「何度かあったな。でも俺達が出会った街道沿いの町で過ごした所からで、それ以前は固く口を閉ざしてたっけ」
「逃げてきたんだ。神聖帝国から」
「……! 神聖帝国で飢饉や災害、圧政の類があったって話は聞いてないぞ」
「別に環境は悪くなかった。単に、あたしは未来から目を背けたんだ」
「未来……?」
そしてあたしは洗いざらい白状した。
あたしが神聖帝国の公爵家の娘であること。
本当なら家出した直後に聖女としての適性が認められる筈だったこと。
皇太子の婚約者になったこと。
増長して自分が世界の中心になった気でいたこと。
人の心なんて考えなくなったこと。
聖女として愛されるマティルデに嫉妬して悪意を振りまいたこと。
数え切れないほど周りを傷つけて罪を重ねたこと。
愛想尽かされて断罪されたこと。
そして、処刑という破滅を遂げたことを――。
「認めたくなかった。将来あんな屑に成り果てるなんて。あんな欲に溺れた女なんてあたしじゃない。悪魔に囁かれたのか魔が差したのか、とにかくあんな風には絶対になってやるもんか。そう固く心に決めたんだ」
「だから聖女適性検査を受ける前に脱出した、か」
「身分も家も捨ててただのギゼラになっちまえばあんなクソ女とは無縁でいられる。そう思ったんだ。でも……違った。前回と全く違う人生を送ってもあたしは私のままだった」
「自分の姿に愕然としたのは……その、前回の自分そのままだったからか?」
そのとおりだ。
育ちが人相や人柄を大きく左右する。だから前回と全く違う道を歩んでいたら見た目だって変化する。そう信じてたのに……結局は収束しちまった。外見がそうなんだから、もしかして気付いていないうちに内面まで――。
鏡の向こうで最低の屑……だった前回のあたしが笑い声を上げながら語りかけてくるようだった。宿命からは逃れられない、って。どんなに否定しようがあたしは私で、自分の我儘で周囲に迷惑をかけるんだ、って。
そして、耳元で囁いてくるようだった。前回の失敗を教訓に上手く立ち回れば今度は成功するだろう、って。そして前回私を破滅させた裏切者共に失敗と屈辱を思い知らせてやれ、破滅させてやれ、ってな。
「あたしは……思いやりとも慈愛とも無縁の悪女だった。最低の屑とかクソ女とか散々言ってたけれど、やったのはあたしなんだ。あたしだったんだよ……!」
結局、最低の屑はあたしだったんだ。
ただそれを認めたくなかっただけだったんだ。
「ギゼラ、よせ。そう自分を責めるな。前回は前回で今回は今回だろ?」
「あたしだってそう思いたかったさ! 火刑に処されて前回のあたしは死んだ、罰せられたんだ。だからあたしは関係ねえ、ってな。違う! 違う違う! あたしがこの手を汚したんだ! 他の人を見下して、嘲笑って、邪魔な奴らを蹴落として……!」
「だから落ち着けって! 一回深呼吸しよう。悪い方に悪い方に考えていかないように」
言われるがままあたしは口を止めて深呼吸する。胸に宿っていたわだかまりが少しだけ解消された気がした。
すぐにでも再開しようと思ったら、イストバーン様が心配そうにこちらを見つめてきていることに気付いた。
自然ともう一呼吸取ってから口を開く。
「あたしはどうすればいいんだ? まだ傷ついてない連中に頭を下げれば良いのか? 前回犯した罪を悔い改めればそれでいいのか? それとも……一生償っていかなきゃいけないのか?」
洗いざらいぶちまけて弱音を吐いて、あたしはイストバーン様に何を求めてるんだ……。彼に許されればそれでいいのか? あたしはあたしだとか言ってもらいたいのか?
いつからあたしはそんな弱くなっちまったんだ……。
「……神がギゼラを天国に招かず地獄にも落とさず、やり直しを命じたなら、今を生きること自体が贖罪なんじゃないのか?」
「何もかもかなぐり捨てて逃げ出しちまった今回がか? こんな甘やかされちまう生ぬるい生活があたしに相応しいのか?」
「人一人に出来ることなんて限られてるだろ。百戦錬磨の達人だろうと、神から奇跡を授かった聖女だろうとさ」
「だったら……!」
イストバーン様からしたらこんなあたしはウザいだけなんじゃねえかな。でも彼はそんなあたしの不安なんか知らねえよとばかりにあたしの肩を掴んできて、あたしを正面から見つめる眼差しは真剣そのもの。
彼の瞳はとっても綺麗で、中に吸い込まれちまいそうだった。
「今のギゼラは一体誰だ? 公爵令嬢か? 聖女か?」
「……いや、どちらでもねえ。あたしはあたし、ただのギゼラだ」
「ただのギゼラとして俺を助けてくれるのは無意味なのか?」
「そんなわけねえだろ! イストバーン様の仕事はそれこそこの国を左右するような奴ばっかじゃ……あっ」
イストバーン様があたしから手を離した。支えを失ったあたしの身体は再び寝具に横たわる。
あたしの傍に腰掛けてこちらを見下ろす彼は、今度は人を安心させる優しい笑みをこぼしてきた。
「気付いてるか? ギゼラが来てからこの国から横領とか汚職の類って少なくなってるんだ。ギゼラが書類上の不正を暴いてるおかげだ」
「そうだったのか? てっきりイストバーン様達が食い止めてるとばっか思ってたけど」
「アレだけ大量に処理しなきゃいけない書類が貯まる一方だっただろ? そんな細かいところばっか見てられないって」
「……事務処理能力が高くて何か関係あるのか?」
「大有りさ。浮いた金を公共事業に回せるからな」
イストバーン様は語ってくれた。貧富の差が激しいのは裕福な者が稼げて貧しい民が働けないからだ、と。炊き出し等の施しは所詮その場しのぎ。まずは生活の土台になる金がなければ何も始まらない、と。
だから、道や上下水道の整備、城や屋敷から仮の住居となる掘っ立て小屋まであらゆる建築物建造の斡旋、等を国の公共事業として執り行い、給金を払う。こうしてこれまで国や貴族に集まるばかりだった富が市民に再び回されていくんだ、と。
「神の言葉を聞かせたり傷を癒やすばかりが救いじゃないってことさ」
「あたしが、既に人々を救っている……?」
金があったら食べ物にも困らないし、病気になっても医者に見てもらえる。理不尽な売りも盗みも殺しも必要無くなる。苦しみからも悲しみから解放されるわけじゃねえが、そればっかな人生からはおさらばだ。
上に立つもののさじ加減一つでこんなにも多くの人生が左右される。
そんなの……前回のわたしは考えもしなかった。
だってそうだろ? 貴族にとっちゃ市民をかしずかせるのは呼吸するのと同じぐらい当たり前のことだ。自分の権威を知らしめてこそ秩序がもたらされる、そう信じる連中ばっか。君臨することこそ使命、そう疑わなかったんだっけ。
それは半分当たってて半分外れてた。
人々の為に統治をしてこそ威張り散らす資格があるのにな。
「それに俺はギゼラが義務やら運命やらから逃げてばっかとは思わないんだけど」
「は? そんなわけねえ」
だってあたしは現に公爵家からも帝国からも逃げてきた。家柄も教養も何もかもかなぐり捨てて、この身一つで生きることにしたんだ。元々の運命に逆らったんだからそれを逃げたと言わねえでどうするんだ?
「そのままの環境にいたらまずいって考えからだろ? なら立ち向かったって表現すべきじゃないか。それに、田舎で安穏と暮らしてれば良かったのにこうして俺の誘いに乗ってくれただろ」
「それは、何て言えばいいか、好奇心が勝ったからで……」
「あと、俺のために社交界に出てくれる決心をしてくれた。あんな窮屈で疲れるだけの魔境の道連れになっても文句どころか努力してくれた」
「だって、王子の傍らに立つならそれなりに装わないと駄目だろ……」
「ほら、逃げてなんかいない。口でそう言い張ってるだけでギゼラはちゃんと前回の自分を乗り越えようとしてるじゃないか」
目から鱗だった。
そんな考え方もあるんだな、って。
勿論それを鵜呑みにして「じゃあ心機一転!」とか意気込めるほど単純じゃねえ。最低の屑だった前回あたしがしでかした悪行は否定出来ないし、その埋め合わせが完了したとは微塵も感じてねえ。
ただ、こうしてイストバーン様から元気付けられると悩んだり悔やんだりしてるのは馬鹿らしいな。正確には、そんな暇があるなら活入れて前のめりに進んでいくだけだ。
だって、今イストバーン様と歩んでる道は決して間違っちゃいないんだからな。
「……そうだな。あたしは前回を重く受け止めすぎてたみたいだ」
「忘れろとは言わない。ただ、反省してるなら今に活かせばいい。違うか?」
「違わねえ」
「その意気だ」
やっと立ち直れたあたしにイストバーン様は眩しいぐらいの笑顔を見せてくれた。
こっちが元気になって胸が温まる、そんな気分になるぐらいの。
そして同時にあたしは改めて決心した。
こんな素晴らしい人の運命は決して終わらせやしない、と。




