09 塗り替えられる現実
強襲された衛生隊の区域を脱出する勢いで外へと飛び出した、ライゼとピニオが別の場に現れたのは騒動が少しだけ落ち着いた後の事。陽の角度が再び傾き夕刻にはまだ早いその時、彼等は何時かに訪れたギラムと共に来た事のある、城塞区域『ヴェナスシャトー』から外れた遺跡の近くへとやって来ていた。
正確には『空間先から放り出される勢いで』と補足した方が良いかもしれないが、細かいところは置いておこう。
「……っとっ。……… 此処って……」
「俺が何時もリヴァナラスへ行く時に使ってる、遺跡の前だな。転送先については聞いてなかったが……非常時にピッタリな場所、って訳か。流石はベネディスって所かな。」
「本当にその通りっすね。………イッツツッ」
行先不明で脱出した彼等が安堵したのも束の間、不意にピニオの前方に立っていたライゼは脇腹を抑える様に両手を動かしながら、蹲る様に前傾姿勢を取り出した。突然の苦痛の声に驚いたピニオは体制を変え、彼の顔色を覗き込むように膝を付き彼の様子を窺がい始めた。
どうやら先程まで必死過ぎて忘れていた痛覚を身体が思い出した様であり、改めて殿内での戦闘ダメージがまだ残っている事を理解するのだった。
「……大丈夫か?」
「うっす、なんとか。……大分こっぴどく蹴られた痛みが出て来ただけっすから、平気っす。ひと安心したからかな、余計に痛覚が戻って来ただけっすよ。」
「……… 魔精薬では、なんとかならないのか。」
「即効性のあるモノは無いっすね。どっかで療養が取れれば促進させて治す事は出来るんすけど……まずはそれを確保出来る場所まで行かないと。……それに。」
「?」
「マウルティア司教殿が危惧してた現状に成った今、クーオリアスでのうのうと時間を送る訳には行かないっす。……ギラム准尉達の身が、危ないから。」
「………」
しかし彼には次に取るべき行動が明確に視えていたのだろう、再び前を向く様に背を伸ばしピニオにリヴァナラスへと向かう為の路を繋いで欲しいと言い出した。しっかりと自分の足で立ってはいるものの手の位置は変わらず脇からは離れていない所を視ると、再び戦闘をするのには困難な身体である事は語るまでも無いだろう。
おまけに無理を無茶にしかねない彼の性格からして『早々にこの場から移動した方が良い』と考えた様子で、ピニオは静かに頷き普段から移動するのに必要な行いに取り掛かるのだった。
行いと言っても儀式に近いモノとは少し異なり、彼が携帯している専用の武器を鍵とし異空間の扉が開かれているだけの話にすぎない。だがその行いはピニオ本人の意思と扉を結びつけるのが大事であり、何方かが欠如していれば成立はせず、扉そのものを可視化し通過する事も出来ない。
今のライゼ本人の力では到底出来ない力の発生だったためか、ピニオは一切反論する事なく行動を取っていた、まさにその時だった。
「でも……どうして、そこまで確信を持てる言い方が出来るんだ……? ライゼ。」
「一応コレでも、マウルティア司教殿の右腕として行動してたから……っすかね。マウルティア司教殿がピニオの様な造形体を創る事を望んだ経緯はちゃんと理解して無いっすけど、この計画に気付いて手遅れになる前の措置として立案された事だけは解った。だからかな、そう言い切れるのは。」
「……そっか。」
「ピニオは……やっぱり、残念っすかね。そんな計画の板挟みの間で造られたっていうのは。」
「……何て言えばいいのか解らない感情が沸き上がったって言うのは否定しないが、それが『憎しみ』とか『恨み』とかっていう黒いモノとは………少し、違う気がするな。ギラムが元々そう言うのを抱え込んでも、発散するよりも抑え込む方を選びがちだからかもしれないな。……事実に近いかもしれない話をライゼから聞かされても、俺はお前を手にかけようとは思わない。」
「………」
「不思議と、ライゼにはそういう想いを抱かない所も……もしかしたら、ライゼがギラムに信頼を得ているからなのかもな。お前さんはそういう事を想わせる様な事はしないし、どうしてか……そういう眼を常に向けている気がする、な。」
「?」
「信頼させやすい質なのかもな、ライゼは。」
自らが行うべき行動をしながらピニオはそう言うと、ライゼは少しだけ驚いたような表情を見せだした。一部の知り合いは愚か友人と呼べる存在達からあまり言われる事の無い言葉だった事もだが、彼からすると別の意味でも驚かされたと言っても過言ではないのかもしれない。
彼に対しその言葉を放った事のある相手は数えられる程であり、ましてやこの世界の存在では無いのだ。
リアナスでもエリナスでもない造形体の彼がそんな事を言ってくれるとは、想っても視なかったのだ。
そんな彼からの言葉で励まされたのだろう、ライゼは少しだけ笑顔を見せだしピニオにお辞儀をし、目の前に開かれた閃光の放たれる扉の中へと向かおうとした瞬間の事だった。
「……ライゼ。」
「?」
ヒョイッ
「うおっ! えっ、えっ!?」
「肋骨、やったんだろ。距離があるから動くのは控えた方が良い、臓器に負担がかかる。」
「だ、だからってお姫様抱っこしなくても良いんすよ!? おんぶとかで良いっすから!!」
「馬鹿野郎、背負ったら肋骨にダイレクトに衝撃がいくだろ? 今は大人しくしてろ。」
不意に歩みは愚か自身に掛かる重力の感覚が意図しない方角へと変えられ、ライゼはそのままピニオの両腕の中に確保される形で捕獲されてしまったのだ。背中と両足から伝わって来る相手の腕の感触に加えて相手の顔が急接近したからなのだろう、彼は慌ててその場から逃げ出す様に身体を動かすも、時すでに遅し。
完全にお姫様抱っこされてしまった状態で相手の身体を押しやるも、無駄な抵抗である事を告げられてしまうのであった。
ちなみに無駄な補足として付け加えておこう、仮に応戦した所でライゼはピニオの腕力には勝てずこの場で離れた所で転げ落ちるのがオチであると。
「………ハァ。普段は何処かしらが違うのに、こういう時はギラム准尉とそっくりの口調だから困るっす。命令されたら断れないっすよ………」
「知ってる、だから言ったんだ。」
「ちょっと悪戯交じりに言う所もそっくりっす。」
何を言った所で離して貰えないと理解したのだろう、ライゼは不貞腐れた様子で両腕を組み口をへの字に曲げてしまうのだった。そんな彼を視たピニオもまた苦笑する様にちょっとだけ鼻で笑った後、彼を抱きかかえたまま扉を通過しだしそのまま彼等はクーオリアスから姿を消してしまうのであった。
一方、その頃………
「………」
ライゼ達の向かった先である『現代都市リーヴァリィ』の存在する『リヴァナラス』での事。少しだけ傾き始めた太陽が照らすバルコニーで独り、ラムネ菓子を加えたまま外の景色を眺めるギラムの姿があった。
都市内で行われたお祭『ハーベスト・カンシュタット』は無事に終了し、後片付けが行われ数日が過ぎたその日。治安維持部隊の見回りも行われる中いつもの日常が都民達に戻って来た中、彼だけはいつもとは少しだけ違う表情を見せていたのだ。その顔は無表情とは少しだけ異なる顔をしており、強面な元の表情も相まって『険しい』と言った方が良いかもしれない。
深刻そうな顔とはまた異なっており、かと言って虚無でもない。そんな複雑な顔をしているのには、訳があった。
ーーーーー
彼が今の状態に至る少し前、彼はとある喫茶店を訪れていた。それは彼にとって馴染みのある場所であり、先の戦いに少しだけ所縁のある場でもあったからだ。
自らが対峙し、そして全力で闘争に挑むにまで至った存在の『居た』場所。その場がコレからどうなるのかを、彼は確認しに行ったのだ。
〔えっ、帰省……?〕
〔はい。何でも田舎の祖父の容体があまり良く無いとかで、長期の欠勤申請を貰っています。経過報告も兼ねて連絡をする予定ではあるけれど、半月以上音沙汰が無ければそのまま解雇扱いで良いとか。〕
〔………〕
彼が確認しに行った店に行われていた情報操作、それは『その場に居ない期間を創り、そして自らを自然消滅させる』というモノ。今までウェイトレスとして働いていた喫茶店の店主には既に手を打っており、ギラムからの情報など初めから不要とされる現実が創られていたのだ。
都市内で行動していれば有り得そうな理由など幾らでも創り出せるとはいえ、そこから自らの存在を消し始めから無かった事にするのは誰にでも出来る事ではない。ましてや彼の様に『相手を認知している存在』に対しての情報操作には限界があり、彼の様に認知しているお客がこれからも来店する事はあるだろう。
故に『相応の時間』をあえて用意し、そして徐々にその認識そのものを歪ませていく。
魔法など使わずとも出来るであろう、少しだけ手の込んだ細工であった。
〔何か、あの子と御縁があったのですか。お客様は。〕
〔あぁいや、そこまでの縁とかじゃねえんだが……… 定期的に此処へ来る度に居たから、不意に姿が見えないと気になるもんなんだなって思ってさ。〕
〔左様でございましたか。〕
しかしそんな認識である以上、彼は店主に対し何かを告げる事は選ばなかった。事実を話した所で信じてもらえるかも解らない、ましてや彼女の身柄に関しては既に治安維持部隊内でも極秘に埋葬する事が確定しており、今更引き渡してもらう事など到底無理だろう。
仮にその行いが成立したとしても、今度はどう言い繕って相手と肉親である者達に説明をしたら良いのか。
その後の必要な情報開示には余りにも量と時間を費やす為、彼自身も『選べなかった』と言っても過言では無いのだろう。それだけの事を成したとして、本当に周りの者達の為に成るのだろうか。答えそのものが出てこない、とても難しい問題として捉え処理するしかなかったのだ。
〔まあ何はともあれ、教えてくれてありがとさん。何時も笑顔で接客してくれてたから、個人的に此処へ来る度に気分が良かったぜ。〕
〔お褒めに預かり恐縮です、本人に代わって御礼を申し上げます。〕
〔ご丁寧にありがとさん。御馳走様。〕
〔ありがとうございました。〕
現状把握をする事が出来たからだろう、ギラムはその後頼んだ珈琲を口にし終えその場を離れる事を選ぼうとしていた。この店に来る頻度は減るかもしれない、この違和感を感じ続ける存在はもしかしたら自分一人になるかもしれない。
だがそれでも、そこに居た相手の事を忘れない事を選んで行きたい、そこに居た事を忘れない者達が一人でも多く居てくれたらそれで良い。
幾多の小さな願いが沸々と浮かんでは静かに消えて行く中、自らの背中を見送る声が聞こえた。
その時だった。
〔もし。〕
〔?〕
彼の歩みを止めるであろう相手からの言葉と共に、彼はある言葉を店主から貰いその場を離れていた。駆けられた言葉、それは誰にも知られず、ただお互いが覚えている限りの些細な言葉でもあった。
ーーーーー
「……… キュウ。」
「ギラム。」
「?」
そんな喫茶店の店主から告げられた言葉を思い出していた時、彼の耳に聞き慣れた者達の声がやって来た。気付けば陽が傾き空の色も少しずつ変わり出していたその時刻、バルコニーに身体を預けていた彼の近くには黄色い相棒と幼き龍の姿があった。
「どうした、フィル。グリスン。」
「あの……えっと。僕が何か言える立場じゃないんだけど……… 大丈夫? 無理してない?」
「……… あぁ、平気だぜ。気にしてくれたのか。」
「キュウ。」
「そっか、フィルも優しいな。ありがとさん。」
彼等も彼等なりに気にかけて近くに来てくれたのだろう、大きくは無いが少しだけ元気をくれる言葉をかけてくれていた。在り来たりではあるが相手に心配を掛けまいとするギラムの言葉にフィルスターは返事をしながら彼の身体に張り付き出すと、そのまま顔を擦りつけ出し元気を出して欲しいとばかりに小さく鳴き声を放っていた。
それを視たギラムとグリスンが少しだけ苦笑する中、幼き龍の頭を撫でながらギラムはこう言うのだった。
「いつもの調子では無いと思うかもしれないが、今はそう言う期間なんだ。気にしなくても良いぜ。」
「う、うん……… ………」
「……ま、それでも気にさせちまう様な雰囲気が出過ぎてるって話なんだろうけどな。ザグレ教団との戦いが終わったとはいえ、あんまりスッキリする様な終わり方じゃなかったってだけさ。他人に執着して無い筈なんだが、どうにも俺は相手からの優しさには弱いらしい。」
「ギラムがって言うか……多分それは、誰でも同じだと思うよ。僕もそうだもん。」
「そうだな。お前さんは俺を気にしてる事の方が多かった様にも思うし、コレが当たり前なのかもな。………なんつーか、感傷的に成るな。こういう日は。」
『ギラム………』
とはいえ言葉とは裏腹に心が晴れていない事は、グリスン本人にも察しがついていたのだろう。普段よりも少しだけ瞼の掛かった瞳は心配そうな眼を向けており、それに関してはギラムも気付いているのか居ないのか触れる事はしてこなかった。
そして再び借家の窓辺から広がる光景を視る様に現代都市内の景色に目を向けだし、その様子をフィルスターも真似をするかのようにお互いに景色を見続けていた。
黄昏に変わりつつあるその景色の先に何が見えて、そして何を想ってその景色を見続けようと思うのか。
まだまだ解らない事だらけだと自覚しながら、グリスンは少しだけ下がっていた耳をピンと立て、共に外の景色を見ようと思った。その時だった。
ヒューッ………
『………? 風が切れる音がする。なんだろう。』
伏せ掛けていた耳が立ち上がったその瞬間、彼は耳先に風が意図的に切られたかの様な音を拾いだした。一定の方向に流れていた風が壁に衝突した時とはまた異なり、恰も『流れる物体が風を切り割いた』と言っても過言ではないくらいに、風の音が微妙な変化を見せたのだ。
違和感を感じ彼が周囲を見渡したその時、ギラムもまた隣の変化に気付いた様子で声をかけた時だった。
「どうした、グリスン。」
「ぁ、うん。何か……風の切れる音がするんだ。」
「風?」
ドスンッ………!
「? えっ、ピニオと……ライゼ!?」
彼等の視線の先に広がっていた都市内の光景の中から、不意にやって来た黒い影。建物の屋根を跳びながら移動してきた者達が、崖の上に立つギラム達の借家の庭先へと降り立ったのだった。
次回の更新は『12月20日』頃を予定しています、どうぞお楽しみにっ




