19 世話(せわ)
新たに彼の住む部屋の同居人となるために誕生した、緑色の幼龍『フィルスター』 生まれたばかりの無垢な龍へ対し、彼等は優しく接し龍の世話をする事を決めた、その日の夜の事。彼が入っていた卵の殻は倉庫部屋へと保管され、その日から三人で生活する事となった。しかし彼の寝床を用意する時間も材料も無かったため、本日はギラムのベットの上で眠る事となっていた。
「キュー… ヒュー……」
「……寝ちまったか。」
夕食と共に湯浴みを済ませたギラム達は、リビングから寝室へと移動していた。名付けたばかりの幼い龍は白いシーツの上で尻尾を丸めてうつ伏せになり、静かな寝息を立てて眠っていた。背に生やした翼で身体が冷えない様、優しく羽織りながら眠る姿は、さながらぬいぐるみの様だ。
一足先に眠ってしまったフィルスターに対し、ギラムは静かにナプキンを広げ、彼の背中へと被せ出した。彼が普段から使用している枕元で、食欲も満たされご満悦の笑顔を見せていた。ちなみに使用したナプキンは、卵を温める際に使用した物であり、籠との間に挟んでいた際に使っていたモノだ。
「……良いなぁ。 ギラムに介抱されて……」
「ただの世話だぞ。 お前は何を羨ましがってるんだ……?」
「一応ギラムの相棒だし、僕も優しくされたいなーって。」
「なんだそりゃ。」
そんな彼が眠ってしまった様子を見て、グリスンは羨ましそうに言葉を呟き出した。ベットの上で世話をするギラムに対し、彼はベットへ上る事はせず、横から顔を覗かせて彼等を見守る事しか出来ない。元よりベットの上へと上る事を禁じられてしまっているため、彼自身もその言いつけを守っているのだ。さながら、理解度の高い『隣人』とも言えよう。
「……ま、お前の努力は十分認めてるぜ。 それじゃ駄目だろうけどよ。」
「ぅ”ー……」
そんな隣人に対し、ギラムは軽く呆れながら言葉を口にしていた。
なだめる様に言葉を伝えるも、変わらずに唸り声を上げるグリスンの考えは、彼自身も分からなくはないのだろう。だが自身と似た相手に対し、どんな接し方をしたら良いモノかと考える時があるためか、上手く相手にする事が出来ない様だ。見た目や年齢は自分と同じだが、精神的な年齢は幼く、自他共に認める『動物』のため、前例がないのも悩ませ続ける理由と言えよう。
中々に、獣人の世話は難しいと思えるその日であった。
「………ったく、しょうがねえな。」
ポンッ
「……?」
「そんなに拗ねんなよ。 俺達は単なる協力関係だが、お前が居る毎日は楽しいぜ。 ありがとさん、グリスン。」
「………うん。」
とはいえ、相手が何をしたら機嫌が良くなるかを理解していない、と言うわけではない。その場から手を伸ばし彼の頭を撫でると、グリスンは嬉しそうに頭を揺らし、主人に甘える『虎』の様に笑顔を浮かべるのだった。
嬉しそうに照れる所は、やはり動物なのだろう。フワフワの体毛に覆われた彼を何度か撫で終えると、二人はそれぞれの寝床で横になり、床に付いた。
それからしばしの時間が流れ、翌日の早朝の事だ。
ピロロンピロロンッ♪……
「ありがとうございましたー」
その日も早くから早朝のランニングへと向かうべく、ギラムは一人都市内で走っていた。良く晴れた爽やかな時間帯のその日は、珍しく寄り道をしていたのだった。
彼が立ち寄った場所、それは都市内でも大きな『広場』の近くに構える『コンビニ』だった。購入したのは、新たな同居人として誕生したフィルスター用の『粉末スープ』であり、立ち寄ったコンビニ店員の声に見送られ、外へと出て来た。
『うし、これで急に味に飽きられても安心だな。 龍の世話とかした事ねえから、何を要求されるか分かったもんじゃないな。』
購入した品物の入ったビニール袋を見つめながら、彼は軽くボヤく様に言葉を口にした。グリスンが軽くヤキモチを妬く理由が解らなくもない、行動の早さであった。その後品物の入ったビニール袋の中身を確認し終えると、彼は再び走り出そうと前を視た。
その時だった。
「……ん?」
進むべき道を走り出そうと顔を右へ向けたその時、彼の視界に見慣れないモノが映りこんだ。視界の左側に入り込んだモノ、それはフェンスに腰かける空よりも青い海の様な色味を持った存在だった。フェンスに腰かけ、背後に揺れる大きな尻尾を車道側に垂らす、鮫魚人の姿だ。
「……出てきたか。 おはよう、リアナスの青年。」
「ぉ、おはよう…… ……お前、何で俺が『リアナス』だって知ってるんだ……?」
「お前のエリナスである『グリスン』と顔見知りでな。 俺の名前は『コンストラクト』 長ければラクトと呼んでくれ。 奴とは何時ぞやの騒動の前に、自己紹介された程度の関係だ。」
「そうなのか…… …ぁっ、名前を名乗るのがまだだったな。 俺の名前は『ギラム・ギクワ』だ。 ……って、あんまり意味なかったか?」
「いや。 名前はしっかりと覚えていなかったから、かえって助かった。」
「そうか。 ……そっか、お前グリスンの友達なのか。 よろしくな。」
「あぁ。」
彼の目の前に現れたのはコンストラクトと名乗る鮫魚人であり、どうやらギラムに用があってその場で待機していた様だ。初めて遭遇するエリナスからの紹介を受け、ギラムは改めて自己紹介をするのだった。
自身がリアナスである事を知っていたまま接触を試みた様子で、知人同士の獣人達。知らない所で知人関係を作っていた事に、改めて驚く彼なのだった。
「それで、俺に何か用か?」
「言うほどの用ではないんだが、ちょっとばっかしお前と話をしてみようと思ってな。 ランニングの途中なら、走りながらでも構わない。」
「そうなのか。 じゃあ、一緒に走るか?」
「あぁ。 そうさせてもらおうか。」
その後二人は道中を進むべく走り出し、ランニングコースへと戻って行く。先を走る様に先導するギラムは慣れた足取りで走り出しており、変わって彼の後に続いて走るラクトも、彼と同じペースで走り出した。しかし彼の足元にはいささか違いがあり、地面に触れる湿り気を帯びた音を響かせていた。
グリスンと違い、彼は素足でその場を走っているのだ。おまけに魚人という事もあってか、指の間には『水かき』が付いており、音の発生源はそこからだろうと思うギラムなのであった。
早朝から遭遇した鮫魚人と共にランニングをしていた彼は、しばしの間足音しか聞こえない沈黙の中走り続けていた。時折何処からともなくやって来る小鳥達の鳴き声以外には無音であり、朝早くから走る電車の音がかすかに聞こえるほど、街は静まり返っていた。
「………」
『……… そういやコイツ、グリスンと違って『動物』みたいな体毛を持ってないな。 どっちかって言うと、『魚』みたいだ。』
何時しか道幅が広くなり隣を走っているラクトを視て、ギラムはふとグリスンとは違った人種なのだろうかと考えていた。
確かに彼と同じく人と同じ骨格を持っているが、グリスンとは違いラクトには『体毛』と呼べるモノは無い。尾びれと思われる頭部から突き出たヒレには赤いバンダナを巻いており、走るたびに駆け抜ける風によって静かに靡かせていた。衣服も彼と違ってとても簡素であり、むしろ服とは呼べない井出達だ。彼の手足に付いたオシャレな白地のリストバンド以外には、腰元に巻いた白い布地と紫色のスパッツタイプの水着しか着用していないため、身体付きが見て取れるほどにしっかりとしていたのだ。ギラムとは違った意味で体格が良く、どちらかと言うと『競泳選手』に等しい『無駄のない身体』と言えよう。腕と足は太いが、全体的に脂肪が少ないと言った方が、かえって伝わりやすいかもしれない。
浮き出た胸板に沿って掘られた『珊瑚の刺青』が、印象的な相手であった。
「……? 顔に何かついてるか。」
「あぁ、いや。 お前はグリスンと違って、毛深い動物っぽい顔をしていないなと思ってな。 お前は何ていう『獣人』になるんだ?」
そんな謎めいた相手を横目に走っていると、相手は目線に気付いた様子で声をかけてきた。言葉を耳にしたギラムは軽く返事を返しつつも、グリスンとは違う相手はどんなヒトなのだろうかと、質問をしだした。
「獣人と言う呼び方よりも、別の呼び方が相応しいだろうな。 言うならば『鮫魚人』だな。」
「魚人…? じゃあ、魚なのか?」
「区分上はな。 ……それにしても、あまり息を乱さず走っているんだな。 それなりに早いペースで走っているが、乱れがない。」
「あぁ、昔から走ってる事の方が多かったからな。 慣れって言えばそうだし、普通の人間とは違う職業に付いてたからさ。 早かったか?」
「いや、付いて行く事は難しくは無い。 水かきで走り辛いだけだ。」
「常時『フィン』を履いて走ってる様な感覚か? ダイビング用の。」
「そんな感じだ。」
獣人とひとくくりに考えていたギラムにとって、彼の話はとても興味深い話だった。
単語に表す事が出来る言葉であっても、深い部分を調べて行くと、それは格子状に広がるが如く様々な分類に分けられる様だ。自分達人間が属する『哺乳類』の血筋の者も居れば、彼の様に『魚類』の分類に該当する獣人も存在する。また両者の間に存在する『両生類・爬虫類・鳥類』という分類にも獣人達が存在し、それぞれの個性や細部の造りが違う事も教えてくれた。
彼の素足から聞こえる音の発生理由もそこに含まれており、彼は比較的『歩行』と言う行動が苦手な方に入る様だ。
「今朝、お前と話をしようと思った理由は、俺のリアナスがお前を気にかけているからだ。」
「ラクトのリアナスがか?」
「正直に言うと、俺は雄には興味は無い。 人間は俺等よりも力は弱いし、貧弱だ。 天災に巻き込まれれば、平然と何千何万と死んで行く。 関心すらないな。」
「すげぇ言われようだな………」
「……だが、お前はただのリアナスではないと、俺のリアナスは言っていた。 どういった意味合いで言っていたのかは分からなかったが、このランニングで他の人間とは少し違った素体を持っている事が解った。 お嬢が気になる訳だ。」
『お嬢…… って事は、コイツのリアナスは女なのか。』
その後朝から待ち合わせていた理由を彼は説明しだし、短時間ではあるが少しだけ相手の事が理解できた事を口にした。
自身と同じ性別の相手に関心は無く、ましてや自身よりも貧弱で死にやすい人間に、面白みを感じなかった様だ。例えそれがリアナスであっても話は同じであり、根本的な造りが似ていても、耐久面で言えば人間はとてももろい生物と言えよう。そのため彼と契約したリアナスが気になる理由が、ラクトには解らなかったのだ。しかし今ではその考えが少しだけ理解出来たらしく、彼は少しご満悦な笑顔を浮かべ出していた。
元々走行が苦手な自分達であったとしても、普通の人間であれば付いていくのが大変だと思うことは無い。それは彼の身体面が周りよりも強い事が理由であり、細身の体格ではあるが、彼は見た目以上に『力持ち』なのだそうだ。その力量を図る事はしなかったが、巣の状態で両者が腕相撲をしようものなら、結果が即座に決まってしまうレベルなのかもしれない。
まだまだ謎が多い鮫魚人の言葉から、ギラムは少しずつ理解をしていくのだった。
「……まぁ、だからと言って何かをするわけではない。 見解が改められただけだ。」
「そ、そうか…… ……まぁでも、そう言ってくれる様な男だって事だけは解ったぜ。 俺は俺自身を深くは理解してないから、周りからのそういった感想を聞くのは、少し嬉しいんだ。」
「ん? そうなのか。」
「いろいろと、な。 ……回りの様に、普通の生き方をしてきたわけじゃないからさ。 欠落してる部分があるんじゃないかって、いつも思うんだ。」
「……そうか。」
軽く話しながら笑顔を浮かべるラクトに対し、ギラムは少々表情を暗くしながら言葉を口にした。
リアナスとなった今の彼は周りと違った力を手に入れたものの、彼自身の『自信』に大きな影響を与えた訳ではない様だ。彼は自分自身の生き方が周りと違っている事を理解しており、送るべき過程が違うがゆえに、苦労する部分が少なからず存在していたのだ。
自分は周りを参考にして生きていける程、良い人生を送ってこれたわけではない。
周りは周りであり、自分が自分だからこそ、自分にしか出来ない『答え』を導き出したいと願っていた。彼の望む願望に対し多大な影響を与えかねない魔法の力があっても、まだまだ目測が建てられていない様だった。
そんな彼の言葉を聞いたラクトは徐々に歩を緩め、彼の横から少しずつ距離を置きだした。視界から不意に濃淡のある青色が消えた事に気付いたギラムが後方を振り返ると、相手はギラムを見つめながらこう言いだした。
「……? ラクト?」
「……いや。 ……お前にとってのイキザマが、本当に見出せる様にあがけば良いと思っただけだ。 雄は行動あるのみ、だろ。」
「あぁ…… ……そうだな。 そうするぜ、ラクト。 ありがとさん。」
そんな彼の言葉を聞いたギラムは、軽く背中を押して貰えた感覚に陥っていた。しかしそれは気遣いからの言葉では無く、同士らしい力強い言葉であり、ギラムにとっても嬉しい言葉だった様だ。
軽くはにかみながら笑顔を見せると、彼等は再び道中を走り出し、道を進んで行くのだった。




