02 依頼(いらい)
早朝のランニングを終えた彼が帰宅する頃、マンション内のホールには朝から仕事をしに出て行く人々達の姿があった。顔見知りの相手から始まり、見知らぬ老夫婦達からの朝の挨拶を貰いつつ、彼は1つ1つに応対しつつ部屋へと向かった。
子供から避けられる彼ではあるが、大人としての振る舞いは良く、周りからは変な目で見られる事も無かった。元々の仕事柄上『怖い』印象を与えがちなのにも関わらず、彼は相手が『困っている』と感じた時の行動力が凄く良いのだ。荷物運びは彼の得意分野であり、時々頼まれる仕事も傭兵としての依頼としてそつなくこなしている。そのため、定期的に住んでいる場所周辺からも依頼を貰う事がある。
そんな彼に感謝をしない存在は稀であり、皆気前よく彼の事を受け入れるのだった。
ガチャッ
「……ぁっ、おかえりギラムー」
アパート内の通路を通過し終え、彼は部屋前の扉のロックを解除した。扉を開けると同時に奥の部屋に居たグリスンからの声がかかり、彼は1人暮らしなのにも関わらず『出迎えを受ける』という不思議な感覚に陥っていた。周りの存在からしたら彼の声は聞こえないのだが、彼には聞こえるため軽く驚きつつも自室へと向かって行った。
「ただいま、グリスン。 ……何してんだ?」
部屋へと向かって行くと、彼はキッチンに居たグリスンの元へと向かって行った。手にはフライパンとフライ返しが握られており、どうやら1人で朝食を作っていたようだ。その証拠に、コンロ近くのシンクには卵の殻やボールが散乱している。
「朝ご飯作ってるんだよ。 ギラムも食べるよね?」
「あぁ…… ………実は、ジョギング前に食っちまったんだ。」
「ぁっ、そうだったの!? ゴメン、勝手に食材も使っちゃって………」
楽しそうに食事を作る彼を見ながら、ギラムは申し訳なさそうに彼に一言告げだした。無理を言って食わないのも悪いと判断したのか、事前に食べている事を報告する方を彼は選んだようだ。彼の返答を聞いて残念そうに言うグリスンを見て、彼はまた言葉を間違えてしまったかと、少し考え出した。
相手に気を悪くさせないようにしたくても、中々上手には出来ないもの。そんな相手に対してのフォローを考えるのは、ギラムの良い所である。
しばらく考えた末、彼はこう言った。
「………せっかくだし、少しだけ貰っても良いか?」
「ぇっ?」
不意な言葉にグリスンは一瞬耳を疑い、彼の目を見た。すると彼は少し微笑みながら彼を見つつ、再度同じ言葉を告げだし、聞き間違いではない事を意識させた。
「走って軽く腹も減ったからな。 お前の考える量で良いから、何か頼むぜ。」
「! うんっ!!」
気分を悪くさせた返事に補足をするように言葉を付けたし、彼は好きなように作ってくれていいとグリスンに伝えた。するとその言葉を聞いたグリスンは一気に表情を明るくし、嬉しそうに彼に返事をしつつ手を動かし出した。それを見て安心したのか、彼は再度笑顔を見せた後、テーブルへと向かい椅子に腰かけだした。
突如増えた新しい同居人は、ギラムが簡単に手懐けるほど甘い存在ではなかった。何をしでかすか解らない子供の様な考え方に加え、気を使ってくれているのにも関わらず空回りしてしまう彼の配慮。それに対し返事に困るギラムであったが、何事にも焦らずに何を失敗したかを考え直し、再度相手に向けて言葉を放つ。誰にでも出来そうで出来そうにない事を、彼はグリスンに対し行う事を意識していた。
相手に無駄な努力をさせては、自分も大変な事に巻き込まれてしまう。
そんな心配もあり、自分と相手の安全を考えるやり方だった。
変わってグリスンはと言うと、ギラムの事は大好きであり何とかして彼のサポートに回りたいと思っていた。しかし相手は自分よりも素質のあるリアナスであり、エリナスなのにも関わらず彼は助力をする場面に恵まれる事が少なかった。体力面から見ても彼よりもずっと細身であり、料理に対してもギラムの方が上なのだ。無理に頑張ろうとすると彼に怒られてしまい、何ともいえない状況が続いていた。しかしそれでも、彼は行動する事自体を止める事だけはしなかった。
行動をしなければ、感謝をしてもらう事なんてない。
彼はそう考えており、なるべく怒られない様気を付けながらも『何か出来ることをしよう』と思うのだった。
「ご馳走様。」
「お粗末様でしたっ」
その後簡単な調理による二度目の朝食を終え、2人は合掌し食事を終えた。食べる際に使った食器を片づけ、ギラムは彼の使った食器も合わせ洗い出した。特にする事が無くなってしまったグリスンはと言うと、そんなギラムの姿を見つつテーブルに肘をついて見守っていた。
「……なぁグリスン。 お前って、日中何かする事はあるのか?」
そんな彼の視線を感じたギラムは、先ほどのランニング中に考え付いた事を思い出し、彼に話題を振った。
前日は施設での行動もあって1人にさせていたが、その際彼が何をしていたかはギラム自身も把握していない。普段は何をする事にしているのか、その確認も取りたかったようだ。
「僕? ううん、リヴァナラスじゃする事はないかな。 まだ契約して日数も経ってないし、報告する事とかもほとんどないから。」
「じゃあ、暇なんだな。 一応。」
「うん。」
質問に対し彼はそう答え、少し嬉しそうに彼の顔を見続けていた。顔付が普通の人間ではない彼の笑みは柔らかく、人とはまた違った笑顔を見せていた。動物特有の表情と言った方が、正しいのかもしれない。
「ギラムは、今日もお仕事?」
そんな癒し効果のありそうな笑顔を向けられていると、不意にグリスンからの質問が飛んできた。彼もギラムの仕事先の状況や詳しい仕事内容は把握しておらず、共にまだまだ良く知らない間柄。パートナーと言っても、今の所肩書でしかないのだ。
「いや、今日は別の方面での仕事だ。 本職の方を、少しな。」
「えっ? あの場所に行くことが、ギラムのお仕事じゃないの?」
質問に対しギラムはそう答え、今日は別の場所へと赴く事を彼に伝えた。
普段の日常は仕事三昧とは程遠い暮らしであり、左程困らない額の依頼料を蓄えながら、ギラムは生計を立てている。時折今日の様に別の土地へと赴き、そこで依頼を拾ってくる事もあるのだ。今日はその場所に、グリスンを連れて行こうかと考えていたのだ。
「グリスンが知ってる施設は、前に居た仕事場って所だな。 前までは『治安維持部隊』の准士官としての『隊員』だったんだが、今はその考えは無くて『傭兵』として行動している。 依頼を受けて、それをこなす。 要は仕事の代理みたいなもんだな。」
「『替え玉』みたいな感じ?」
「罪悪感のありそうな言い方をしないでくれ……… それよりも、もっと正規の仕事だ。」
「そうなんだ。」
一瞬驚いた彼に説明を入れると、何故か彼の仕事が『犯罪絡みの仕事』だと認識されてしまった様だ。
軽く呆れつつも弁解する様にギラムは言うと、彼は納得した様に頷きだし、ちゃんとした仕事をしているんだと再度認識していた。時折話がかみ合わないと言うよりは、彼の認識と知識の差で誤爆する事がある様だ。しかしちゃんと話が通じるためか、すぐに会話の分岐点とした場所に戻ってこれるだけ、良いのかもしれない。
「……で、ここからが俺の提案なんだが。 グリスン、俺の本来の仕事風景。 見てみないか?」
「ギラムの仕事風景……!? 見たい見たい!! ギラムのカッコいい姿を、また見られるって事なんだよねっ!」
そんな彼との軽いコミュニケーションをした後、ギラムは本題をグリスンに振ってみた。
すると、提案を聞いた彼の表情が一気に明るくなり、とても嬉しい提案をしてもらったと言わんばかりの笑顔を振りまいていた。何処となく彼の周りの空気が淡い橙色に染まった様にも見えたが、恐らく幻覚だろう。そこまで嬉しい提案だったのかと、ギラムは少し首をかしげていた。
「悪いがそこまで綺麗な仕事じゃねえぞ? 基本地味だし、依頼主の内容によってはけもの道そのものだからな。 それだけは、忘れないでくれ。」
「うんっ!」
とはいえ、彼の補足説明はグリスンの耳にはあまり入っていない様だ。何よりも大好きなパートナーから『仕事先への同伴』を許可されると言うのは、中々無い申し出なのだろう。能力が劣っていたと思っていたグリスンにとって、何よりも嬉しいご褒美の様なイベントだった。
そんな彼の笑顔を見て、ギラムは提案した事が良かったのだと思い、嬉しく思うのであった。
提案が受理され身支度を済ませると、彼等はマンションを後にし、彼の愛用しているバイクへと乗り込んだ。操縦席である車両の前方にギラムが座り、彼の後ろにグリスンが座り腰に手をまわしていた。いつぞやの嬉しかった出来事の後の事を思い出し、グリスンは『とても楽しい事が始まりそう』と笑いながら話していた。彼の言う事に少しオーバーだと思うギラムであったが、それだけ彼が嬉しいと言う事だけは解っており、特に何も言わずにそのままバイクを走らせだした。
「ねぇギラムー 今日は何処に行くのー?」
彼の背中に密着する様にくっついたグリスンは、バイクのエンジン音の中でも聞こえるくらいの声量で彼に質問した。元々行先を詳しく知らない彼にとって、情報収集をしなければどんな場所かもわからない。周りに見えない存在だとはいえ、何かしらの危険に対しては彼も助力するつもりのようだ。
「リーヴァリィの街の外れから、大分行った先にある『ヘルベゲール』って離島だ。 この辺に住んでる傭兵達なら、誰でも行った事のあるほどの、有名な資源が豊富な戦場地域だ。」
「戦場地域………?」
「つっても、それは肩書きだけどな。 戦争をする場所じゃなくて、傭兵の主な活動拠点だ。 依頼がたくさんあるんだぜ。」
「そうなんだっ」
質問に対し、ギラムはバイクを操縦しながら後ろに向かって返答した。
彼等の行く先はリーヴァリィの街から離れた場所に存在する場所であり、『築港岬 ヘルベゲール』と呼ばれる離れ島。新米からベテランの傭兵達が良く赴くのがその島であり、資源採掘に関しては他の地域よりも確実にこなす確率が高い場所としても有名だ。道中は荒地を走り海を渡らなければならない程の距離であるが、それでも時間を払ってでも行くだけの利点がその場所には多い。何より島のふもとにある集落では、ギラムの様な傭兵達を必要とする依頼人達が数多く存在するのだ。
その場で必要な資源の確認を行ったり、遠くから来ている人々の依頼を受けてくれる傭兵目当てにやって来る人達も少なくは無い。しかし稀に、こんな事もある。
リリリッリリリッ………!
「ん? 悪い、ちょっと止めるぜ。」
「う、うんっ」
街の外へと飛び出して数分後、彼の持っていたセントミンスが音声通話を受信し音を発し出した。特定周波の骨伝導によって音に気付いた彼は、グリスンに一言断りを入れた後、バイクのスピードを緩め道沿いに停車した。その後ゴーグルを外し、運転席に取り付けていた端末を取り外すと、指紋認証をした後通話を開始した。
「もしもし、俺だ。 ……アリン? どうしたんだ、何かあったのか。」
停車した事もありグリスンはバイクに跨ったまま彼の通話光景を見ていると、聞き覚えのある相手の名前を聞き不思議そうな顔で彼を見つめだした。電話の相手は財閥の令嬢であり、彼の友人でもある『アリン』かららしく、意外な相手に驚きながらギラムは応答していた。
「えっ、在庫が足りないのか? 発注元から、そんな話があったのか……… 解った、丁度これからヘルベゲールに行く所だったんだ。 そこで良ければ、何か調達して来るぜ。 ……あぁ、任せな。 とりあえず、期限だけ聞いておいていいか。」
その後話をし何かがまとまった様子で、ギラムは持っていた端末を耳から離し、慣れた手つきで画面をタップした。
すると画面から電子版の様なメモ帳が飛び出し、彼は左手に端末を持ち直した後、再び会話をするように耳元へと持って行った。変わって手空きとなった右手は展開した画面に手を触れ、まるで紙に書くように指で文字をなぞり、話のメモを書き取っていた。瞬間的に展開された電子版に驚くグリスンであったが、なるべく邪魔をしない様しつつも彼の手元部分や下からの光景はどんな感じなのだろうと、興味津々に覗き込んでいた。
「……… ……了解、じゃあ明後日までには届けるぜ。 早くなりそうだった、こっちから連絡入れる。 じゃあな。」
しばらくすると電話を終え、端末を操作しながら画面を弄り、彼は電子版を軽く見直し機能をオフにした。すると瞬時に電子版がその場から消失し、グリスンは一瞬驚き目を見開いていた。
「お仕事??」
「あぁ、近々行われるファッションショー用のアクセサリーの在庫が合わなかったらしくてな。 急遽発注を頼んだんだが、どうやら材料不足ですぐに作ろうにも手が出せない状況らしいんだ。 とりあえず、砂漠地帯で何か宝石を探してみるか。」
電話の相手から何を頼まれたのかと尋ねると、ギラムは淡々と答え再びバイクに跨り発進させた。
依頼内容はシンプルであり、近日行われるイベントの為の装飾品の材料を調達する内容だった。
アリンの務める財閥はとても大きい事もあり、中止や延期をすると1つ1つの問題が発生し、時には大問題になる事も少なくは無い。工場に発注や別の物を頼むも、最近では資源が高値で取引されていた事もあってか、コスト以上になってしまい材料もなくどうしようもない事もあるのだ。
そこで彼女は考えを別の方向に向け、材料があれば期日に間に合う事を突き止め、彼に頼み込んできたのだ。元々仕事や休日に顔を合わせる事もあったためか、連絡先を知っていた事も功を宗したのだろう。仕事の腕前は良い方と言う事もあってか、頼られている様だ。
「凄いね、やっぱギラムはカッコいいっ。 僕も、そんな風に頼られる相手になりたい。」
「俺はそんなたいそうな人間じゃねえよ。 ……自然とそんな風になる事が多い、ただそれだけさ。」
軽く褒めるグリスンであったが、彼は素直に受け取らず間が良いとだけ認識している様だった。
謙虚に受け取ってしまう理由は定かではないが、何処か素直に受け取るにもあまり自分に自信が持てていないのかもしれない。ちょっとだけ勿体ないなとグリスンは思うも、手をまわしている彼の身体は大きい事もあってか、そんな心配は今だけになる様にと願いつつ、バイクに揺られるのであった。