いかにもクソガキな王太子が来たんだが
「おい、イストバーン。これは一体どういうことだ?」
その日の午後、そんな失礼千万な言葉とともに襲来してきたのは生意気なクソガキだった。顔もふてぶてしいし威張り散らしてる感じがムカついてくる。年はイストバーン様の何個か下ぐらいか。服も派手だし宝飾品も目に毒なぐらい眩しいな。
んで、そいつがやって来た途端、執務室内の空気が一気に重くなった。緊張に包まれたとかじゃなくて、どちらかというと「厄介な奴が来やがった」って感じか。呼ばれたイストバーン様も面倒だと言わんばかりに頭を掻きながらゆっくりと立ち上がった。
「王太子殿下。要点が掴めませんので説明を」
「とぼけるなよ。コレだコレ。お前ん所の部下が僕に押し付けてきたんだよ」
なるほど。彼がこの国の王太子、つまり第二王子か。
こんな奴が次期国王だなんてこの国も可哀想に……いや、それを言ったら神聖帝国も大概だったわ。
クソガキ……もとい、王太子がイストバーン様に向かって放り投げたのは昨日あたしがチラ見して王太子宛に送ってやった書類束じゃねえか。ははあ、さては仕事を急に押し付けてきたとかで癇癪起こしたか?
「お前さ、自分が無能だからって僕の手を煩わせんなよ。ったく、これだから下賤な女の血が混ざってる奴はさ……」
「おい、テメエ今何つった?」
だからってイストバーン様が責任を問われるのは避けたい。しゃーないんであたしが啖呵を切って王太子の怒りを一手に引き受けてやるとするか。
それに、イストバーン様が言われっぱなしなのは凄く癪だ。
「はあ? お前誰だよ」
「イストバーン様の部下、ギゼラだ。ソイツをテメエんところに突き返してやったのはあたしだ。文句ならあたしに言え」
面と向かってガン飛ばしてやったら王太子の気に触ったらしく、彼はイストバーン様に非難の目を向けた。対するイストバーン様は怒りも焦りもなく、ただ冷静に王太子を見つめ返すばかり。大人の対応ってやつだ。
「……どういう事だよ?」
「俺はギゼラの能力を買って雇っただけだ。彼女がそうだと判断したなら俺はそれが正しかったと信じるまでだ」
人、それを丸投げという。それとも信頼しているからか。
面倒くせえ。今にも癇癪起こしそうな王太子が感情を爆発させる前に畳み込む。
その前に、頭の中を切り替えて……と。
「王太子殿下。それらの書類は治水工事や街道整備といった、国家予算を割り振って行われる公共事業の立案書になります」
一礼してからあたしは抑揚を抑えた声で自分の考えを述べていく。あまりの変貌ぶりに王太子とその取り巻き二人は驚いてきた。イストバーン様達は昨日一瞬だけ見せたのもあって反応が薄かったけれど、それでも目を見張ってきた。
「例え細かな修正案だろうと、最終承認には国王陛下または王太子殿下の署名が必要となります。ここまでは理解していますか?」
「お、お前、僕を馬鹿にしてるのか? そんなの分かってるに決まってるだろ」
「にもかかわらず、王太子殿下はこれらの立案をイストバーン様が面倒見ろ、とおっしゃっているんですよね?」
「そうだ。王太子たる僕に仕事を与えられるんだ。名誉なことだろ?」
ははあ。さてはコイツはアホか。
王位継承権のあるイストバーン様に王太子代理を任せるなんて愚の骨頂だろ。
そんな考えが表情に出るのを抑えなかったからか、王太子は顔を真っ赤にしてきた。
「何がおかしいんだよ!」
「いえ。殿下もそろそろ成人なさるお年頃なんですし、優秀な兄君の手を煩わせずにご自分の力で公務を行われてはいかがかしら、と思いまして」
「……っ!」
「それとも、王位を継承されてからも兄君に支えられようとなさっているのでしょうか。でしたら要らぬことをしてしまい、申し訳ございませんでした」
丁寧な口調に丁寧な物腰、けれど言葉の真意は完全に相手を馬鹿にしきる。最低のクズがやってた常套手段だけれど、実際やってみると結構楽しいな。弱者をいたぶるのは論外だがこうして調子に乗った奴の伸びた鼻をへし折る分には爽快だわ。
「それもそうだな。まだ殿下が王太子教育中なのもあって俺も微力ながら手伝ったんだが、もういいか」
「はあ!? お前まで何言ってるんだよ!」
「何って、真っ当なことを言ってるつもりだが。王太子としての仕事を王太子がしてなかった今までが異常だったんだ」
「くそっ! お前、王太子の僕に逆らうつもりか!?」
イストバーン様に援護狙撃されてわがまま言い出すお子様。みっともないったらありゃしない。さすがの配下の連中も呆れ顔を隠しきれてないじゃん。
だからって容赦はしねえぞ。王太子のためなんかじゃなく、イストバーン様のために。
「では王太子殿下。ご要望はこれらの書類を引き続き我々、そして第一王子殿下が確認せよ、でよろしいでしょうか?」
「あ、ああ。さっきからそう言ってるだろ」
「では一つだけ条件がございます。これまでは王太子殿下に代わって第一王子殿下が確認していても王太子殿下が署名なさっていましたよね?」
「それがどうした?」
「王国の事情は把握しておりませんが、隣の神聖帝国では公文書を記録、保存する決まりとなっています。そのため一切の虚偽は認められておりません。関わった者は本人のみならず一族もろとも連座で処罰されるほどの重い罪だったかと。いかに王太子殿下のご命令とは言え、第一王子殿下がこのまま王太子殿下の代わりを務めるのは非常に危険です」
「そ、そうだな……」
王太子はわたしの主張を半分も理解できているかも怪しい相槌しか打ってこなかった。どうやら相談できそうな頭脳担当の側近を連れてこなかったようだな。だからって出直しを許すつもりは微塵も無えけどな。
「よって、第一王子殿下がご確認なさった公文書は第一王子殿下の名のもとに施行される、と致します。よろしいですね?」
「はあ!? ちょっと待ってよ、イストバーンの名前で!?」
さすがのクソガキもことの重大さが飲み込めたようで、驚愕の声を上げてきた。とてもうるさい。おかげで執務室内の文官達がちっとも仕事できねえじゃねえか。
だがまあ、そうしたくなるのも分からなくはない。何せ、公文書に王太子としてイストバーン様の名が残ることを許せ、って言ってるんだからな。
それはつまり、自分は無能だから仕事を肩代わりしてもらっている、と公言しているようなものだろ。
「冗談じゃない!」
「本気で申し上げております。それでも第一王子殿下に負担を強いるようでしたら、こちらにも考えがございます」
「覚悟……いや、まさか――」
「はい。国王陛下にご報告させていただきますので、あしからず」
国王が王太子をえこひいきしてるって可能性は一旦考えないものとしよう。
内心でほくそ笑みながらどうする、どうする、と相手を囃し立てる。
王太子は悔しそうに歯ぎしりしながら握った拳を震わせてきた。元いた町のやんちゃした子供っぽくて少し笑っちまった。
「お、覚えてろよ!」
何だか小悪党みたいな捨て台詞を吐いて王太子殿下は去っていった。慌てた様子で取り巻きが後を追う。その前にイストバーン様の前に放り投げた朱書き書類を忘れずに持たせてやったら何か親の仇と相対したみたいな目で見られた。
「いやあ、まるで嵐のようだったな。これまであんなお子様のお守りしてたのか? 本当に苦労したんだな」
「さすがと言いますか、流れるような悪女っぷりでしたね。前回の人生は否定なさったんじゃなかったんですか?」
「生き様はな。前回で培った技能は有り難く有効活用しなきゃもったいねえだろ」
「うわあ。いいとこ取りするんですか。さすがですねえ」
馬鹿の相手に疲れたあたしは椅子にどっともたれかかった。マティルデがからかってくるけれど知るもんか。とりあえず持参してきた容器に入れた水を飲んで、と。
ん? どうもイストバーン様達がこっちに注目してくるんだが?
「あたしの顔に何か付いてるか?」
「いや、そうじゃない。まさかヤーノシュまで退散させると、って感心してた」
「ヤーノシュ……? ああ、あの馬鹿王子?」
「馬鹿って言うなって。アレでもうちの王太子なんだから」
「血統主義ってのも大変だねえ」
「ともあれヤーノシュから回される王太子案件はかなり参ってたんだ。それがはけただけでも凄く助かった。ありがとうな」
「礼には及ば……いや。どういたしまして、だな」
感謝は素直に受け取っておいた。予想以上に照れくさかった。
他にもヨーゼフ様方からも感謝の言葉を頂いた。むず痒かった。
しまいにはマティルデから「よかったですねえ」とからかわれた。後で叩く。
「ああ、それよりイストバーン様。一つお願いがあるんだけど」
「何だ? 仕事をさばいてくれたんだ。よほどじゃなかったら聞くぞ」
「あの馬鹿王子さ、こっちに仕事押し付けられたって騒ぐと思うんだわ。となると、次に仕事が増えた分こっちから人材寄こせ、とか言ってきかねないだろ」
「あー。確かに」
「だからそう言い出される前にちょっと言っておいてほしいんだ。「まさか王太子殿下ともあろうお方が第一王子配下の文官の力を借りたい、なんて思わないですよね?」的に」
それよりあの王太子に誰かが小賢しくも妙な入れ知恵してこっちが被害受けないようにしておかないとな。ちょっと向こうを煽ってやれば乗ってくるだろうから楽勝だけど。
……何か、イストバーン様達から向けられる眼差しが変にむず痒かった。
そんなわけで無事イストバーン様と配下の文官が今まで四苦八苦してた執務の量は大幅に減りましたとさ。代わりに暫くの間関係部署はこれまでサボってた分のツケを払ってるらしく、かなり遅くまで労働してたっぽい。ざまあ。




