31 人魚姫(にんぎょひめ)
ギラム達を取り囲んでいた領域が少しずつ変化して行く中、創憎主と化した相手は、歌を歌うべく呼吸を整えていた。すでに自身の声を失ってしまった彼女が引き起こした悲劇を終わらせるため、そして自身が聞きたいと願った相手の歌を聴くために。グリスンを始めとした一同は、静寂の続く空間の中で歌が始まるのを待っていた。
すると、静かな時間が流れていた彼等の周囲で、奏でられる音源が姿を現した。音のした方角へ目を向けると、そこには雪洞に照らされた楽器の姿が目に映った。
「……? バイオリン?」
「夜の静寂を乱さない、静かな音ですね。」
「んー でも、ちょっと暗い感じかもー?」
前奏を奏でるべく参上したのは、つい先ほどまで彼等を襲っていたと思わしき『バイオリン』の姿だった。楽器の近くには人影の様に動く黒い靄が映っており、どうやら影自身が演奏を行っている様だ。徐々に奏でられる音楽で期待が高まる中、中央に立っていた相手にライトが当てられ、歌を唱えだした。
{関係性の崩れた 友との仲
償おうと願っても それはすれ違いを生み出した
結論は何処でも 崩壊だけだ
私の周りは誰もいない}
「………」
「……なんだか、寂しい歌だね。」
「うん……」
少しずつ歌われる音楽を聞きながら、トレランスは感じた感想を口にした。ゆっくりと奏でられた音楽は『バラード』と思わしきゆったりとした音楽であり、メアン達の様な『アイドル』が歌う『ポップス』とはかけ離れた領域の曲だった。歌い手が纏っていたマーメイドドレスもさることながら、どうやら相手は『泣き歌』ならぬ『失恋ソング』を歌う傾向がある様だ。
語られる歌と共にピアノも伴奏に参戦し始め、徐々に音楽を奏でる楽器達が増えて行った。
{励ましさえも虚しくて 多量に求めても埋められない
心に空いた 崩壊の溝
私の愛は真実か 偽りか
それさえもわからず 悩み続けた
誰もわかってくれない 理解してくれない
そう嘆き 涙を流していた}
「………ッ」
「……? どうした、グリスン。」
「う、うん…… ………あの歌を聞いてるとね、何だか胸が苦しくなるんだ。精神的なダメージって言うのとは違うんだけど…… 言葉には表しにくい、傷みかな。」
「……まぁ、泣き歌に近い音楽だしな。俺はお前と違って歌の魅力は良く分からないが、確かにアイツは周りを喜ばせる様なタイプのアイドルでは無かったんだろうなって、思うぜ。」
「喜ばせる事が出来ない、アイドル……?」
曲を耳にしていたグリスンは、不意に痛覚に似た感覚を胸の中に抱いていた。語られる言葉と共に感じたモノが彼の中にはあり、歌い手の描く世界を感じ取ったのかもしれない。
歌に込められた想いを感じ取る様に、歌の世界を知るかのように。
彼は静かに、その歌の真意を知りたいと思っていた。
「どっちかっつーと、悲観的になりがちな人々を励ますような歌を歌いたかったのかもしれないぜ。創憎主になってしまうくらい、世界からの酷い仕打ちに耐え切れず絶望した存在へ向けて、アイツは歌を届けたかったのかもな。」
「………」
「でも、やっぱりアタシは明るい歌の方が好きだけどなー あれじゃアイドルって言うより、ただの『歌姫』だし。」
「そうですか? ボクはあんな感じの歌を歌う人も、嫌いじゃないですよっ 暗くて淀みの深い世界には、一人でも居たら嬉しいです。」
「ぇーっ、何か深いー話っぽいんだけど?」
「多分だけど、深いんじゃないかな。」
そんな彼が歌に聴き入っている中、一同は小声で感想を口にした。どうやら彼等の考えは賛否両論の様子で、気に入る人もいれば気に入らない人も居る様だ。万人受けする事のない歌を歌う相手は、自分達の敵となった存在。静かに続くその歌を聞いていたその時、グリスンは静かに両手を握りしめ、ゆっくりと前へと歩き出した。
そんな彼を見かねた一同は軽く焦るも、グリスンは相手の近くで歩を緩め、再び歌に耳を傾けだした。グリスンの動きを視た彼女も少し驚く様子を見せるも、何をするわけでもなく彼の前で歌い続けた。
{優しい言葉がやってきた 悲しい事実を知らせる風が来た
私はいつでも混乱し 事実と知るたび立ち止まる
そんな生き方が いつから普通になったのか
私自身わからないその事柄に
いつか私は 諦めを感じていた}
『存在達の士気を高める歌ではなく、絶望の中で希望へと導く歌…… 僕が奏でてみたかった歌に近いけれど、何処か僕には向いていない歌に聞こえる。何処が、違うんだろう……』
歌声と伴奏に耳を傾けながら、彼は軽く指を動かし、伴奏を奏でているかのような仕草を取りだした。音楽を身体に浸透させるかのように動いていおり、歌の根本的な部分を探っているかのようにも見えた。しかし何処かが解らない様子で、イマイチ理解できていない表情を浮かべていた。
{嫌いになってとやる事は 互いの心を苦しめる
私の心は籠の中 外の光には触れられない
周りが触れるその光に 憧れを感じていた
いつその光に 出会えるかな}
『憧れ……光…… ………そうだ!』
そんな彼は、不意に聞こえた歌詞の一部に何かを感じた様子で目を見開いた。その瞳には先ほどとは違った輝きを浮かべており、彼なりに何か出来ると感じた瞬間の瞳によく似ていた。
「ねぇ、お姉さんっ」
【?】
「……良かったら、僕もその歌に参加させてくれないかな。僕もその歌を、一緒になって演奏してみたいんだ。」
【……… 貴方が、伴奏を……?】
「うん。これでも僕は、歌も楽器も奏でる腕は持ってるから…… ……きっと、素敵な歌に変えられると思うんだ。無理だとか、駄目だとか思うんだったら遠慮なく言って! 希望に変えられる歌の邪魔だけは、僕もしたくないから。」
【……わかったわ。それじゃあ、お願い。】
「! ありがとう!」
彼自身が出来ると感じた事を相手に告げると、相手は静かに承諾する様に首を縦に振った。許可が下りた事に嬉しさを感じていたグリスンは、その場で数回耳を左右へと向けた後、歌い手の背後で背を向けた。その後手にしていた楽器を両手でしっかりと握りしめた後、自身が演奏する様に左手でコードを抑えた。
ゆっくりとした音楽の調和を乱さぬよう、彼なりに音源の制御を行っている様にも見えた。
『この歌には浸透した悲しみを和らげる効果はあっても、まだ光へと昇らせるための力が無いんだ。 ……だったら、僕の持つこのギターの音で、ゆっくりでも導ける音が奏でられれば…… ……?』
奏でる音を制御しながらの演奏にどうするべきかと考えていると、不意に彼の視界にあるモノが映った。そこに居たのは彼と契約を交わしたギラムの姿であり、彼の行おうとする行動を見守る眼を向けていた。何時しか自分が向け続けていた眼差しを、向けていた対象から送られているかのような、優しい眼差し。人々の憧れに成り得る力を秘めた存在の眼差しは力強く、例え非力な自分であっても、何かを成し遂げる事が出来るやもしれない、可能性を抱かせるモノの様にも感じられた。
相手の眼差しに気付いたグリスンは静かに眼を閉じた後、口元に笑顔を浮かべながら、相手に笑顔を返した。そして、静かに言葉を告げる様に口を動かした。
【大丈夫だよ。僕を見守ってて、ギラム。】
その後彼は静かに深呼吸した後、奏でられる伴奏に合わせて、ギターを奏で始めた。
{理解できないその関係 抱きしめあうその関係
私に触れられるのか その感情に
震えてる毎日でも 希望はあるのか
それを教えてくれる 1つの声}
フワッ
「……ん? 灯りが変化した……?」
「何だか、温かい感じに変わりましたね。」
その後しばらくの演奏を続けていると、不意に周囲で変化が現れた。
彼等の周りで光を演出し続けていた雪洞が、突如放つ光の色合いを変えだした。先程まで静かな色合いに等しかった大藤の演出が、何時しか紅葉と銀杏へと変わっていたのだ。色彩豊かに変わりだし、暖色が強くなってきた領域に変化を齎した事を感じさせる瞬間だった。
「……どうやら、あの子が参加した事で変わった様だね。」
「あの子? グリスンの事か?」
「そうだよ。君の相棒は非力な様に見えたけど、自分達とは違った想いを抱き続けているのかもしれないね。絶望に身を堕としてしまった創憎主を、根本的な部分から変えようとしているんだよ。きっと。」
「………グリスン。」
{私の心に響くその声が 私の足を動かした
優しげな行いに 私の心は奪われた
優しさを知ったから もう心配ないと信じれた}
何時しか音源の主体となっていたバイオリンは助力へと周り、伴奏の主力となる音はグリスンの奏でるギターへと変化していた。徐々に力強い感覚を抱かせる音楽へと変わりはじめ、歌と調和した希望を抱かせるモノへと変化していたのだ。演奏をしているグリスンはとても楽しそうであり、顔は見えないものの、歌っている相手もとても楽しそうにドレスの裾を揺らしていた。
{負は何も生まないと わかったから
私は後悔してでも 悔まない方角へと進み続けた
信じられる 日の光と共に}
「「アタシ(僕)達は 歌うんだ………」」
そして最後のフレーズを双方が口にした瞬間、周囲に異変が起こった。
パキンッ!!
「! 天井が!」
「やったっ! 領域が壊れた!」
攻撃を行っていないにも関わらず、領域に変化が生じた。それは創憎主の生み出した世界に異変が起こり、憧れと共に行った行動の結果が実を結んだ証拠でもあった。確実と言って良いほどに、グリスンの功績が現れた瞬間だった。
【光…… あぁ、アタシが求めてた……歌から貰える報酬だわ……】
「君は、歌った後のアレが欲しかったんだね。」
【そう、アタシはあの光だけが欲しかった…… 歌った後にお客さんが輝かせる、あの瞳の様な美しい光が欲しかった……… ………虎さんのおかげで、ようやくそれに出会えた気がするわ……】
「ぼ、僕は…… そんなに大層な事はしてないよ……? ただ、しゃしゃり出て来て、伴奏の手伝いをしただけだから。」
【そんなこと、無いわ。】
スッ
「?」
【虎さんはアタシを助けに来てくれた…… 暗く堕ちたアタシの心を、解放するために煌めきを連れてきてくれた…… アタシはそれを知れただけでも、最高の瞬間に出会えたって思えたわ……】
「お姉さん……」
【ありがとう、虎さん…… ………アタシ、もっと早く虎さんの様な優しい人に出会いたかった………】
突如降り注ぐ光を目にした相手は、涙を流しながら感想を口にした。歌に参加した相手と共に完成させた歌は本人も満足しており、不平不満を抱く事無く全てを歌い終える事が出来たと思っていた。謙虚な様子を見せるグリスンにお礼を告げ、相手は彼の両手を優しく手に取った。
【一人じゃ怖かったけど、虎さんが抱かせてくれたこの想いがあれば…… 大丈夫だと……思うから……】
「……… ……一人じゃ、ないよ。」
【えっ?】
「僕はお姉さんが気を失うその時まで、一緒に居るよ。だって僕達は、お姉さん達の様な人達を助けるために、憧れになってきたんだから。」
【………虎、さん……】
「大丈夫だよ、何も怖くない。きっと、それを抱ける時が必ず来るから。心配しないで。」
【……うん………】
不思議と優しさを覚える感想を聞き、グリスンもまた笑顔を浮かべながら言葉を返していた。領域の天井へと入ったヒビが少しずつ大きくなる中、彼は何度も手を撫で、相手を安心させるように言葉を贈った。その後彼は目線を戻し、静かに背後に立つ存在に向けて言葉を放った。
「ギラム、お願い!」
「あぁ、解ったぜグリスン。」
彼の声を聴いたギラムは返事を返すと、左手に拳銃を構え、静かに天井へと向けた。それを視た彼女は涙を流しながら、彼の様子を見つめた。
相手の視線を感じたギラムはそれに気づくと、静かに笑顔を見せて呟いた。
「大丈夫だぜ。俺達は……助けに、来たんだからな。」
【………】
「ゆっくり、休みな。」
パァーンッ……!
その後放たれた弾丸によって、領域の天井は消失する様に炸裂した。粉々に砕け散って行く領域と共に、創憎主となっていた敵は意識を遠ざけて行くのだった。




