16 水辺(みずべ)
次の日、ギラムは仕事とは別の場所へ赴こうと、その日は朝食を早くに終え外へと出ていた。その日も天気の良い空模様であり、彼は軽快な足取りである場所へと向かっているのだが、ココで少し余談を挿もう。
彼が勤め先で任意契約している内容の一つに『厚遇融資制度』と言うモノが存在する。これは現代都市リーヴァリィに構える企業が経営する施設のほとんどで有効であり、利用料を無料もしくは割引によってサービスを利用する事が出来るのだ。都市に店を構える企業は幾多も存在し、運動不足になりがちな社会人を支えるべく、様々な施設が店を構えていった結果が今の街並みに繋がっているのである。
スポーツやヨガを始めとした、身体を動かす事が出来るフィットネスクラブの施設。灰色の人工物に囲まれた都市内に、眼と身体の安らぎを与えるリラクゼーション施設。ほんの少しの休息から長期滞在を支える豪華絢爛な宿泊施設など、多種多様な施設がその場にはあるのだ。
そんな彼が今回向かったのは、前者に上げた『フィットネスクラブ』である。
ウィーンッ……
「いらっしゃいませ。」
その日の彼がやって来たのは、軍事会社セルべトルガの近辺に入口を構えるフィットネスクラブだ。前の職場にある訓練用施設を無償で使用出来るとはいえ、彼も別の場所での鍛錬を行うのが定期的な習慣なのである。
都市に立ち並ぶビルを丸ごと二本を贅沢に使用し、二階から最上階に続く全てのフロアが娯楽施設と化すのがココ、ホテル『フォスペテール』と呼ばれる場所だ。都市内に降り注ぐ朝日を存分に集められる様、建物の東側全てがガラス張りとなっており、天気の良い日にはやって来る日差しで天然の日焼けサロンが出来てしまう程の工夫が施されている。ランニングマシンを始めとしたスポーツ器具を幾多も揃えており、都市内で活動する大人達の運動不足を解消するべく、日夜トレーナーの人達が勤めているのだ。
三階層を丸ごと使ったプールも目玉の一つであり、夏場の納涼としても一役買っているのだ。もちろんホテルとしての仕事も怠っておらず、美味しい食事を楽しめるレストランに素敵な宿泊部屋も各種取り揃えているのだった。
そんな豪華なホテルに今回彼がやって来たのは、目玉の1つである『プール』だ。受付で彼は施設利用の会員証と共に別のカードを一枚渡すと、受付嬢は双方を受け取り手続きを行いだした。彼女の前に立ち上がる電子盤で様々な操作をしていると、しばらくして電子盤はその場から姿を消した。
「セルべトルガに所属のギラム様ですね。本日はご利用いただき、誠にありがとうございます。本日はどちらの施設をご利用でしょうか。」
「今日はホテルのプールを使わせてもらいたいんだ。水着は持参してきたぜ。」
「かしこまりました。あちらのクラスメントで、ホテルの11階へとお上がりください。どうぞごゆっくりと、施設内をご利用くださいませ。」
手続きを終えた彼は相手から提示物を回収すると、その足でクラスメントへと向かって行った。今回のホテルに用意された昇降機は、以前から時折使用するアリンの企業の物とは異なり、とてもシックな造りとなっていた。焦茶色に白地を基調としたアンティークな椅子と、クリーム色をベースとした肌触りのよいカーテンが彼を出迎え、慣れた様子で椅子に座り上の階へと移動して行った。
目的階へと到着した彼はその後、分岐路を左に曲がり紳士用更衣室へと向かって行った。一般的な造りをした栗色のロッカーが幾多もその場には並んでおり、彼は慣れた様子で服を脱ぎ、水着姿へと着替えだした。スパッツタイプの水着姿となった彼はゴーグルを首にかけると、手荷物を全てロッカーに預けた後に会員証をかざして鍵をかけ、プールサイドへと向かって行った。普段使いしている今回の水着は、太い足に密着し水の抵抗を極限まで抑える施しがされてる為、とても泳ぎやすいと彼は好んでいるのだった。
道中のシャワーを浴び軽く水気を拭うと、彼は慣れた様子で準備運動をし、プールへと入って行った。首元に掛けていたゴーグルを頭部へ移動させながら装着し、彼は豪快に泳ぎ出した。始めは練習も兼ねて平泳ぎで一往復すると、その後はクロールと背負泳ぎ、バタフライと様々な泳ぎ方でプールを楽しんでいた。
半ば一人メドレーになっていたが、そこはあえて置いておこう。
「……ふぅ。水が気持ち良いぜ………」
五十メートルプールを十回ほど往復した彼はレーンを移動し、自由スペースで仰向けに浮かびながら天井を見上げた。プールの水が身体の凹凸に沿って移動する中、彼は心地よい水の感覚を楽しみながら静かに身体を休ませていた。彼の印象的な金髪が水の中で揺らいだ後、静かに身体を起こしゴーグルを付け、しばし潜水する様に泳ぎ出した。水深はそこまで深くないためすぐにプールの床近くへと潜ると、彼は床に触れる手前の深さを泳いでいた。外から降り注ぐ日光がプール内に入り込む姿を横目に、彼は静かに泳いでいた。
その時だった。
ゴポゴポッ………
『ん?』
泳いでいた彼は不意に目の前で生じた気泡を目にし、泳ぐのを止め水面へと顔を出した。その後息を整え顔を水の中へと入れ、何処から泡が出てきたのかと探し出した。しかしプールの床には亀裂や溝の様なモノは見当たらず、しばし水面を見続けるも気泡が生じる事は無かった。
『……… 何だったんだ……?』
不意に目にした泡の発生元が判明せず首を傾げると、彼は水面から顔を出し、顔に残る水気を両手で拭い取った。その後しばし身体を休めるべくプールサイドへと移動すると、彼は近くに用意されていたビーチベットの上へと横になった。
しばらくすると彼の近くに制服姿のスタッフの人がやってきて、彼の座る席の横に置かれたテーブルの上に、飲料水の入ったグラスを静かに置きだした。施設内の無料サービスを受けた彼は軽く手を上げ感謝の意を示した後、グラスを手にし水を口にした。柔らかくも優しい軟水の味を楽しみながらグラスを置くと、彼はその場で身体を伸ばしリラックスする様に仰向けになった。
「ふぅ……」
再び天井を見上げながら身体を伸ばした、まさにその時だった。
「……水、好きなんだな。」
「ん? ……なっ!?」
そんな彼の元にやって来たスタッフの声を耳にした彼は視線を向けると、立っていた相手を目にし驚愕した。その場に立っていたのは、なんと先日出会った自分自身と名乗る『ピニオ』だったのだ。ご丁寧にサイズ寸法したのではないかと思われるほど、彼の体系に似合う制服姿で立っていた。様は特注品のスーツ姿である。
「なっ……馬鹿ッ!! お前何でここに居るんだよ!?」
「少し話がしたかっただけなんだが。 ……何故構えてるんだ?」
「お前なぁ……… ……いや、何でもない。」
「そうか。」
施設内の制服に身を包んだ自分自身を目にした彼は驚くも、相手の反応が平然としていたため、軽く呆れながら再び天井を見上げだした。彼が何故呆れているのか解らない様子のピニオは首を傾げた後、手にしていたトレンチを小脇に抱え、体制を変えずにギラムの事を見下ろしていた。はたから見れば接客するスタッフと利用客だが、顔が瓜二つのため『兄弟なのだろう』と周りはご認識するかもしれない。実際似ている為、そう思われるのが関の山である。
「……で、俺に何の用だ。話って言ってたが。」
「俺はギラムと似ているが、ギラムではないからな。ギラムの事が、良く解らないんだ。」
「俺が解らない? 俺なのにか??」
「あぁ。」
「………ってかさ、お前は『俺』になりたいのか? それとも、俺を『目標』として視てるのか。どっちなんだ?」
「どうだろうな……… 確かにギラムに成りたいと思っては居るんだが、違う所が多いと俺は思ってるからな……… 儚い願望……かも、しれないな。」
「儚い願望、なぁ……」
そんな彼が近くへやってきた理由を聞くと、ギラムは天井を見上げたまま質問の意図を考えだした。
どうやら彼自身は『ギラムではない』と認識している様だが、何処か納得のいかない部分がある様子で、こうして彼の前に再びやって来た様だ。唐突にそんな質問をされても返答に困る次第だが、それでも質問に答えられる様考える所が、ギラムの良い所であろう。気楽な井出達ではあるが真剣に考えてくれているギラムを見て、ピニオはただ静かに彼の言葉を待っていた時だ。
「……ギラムは不思議な印象を覚える相手だな。ココのスタッフの様にしばらく振る舞っては居るが、周りの存在達ではギラムの様に思う事は無い。」
「まぁ、そりゃそうだろうな。周りは周り、俺は俺だ。」
「……そうだったな。」
「……… ピニオは変わってるな。」
「まぁ、造形体だからな。人じゃない。」
「いや、そっちではなく……… そんな事を考えてる何て、面白い奴だなって話だよ。」
「面白い……? 俺がか?」
「あぁ、面白いな。俺を目標にする事もだが、目標にしてても『願望だ』って、すでに諦めてるからだよ。」
「……… 俺は、リアナスには成れない。創られた存在だから」
「そうじゃねえよ。」
「?」
話を始めた彼の返答に対し、ギラムは意見を覆すかのように返答した。突然の反論を耳にした彼は不思議そうに相手を視ると、ギラムは身体を起こし彼を正面から見る様に身体を向け、足を地面へと降ろした。
「お前が創られた存在だって言うのは、この際どっかに置いとけ。お前はすでに目標があって、行うべきことがあるんだろ?」
「………」
「だったら、何を迷う必要があるんだ? 俺みたいに成りたいって言うんだったら、悩む前に行動して一回忘れちまいな。それで気分を入れ替えてから、また悩めばいいんだよ。現に今のお前だって、行動した後に悩んでるんだろ?」
「あ、あぁ………」
「それこそ、俺らしいと思うぜ。本当に、瓜二つの『弟』が出来たみたいだぜ。ピニオ。」
「………」
半ば説教されるのかと身構えていたピニオであったが、ギラムの意見を聞き返事に迷う素振りを見せていた。
自分自身でありながら完全に理解出来ていない本人の言葉は説得力があり、どういった行動を取ってそうするべきかを教えてくれた。相手から教えてもらうような事柄では無いのかもしれないが、ギラムなりに何か手助けがしたかった様だ。意見を伝え終えた彼の表情は笑っており、その笑顔に対しピニオは再び首を傾げるしか無いのだった。
その後傍に置かれたグラスを手にしたギラムは水を一気飲みし、再びグラスをテーブルの上へと置いた。
そしてその場に立ち上がり、軽く肩を回しだした。
「さぁーてと、もうひと泳ぎするかな。」
「……ギラムは、俺の事を否定しないのか。」
「否定? 何でだ?」
「俺はギラムを元にして創られた、いわば『クローン』と呼ばれる様な存在だ。そんな相手に直面した成人男性が、否定しないはずがないと俺は思っている。現にベネディスから受けた『人間の傾向』に対する講義内容にも、その統計は多く出ていたからな。」
「まぁ、普通はそうだろうな。俺も初めは驚いたぜ。」
「なら、何故俺の事を否定しないんだ……? 俺はギラムにとって、異例で存在しない存在のはずだ。」
不思議な感覚を覚える本物の自分を見つめながら問いかけると、ギラムは少し考える様に頭を傾けた。そしてしばらくして考えがまとまると、彼は真正面からピニオを見つめ、こう答えた。
「そうだな。 ……まぁでも、俺はもう決めたんだよ。」
「決めた……?」
「ピニオが俺を元にして創られた存在だったとしても、俺はピニオを否定しない。周りがお前の事を何と言おうと、お前は一人の存在に変わりないってな。」
「一人の……存在………」
「それに、俺にはピニオを否定する様な理由がねえからな。お前は俺に、害を起こすために来たわけじゃないんだろ?」
「あ、あぁ………」
「なら、尚更お前を否定するわけなんてねえだろ? ピニオにはやる事があって、そのために創られただけ。俺を元にしたのは、昨日隣に立ってたエリナスなんだろ?」
「あぁ、そうだ。」
「アイツが何の目的のためにお前を創ったのかは解らないが、俺はピニオが乱暴に扱われないならそれで良いって思ってるからな。」
返答に対しギラムは自分の考えを全て告げると、ピニオは相変わらず不思議そうな眼差しを向け続けていた。
何をどうやってそう思ったのかは解らないが、それでも相手はそう信じると決めた決意が何処かにある。周りには違うモノを自身が持っていると自覚し、それを尚且つ変えずに今の今まで生き続けて来た結果がそこにある。
周囲の人々からは感じられないと思った感覚を見せつけた後、彼は思い出した様子で彼に一言告げてきた。
「無いとは思うが、何か嫌な事が起こったらすぐに言えよ? 俺が代わりに、敵を討ってやる。これでも、真憧士だからな。」
「………」
「んじゃな。水、ごちそうさん。」
そう言った彼はプールサイドから静かに水中へと移動し、潜るように潜水し再び泳ぎ始めて行った。その姿を見ていたピニオはしばし彼の様子を見た後、トレンチを横に戻しグラスを持ってその場を後にして行った。
『……ギラムはお人良し……だな。あんな風に思えるなんて、何が彼をそうしたんだろうな………』
水の中に隠れてしまった自分自身を想いながら、ピニオはその場を去って行った。




