ハル
進んで進んでゆくよー
スンスン。
鼻先に意識を澄ませる。匂いを嗅いでしまうのも仕方のないこと。
優しい花の匂いに落ち着いてしまい、覆っている温かい体温が心地いい。私に覆い被さっている不審者さんの体重は、不審者の気遣いなのか、重さも痛みもまったく感じない。
「やっとだ。会えたよ」
耳元でそう呟く不審者さんの声は綺麗で、でも何処か悲しそうで、今にでも崩れ落ちてしまいそう。
「あ、あの?」
不安気に、それも控えめに掛けたわたしの声と同時、心地のよかった感覚がだんだんと離れてゆく。
「ごめん、嬉しくてさ」
立ち上がった不審者さんは笑う。
その顔が悲しそうじゃなくて安心できた。
だけど、さっきドアにぶつけたおでこが薄ピンク色の跡を残していることに気がつく。
「おでこ大丈夫?」
心配を装って、小馬鹿にしてみる。
「だいじょばないよ。本当に困った人だよ、ユキ」
呆れながらおでこに手を当てて言う。
後に続いてわたしも立ち上がる。
「ごめんなさい、でも怖かったんだよ?あなたがどこの誰かもわからないし」
「ごめんごめん、僕も悪かったよ」
これは仲直り?
でも、初めて出会った人と突然の仲直りは、やっぱり少しだけおかしい。
「うん、もうだいじょぶ」
少しずつ、距離感を掴みながら話を進めていく。
「ハルって呼んで」
「わ、わたしはユキ。よろしくね」
「よろしく、ユキ」
自己紹介は済んだ。安堵しているのも束の間に、次なる疑問が出ていることを把握してる。
「それで?」
「うん、なんでも言ってよ」
ハルのお言葉に甘えて、わたしの中にある疑問を吐いた。
「ここはどこ?」
「列車の中だけど?」
深く溜息をつく。
そして、現状的な問題の解決はこれからだと言うことを理解した。
「もう!わっかんないからぁ!」
「しょうがないだろ!この列車が動かないとここから出れないんだよ」
「でもわたしは嫌だっ!」
「僕も嫌だ!」
列車内がうるさい。
わたし達が今、座席に座って子供のような口喧嘩を繰り広げているのには幾つか理由があるけれど、どれにしたって悪いのはわたしじゃない。突然ハルが意味のわからないことを言ってきたせいだ。もちろん、最初はわたしなりに理解しようとしたけど、あまりにも非現実的な話についていけなくて怒っただけ、だからハルが悪い。
この狭い空間にもそろそろ嫌気がさしているのかもしれない。そんなストレスをハルにぶつけているだけなのかもしれないけど。やっぱりハルが悪い!
「わたしはもう動かない!ここにいるから!」
言い合いの最中、遂には開き直って目を背けるけど、これが一番いいことも知ってるからそうする。
そんなわたしに対して、最後まで子供なハルも開き直ってきた。
「あーあ、なら僕はもうここから出るから。本当に知らないから」
そう言って、ドアの方へ向かって行くハルを止めることなく無視した。
今さっき出会ったばかりの人と一緒にいるのも面倒だから別にいい。
数秒後、ドアが開く音が聞こえてくるだろうことに身構えて、耳を澄ましている。でも、なかなかその開く音が聞こえてこなかった。だからか、ほんの少しだけ気になったわたしが振り向くと、カチカチっ!と緑のボタンを連打しているハルがいた。
「早く出てってよ!ばか!」
「あ、開かないんだよ!あほ!」
呆れて、仕方なくドアの方に近づく。
今度はわたしが緑のボタンを押してみることにする。
その前に、これが罠じゃないことを確認する為、ゆっくりと様子を伺うことにする。
本当はドアのボタンを押したフリをしていて、わたしがドアに近づいた時、無理やり外に連れて行かれたりしたらたまったものじゃないから。わたしはこう見えて賢い。
我ながら完璧な対策を練って慎重に近づくけれど、本当にドアは開かないようだった。
「ちょっと、押させて…」
そう言った後、わたしは容易にボタンを一押した。
ドアはスムーズに開いていく。
瞬間だった。
「ふっ!」
腰に手が回ってくるのを感じた時には、また時すでに遅し。
「あっ!ちょっ」
身体が簡単に浮き上がり運ばれる様は情けなくて、相手の思い通りになってしまった事に対しての悔しさも溢れた。
「はい、僕の勝ちー」
「もーーう!もう嫌だ!」
ゆっくりと外の地面に下ろされて寝転がる。
悔しいけど、やっぱり気持ちくてあったかくて、花の匂いも、外の空気も好きだ。
「悪くないでしょ?」
「んふぅー」
「ねぇ、聞いてる?」
悔しいから無視した。
「これからわたしはどうすればいいの?」
開き直っているわたしの今の気持ちは、この意味のわからない状況に向けての抵抗なんだと思う。
「まずは列車を治すのかな」
ハルの指差す方向を見れば、1車輌の列車が見えた。綺麗な春の風景の中に、錆びた車輪に胴体は凹んで炭で汚れている列車だ。
本当に、こんなものがよくもまあ動けていたなと思うほどのオンボロ。
「誰かが治してくれるんでしょ?」
「駄目だよ、誰も直せないんだから」
「そんなのわたし達じゃむりだよー」
「でも、僕らだったらできる」
まだ意味のわからないことを言い続けるハルの顔を見れば、視線はオンボロの列車を見つめていた。その顔はなんだか強く、何か目的があるように見える。でも、わたしはそんな顔が嫌い。これはハルだからじゃない。誰にでもそうなの。意味はたぶんないけど。
「イケメンだねっ」
嫌になって茶化してみる。
「ユキは可愛いからだいじょぶ」
「え。ああ。う、ありがとう?」
心の中で悲鳴をあげてしまう。仰向けで光を浴びていた姿勢を反転させて、俯背になって顔を隠した。
「早く行こう、街に行かないと人の手も借りれないから」
「え!街あるの?」
気づけば、もうハルは勝手に歩いて行ってしまう。
ここで1人残るのも馬鹿馬鹿しくて、仕方なくついていく。
それにしても、もう少し女の子を待ってくれたりしてもいいんじゃないのか。まあ別に求めてませんけど。
文句ばかり思うこの世界で、わたしも歩き始めていた。
よろしくお願いしますー!