02 朝帰(あさがえり)
自身の部屋があるマンションへと帰宅したギラム達は、エントランスホールを抜けて東棟へと通じる廊下を歩いていた。朝方の眩しい日差しが中庭へと降り注ぐ中、彼は軽く欠伸をしながら進んで行き自身の部屋の入口前へと向かっていた。
東棟の一番端に位置する彼の部屋の前へと向かうと、そこには扉付近の壁に背を預けて立つ一人の犬獣人の姿があった。整った毛並みと白みかかった灰色の毛が印象的であり、自然と浮かべる笑顔が優しい彼はギラム達に気付くといつもと変わらない笑顔で彼等を出迎えた。
「お帰りギラム、グリスン。朝食はどうだったのかな。」
「あぁ、行きつけのカフェでちょっとな。 ……お前は、そこで何してるんだ?」
「君達の帰りを待ちつつ、彼女達の着替えが終わるのを待っている所だよ。彼女達の着替えを覗く趣味は、自分には無いからね。」
「そ、そうか……… 配慮があって良い事だ。」
「君は視たいかい? 彼女達の着替えを。」
「いや、遠慮しとくぜ。覗いた後が怖いからな、こういうのは。」
出迎えを受けた彼等は入口付近でたむろいながら会話をし、部屋の中に居るであろうメアン達が出てくるのを待ち出した。軽い冗談交じりの会話にギラムは肩を竦めつつそう言うと、トレランスは軽く苦笑し再び口を開き出した。
「君は自ら危険な行いに足を向かわせる事は、元々控える性格だったね。身体付きや雰囲気からは、少し意外だと思われる行動かもしれないかな。」
「褒めてんだから褒めてないんだかって感じだな…… ってか、普通はそうなんじゃないのか? 覗いたところで後々良い事なんて無いだろ。」
「存在の三大欲求の一つを満たす事は出来るんじゃないかな。男性達は『視覚からの情報』で、その欲を満たす事が多いようだからね。」
「お前は違うのか?」
「少なくとも、彼女達にはその要素は無いかな。君とは違う場所に居る存在だからね。」
「………何のことやらさっぱりだな。」
そんな不明確な部分が浮上する話を交わしつつ、ギラムは彼とは正反対の場に位置するガラス戸に背中を預けだした。双方揃って向かい合う様に立っているのを視たグリスンは、彼等の間を進み通路の壁際で同じように立ちながら話を聞いていた。
元より会話に割り込むような性格ではない彼にとって、聞き手に回り会話を理解する事から行う傾向がある様だ。その証拠に先程から一言も話しておらず、表情を変えながら話す彼等の会話を聞き流しながら、ふとある事に気が付いた。
「そういえば、もう一人の子が居ないね。後、フィルスターも。」
「子狐君なら彼女達と一緒に居るよ、彼はまだ幼いからね。ギラムの事を待ちわびていた龍君だったら、君が普段使っている『タオルケット』を被ったまま大人しくしているよ。」
「俺の使っていたタオル?」
「ベットの上に置いてあった奴だよ。彼女達が落ち着かない龍君に渡してからはずっと、その中で君の教えを忠実に守っているようだったね。我慢していると言った方が、少し正しいかな。」
「………そっか。今朝出る時に置いて行っちまったからな、尚更寂しい思いをさせちまったか。」
「恐らく存分に君の事を求めるだろうから、君はその願いを聞き入れてあげれば良いと思うよ。幼い子が親しい人と居たい気持ちは、純粋だからね。」
「あぁ、解った。そうしておくぜ。」
その場に居ないヒストリーとフィルスターの事を聞かされたギラムは軽く理解しつつ、朝食時に眠っていた幼き龍を置いて行った事を気遣いだした。眠っていた場所も場所なだけに起こす事も出来ず、だからと言って何か出来るわけでは無かったため、結果的にグリスンと二人で朝食を取る事を選んだのだ。しかしトレランスからの話では想像以上に寂しかった事を知らされ、これからどんな風にその埋め合わせをしようかと、彼は考えようとしていた。
その時だ。
ウィーンッ
「トレラーン、着替え終わったよー ぁっ、おかえりギラムー」
「おはようさん。着替えと飯は済んだか?」
「大丈夫ー イオルん達と一緒に済ませたからねー」
不意に彼等の近くの扉が開き、中から身支度を済ませたメアンとイオル達の姿が現れた。朝食を取りに出かける際とは違うカジュアルな服装に身を包んだ女性人達は可愛らしく、年頃のギラムとしては自然と笑みを浮かべてしまいそうな容姿である。
ちなみに余談だが、彼女達が出かける際に纏っていた寝間着はいわゆる『ネグリジェ』と呼べる代物であった。彼が不用意にフィルスターを起こすために近づかなかった別の理由は、もしかしたら彼女達にあったのかもしれない。寝る前にも寝起き後にも、今の彼にとって必要以上に求めてはいけない代物だったようだ。
自称アイドルを名乗るほどの可愛い容姿であれば、尚更である。
「ギラムさん、お待たせしましたっ 昨夜からのお泊り、ありがとうございました。」
「ありがとぉーお兄ちゃん。」
「こちらこそ、フィルと留守番してくれて助かったぜ。少し面倒かけちまったみたいだったが、大丈夫だったか?」
「はい、フィルんちゃんは大人しく待ってましたよ。ちゃんと、ご褒美をあげて下さいね?」
「あぁ、そうするぜ。また何か困った事があったら頼らせてもらうつもりだから、そっちも遠慮なく言ってくれよな。」
「はーい、そうしますねっ」
「じゃあ帰ろっかートレラン。」
「そうだね。じゃあまた。」
「またねー」
その後一同は挨拶の後にその場を離れ、通路を歩きながら後方で見送るギラム達に手を振りだした。今日も元気いっぱいの彼女達が外へと出て行くのを見送ると、残された二人は開かれた扉から中へと入室し我が家へと帰宅するのだった。
自室へと戻ったギラムは最初にしたのは、その場に残されているであろうフィルスターを探す事だった。
帰宅後に手を洗うのも気にかけつつも一番に気になったのは彼の事であり、トレランス達からの言葉もあったため一番に姿を視たかったのかもしれない。ペットであり同居人でもある彼の姿をを探すと、寝室のベットの上で丸くなる白いタオルの姿が目に映った。
枕元で丸くなるタオルは傍から見れば『饅頭』の様であり、翼で盛り上がっている所を視ると中にフィルスターが居る事だけは彼等にも解った。一晩中出かけ起床時にも姿が無かった事によって不安な気持ちにさせていた事を改めて理解すると、ギラムはベットサイドを移動し枕元へと近づいた。よく視るとタオル自身は微かに震えており、未だに主人の帰りを待ちわびている事が見て取れた。
「フィル、ただいま。」
「………」
「メアン達から聞いたぜ、一人でずっと俺達の帰りを待っててくれてたんだよな。偉かったな、フィル。」
「……… キュキキュゥ……」
第一声後の声に反応しもそもそと顔を出したフィルスターはギラムを見つけると、少し涙目になりながら彼の事を見上げだした。自身が寝る際に使用しているタオルケットの中から出ない所を視ると、寂しい気持ちを抑えてまで主人の言いつけを護っていた事が分かる光景である。最悪彼女達が自分達の所へ来る事も少し想定していた彼にとって、この行動はとても立派だと感じるのだった。
「さっき休んだんだがまだ寝たりないからさ、少し休みたいんだ。一緒に寝るか?」
「! キュウ!」
「そかそか、解ったぜ。一緒に寝ような。」
「キューッ!」
問いかけに対し彼はそう答えると、フィルスターはタオルの中から飛び出しギラムの胸元へと跳びついた。離れないと言わんばかりに貼り付いた幼い龍を視た彼は優しく抱きしめ背中を撫でると、そのままベットに腰かけ安心するまで撫でてあげようと思うのだった。そんな様子を見ていたグリスンも優しい眼差しを向けており、彼もまたギラムと同様に安堵し自身が普段使用する寝床に腰を下ろしていた。。
「そしたら僕、ギラムが寝てる間に武器直してきちゃうね。少し時間がかかると思うから、しばらく留守にしてても良い?」
「あぁ、構わないぜ。どれくらいの時間がかかるか、解るか?」
「んー…… 多分だけど、明日には戻れると思うよ。結構繊細な修繕だから。」
「解った。時間に間に合わなくても良いからさ、ちゃんと直してきてくれ。曲げちまった俺が言うのも難だが……」
「うん、解った。フィルスター、僕出かけて来るから存分にギラムと一緒に居ていいよ。」
「キュッ」
「元気になったみたいで良かったね。じゃあ、お休みギラム。」
「あぁ、お休みグリスン。」
その後家主に許可を貰って出かける事を告げると、グリスンはその場に立ち上がり元来た道を進んでクーオリアスへと向かうべく外へと出かけて行った。何処から世界を渡り自宅へ戻るのかはギラムは解らないが、何処かにそれを行える場所があるのだろうと推測した後、猛烈にやって来る睡魔を感じ出した。腰かけていた体制からベットに仰向けになると、大きなベッドの上で大柄な体格を伸ばす様に両腕を伸ばし、先ほどまでフィルスターが使用していたタオルケットを引き寄せだした。
「……… ふわぁ……」
「キュキキュゥ。キューキュウキュー」
「ん? ……悪い、さすがにちょっと疲れちまってな。起きた後で良いか? 遊ぶのは。」
「……キュウッ」
「嫌って言われてもな……… 頼むぜ、な?」
「……… キューッ」
「悪い悪い、起きたらちゃんと遊ぶぜ。飯も合わせて、だけどな。」
「キュッ」
「よしよし、約束な。」
しかしそんな主人が寝ようとするのを阻止するべくフィルスターは甘えだすも、ギラムは構ってあげられない程に感じる睡魔に逆らう様子もなく、彼をなだめながら徐々に瞼が下りて来るのを感じ出した。どうにもこうにも眠そうな主人に渋々彼は了承すると、ギラムの身体の上に掛けられたタオルケットの中に潜るべく移動し彼の右腕の上へと滑り込むのだった。わざわざ懐へと忍び込む彼を視たギラムはその様子をしばらく見て居た後、優しく背中を撫でた後にこう告げだした。
「お休み、フィル。」
「キキキュウ、キュキキュゥ。」
そう言った彼が横になると同時に寝息を立てだすのを視ると、フィルスターは抱かれていた腕から少し体制を変え丸くなって眠るのだった。お互いに十分な睡眠を取れていない様子で、あっという間に夢の世界へと誘われるのであった。
一方その頃、彼等の居る世界とは違う別の世界。同じ空色の広がる別世界の一角にある地区内で、一人の存在が建物の廊下と思われる場所を歩く姿があった。
二足歩行で歩く人間とは違う存在の素足にはサンダルと思われる履物を付けており、静寂に包まれる廊下内の中で密かな足音を立てていた。しかしその音は騒音とは異なる音であり、誰も不快感の抱かない静かなモノであった。
「まさかこのような時期に会合が開かれるとは。今までにあった事でしょうか。」
「いや、警務隊の報告は基本的に一定期間を置いてからのモノが多い。計画性に富んだ彼女らしい行いだ。」
「ではやはり、今回のモノは異例と言えるんですね。マウルティア司教殿。」
「それだけの変化があったというわけじゃよ、リヴァナラスにな。」
白い装束に身を包んだラマ獣人は隣を歩く部下と共に会話を取り交わしつつ、とある部屋へと向かって歩を進めていた。
今現在彼等が居る建物があるのは、クーオリアス内に存在する城塞都市『ヴェナスシャトー』と呼ばれる地区にある大きな城の中。白と水色の壁に包まれた教会の様な造りをしたその場では、これから招集によって集められた代表者達七人による会合が開かれようとしていた。マウルティア司教こと『ベネディス』もその会合の出席者であり、隣に立つ部下の鷹鳥人は道中の付き添いとして歩いていた。本来ならば彼の私物であろう一冊の本と武器と思わしき道具を部下が持っている所を視ると、道中の警護も行っている様にも見えた。
比較的律する決まりが強い組織のようにも思える、そんな風景であった。
「ではな、会合が済み次第また戻るぞ。」
「はい。行ってらっしゃいませ、マウルティア司教殿。」
目的の部屋に付いたのであろう、ベネディスはそう言い部下から私物の本を回収した。荷物持ちと警護を終えた部下は深々とお辞儀をしながら彼を見送ると、扉の前で待機していた犬獣人達は扉を開け、彼を中へと迎え入れた。開かれた扉の中へと彼が入って行くのを見届けると、部下はその場を離れ持ち場へと戻る様に元来た道を引き返すのであった。




