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天使のルールブック~必ず誰かが死んでしまう物語  作者: 花鶏柄四季
理解出来なきゃ鵜呑みにしろ、それが楽な生き方だ。
1/5

序章 決戦前夜

 「職務放棄とは感心しないなぁ、フォス」

 憎たらしさを込めた声だった。


 振り返った先には、皮肉とほんの少しの親しみを込めて声を掛けた男が、シニカルに笑みを浮かべて立っていた。

 「あたしをその名で呼ぶな、ラズ」


 女は女で、振り返りざまに洗練された早業で、流れる様に胸倉を掴んでは高々とその男を持ち上げた。

 これが父子なら嘸かし微笑ましい構図になることは言うまでもないだろうが、こうも高圧的な風景では、祭囃子も去っていくというもの。とは言え、去っていったのは彼女自身であり、それを追ってこの男も少し離れた広場で開かれている祭時から抜けて来ていた。


 呼吸すら儘ならない状態でありながら、飄飄とした口調で「いやだなぁ、絞首ぐらいじゃ天使は死にませんよ、フォス」と襟元を巻き込んで、半ば絞首に近い苦しみを与えていた女の右手を二度タップした。


 「仕事に追われた所為で祭りは辞退したのかと思ったら、何をしているのですかこんな所で。」調子を崩さず、そう続けた男は女の手元を見遣った。

 「書類の山なら全部処理した。」

 「書類を燃やすことを処理とは言いません」

 職務怠慢は、世の常だ。そして、この世界で職務怠慢が許されるということは、それだけ世界が平和な証拠なのだ、とか何とか正当化には到底成りえない持論を呈しつつ右手に掛った重りを遥か上空へと放り投げた。

  

 見上げた先の影は小さくなり、やがて視認不可能となった。雲でも突き抜けたのか、それとも空の塵へと還ったのか。そんな細事などこの際どうでもいい事、天使は天へとご帰還なされたのだ。ここは祝い酒に向かい酒、盃一杯の美酒で喉を潤さんと女が赤い酒器に手を掛けた矢先だった。

 

 それが桜の花ならどれだけ情緒的だったことか、白い羽根では興が削がれて飲む気も冷めると言うもの、盃に注がれた酒精の上に一枚の羽根が浮かんでいた。白い羽根は、細く淡く光る絹糸へと姿を変え、解けて中空へと融けていった。瞬間、直径一メートル強ほどの盃が目の前で砕け散り、酒が飛沫を上げながら宙へと消えて行った。

 その代わりに、憎たらしいにやけ面が顔を覗かせていた。

 

 「殺してやりたい気分だよ、ラズ」

 「不殺不滅は天使の常ですよ、フォス」

 ラズ・イストワールは自他ともに認める「天使」であり、彼が仕える神からは「星の渡り手」と呼ばれる座標移動の神力を与えられており、その与えた本人と言うのが、誰であろう酒精の飛沫を浴びた彼女であり、彼女こそが事実上の神であった。

 

 「明日になりゃ、私が次の神だ。そうなりゃ、法改正でお前を殺せるような私好みの国に変えてやる」

 「出来ると良いですね、神様好みの神の国に」

 神の国とはなんと大仰な名をした国だとお思いだろうが、叶うことなら本当の名で呼びたいと思うのがこの国に住まう天使達の細やかながらの願いなのだ。神の国と言うのは詰まる所は俗称であり、真の名とやらは他にあるとか。また、それを知るのは当代の神のみぞ知っているときた。それこそが、この国が生まれた遥か太古の時より変わらぬ、絶対不変の定めなのだとか。

 

 であれば疑問に思うところ。然しながら「神の国」大概のことであればこの名称で十分すぎるほどに伝わってしまうのだ。大仰すぎる名前には中身がともなわなければ。

 

 あたしとてこの名で呼ぶのは些か気分がすぐれない、と言うより気が進まない違和感を抱かずにはいられないのだ。神の国、当の神は必ずその国に1人のみ。であれば人間の国でその考えを適用させれば「王の国」。

 「…とんだ支配国家じゃねえか」そうぼやきながら、あたしはラズの副官であるウグに連れられ西の浜へと来ていた。

 

 白い砂浜が朝焼けに照らされより白く、遠く広がる海岸線は遮蔽物一つ無いがためにまるで永遠に続くようだ。水面で繰り返される朝日の乱反射が、白んでいく空と相まってまぶしさに拍車を掛けていた。時折視界に光が飛び込むものだから眠気覚ましには丁度いいのかもしれない。

 

 「久しぶりにラズの奴でも連れてくるか」それなりに上空でぼそりと呟いたつもりが、どうやら聞かれていたのか、砂埃を上げて着地するなり「でしたらラズ様より早起きしなければいけませんね」などと毒づいてきた。こんな砂地にサソリがいたとは驚きだ。

 

 「お早いお着きで。私との逢瀬など睡魔の前では無情なものかと思いましたよ」

 ウグだ。

 

 遠目から見てもこいつの姿は良く目につく。堅苦しい衣装なぞ手渡された瞬間に目の前で引き裂いてしまう気性の粗さと思い切りの良さが時折垣間見えてしまうあたし好みの女。昔から姿形を変えないあたしたちの中では、特に珍しく服飾の彩が無い。常日頃から純白で麻製のワンピースを身に纏い、羽根を折り畳まない自由でラフなスタイルを貫き通す見た目の可憐さとは相反する強かさを持ち合わせていた。

 

 「寝てねえ奴より早起きなんてどんな頓智だよ。この国じゃあ睡眠の良さがわかるやつがいねえ、あたしの腹心であるラズ然り、お前然りな」

 「あら、心外ですね。私はこれでも睡眠のイロハは理解しているつもりですよ」

 

 お前のは冬眠だろ、と勢い任せに言ってしまいそうなところをグッと抑え、胸三寸に納めることにした。

 「総合的に見りゃあたしの睡眠とお前らの長期休眠は一緒じゃねえか。何なら年中動けるあたしの方が有能なくらいじゃねえか!」実際に計算したわけじゃねえが、多分同じはずだ。四捨五入すればきっと同じさ。

 「有能さんは、その所為で仕事が増えたって愚痴ってはいませんでした?長期休眠の間は衛兵に代わってお前が都市防衛の任に就けってオニキス様に直接言われて」

 言われたよ。

 

 長期休眠に入ると大半の天使が機能しなくなる、その所為で都市機能が殆ど機能しなくなる問題が起きちまう。衛兵どもとあたし、後はオニキスぐらいか、まともに動いていたのは。結果的に、有能なあたしは寒空に雪が降りしきる都市の中を巡回していた最中にあの仕事中毒者に捕まって防衛任務を半ば強引に押し付けられちまった。

 

 ただ、ウグと他の連中のそれは解釈違いだ。

 

 あたしは確かに、「都市の防衛」を命令されたが「衛兵に代わって」などとは一言も言われちゃいねえ。そもそも国家規模が防衛対象の任務に動ける人材が1人だからと言ってそれを背負わせる上官がいるかよ。単に衛兵を頼りにするより、あたしひとりの方がずっと動きやすいからそうしたと言うだけで、衛兵の代用品になったつもりはねえ。それを連中は衛兵の装甲や兵装に損耗した様子がないことに気付いて勝手にそう思ってるだけだ。

 

 「毎度のことだ、もう慣れた」コツは痛みに慣れることと言い掛けたが、これも言うべきではなかった。言えばウグの奴も参戦しかねないから、おまけに戦闘方面はからっきしのこいつが来たところで寧ろ戦力を落とすことになる。ウグと言うユニットは言わばデバフ的な奴だから。

 

 それはそうと「オニキスの戴冠式も丁度こんな時期だったがあれから何年経った?」

 「何年?桁を間違えてるよ、フォス」はにかみながら下から覗き込むように顔を伺うこいつの表情は、あの頃と何ら変わっていなかった。成長していないんじゃないのか心配になってしまいそうだよ、ウグ。

 「あたしをフォスと呼ぶんじゃねえ」

いつもの調子を取り戻し始めた矢先に気が緩んだのか、こいつはあたしをフォスと呼びやがる。

 「フォスだって私をウグなんて他人行儀な呼び方しないでよ」

はにかみ顔の少女は、膨れた顔であたしの顔を暫し見詰めて、また似たようなはにかみ顔を浮かべた。こいつの表情がコロコロ変わる度に、一体あたしの顔はどんな風に変わっていたのだろうか。柄にもなくにやけてたりな—それこそ無いわ

 

 「…ハイドレンジア」ぼそりと言うのが好きなわけではないが、余り胸を張って公にも言えないからこそ、小声で言ったにも拘らず、彼女はそうしなかった。

 「アジサイ?の方が私は好き、そっちも良いけど長いんだもの。アジサイの方が私っぽくない?」あたしが小声で呟いた意味を全く酌もうとしないウグを、ああこいつはこんな奴だったと認識を改めた。

 

 「紫陽花の咲く季節になったらそう呼んでやるよ。」あくまで二人きりの時だけ。「じゃあ、東の丘で咲かせてきてあげる、年中咲かせ続けるのも悪くないね」情緒の欠片もない発言だった。それに相も変わらずのその無邪気そうな表情で言うものだから、思わずその考えに賛同してしちまいそうだった。流石ウグというスタイルを確立しただけのことはある。その目論見は最早狂気の域にまで達しつつあるということか。

 

 「風情に欠けてるな、そんな風情の欠けた天使には紫陽花を咲かせることなど到底出来ねえよ、精々お前はウグで我慢しろ。」出来ないという言葉には人一番、いや天使一、自身の可能性を否定されるその言葉を嫌悪するこいつならこういうことになるのもよくわかっている。

 

 「あたしと2人の時だけは、アジサイって呼んでやるから、それで我慢しな」

ふてくされた顔も早々に晴れたことだし、ここらで本題とも思ったのだがそうもいかなかった。これはウグ専属の世話係ラズ・イストワール君が処理役の筈だが、肝心な時にあいつはいねえ。

 

 「素敵なお嬢さんが、素敵な笑顔を取り戻したことはあたしとしても喜ばしい限りだが、その足元には感心しないぞ?」慣れとは怖いもので、指摘されるまでは中々にして気付けない。あたしが指差し声を掛けてやるまでウグ本人すら気付かなかったのだが、これでは西の浜が死の海に様変わりしてしまうのも時間の問題と言うもの。

ウグの足元を中心に、周囲の白砂はグズグズと音を立てながら黒紫の流動性を有した液体に飲まれながらその範囲を広げつつあった。

 

 こいつに株分けされた神力は「唾飲の苦渋」。接触した段階で自身を除くすべての対象へ液状化現象をもたらす「ウグの水」を垂れ流しにさせるものだった。蓋を開ければ兵器と見紛うほどの力だが、本人は非戦闘員でありウグ自身も力の行使を酷く恐れていた。

 それもそのはずだよな。

 

 ウグはその容姿通り期待を裏切らない少女らしい悲鳴を小さく上げ、その場にさっとしゃがみ込んだ。こいつにとっては嘸かし見られることが恥ずかしいということは重々承知している。何が恥ずかしいって、制御が効かないからだ。

 「気にすんな。お前のは特殊過ぎて誰にもそれらしい助言は出来ねえけど―」

 「感情の昂ぶりがそのまま神力発動に繋がるのが嫌なのよ。それにウグの水って何よ⁉確かに汗腺を通って出るけど、比喩にしてもウグの水って汗のことよね?敢えてなのかどうか知んないけど、それはそれで疵付くってわかんないの?」

 

 半ば涙目のウグを横目に、こいつの足元で汚染されてしまった砂を風で巻き上げては中空で直径3センチ程度の球体へと圧縮し、駄目押しとばかりにもう一段階圧縮を掛けて文字通り塵とした。

 「今日の戴冠式でオニキスも当然来るだろうからその時にでも、小言の一つぐらい言っといてやる」師が師なら、弟子も弟子なのだろうか。ウグはオニキスの弟子としてはそれなりに有望格な癖をして与えられた神力と本人との相性が思うようにいかず、神の後任を辞退した頑固者だ。その証拠に、未だ神力についてオニキスを突いている始末。

 

 「引き摺るよなぁ…あたしの時もそうだったし」ぼやくあたしの事など、当に眼中に無いのだろう。こちらの事などお構いなし、ウグは本題を切り出した。

 

 「そうっ!戴冠式!!」さざ波を起こす、うなじを撫でる様に吹き抜けたそよ風を傍観していたあたしの脇で、およそ相応しくもない大声で、まるで今気付いた風にウグは、今朝早くにあたしを呼び出した理由を語る。

 

 ウグは間髪入れず話が脱線する節があったので、ここは簡単に簡潔に無駄を省いて要約するに「当代神であるオニキス・グランデ・フローライン、並びに次代の神となるフォスと呼ばれる防人の女、両名に神判を下す」とかなんとかかんとか。

 

 「弱ったオニキスなら兎も角、あたしを殺そうってか…素敵な申し出じゃないか、思わず顔も知らない下手人相手に惚れちまいそうだったよ」

 言い放ったあたしの顔はいったいどんな変化があったのだろう、高揚して頬でも染めたか、涙目で無駄に唇でも噛み締めていたか。

 

 「オニキスの方が腹芸は上手かったぞ、ウグ」

 

 あたしの顔を横目に覗き込んだのだろう。神力のお陰でウグ本人の内面は丸裸みたいなものだ。「一日に二度も、死の海が出来ては魚どもも落ち着かねえわな」ウグはまたしても無意識のまま、足元の白砂を得体の知れない黒紫の流動体へとその姿を変貌させていた。

 

 今度は、砂を巻き上げ一瞬でそこらの小石以下のサイズまで圧縮して、塵屑へと消し去ってやった。


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