02 教育と思い出に笑顔が付く
自らが生活していた世界から逃げ延びて来たライゼとピニオがギラムの家に転がり込み、数日が経った頃。自身の身体を治すべく投じた魔精薬の効力もあってか、ライゼ本人の怪我が重症化する事も無く傷口が化膿すると言った事も起らなかった。
肋骨を何本か折ったのにも関わらずピンピンしているライゼの治癒力の高さを評価したいところだが、実際の所は薬の効力が大半であり既にくっ付いているだけのため、細かい所は保留としておこう。
処置の際に使用済みとなった包帯と共に自らの血液で染まった羽根が数十枚出た以外は、なんて事の無い日常と成りつつあった日。『再教育』と銘打った行いを実行に移すべく、朝からとても賑やかなやり取りが行われていた。
「……で、コッチもピシッ張るっす。皺が有ったらそれだけでやり直しっすからね。」
「え。な、なんでそんなに厳しいの……? 当たり前ではあるんだけど……」
「まぁ、そう言う所だったからっすかね。規則と規律を重んじてる組織だったっすから。」
「へ、へぇー……」
寝てばかりでは身体が訛ると判断したのか、その日のライゼは身体の一部に包帯を巻いたままグリスンを隣に、ギラムが普段使用しているベットの直し方を教えていた。実際の所最近まで使用していたのはライゼ本人のため『自分の寝床を直しているだけ』と言えなくも無いが、前提そのものはどうでも良いのだろう。
手慣れた様子で大きめのベットの四隅へとシーツをパッドの裏へと織り込み、適度に布地を引っ張りあっという間に済ませてしまうのだった。
普段から綺麗な白のシーツを使用している事もあった為か、皺の無い綺麗な状態のベットはまるで宿泊施設バリの出来である。
「んで、この行いを起床と同時に行うっす。頭を叩き起こしてから即実行。」
「ぅ、うーん……僕がちょっと苦手なやつだなぁ。」
「駄目っすよ、そんなんじゃギラム准尉の相棒ポジションは譲りませんッ」
「ぅーっ」
口調はそれなりに丁寧ではあるが教育をしっかりするべく、ライゼは一切グリスンの弱音を聞き入れる姿勢を見せなかった。背丈差はグリスンの方が高く目線も上なのにも関わらず、尻込みしない体制のライゼはそれなりに迫力があったのか、ますます委縮する一方の現相棒。新たな隣人に自身のポジションを取られそうな不安に駆られつつも、グリスンは一生懸命に教わった事を改めて行うのであった。
シーツを剥がしては掛け直し、出来が甘ければやり直す。暫くはそんな光景を目にしそうなやり取りであった。
そんな彼等のやり取りを、ギラム達は隣のリビングルームから静かに目にしていた。
「朝から張り切ってるな、ライゼ。」
「とりあえず『ベッドメイキング』を教え込んでるみたいだが、基準は『治安維持部隊での基本行動』って言ってた気がするな。」
「キュッ」
「ギラム准尉の指導を直で受けた訳じゃないっすけど、コレくらい出来てもらわないと困るっす。ギラム准尉の隣に立てる相棒は、ギラム准尉に負けず劣らずの相手が良いっすからね。それなら俺だって負けを認めます。」
「いや、別に負けを認めんでも…… まあでも、習慣になってるって意味で言えば治安維持部隊は指導が徹底してるから、良いっちゃ良いのか。」
「うっす。……んで、次っすよ。」
「えっ、まだあるの!?」
「こんなの序の口っすよ? 基礎中の基礎っす。」
遠目から視れば微笑ましいが巻き込まれたらたまったモノでは無いやり取りをしつつ、ライゼは次なる教育をするべく場所を移動すると言い出した。早朝から付き合わされていたグリスンが驚き再度聞き直すも問答無用、まだまだ教える事は沢山あるとばかりにライゼは両手を腰に当て胸を張りつつ言っていた。
心なしか勇ましい体制を取っており、威勢だけは何処となくギラムの様にも視えなくない。
そんな彼に弱音を吐きながら助けを求めるグリスンの声も聞こえるが、ギラムは右手を軽く顔元まで上げつつ左右に振り『諦めろ』と仕草で訴えるのだった。
「ライゼはこういう所は断固として譲らねえよ。俺もその眼で言われたら敵わん。」
「お褒めに預かり、恐縮っす。」
『ギ、ギラムを負かせる程の子なんだ………』
あからさまに従順な姿勢を見せるライゼにすら白旗を上げるギラムの発言を聞き、グリスンは再度驚かされつつもそのまま背中を押され別室まで移動させられて行った。廊下を移動する際も眼で視線を送るが誰も助けてはくれず、ピニオは愚か近くに座っていたフィルスターですら微笑ましいモノを視る様な目を向けていた。
とはいえそんな行いの中でも疑問は浮上するのだろう、ある事が引っかかりグリスンは移動先で足を止めつつライゼに質問をしだした。
「でも凄いね、ギラムにあんな事言わせられるなんて。僕もそれを聞いちゃったら、負けを認めたくなっちゃうかも。」
「? そうっすかね。ギラム准尉は優しいから、俺の頼み事を聞いてくれるだけっすよ。じゃなきゃ普通に力でねじ伏せられてお説教だろうし。」
「……君の居た部隊って、どういう所なの? 監獄??」
「近いかもしれないっすね。」
しかし質問の先に疑問が浮上するのは、何処となく闇が深そうな所だろう。ライゼの普段から活動する組織は愚か、リヴァナラスで主体としていた治安維持部隊の背景を垣間見るだけでグリスンは恐れを感じる程だ。
よっぽど訓練と鍛錬の日々を送って来たのかもしれないと思いつつ、次なる指導先である『パントリー』での話を聞くのであった。
そんな彼等の様子を軽く見守っていた後、ギラムは再びリビングへと戻り抽出を終えた珈琲をカップに注ぎながらその場で待機する者達の元へと置き出した。マグカップの一つは自身と同じ顔をしたピニオの元へ置きつつ、もう一つは多めのミルクを入れたカップであり彼の前に座るフィルスターの元へと置かれていた。
ちなみに今回挽いた豆はカフェインレスの物であり、香りだけでも楽しんでいたフィルスターでも飲める代物である。
「あの調子なら、ライゼの好きにやらせとくか。適度に身体が動かせるなら、動いた方が良いだろうしな。」
「良いのか?」
「傷口が開かない程度なら、動きが訛るよりは良いからな。その点は口出ししないぜ。」
「キュキュッ」
「ん、フィルも指導受けたいのか? 熱心だな。」
「フィルもギラムの相棒の一人だしな。二人の後ろ足で、尻尾踏まれない様にな。」
「キュッ!」
しかし今回はそんな珈琲よりも気になる要素が強かったのだろう、フィルスターはそう言いつつテーブルから飛び降り翼で軽く羽ばたきながら地面へと着地した。その後ぽてぽてと歩きながら二人の居るパントリーへと向かって行くと、グリスンの身体をよじ登り目線を同じくして話を聞きだすのだった。
そんなフィルスターが離れて行った事に対しギラムとピニオは軽く苦笑すると、珈琲を口にしつつこんな話を交わしていた。
「……でも本当、あーいうライゼの顔を視るのは新鮮かもしれないな。クーオリアスでは黙々と仕事をしてる光景しか、視た事無かったから。」
「そうなのか? こっちとは正反対だな。」
「ギラムから視たら、今のライゼの方が自然体なのか。」
「あぁ、確かに出会い頭の頃は黙々とっていう表現が近かったかもしれないが…… 何て言うか、ライゼの緊張感みたいなものが解れた頃からはこんな調子だぜ。従順な所は確かに変わらないし、かと言って自分の意志を押し通したい時はさっきみたいな真っ直ぐな眼で俺の事をみてきたからな。」
「……気迫、みたいなものか?」
「んや、そう言うのとはちょっと違うかもな。………」
「……ただ、何となくだな。」
「?」
「ライゼのあの行動を視てると、ちょっとガキの頃を思い出すって言うか…… 何か近いモノがあるんだよな、視てると。」
「そうなのか。……ギラムも、何かやんちゃしてた時期とかあるのか。」
「割とな、普通に出かけて擦り傷とか作りまくってた時期は全然あるぜ。おかげで両親によく怒られたもんだし、ライゼはそう言う意味では視てて懐かしく思うな。」
「そっか。」
自らの過去を少しだけ思い出すような、やる気に満ちた眼を常に向けて来る相手。そこには既に亡き父の姿も有れば遠くに住む母の姿もあり、独りで居る今を忘れさせてくれていたグリスン達もまた同じような思い出と共に光景を目にする事があるのかもしれない。
そんな場に自らと同じ姿をした弟の様な存在のピニオもまた居るとすれば、この先の未来がどんな風に視えて来るかも解らない。
ほんの少しだけ感謝を思い浮かべながら珈琲の入ったマグカップを手にした、その時だった。
「呼びましたか!? ギラム准尉!!」
「うおっ!」
平穏な時間を速攻で皆無にする威勢のいい声を耳にし、ギラムは驚きながら声のした方角を目にしだした。そこには先程まで別室に居たはずのライゼが眼を見開きながら立っており、その眼には願望からなのかキラキラとした光と共に彼が居たのだ。
そこまでの眼を向ける理由に関して言えば、ギラムには心当たりがない。
「なんだ、何時の間に戻って来たんだ??」
「ギラム准尉が俺の名前を読んだ気がしたので、速攻で戻ってきましたっ!」
「そ、そうか…… 用事はねえから、続けてて良いぞ。」
「うっすっ!」
とはいえ呼ばれただけでも文句ひとつ言わない所はライゼのいい所であり、ご丁寧に敬礼をした後に駆け足で戻って行く所も部隊仕込みなのだろう。戻り先で告げられたのであろう言葉に対しグリスンの悲鳴が遠巻きに聞こえる中、ギラムは我に返り驚いた拍子に跳び出した珈琲がテーブルに付着しているのを目にし、近くに置かれていたティッシュペーパーで綺麗にするのだった。
そんなギラムを視てか、ピニオは苦笑しつつこう言うのだった。
「……似てるのか?」
「んー…… 違うかもしれねえな。」
「フッ、そういうギラムも視て視たかったかもしれないな。」
「それ、ちょっと馬鹿にしてるだろ……」
「そんな事無いぜ。」
少しだけ心情が落ち着かない様子のギラムから目線を送られるも、ピニオは気にしない素振りを見せながら珈琲を口にするのだった。
 




