17 噂話(うわさばなし)
ピニオとのやりとりを終えたギラムが再びプールから出たのは、それから10分ほどだった頃だった。軽く耳の中にまで入りつつあった水を彼は手慣れた様子で抜いた後、プールサイドへ来る際に浴びたシャワーを再度浴びだした。身体に付着した塩素入りの水を軽く洗い流した彼は脱衣所へと赴くと、着替え一式を手にし近くの温水シャワーの元へと向かって行った。
個室タイプとなっている温水シャワーは無料で浴びられるため、施設を利用した人々が皆リフレッシュして外へと出られる配慮が整っていた。近くにはプラスチック製のバスケットに入った清潔なバスタオル一式が揃っており、半ば温泉施設の様なサービス内容である。無料サービス云々の利用料は会員費で賄われている為、彼が割引して利用している施設の会員費がどれくらいなのか、大体はご想像で算出していただきたい。
そんなシャワールームを利用しながら彼は水着を脱ぎ捨てると、プールの水を大量に弾いたであろう布地に温水を当て、軽く洗う様にこすりだした。そして力強く水着を絞った後、手荷物を入れたバスケットの中に放り込み、再び気持ちよさそうにシャワーを浴びだした。温水に当てられた髪が段々と湿り気を帯びて行く中、水は彼の鍛え上げられた筋肉の溝に沿って流れ、静かに足元から出て行くのだった。
しばらくしてシャワーを浴び終えた彼はバスタオルで身体を拭いた後、私服姿で再び更衣室へと戻って来た。気持ちと共に気分も入れ替わる事が出来た様子で、とても清々しい表情を彼は見せていた。突然とは言えピニオとのやりとりも中々に楽しかった様子で、彼は『今日は来てよかった』と心の中で満足そうに思うのだった。
その後荷物をまとめ忘れ物が無い事を確認した彼は、訪れた際と同じルートで受付へと戻り、退店手続きの後外へと出て行った。
彼が外へと出たのは、丁度昼過ぎとなった頃合いだった。頭上に位置する場所から日差しが降り注ぐ中、彼は空腹感を覚えながら先日同様に職場近くのハンバーガーショップへと立ち寄り、昼食を買って帰宅に向かいだした。
今回彼が注文したのは定番の『シュリンプバーガー』を始め、ミートパティと大きなトマトが特徴的な『メルケンバーガー』と、ビーンズがたくさん入った『チリドッグ』 加えて今回は、一口サイズにカットした白身魚と細かく縦状に刻んだポテトを合わせて揚げた『フィッシュプス』をミドルサイズで注文し、彼は香りの漂わせるうちにと自宅へ向かう道中を食べながら移動していた。職場から自宅までは30分ほどの距離ではあったものの、彼が家に付く前には購入した昼食全てがその場から消えているのであった。
ウィーン……
「ただいま。」
そんな昼食が入っていたビニール袋を丸めながら借家へと戻ると、彼は入口の鍵を解除し中へと入室した。その声に反応して居候達の出迎えの声が軽く飛んでくるのを耳にしながら、彼が靴を脱いでいた時だった。
「お帰りなさいませー ギラムさーん。」
「あぁ、ただいま。 ………ん??」
丁度脱ぎ終えた靴を定位置に戻した際に聞こえてきた声に返事をするも、彼は聞きなれない声色に軽く驚きを覚えた。家主の居なかった家に誰が居るのだろうかと思い彼がリビングへと向かうと、そこにはフィルスターと並んでソファに腰かけるイオルの姿があったのだった。彼女の座るソファ前に敷かれたラグマットの上にはヒストリーの姿もあり、どうやら二人で遊びに来ていた様だ。
帰宅したギラムを視た二人は軽く手を振りながらお邪魔している事を告げると、彼は曖昧な返事を返しながら何故二人が来ているのだろうかと質問をしだした。
「ちょっと近くに用があって来てたんですが、そこで見慣れたドラゴンさんを連れた虎獣人さんを視かけたので。お誘いの元、上がらせてもらったんですよ。」
「お帰りぃ、お兄ちゃん。イオルお姉ちゃんと一緒に、お邪魔してまぁーす。」
「あ、あぁ…… そうだったのか………」
半ば納得の行かない理由での来客ではあったものの、彼は追い返す事はせずに手にしていた荷物を片付けに向かった。使用した水着と持参したタオルを洗濯機の中に入れて仕事をさせて戻って来ると、そこには本来の居候相手であるグリスンの姿があった。
「ちょっと気になる事も聞いたから、僕が無理言って上がってもらったんだ。勝手にゴメンね?」
「まぁ、知人だから別に良いんだが…… 気になる事って、何だ?」
「多分僕から言うよりも、もう一度本人から聞いた方が良いかな。ちょっと解らない部分もあったから。はい、チョコレート。」
「わぁーいっ、ありがとぉ~」
居候の割には少し気ままな行動が目立つグリスンに軽く呆れるも、彼の発言にギラムは少し違和感を覚えていた。どういった内容だったのだろうかとギラムはラグマットの上に腰を下ろすと、ヒストリーが隣へと移動し、貰った板チョコの包み紙を丁寧に剥がしだした。銀紙を散らかさない様に割いて食べる姿はとても可愛らしく、イオルの躾の賜物なのだろうかとギラムは思うのであった。
無邪気にゴミを造りながら食べる少年の姿も愛らしいと思われるが、実際にはこちらの方がずっと良い行いである。
「実は最近、ギラムさんの噂をよく耳にする様になったんです。ボクが聞いた限りでは、4件ほど。」
「俺の噂って、具体的にどんなのだ?」
「始めに聞いたのは『運送業絡み』のモノでしたね。画体の良い金髪の兄ちゃんが、気前よく手伝ってくれたって話です。勤め先は事務系だと思っていたそうで、とても驚いていたって言ってました。」
「それって、昨日ギラムが食事の時に言ってた話かな。確かお手伝いしたって言ってたよね。」
「あぁ、多分それは俺の事だな。 ……だが、そんな話は何処から聞いたんだ?」
「ボク達の良く利用する『スレッド掲示板』ですよ。基本的にボク達の評価はそこに上がるので、暇がある時に覗いていたんです。そしたら面白い書き込みを見つけて、読んで行くうちに『ギラムさんの事なのかな?』って思ったんですよ。」
「へぇ、そんな情報が仕入れられる場所があるのか。全く知らなかったぜ。」
「ギラムさんは『ヲタク文化』とは縁の無い場所に居ますからね。」
苦笑しながら彼女は話していると、残りの噂話についても丁寧に詳細を交えながら語りだした。
基本的に彼女の言う話には聞き覚えがある物ばかりであり、彼もまた周りに影響を与えていたのだろうと理解していた。街中で颯爽と駆けるバイクに跨った青年の話や、研究が停滞していたサンプルによって大きな結果が導き出せた話など、掘り返してみるとどれも経験のあるものばかりだ。
ちなみに双方共にギラムの話であり、印象や特徴による特定ではあったが彼を示す情報としては十分すぎる材料であった。褐色の肌に鍛え上げられた画体、金髪のツンツンオールバックヘアーに長身の男ともなれば、街中で探しても彼だけであろう。他に見かけたという話があるのであれば、是非とも見て視たい人物像である。
「ギラムって有名人だねー」
「有名税には入らないレベルでな。」
「後最近聞いた話だと、突進してきた車に轢かれそうになっていた母子を『アクロバティックに助けた』って話でしょうか。読んでてビックリのお話でしたね。」
「アクロバティック?」
「それは身に覚えがないな…… それも、俺みたいな特徴を言ってたのか。」
「金髪と画体の良さと長身って言う特徴では、合ってましたね。コレはギラムさんではありませんでしたか?」
「話自体は聞き覚えがあるが、それは俺じゃないな。多分別人だ。」
「そうでしたかー…… 実際それがギラムさんだったら、どんな風に助けたのか視てみたかったんですけど。ちょっと残念ですね。」
「ざんねぇ~ん。」
「ねぇー 残念ですね、初歩港ちゃん。」
その後語られた内容に対し、イオルとヒストリーは盛り上がる様子で話し出した。二人としてはギラムの活躍ぶりを聞く事は『楽しい事』として認識しているらしく、軽く野次馬張りの興味本位で今回は赴いて来た様だ。
イオルの中での助けたイメージは『御姫様抱っこ』で二人を抱えた後、突進してくる車を『バク転』で華麗に避けたモノだったそうだ。普通に考えて腕力もさることながら、脚力に関しても常人ではない動きっぷりである。余談だが、そんな動きが出来る人間は現代都市リーヴァリィの中にはゼロであり、ギラムが出来るかと言われるとそこもまた怪しい線引きである。
しかし出来ないかと問われると、難なくこなしてしまいそうな姿も浮かばなくはない。
「ね? 気になる話でしょ?」
「あぁ、確かにな。」
「あの話って、前にギラムが聞いて来たって言ってた話とそっくりだったから、何だか妙な感じがするなって思ったんだ。微かにだけど、気になる感覚もあの場所には残ってたし。」
「残ってたって…… あぁ、それを確かめに今日外へ出てたのか?」
「うん、フィルスターと散歩がてらね。僕と一緒だからどんな風に見えてたのか解らないけど、危ない目には合わなかったよ。」
「そ、そうか………」
そんな今日の外出理由も同時に聞かされると、ギラムは話を一度中断し、ソファ付近に置かれたグラスとウォーターポットを手にした。注がれた水が太陽の光を乱反射させる中、彼は彼女にも水を飲むかと勧めるも、彼女はやんわり断るのだった。
「ちなみにイオル。その話の続きって何か聞いてたりするか。」
「んー…… 関連性は薄そうでしたけど、突進してきた車が衝突するって言う事件は多いみたいですよ。今日もニュースでやっていましたから。」
「そうか。 ……解った。仮に創憎主の仕業だと危ねえから、イオル達も気を付けろよ。俺も昨日から治安維持部隊の出動風景を見かけてたから、気にはなってたんだ。」
「解りました、なるべく首を突っ込まないようにしますね。正直言うと、ボク達はメアンちゃんほど創憎主戦向けの戦闘力は無いので、あまりお力になれるか解りませんからね。」
「怪我をして欲しくないって意味合いで言ったんだが……まぁ良いか。ヒストリーも、道歩く時は気を付けろよ。」
「はぁーいっ」
その後話を終えた二人は、用事があると言い出しギラムに挨拶をし帰宅して行った。玄関先まで彼女達を見送ると、グリスンは一足先にリビングへと戻り、使用したグラス類を片付けだした。そんな居候の姿を視ながらギラムはフィルスターと共にソファへと腰かけ、再びグラスにウォーターポットからの水を注ぎ口にした。
『恐らく、あの時に親子を助けたのはピニオだ。アイツもこの事件について、何か調査をしてるのか……… 俺達の敵じゃないとすれば、創憎主を追っていても不思議じゃないからな。』
食器を洗うグリスンの様子を尻目に考え事をしていると、ギラムは1つの結論に行き付いた様だった。
自分達が鎮めるべき相手である『創憎主』はすでに動き出し、複数人の被害者を出しているという事。今回の相手は『車』で主に魔法を放っており、ほおっておいたら事故が続き、最悪死傷者が出る可能性もゼロではないという事。そしてその創憎主に対して、ピニオが陰で行動をしているという事だった。
自身の敵ではないと言っていたピニオの行動は相変わらず解らないが、目的が同じともなれば気分的には楽なのだろう。彼は再び戦いへと突入する前の、準備を取る事を決めるのだった。
「グリスン。」
「? どうしたの、ギラム。」
「さっきの話だが、あの場所に気になる感覚が残ってたんだよな?」
「うん。もうほとんど残ってないけど、前にファッションショーへ行った時と似たような感じだったよ。」
「そうなると、創憎主がすでに動いてるって考えた方が良さそうだな。俺個人の推測だが、今回の相手は『車』に関係してる可能性が高い。その辺りを少し探ってみてもらえるか。」
「うん、解った。その間、フィルスターはどうするの?」
「しばらくグリスンに世話を任せてたから、今度は俺が面倒みるぜ。良いか、フィル。」
「キューッ」
居候であり相棒でもある虎獣人に一言告げると、彼等は支度をし行動を取りだすのだった。今回はギラムと行動出来る事に嬉しのか、フィルスターはギラムの胸板に飛び込み、頬をこすりつけながら彼を見上げるのだった。
「よし、そしたら早速行動してみるか。俺はサインナから、聞ける範囲であの事件の事を聞いてくるぜ。」
「じゃあ僕は、ラクトとスプリームに何か気がかりだった事が無いか聞いてくるよ。」
「あぁ、頼むぜ。 ……だが、無理だけはするなよ。」
「うん。ギラムもだからね?」
「解ってるって。」
その後彼等は別行動を取り、ギラムは自室からサインナ宛てにコンタクトを取り、時間をとってもらう様手配しだした。しばらくして受け取った返事を元に彼は出かけ、フィルスターをナップサックの中に入れ、治安維持部隊の施設へと向かって行くのだった。