20 氷結(フリーズ)
日課として行っている早朝ランニング中に遭遇し、しばしの時間を共にしたギラムとコンストラクト。互いの想いと考えを知るべく時間を共にした彼等は、街中を走り終えギラムの住むマンションへと到着した。スタート地点へと再び戻ったギラムは、広めに用意された入口付近でリラックスする様に両手を天高く上げだした。同様に走り続けていたコンストラクトも一息着くべく、その場で数回軽めに跳躍し、身体を落ち着かせていた。
「ふぅ、良い汗かいたぜ。 ラクト、楽しい時間をありがとさん。」
「気にするな、対した事はしていない。 …ココがお前の住む家か。」
「正確に言うと、この場所の一部だけどな。 俺やグリスンに用があったら、今度はココを訪ねてくれ。 俺は不在がちだが、グリスンが居るはずだからさ。」
「解った。 貴重な時間をありがとう、失礼する。」
「あぁ、気を付けてな。」
別れ際の挨拶を交わすと、コンストラクトはその場で勢いよく跳躍し、マンションの屋根へと降り立った。その後次々と近くの建造物を足掛かりにして移動を開始し、その場を去って行った。先程とは違う脚力を見せつけられたギラムは、一瞬驚き目で彼を追いかけるも、徐々に影が小さくなり視界から消えてしまうと、静かに目線を元の高さへと戻した。
自身とは違う素質を兼ね備えた存在の力量は、やはり彼が思う以上に大きいものなのだろう。常人とはかけ離れた力を見せつけられ、彼は静かに現実へと戻りつつ背中を伸ばした。
『……鮫魚人、か。 エリナスにも、俺等人間と同じでいろんな血の種類がいるんだな。』
知識の浅い獣人達についてまた一つ理解すると、彼は入口へと向かい自室へと向かって行った。
時間帯の都合上、出勤や通学へと向かう人々とすれ違い、彼は改めて自身が特殊な環境下に居る事を理解していた。今の彼が行う仕事には『出勤』や『勤務』というモノはほとんど存在せず、自分自身が時間を管理し行うという『自己責任』の元に生活を送っていた。そのため余裕がある時は時間を有意義に使い、また逆の場合には時間を切り詰めて行動をしなければならない。自由な反面、何処か枠組みが存在しない不安定な位置に居る、ギラムなのであった。
マンション内の廊下を慣れた足取りで移動し、彼は手にしていた鍵で本人認証を済ませ、自室へと帰宅した。自動で開いた扉の奥へと向かいながら、彼は玄関先で靴を脱ぎ、備え付けの靴箱の中へと片付け、入口に鍵をかけた。
『そういやアリンのファッションショーの開催が、明後日にまで迫ってきてたな。 クリーニングは出した翌日には終わるから、今日出しておけば間に合うな。』
室内履きへと履き替えた彼は、廊下を歩きながらこれからの予定を確認し、今週末にまで迫っていたファッションショーの予定を再確認しだした。
月末に開催される予定となっていたサマーコレクションは、彼が送る日々の時間経過によって間近にまで迫っていたのだ。元より楽しみにしていた行事の一つだった彼にとって、このイベントは特別な意味合いもあるのだろう。開催される場所に集う人々の雰囲気に合わせて、洋服の仕立てをお願いする様だ。
『……仕立てを依頼して、買い置きのウィンナーとパンで……たまにはチリドックにでもす』
「ギラム! 危ないっ!!」
「ぅおっ!!」
ドスンッ!!
「!? ギラム、大丈夫!!?」
そんなことを考えていると、不意に彼の耳に危険を予感させる声が飛んできた。不意に耳にした言葉で意識を戻し前を視ようとした瞬間、彼の視界は目線よりも高い天井へと向けられ、臀部に鈍い衝撃が走った。どうやら何かに足を滑らせ転倒した様子で、後から脱げたのであろう部屋履きの片方が、彼の額に命中した。素材が柔らかく衝撃が少なかった部屋履きを取り除くと、彼は軽く痛みの走る尻を撫でながら床を見ると、そこには普段とは違った輝きを放つ廊下の姿が目に映った。
彼の普段歩いている廊下はタイル状のシンプルなものであり、フローリング用の掃除用具で簡単に掃除が出来る加工が施されていた。そのため室内灯に照らされ軽く輝く箇所はあったが、今回はそれとは違った輝きと共に、地面に触れる身体の至る所から『冷気』を感じられたのだ。不信に思った彼は床をよく視ると、一面に『氷』が張られてる事に気が付いた。
「イッツツ……… …何でこんな所に氷が張ってあるんだ……??」
「それ、多分…… ………」
「?」
彼の身を心配して駆け寄ったグリスンが身の安否を確認し終えると、相手は申し訳なさそうに言葉を呟き視線を別の方向へと向けだした。相手の顔を見たギラムはゆっくり目線の先へと向けると、そこにはリビングに腰を下ろし肩を揺らす幼い龍の姿が映った。窓辺から差し込む日光に照らされ、彼の周辺は乱反射する氷の姿が確認できた。
氷を張ったであろう龍の姿を目撃すると、ギラムは壁と床に手を添えゆっくりと立ち上がり、廊下を移動し龍の元へと向かって行った。膝を曲げ龍の表情を視ると、龍は少し涙目になりながら両手を喉元に沿え、必死に何かをこらえるかのように歯を食いしばっていた。
「キュフンッ キュフンッ……」
「フィル、お前氷の吐息が出せるのか? ……大丈夫か??」
「キュッ キュッフンッ」
苦しそうにする龍を目にした彼は、相手の背中に手を添え、身体を労る様に声をかけた。言葉を耳にした龍は顔を上げ返事を返そうとするも、どうやら苦痛が未だにある様子で、再び顔を下げ床に向かって吐息を吐き出した。吐息の触れた床は即座に瞬間冷凍され、先ほどの廊下同様に氷の床へと変貌させていた。しかし氷漬けになったのはおおよそ1メートルほどであり、廊下ほどの被害は出ていなかった。
「…多分だけど、まだコントロールが出来てないんだと思うんだ。まだ生まれたばかりだし、自分でも何でそれが出来るのかっていうのは、解らないんだと思う。」
「解らない?」
どうやら先程から相手の苦痛が続いていた様子で、グリスンは留守にしていたギラムに説明をしだした。
彼が早朝のランニングに出かけてからしばらくして、グリスンは朝食の準備をするべく起床し、顔を洗いに洗面台へと向かっていた。身支度を済ませた彼がリビングへと戻ろうとすると、そこには自身同様に目を覚ました幼い龍の姿があり、ギラムの姿が視えないためか主人を探す様に顔を動かしていた。そんな彼に対しグリスンは少しの間出掛けた事を伝えると、幼い龍は少し残念そうに落胆し、顔を下げたその時。龍は不意に喉の奥からこみ上げるモノを感じ、口を開け吐息を吐き出したそうだ。
それにより床の一部は凍結してしまい、龍は何故そんなことが起こったのか理解できず、しばしの間パニックに陥ったそうだ。慌てふためく間にも感覚は収まる事は無く、徐々に床の一部は凍り付き、廊下が凍結されてしまったのだった。
「元々個体の素質があったとしても、物心つく前だとやっぱり動揺しちゃうから……… それがもし周りの迷惑になってると思うと、必死に堪えたくなっちゃうんだよ。」
「………」
事情を理解したギラムはしばし考え、フィルスターの様子を見ながら背中を摩った。すると少し安心する様に表情を明るくするも、症状は治まらない様子で喉元に手を抑える事は止めようとはしなかった。
感覚をコントロールする事ではなく、どうやら自体が収まるのを待っている様にも見て取れた。
『嘔吐なら、いっそ吐き出しちまった方が楽になるんだが……コイツはそうはしたくないんだろうな。氷ともなれば水で洗い流す事も出来ねえし、物体が増えていく事にコイツは恐怖心を覚えてるはずだ。症状が出た時に俺が居れば、もっと楽にできる手法が考え付いたはず……… ………いや、まてよ?』
相手の苦痛を少しでも理解するべく観察を続けていると、ギラムは不意に何かに引っかかる様な感覚を覚えていた。
人に似た症状と照らし合わせると、恐らくフィルスターの今の状態を楽にさせるには吐き出させてしまった方が良いと、ギラムは考えていた。しかしそれには吐き出した先にあるモノを処理する環境が必要であり、氷ともなれば無暗に外部に払い出す事は出来ない。液体とは違った個体を処理する方法を考えていたその時、彼の脳裏にある言葉が過った。
『優しい子に育ててあげてね。お兄ちゃん、心優しい人だから。』
『雄は行動あるのみ、だろ。』
「優しい……行動……あるのみ…… ……そうだ! フィル!」
「? キュウ……?」
不意に何かを感じた様子で彼は声を上げると、フィルスターに何かをさせるべく声をかけた。名前を耳にした龍が顔を上げると、そこにはやる気に満ち溢れた主人の顔が映り、龍は少し首を傾げる様に眼差しを向けだした。同様に近くで様子を見守っていたグリスンも同じ眼差しを向けており、何をするのだろうかと目を向けていた。
「もう少しだけ待っててくれ、すぐに楽にさせてやるからさ。グリスン、大量の水を魔法とかで出す事は出来るか?」
「水? どうするの、ギラム。」
言葉を耳にしたグリスンは首を傾げ、何に使うのかと質問しだした。するとギラムはフィルスターの背中に手を触れたまま目線を下げ、相手を視ながら考えを述べ出した。
「もしこの素質とやらが迷惑になる、コントロール出来なくて怖がってるくらいなら……だ。その恐怖心は、早めに取り除いてやった方が良い。力が上手に制御できないのなら、それだけの経験を積めばいい。迷惑になっていないと思えるように、もっと周りが優しく接してやればいい。氷のブレスが出来るのは、水や物体を凍らせる事。今は丁度夏前だし、氷は多くて損はねえだろ?」
「……! そうだね! 僕、ラクトに頼んでみるよっ!」
「あぁ、頼むぜグリスン!」
龍の抱える恐怖心を取り除く方法に賛同した様子で、グリスンはパッと笑顔を見せ始め、行いに最適だと思われる相手に事情を説明し頼んでみると言い出した。相棒からやってくる頼もしい発言を耳にしたギラムは同意すると、相手は早速外へと通ずる窓ガラスを開け、その場から飛び出す勢いで外へと跳んで行った。
少し小高い丘に位置する庭から飛び降りたグリスンの姿が見えなくなると、残されたギラムは両手でフィルスターの身体を抱える様に抱き上げた。不意に身体の体制が変わった事に驚いたフィルスターは顔を上げ、何をするのかと主人の顔を見つめていた。
「………キュキュウ?」
「大丈夫だ、怖がらなくていい。フィルがその力を使いこなせないって思っても、無理はない。俺も真憧士になった最初は、魔法何てどうやって使えばいいのかも解らなかった。お前はまだ小さいし、怖いのは当然だ。」
「?」
「後で、思う存分凍らせられるモノを用意してやるからさ。その時に、上手に使いこなせるように練習すればいい。安心しな。」
「キュウッ…… キュフンッ」
主人からやって来る温かい言葉を耳にしたフィルスターは返事をし、再びやって来た感覚に両手で口元を抑えた。すると口元から掠れた吐息が漏れ出し、両手が軽く凍った事を視て、ギラムは優しく爪に付いた氷を取り除いた。
「大丈夫だぜ、フィル。」
「…… ……キュウッ」
「あぁ。大丈夫だぜ。」
自信を安心させてくれるべく言葉をくれる主人を目にし、フィルスターは嬉しそうに表情を明るくした。それを目にしたギラムは同様に笑顔を見せ、グリスンの帰りを待つのだった。




