洞窟の中へ
「ふぅ…やっと着いた!」
庵珠は手の甲で額の汗を拭きながら、小さく溜息をもらす。もう八月の終わりに差し掛かっていると言っても、まだ昼間は暑く歩き続けるには少々辛いものがあった。
滝に着く頃には日も高く、もう正午を回っているだろう。滝水で顔を洗い、近くの岩に腰掛けて昼食をとる事にした。
「やっぱ動いたあとのおにぎりは美味しいな。ハクも食べる?」
「そうだな」
差し出されたおにぎりを見て返事をすると、ハクは狼の様な姿に変化し、手渡されたおにぎりを美味しそうに食べ始める。
「何度見ても面白いのね、ハクの変化ってさ。でも、どうせなら子犬とか可愛いのに変化すればいいのに。」
「なんで俺が小動物に変化しないといけないんだ。第一、子犬なんかに変化したら、お前が撫で回してくるから鬱陶しい。」
(じゃあ、わざわざ変化してまで食べなきゃいいのに)
苦笑しながら、庵珠は心の中で呟いていた。
元々、幻獣は食事をする必要が無い。幻獣は魔雫と呼ばれる力を生命力としており、それらは植物や水などの自然から取り入れたり、術師の力を分け与える事で得られる。
幻獣が住むとされる高天原と云われる世界では、その魔雫を生み出すこと出来るのだそうだ。本来幻獣たちは必要な時以外に高天原から出てくることがなく、術師が召喚しない限り現世に留まっていることはない。
なのに、ハクは庵珠が召喚してから殆ど傍を離れず、現世に居続けている。木や動物たちから少しずつ魔雫を吸収したり、庵珠の力を与えながら現世に留まる理由は本人曰く、「高天原は退屈なんだよ」ということらしい。
そうして、現世に留まり続けるうちに、変化能力を持つハクは動物や人型などに化けつつ、人間の行動を模すようになった。
その一つが食事である。もちろん食べなくてもいいのだが、庵珠が作った物だけはこうして食べるようになった。術師である庵珠の力が感じ取れるらしく、美味しく感じるらしい。木の実などの自然の物も食べられるが、基本的に庵珠のもの以外は食べなくなっていた。
食事を終えると、汚れを落とすために水浴びをすることにした。
山の生活では動きやすいように袴を着ており、長く伸びた黒髪は一つに結い上げているため、パッと見た感じは美丈夫のようにも見える。
だが、服を脱ぐとしなやかな体つきをしており、女性らしい丸みを帯びていた。
「…ほんと、勿体ねぇよな〜」
気持ちよさそうに水浴びをする庵珠の姿を遠くから眺めていたハクは、一人呟いていた。
そんなハクの呟きを知らず、庵珠は手を振り声をかける。
「ねぇ、ハクー!せっかくだから、一緒に水浴びしようよ!」
「…あのな!お前はちったぁ自覚しろ!」
狼の姿でそう喚くも、庵珠は首を傾げるばかりで水浴びの続きを始めた。
(こいつ、浮世離れし過ぎだろ)
呆れたように嘆息すると、水浴びが終わるまで岩の上で寝ることにした。
着替え終わり、洞窟の入口で野宿の準備を始めた。明るい家に食料や寝床の準備をするため荷解きをする。ハクは洞窟の奥を見に行くと行って、狼の姿のまま奥へと入ってしまった。
寝床や食料の準備が大体出来上がった頃、洞窟の奥からハクの呼ぶ声が聞こえた。
「おい、庵珠!ちょっと来てみろ!」
「? ハク、どうしたの?」
明かりの変わりに、札術で火を灯し洞窟の奥へと進む。中は奥に行くほど広くなっており、一本道のため迷うことは無い。
洞窟の入口が見えなくなり、ハクの声がする方へ向かっていくが、なかなか姿が見えない。
「ハクー!どこにいるのー?」
声を掛けながら歩いていくと、本の姿に戻ったハクを見つけた。安堵の表情を浮かべ小走りで近づくと、足元の暗闇が濃くなっていることに気がつく。
「?! これは···穴?」
ゆっくり近づくと、洞窟の奥が見えない程に大きい穴が開いており、灯りを近づけても底が見えない。試しに小石を投げ入れてみたが、地面に着いた音はしなかった。
「これ、何?」
「·····」
不気味さを感じハクに問いかけるも、ハクも分からないのか返事がない。獣や妖気などは感じないため、危険なものが潜んでいる可能性は低いが、このまま見過ごすのもどうだろうかと考えていた。
無言のまま穴の奥を見つめていたが、拉致があかないためハクに声をかける。
「ここで考えても仕方ないし、一度入口まで戻ろ…!!」
踵を返した途端、凄い力で後ろに引っ張られるのを感じ、振り替えると見えないなにかに穴の中へ吸い込まれようとしていた。
「庵珠っ!!」
「~···っ!!」
必死に手を伸ばそうとするも引っ張られる力の方が強すぎて抗えない。ハクが叫びながら庵珠へ近づき術を使おうとするも、あっという間に穴の中へと落ち、二人とも暗闇へと消えてしまった。