第47話 師弟
「起きなさい!今日から買い出しの付き添いはディアとロディにお願いするね。仮想体で入る体は作っておいたから。早く行かないと大将たちが待っているからね。」
突然理解できないことを念話で言われた。
私はお姉ちゃんの体で眠っていてロディは魔力器に戻ってるはず。
あれ…、いつの間にか体の人格がお姉ちゃんに代わってる。
いつもの場所で寝ていたみたい。
仮想体で体の外に出たらベッドの上に私とロディの人形があった。中を見ると魔石も臓器もない。お姉ちゃんの魔力で満たされてるだけの人形だった。
何で魔力が漏れてないのかな…。
仮想体だと皆が姿を見ることができないから用意してくれたと思うんだけどね。
横を見るとロディも固まってた。その気持ちはよく分かる…。
「仮想体を体の中の魔力に馴染ませなさい。早く動く!」
声がしたから後ろを見るとお姉ちゃんが腕を組んで立ってた。
「分かったよ!」
「はい。分かりました!」
人形の中に入ると自分が溶けて広がってくような感覚だった。その感覚が止まったときに体を起こしてみた。仮想体の自分が飛び出ると思ったら人形が起きた。
部屋にある鏡で目や口を動かしてみた。
笑えばいいのかな…。
人形のリュウより自然な表情だよ。それに人形の口が開いて声まで出せた。
手も足も動くし能力も使えるみたい。
おかしなことが多すぎて頭が麻痺してる感じだよ。
「お姉ちゃん、この声は誰でも聞こえるの?」
「当然でしょ。念話で話すつもりだったの?魔力の無駄遣いだし買い物できないよ。」
「クロア、これはどのように作ったのですか?」
驚きすぎて当然の疑問が思い浮かばなかったよ。
念話が魔力の無駄遣いなんだ。この人形は凄い無駄遣いだと思うと言いたいけど怖い。
「能力を使えるようにした私の分身だよ。魔力は索敵から供給されるから危険なときは躊躇うことなく全力を出しなさい。」
お姉ちゃんの分身ではないよ。
私とロディだからね…。
索敵から魔力を得ることができるのも理解できない。
「いつまで固まっているの。お金は予め服のポケットか体の中に入れておきなさい。今日は忙しくなるのかもしれないからね。ディアは大将たち。ロディはコリーたちだよ。早く行きなさい!」
「何で今日は忙しいの?どの程度のお金が必要か分からないよ。」
ニョロを潰した翌日の早朝だよ。
陽が出るまでに頑張って終わらせたばかりだよ。お姉ちゃんは男性恐怖症だし精神的に辛いから残るのは分かるけど忙しい理由までは分からない。
「姉さんとアディとローア、孤児院を手伝ってくれる女性たちと孤児院にいる子たち、全員を連れていくからだよ。襁褓の子の世話は邸にいる男性たちに頼んでいるから大丈夫。230人くらいだけれど、結界を全員に張ってあるから安心しなさい。」
「お姉ちゃん、何でそれを今日にしたの?初見の国には行かない予定じゃなかった?」
フィオナ姉ちゃんの方が楽しそう…。
3歳児の精神が皆と遊びたいと訴えてくる。高度な分身ができたら楽しめたのに!
「敵は残っているけれど、身近な脅威からは解放されたでしょ。それに嫌なことがあった次の日が楽しければ相殺されるよ。私は皆の笑顔が見たいの。誰も迷子にならないように魔法を姉さんに渡したから大丈夫だよ。早く行きなさい!」
これ以上何か言うと説教に変わる。ロディもそれは分かってるから2人一緒に頷いて自宅から出た。すぐに大勢の人が待ってるのが見えた。
フィオナ姉ちゃんに確認しておかないとね。
敵を殲滅するまでは絶対に隙は見せない。油断も慢心もしないよ。
「フィオナ姉ちゃん、何か問題になりそうなことはある?先に解決させておきたいから。」
「ディアとロディだよね。2人が子供の姿で来たのに驚いたよ。連れていく子たちの位置が分かる魔法をクロアから渡されたから大丈夫。働いてくれている人たちも登録されているから置いてくることは絶対にないよ。クロアが先に来て全員に結界を張ったけれど、私では効果が分からないのが不安かな。」
何この結界…。
お姉ちゃんはどこまで先に進んでいるの。
「ロディ、これは私たちの魔力以外を阻害するよね。敵がクローディアだった場合でも大丈夫?」
「クロアの底が見えません…。同じクローディアでも魔力が違うのです。魔力には絶対に変えられない項目があります。結界でその項目を確認しているので転移での誘拐も不可能です。そしてニョロが殴っても問題なかった結界より凄いです。この結界に魔法をかけた敵の位置情報がクロアに伝わるようになっています。結界の維持はこの子たちの使われなかった魔力が主です。周囲の魔力も利用しますし足りなければ索敵の魔力も利用します。結界に精神があり維持するように作られています。眩暈がします…。」
ロディの力の全てを上回ってる。
やっぱり覚えることができる力なんだ。お姉ちゃんは監視されていても魔力の操作は続けてたんだ。それなら何が見えるのか確認する。何ができるのか試す。魔力操作の限界に挑戦するよ。
ロディの足がふらついてる。
「フィオナ姉ちゃん、ロディを少しの間だけ抱きしめてあげて。自信を砕かれて倒れそうだよ!」
「ロディ、しっかしりして!これから勉強するのでしょ。クロアは魔法が使えなくても勉強し続けていたはずだよ。ロディは努力せずにクロアより上だと思っていたの?アディとローアも見ているんだよ。クローディアが情けない姿を人に見せたら駄目でしょ!」
「フィオナさん、ありがとうございます。生まれ持っていただけの力がクロアより上のはずがありませんでした。完全に甘えていました。自分の力を理解しようともせず使っていただけの私がクロアに勝てるはずがありません。勉強します。もう大丈夫です。」
フィオナ姉ちゃんがしゃがんで抱きしめていたロディを解放した。足もふらついていないし大丈夫みたいだね。
お姉ちゃんは才能がある特別な人ではない。ほとんど寝ずに考え続けてるから。
馬鹿ばかりだよ。努力したこともない人がお姉ちゃんのことを知ってるかのように語るな。特別なように見えるのは誰よりも努力した結果だよ。絶対に諦めなかったから今のお姉ちゃんがいるんだからね。お姉ちゃんを特別だと言いたいのであれば同じだけ努力してから言え!
「フィオナ姉ちゃん、不安はなくなった?私たちの体もお姉ちゃんの分身だよ。理解できないよね。人形のリュウより人にしか見えないでしょ。追いかける妹の身にもなってほしいよね。遠すぎて背中も見えないよ。それよりもフィオナ姉ちゃんはクッキー作りを心配した方がいいよ。お姉ちゃんが一緒に作って失敗するのを凄く楽しみにしてるからね。」
「絶対に成功させるつもりだよ!何故クロアは失敗が楽しみなのかな?」
大将が笑顔だ。話が聞こえていたみたいだね。理由を知ってるのかもしれない。
「大将、何で失敗が楽しみなのか分かるの?」
「クロアさんの性格がそうなのでしょう。成功するよりも失敗したときの方が学べることが多いのです。一度目で成功したときに理由を考えますか?何故成功したのか理解しようとしますか?クッキーはお菓子ですが料理と一緒です。材料により焼く時間が変わります。生地の厚みにより焼く時間が変わります。しかし焼くときの火加減はそれほど変わりません。失敗したら成功するまで続けます。成功したらより美味しくなるように工夫したくなります。クロアさんは一度成功したら終わりとしたくないのでしょう。何度失敗してもよいので色々な種類のクッキーを一緒に焼きたいのだと思いますよ。」
お姉ちゃんに叱られた魔法の勉強と一緒だ。使えるから終わりでは駄目なんだよ。使えるなら調べて勉強して何でその魔法が使えるのか理解する。使える魔法にも知らないことがあるとは思ってなかった。理解すればするほど魔法から無駄が削がれて洗練されてくのだと思う。
お姉ちゃんが短時間でそれを実践できてるように見えるのはリュウたちが使ってる魔法を見て考え続けてきたからだと思う。使えるようになるのか分からなくても勉強し続けてた。もしかしたら洗脳されてたときからかもしれない…。
何でその魔法陣なのか理解できなくても魔力の動きは分かる。魔力の中身も見える。能力を得たお姉ちゃんが強いのは当然だよ。
「クロアらしい考え方だよ。しかし私は成功するからね。驚きという感情を教えてあげるよ!」
「フィオナ姉ちゃん、やる気は凄い伝わったから家庭料理も覚えてよ。私たちは外食し続けるの?私とロディは味が分かる分身を作る予定だからね。クローディアが5人集まって外食は目立つよ。フィオナ姉ちゃんも目立ってるんだからね。以前買い物したときは通り過ぎる男がみんな見てたよ。黒髪にして更に綺麗になったのでしょ。姉ちゃんは世界で2番目くらいに綺麗だと思う。それに長女だからね。妹たちにクッキーの作り方しか教えないのは駄目だと思うよ。もぉー!買い出しに行く前に時間をかけすぎだよ。アディとローア、姉ちゃんが倒れないように抱きついて!」
「分かった!」
もしかしてお姉ちゃんの妹の感覚だったのかな?雰囲気はそうなのかもしれないけど16歳だからね。100歳のフィオナ姉ちゃんの方が人生経験も豊富だし色々と教えることができるでしょ。
お姉ちゃんは常識を知らないから…。
フィオナ姉ちゃんがアディとローアの頭を撫でた。
「2人ともありがとね。私が長女だったよ。常識も教えてあげないと駄目だね。クロアに手伝ってもらえるのは味が分かるようになってからだから魔法より家庭料理を先に覚えるよ。よーし、今日はたくさんお菓子を買うよ!はぐれたらお菓子没収だよ!みんな分かったね?」
「はい!」
お姉ちゃんが手を挙げて幼い子たちに声をかけた。
凄い統率力だよ。頻繁に孤児院に顔を出してたのがよく分かるね。皆の心を掴んでるよ。
「今日はどっちが行き先を決めるの?」
「順番でいうと私ですが子供たちがいるので同じ国にした方がいいですよね。」
もぐもぐ食堂の日だったみたいだね。
「何も気にしなくて大丈夫だよ。大人も含めて絶対に安全で置き去りはあり得ないから。例え行った国が突然更地になっても私たちだけは無傷。お菓子が多い国だと子供たちも喜ぶと思うけど分からないからね。気になる食材で決めてよ。」
「それでは賑わっている国でも大丈夫ですか?」
お店をしてる人と家で料理する人は買い物をする時間が違ったはず。
リュウが行き先の候補にしてた国をお姉ちゃんが多く取り消した。下らない国がそれだけ紛れ込んでたという事だと思う。
お姉ちゃんは本当に自由にしてあげたいと思ってたのに裏切るなんて馬鹿だよ。
「朝から多くの人が動いてる国という事でいいのかな?」
「そこでお願いします。多くの食材が集まっていると思いますから。」
その国を中心にして小さな国か街が周りにいくつもある。
全てが同じ国なのか支配してるのか分からないけど住民の感情は悪くないね。
動いてる人の感情も問題ない。値段交渉でもしてるのか喧嘩みたいな感情をお互いに出し合ってる人たちもいるけど全体としては落ち着いてるから大丈夫だね。
「みんな集まって!移動するよ!もぐもぐ食堂のコリーさんたちにはロディが、大将たちには私が、子供たちはフィオナ姉ちゃんと働いてくれてる人たちに任せるからね。姉ちゃんはお金持ってきてる?」
「大丈夫だよ。鞄に入れてあるからね。今日は全員分を私が払うから。初めての他国だから大人は5万リンまでだよ。それ以上は自分のお金で買い物をしてね。但し、子供たちからなるべく目を離さないようにしてよ!分かったかな?」
「分かりました!」
フィオナ姉ちゃんが肩から提げている革の鞄を軽く叩いた。
働いてる人たちまで姉ちゃんが統率してるよ。
お金に釣られた欲の感情ではないのが凄いね!とても慕われてるのが分かる。
「それでは移動するよー!」
≪転移≫
隠蔽する必要がないのはいいね。大勢で買い物するのに隠蔽してたら常に隠蔽してると疑われるようになる。相手の魔法技術が高ければ気づかれる可能性もある。
無駄な隠蔽はしない方がいいとお姉ちゃんに教えてもらった。
国の出入口付近なのに道の左右に出店が数多く並んでる。奥には人混みも見える。
とても面白そうな国だね!
「大将、今までどのくらいの時間で待ち合わせをしてたの?」
「時間では決めていませんでした。魔法で連絡していたみたいです。」
魔法で連絡できるから集合時間すら決めないのは雑すぎるよ。
全員が魔法を使えるのであればそれでもいいのかもしれないけど不愉快だね。
見下してたと知ってるから余計にね!
「大将がこの国を見て満足できる時間はどのくらいかな?できれば子供たちの買い物する時間も考えて教えてほしい。」
「2時間でよいと思います。子供たちはお菓子を買ったら飽きてしまうかもしれませんからね。次の買い出しに付き合うのは嫌だと考えてしまう子もいるでしょう。また来ることができる国なのですから1日で全てを見る必要はありません。今日の主役は子供たちだと思います。他国に行くことは楽しいと覚えてもらいましょう。」
素晴らしい考え方だね!
自分を優先せず周りを見て何が大切かを見極める。
「流石大将だね。2時間後にこの場所に集合だよー!フィオナ姉ちゃん、人を殴るときは手加減してね。冒険者を殴ってた勢いで殴ると悲惨なことになるよ。」
「忘れていないから大丈夫。骨が折れる程度の手加減は覚えたから。回復もできるし万全だよ!」
骨が折れる強さで殴るのが万全なんだ。殴り方を間違えると死に繋がるけど相手が悪いからいいかな。気にしすぎても仕方ないね。
「今日の状況を見て次回を考えるよ。何度でも遊びに行きたかったらお姉ちゃん達の言うことを守ってね。それでは楽しんで!」
フィオナ姉ちゃんは大人に出すお金を言ったのに子供については言わなかった。袋を作る魔法もお姉ちゃんから渡されてる気がするし、いっぱいになるまでとかにするのかな。
「大将にお金を渡しておいた方がいいよね?子供が払うのは見栄えが悪い気がする。私は3歳児だけど思考力だけはお姉ちゃんのを借りていて16歳。だけど常識がないからどのようにするべきか分からないんだよ。教えてほしい。」
「お前たちはどのように考える。私はお金を受け取るべきなのかどうか考えて答えなさい。」
弟子の教育も兼ねてるみたいだね。
「子供が大金を持っていることを見せるのは危険なことだと思いますがその心配がありません。そして経営者の妹君です。恥だと考えるのであれば自分でお金を持ってくるべきだと思います。」
カールは自信がありそう。
ニョロの記憶を消して経営者はお姉ちゃんにしたのを忘れてた。長女のフィオナ姉ちゃんが辞退するから仕方ないよね。
「3歳でも16歳でも大将が年下の子にお金を出してもらうことがお店の評判に繋がるとは思えません。それでお店を見下し来店しないのであれば、そもそも来店してもらう必要のない方です。子供がお金を出すのは危険な行為です。しかし一番安全にお金を持っていてくださるのですから問題ありません。味でお客様を呼べないのであれば料理人ではありません。他国での開店当初は一見さんでも入店してもらう必要があります。それだけで十分です。」
ヘクターの言う通りだね。完全予約制でも他国でお店を開いたら一見さんお断りができない。来店した客を見て入店拒否することはあるのかもしれないけど。
「私も本来なら止めるべきだと考えています。しかしディアさんは私より桁違いに強くクロアさんは世界一高貴な方です。強さも世界一だと思っております。あの方で緊張感を楽しもうと考えた自分を恥じるばかりです。皇族、王族、貴族、この世界での権力者と呼ばれる方たちに料理を出してきました。腕にも自信がありました。しかし腕を上げなければならないと思ったのです。あの方には全てを見透かされます。料理の味が変わっていなくても努力したのかしていないのか。ディアさん、正直にお答えください。クロアさんは私が料理している姿を見ていました。同じ料理が作れるのではありませんか?」
大将はお姉ちゃんに観察されてるんだね。
「修行中の2人には酷かもしれないけど作れると思う。包丁を全く触ったことがないけど大将と全く同じ動きができる。だけどお姉ちゃんは決して作らないよ。大将の努力により出来上がった料理であってお姉ちゃんは努力してないから。お姉ちゃんは知らないことを必ず全力で見て理解しようとする。そして同じことができるのか考え続ける。見て真似できるのなら才能があると考えたら怒るからね。お姉ちゃんには死が近すぎたんだよ。だから最低でも真似できなければ死ぬと考える。命に関係ないことでも同じように見たと思う。2人が大将の料理を今日中に真似できなければ死ぬと考えて見てるのであればお姉ちゃんに才能があるのかもしれない。ん?死ぬという事が想像だと思ってるね。お姉ちゃんが経験してきた光景を見せてあげようか?精神が壊れない1回分だけ見せることができるよ。大将の味を引き継いでほしいからね。大将はどのように思う?」
「ディアさんの言葉の意味を弟子たちは理解できないでしょう。それを見てもクロアさんのようには絶対になれません。16歳の美少女の経験を甘く見ています。命懸けで見ているとは思えなかったでしょう。見られていた私は感じることができました。ですがそれでも上澄みだけです。甘ったれた小僧でも耐えられますか?」
耐えれないのかな…。
私も耐えれるように精神操作されてたみたいだし断言はできないね。
「私は2日だけ耐えて3日目で精神が砕けた。死から遠いと耐えれないのかもしれない。今まで見せた人たちは自分の死を感じたことがあるはずだから。お姉ちゃんの記憶を確認するね…。あー、大将はお姉ちゃんと話してるんだね。2人にはそれが聞こえてない。自分を抑えてるお姉ちゃんを見て尻餅をつく精神力だと厳しい気がする。絶対に死なないという気持ちが弱いと簡単に精神が砕けるよ。大将はお姉ちゃんに何を言われたの?仕込みまでするのは特別扱いなんでしょ。」
「私の腕のせいで味が落ちたのであれば我慢できますが、弟子が仕込んだ食材で料理して味が落ちたと思われたくないのです。料理人としての矜持ですね。今まで料理してきて誰にも指摘されたことがないことを聞かれました。弟子の修行中ですと言うこともできたのですがクロアさんには私の最高を知っておいてほしいのです。味が分かるようになったら全ての料理の記憶を確認するとまで言われてしまうと妥協はできません。」
お姉ちゃんは好奇心だと思うけど大将は手抜きできないよ。
同じ料理で毎回味が違うと言われる可能性があるから。
「すみません。クロアさんの記憶力はどの程度のものなのですか?」
ヘクターが気になったみたいだね。尻餅をついたのが自分だからかな。
「全て覚えてる。大将が食材を切ったときの包丁の角度までね。お姉ちゃんは最初から記憶力がいいわけではないよ。お姉ちゃんは3歳から10歳まで拷問されてる。世界で最も残酷な拷問だと私は思う。自己責任だからね。大将のお弟子さん達を壊したくないから。それに張り合って見るものではないよ。私はお姉ちゃんの見る力の凄さの理由を知ってほしかっただけだからね。勢いで見たら絶対に駄目だから。大将も何か言ってよ。」
「そうですね。クロアさんは20万回以上耐えた。お前たちは1回でも危ない。やめておきなさい!」
大将はわざと煽ってるの?弟子が可愛くないの?
凄い不安だよ…。
「1回お願いします!」
「ディアさん、1回耐えたら10回、100回、1000回と増やしていきましょう。修行しているつもりの甘ったれには刺激が必要です。お願いします。」
少し飛行して2人の頭に触れる。大将は弟子の教育に困っていたのかな。
「冷静に絶対に死なないという気持ちを強く持ってね。回数を増やすのか確認するから安心して。100回は絶対に死ぬから。悲鳴を上げないように口を手で押さえていてね。行くよ!」
すぐに倒れて全力で地面を転がってるね。周りの人から不審な目で見られてるよ。
2人が止まったね。そして膝を抱えて座っている。
1回だよ…。大丈夫だよね?
「ディアさんの手が届くように座っているみたいです。次は10回ですね。」
「2人とも道の真ん中で座ってると迷惑だから帰るのか買い出しに行くのか10回なのか決めてよ。」
「帰らせてください…。立てる気がしません…。」
「帰りたいです…。怖いです…。」
1回だけしか見てないのに精神が弱すぎるよ。これだと2回で砕けた可能性がある。お姉ちゃんに怒られるところだったよ。世界一怖い説教は嫌だからね…。
「この馬鹿弟子が!16歳の少女だから平和に暮らしてきたと思ったのか?3歳だからとディアさんの言葉を疑っていたのか?人を簡単に理解した気になるからだ!お前たちはクロアさんと話してもいない。立っていることすらできなかった。クロアさんはカウンター席から見える全てを確認していた。私が食材に包丁を入れる角度や厚み、切った食材を火加減の違うどの鍋に入れるのかまで全てだ。そしてクロアさんはどのような料理になるのか楽しみにしていた。一度も質問はされなかった…。お前たちの仕込みを見るまではだ。同じ食材に同じ仕込みをしているはずなのに同じものが1つもない。クロアさんは違う料理に使うのか味に違いを出すためなのか考えていた。私は苦し紛れに弟子たちが家族に作る料理に使いますと答えた。クロアさんは何て答えたと思う。『家族に作る料理でも修行中なら丁寧に仕込むべきですね。腕を磨ける機会を無駄にしては勿体ないです』と言っていたぞ。クロアさんの本音は違うと私は思った。私は甘やかしすぎていた。自分たちで気づく日が来ると考えていた。ディアさんはどのように思いますか?」
「料理のことは分からないけど2人は仕込みができるのだと思う。だけど自分の仕込みを調べて理解してない。それに努力してない。お姉ちゃんはかなり優しいけど努力したつもりになってる人を好ましく思わない。自分が仕込んだものについて説明できる?何でこのようにしたのか、どのような違いが味に出るのか。それに大将が家族に作る料理だと説明したのなら味の勉強をしてるのか考えたと思う。そして違うと判断した。同じものが1つもなくても同じものをもう一度仕込める?私はそのように叱られるよ。料理人の常識は知らないけど一番恥ずかしいのは大将だと思う。同じ品を注文されても同じ味のものが1つも作れない。それを指摘されてしまった。細かすぎると思うのかもしれないけどね。大将はどちらの判断をしてもよかったしお姉ちゃんは経営者を辞めるつもりはない。だけど大将が2人の仕込みで料理を作ったら二度とカウンター席には座らないだろうね。」
お姉ちゃんは大将の料理の腕を見て楽しんでいたはず。だけど大将が仕込まれている食材を使おうとしたときに疑問に感じた。その仕込みが理解できなかったのだと思う。
「ディアさん、それは余りにも厳しすぎると思うのですが…。」
「私たちの仕込みが未熟なのは分かりましたが何故そこまでするのでしょう?」
2人が言ってるのは言い訳なのかな?
雑に仕込まれた食材を見たお姉ちゃんは落胆したと思う。高級料理店の弟子たちの仕込みが全て違う。自分の仕込んだ食材を見て何も思わないのはおかしいでしょ。
2人が修行として努力して仕込んだ食材ならお姉ちゃんは何も言わなかったと思う。何だかお姉ちゃんを馬鹿にされてるみたいでムカつくよ。
「大将が仕込みをしたらどのようになるのかお姉ちゃんは考えた。そして大将の料理の腕と仕込みに差がありすぎると感じた。結局は大将の矜持の問題だよ。お店の評判には関係ないからね。それに2人は自分の仕込みを見て満足してたのでしょ。努力してるのか満足してるのかお姉ちゃんは見れば分かるよ。指摘したお姉ちゃんは優しいよ。修行中なのに甘えすぎ。大将の背に隠れてるだけじゃない。隣に立つのか前に立つのか何も考えてないの?私は3年以内に最低でもお姉ちゃんの隣に立てるように勉強してる。1回見て地面に座ってる姿が今の自分。立ち上がってお姉ちゃんに料理を作る日はいつなの?いつ決めるの?その日は貸し切りにして家族だけで食べに行くよ。」
「厳しすぎる?何故そこまでする?お前たちは甘えすぎだ。自分より未熟な仕込みの食材を使い自分より下手な料理を作っている姿をカウンター席で見ていたいと思うのか?その料理に同じ代金を払い再び来店するのか?私の言葉では伝わらなくてもクロアさんとディアさんの言葉なら伝わったのか?今のお前たちには何も言えない。ディアさんはその記憶をどのくらい見たのですか?」
徹底的に2人の精神の弱さを理解させたいのかな。
「全部だよ。本当は私が拷問され続けるはずだったから見て知っておく責任がある。それでも痛みのない記憶を見るだけなのは実際に行われた拷問と全く違う。お姉ちゃんは私のことを素直に育ってほしいと考えてる。だけどお姉ちゃんを壊した敵を殲滅した後の話だよ。」
「やはりそうでしたか…。お前たちが20万人集まってもディアさんの思いの強さに届かない。2人を帰してください。往来の邪魔ですし子供たちが気にしますから。」
本気で怯えてるね…。
オルグレン帝国は死が近くにある国だと思ったけど2人には違ったのかな。
「どこに帰りたいの?自宅、厨房、芝生の上でもいいよ。」
「すみません…。自宅でお願いします。」
「私もよろしくお願いします…。」
2人と家族は同じ邸で暮らしていたね。
≪転移≫
カールとヘクターを自宅に帰した
「師匠も難しいね。今の2人の精神力では大将の料理まで届かないよ。」
「今日以上の指導はできませんね。これで奮起できないようでは無理です。潰れるのが早いのか遅いのかの違いしかありません。ディアさんは精神力以外で何か感じましたか?」
大将は言葉と行動で伝え続けてきた感じだ。それでも2人は理解してくれない。死を身近に感じさせることで何かの切っ掛けになるのかもしれないと期待したのかな。
「料理人も故意なのか偶然なのかは別として、人の命を奪うことができる職業なのだから、その重みは知っていてほしいかな。」
「そのように感じましたか…。やはり伝わっていないのでしょう。お店が諜報員たちの拠点になっていると知ったときには凄く納得しました。私は料理で人を殺すことを拒否し続けました。幸いにして私の料理の腕でお客様が来てくださるので殺されることはありませんでしたが、お店では多くの人が死んでいるのです。お店を捜査されたことは一度もありません。殺しを依頼されるのは特別なことだとしても、身だしなみを整え、調理場を清潔にし、食材を選別して適切に管理し、食べ合わせまで考える。料理人が作った品は人の体内に入るという怖さを知らないのです。今日は死についてようやく学べたでしょう。ですが自分が殺すことになるのかもしれないとまでは考えない気がします。言葉で伝えても調理場や食材について叱っても伝わりません。自分で食材を選び料理することを考えていないのでしょう。今後は弟子たちがどのような態度で仕事をするのか見るだけです。場合によっては引越し先で新しい弟子が入ってくるでしょう。それも仕方のないことですね。」
大将の言葉には重みがある。殺しの依頼を断ったときに殺されるかもしれないと考えたに違いない。自分が作った料理が直接の死因ではないと分かっていても殺しの依頼を聞いた後で人が死ねば無関係だとは思えない。そのような環境にいたのだから2人はかなり注意されてるはず。
甘すぎるよ。弟子をしていればいつか何てことはない。
大将が歳で調理場に立てなる前に誰も調理場に立たなかったら絶対に閉店するよ。お姉ちゃんは努力する人には優しいけど勘違いしてる人には厳しいから。
年齢差があると伝わらないこともありますね。




