13 蜥蜴印豆(エイデッスP)
ベネディスとのやり取りを終え、衛生隊を後にしたギラムとライゼ。殿内でのやり取りは控えめにしつつ、ギラムはただ黙々と先導してくれるライゼの後に続いて、四方八方へと廊下を繰り返し歩き続けていた。
時折階段に差し掛かったり他の獣人達にすれ違う事もあったが、二人は何事も無いかのようにただ会釈をしてすれ違い、速やかに外へ出る事だけを考えていた。
無論彼等を視て声をかけて来る獣人達も中には居たが、その辺りはライゼが全て引き受け、やり取りを担う取り組みをしてくれていた。その為ギラムは本当に一言も発する事無く殿内を出られた瞬間、彼等は揃って緊張感が少しだけほぐれた様子で深呼吸をするのだった。
とはいえ、彼等の道中はまだまだ警戒を怠れない。
これからWMSの神殿を取り囲むように存在する『城塞区域の城下町』を移動しなければならない為、一般市民の獣人達の眼が幾多も彼に向けられるのだ。殿内にて活動する獣人達よりも更にピニオの認知度が下がる為、ギラムを認識する存在達が彼を『人間』として認識する確率が高くなる。
すなわち、今までの隠蔽に加えて造形体の説明をしなければならないともなれば、これはもうライゼの負担が増えまくる一方である。ギラムにとっても中々心苦しい現状と言えよう。
だがそれでも真正面を切るかの様に堂々と進んでいく辺り、二人の肝が据わっていると言えなくもなかった。
「………にしても、まさか白昼堂々『城下町』から出るとはな…… いろいろ肝が冷えるぜ。」
「その割には堂々としてるからこそ、俺も普通に歩けるんすけど。内心ドッキドキっすかね。」
「まあ、一応な。そう見えてないのなら安心だぜ。」
「ギラ……ピニオに相応しい、威厳のある姿っすよ。」
そんな道中にて視線をちまちま送られる中、ライゼはなるべく人気の少ないであろう道を選びながら外を目指しつつ、合間を視てギラムに声を掛けていた。双方共に精神的に疲労しても不思議ではない現状を共にしているのだが、それでも元上司であり友人の彼を気に掛ける所を視ると、まだこちらの方が余裕があると言っても良いのかもしれない。
なるべく動揺する素振りをみせない様にとギラムも歩いていたのが、今の状況に繋がったと言えよう。
ある意味『仕事でクライアント先に赴いた際の行い』と似ていると言えなくはないが、その辺りは置いておこう。
そんな道中の気を紛らわせながら歩いていた際、ふと前を歩いていたライゼは何かを思いついた様子で、ギラムの顔を視ながらこう言いだした。
「一カ所だけ、寄り道しても良いっすか?」
「……俺は別に良いんだが……ライゼ、仕事中じゃねえのか?」
「今はちゃんとした名目で外に出てるんで、サボりにはならないっすよ。どのみち報告はするんで、そこは大丈夫っす。」
「そうなのか。……てっきりリミダムみたいに隠すのかと思ったが、そうじゃねえんだな。」
「リミダムはしょっちゅうサボるっすからね。その辺は黙認なのかも。」
「………良いのか、それは。」
「レーヴェ大司教殿も、頭を悩ませてるくらいっすからね。」
彼の提案を受理しながら再び歩き出す一方、何故か彼等にとって顔見知りの友人の名前が出てくるのは、果たして余裕なのか因果なのか。ココには居ない友人の話で軽く盛り上がりながらライゼは路地を歩く様に道を反れ、別の目的地に向かう様に移動を開始しだした。
そんな彼等が向かった場所、それはWMSの神殿から少し遠い南側の小高い丘の様な場所。城塞区域を囲う壁が背伸びをすれば一望出来るその場所に、ライゼの目的地である『お店』がポツンと存在していた。
「ココっすよー」
「?」
白いタイルと赤褐色かかったレンガで構成されていた道と壁の景色から変わり、植え込みと細い竹の様な植物で造られた柵に囲われた店。それはギラムが普段からよく足を運ぶことの多かったカフェ『ミドルガーデン』を連想させる様な雰囲気であり、本家とは色の違う白と緑色のタープがまたその雰囲気を醸し出していた。しかし現代都市リーヴァリィと違い窓にガラスは一切されておらず、気候を直に味わえる様にと簡素な仕切りがされているだけの、海の家を思わせる造りとなっていた。
その造りの効果なのだろう、お店の敷地内に近づくにつれて鼻孔を擽る『珈琲豆』の香りで、ギラムは何のお店か推測するのだった。
「……カフェか?」
「『コーヒーショップ』っすよ。機会が有ったら一度ギラ……ピニオに飲んでもらいたい珈琲があったので、偶然が重なった事に感謝っす。」
「珈琲くらいなら、豆買えば俺の家でも淹れて飲めるだろうに。」
「あぁ……… そうっすね。」
「だろ?」
「まあ良いや、すんませーん。」
そんなお店の敷地内へ移動したのも束の間、ライゼの思惑を聞きあっさりとした返答をギラムは返していた。「言われてみればその通り」と言わんばかりの顔をライゼが浮かべる程に、彼の回答は半ば適切であり盲点だった様だ。
事実クーオリアスに存在する飲食物もリーヴァリィに持ち込まれている為、寧ろ何故そう思わなかったのだろうかと思う程であるが、その辺りは現状では置いておくとしよう。
半ば図星を突かれつつも思考回路を切り替えたのだろう、ライゼはギラムをオープンテラスの席に案内し、一人店の中へと向かって行ってしまった。枠組み越しに店主と思わしき狼獣人とやり取りを交わす彼の様子を遠目で見つつ、ギラムは席に着き彼が戻って来るのを待つのであった。
穏やかな気候と温もりを感じられる日光をギラムがしばし浴びていると、店内から注文した商品と思わしき道具一式を持ったライゼが戻って来た。彼の手元には銀色のトレーが握られており、その上には珈琲豆を挽く『コーヒーミル』と液体を抽出する『サイフォン』に加え、お店のロゴが印刷された『コーヒーカップ』が二客乗っていた。加えてガラスの器に一杯分にと分けられた珈琲豆とお湯も有るのだから、眼にしたギラムが目を丸くしたのは言うまでもないだろう。
お店で注文したのにも関わらず『珈琲を淹れる道具一式』が出てくるとは、大抵の人ならば驚くのが普通である。
しかし道具一式を持ってきたと同時にテーブルに並べられたのを視てか、ギラムは改めて『異世界だから変わった店もあるのか』と思うのだった。
「店で買って、本人が淹れられるのか? 面白いな。」
「ココはそう言う店なのもありますが、この珈琲豆が特殊なんすよ。だからってやつっす。」
「そこまで飲ませたい珈琲って言うのも、それはそれで気にはなるけどな。……ライゼが淹れてくれるのは、初めてだな。」
「うっす! 美味しく淹れるっすよー」
「ありがとさん。」
和気藹々(わきあいあい)と言わんばかりに楽し気に豆を挽き出すライゼを視てか、ギラムは軽く苦笑しながら彼の行いを静かに視て居ようと思うのだった。用意された道具一式達の使い方は、どれもギラムが普段使用している道具と何ら変わりない行いをしており、その辺りに居世界観を感じる事はあまりなかった。しかし道具そのものは何処か独特な形をしているモノが多く、ガラス製かと思いきやクリスタル製だったりと普段使用している鉱物に関しても違いがあるのだろうかと、ギラムは考えるのだった。
目の前に立つ鷹鳥人であり馴染みの部下が、一つ一つの道具の使い方を何処か気にしながら珈琲を淹れている。
そんな風にも感じながら、サイフォンから抽出された珈琲がカップに淹れられるのだった。
「お待たせしました、どうぞっす。」
「ありがとさん、頂きます。」
作業を終えたライゼに提供された珈琲を目にし、ギラムはお礼を言いながらカップを手にしだした。淹れられた珈琲は香りが強くしっかりと自身を主張する一方、鼻に突く様な強烈な匂いとも言えない微妙な匙加減。
液体の色も濃い目かと思えば太陽光を浴びて薄めにも感じられ、不思議な感覚を覚える代物であった。
そんな珈琲を目にした後、ギラムは静かに珈琲を口にした。まさにその時だった。
「………!?」
「どうっすか……?」
ギラムの口の中に広がった感覚は、即座に彼の脳内を刺激し幾多の器官に電気信号を送りだしたのだろう。さっきまでの表情が一変し眼を見開いた彼を視て、ライゼは少し心配そうに彼の顔を視ていた時。
表情は一切変わらなかったものの、彼の口からはこんな感想が漏れだした。
「………凄く、美味しいな…… 香りもコクも凄いしっかりしてるのに、深みも有りながら舌に残らない適度な苦さで、優しい味……俺好みだ。」
「本当っすか!? 良かったぁあ!! ギラム准尉にそう言ってもらえるなんて、本当にすっごく嬉しいっす!!!」
彼の口からやって来たコメントを耳にした直後、ライゼはその場でガッツポーズをしながら飛び跳ねる勢いで右手を空へと突き出したのだ。自らの心で思った感情がそのまま行動に出たと言っても過言ではない行いを視てか、ギラムはふと冷静になったのだろう、再び表情を戻しつつ彼の行いに苦笑するのだった。
『大袈裟だな、本当に。……でも、素で俺の名前を言っちまう辺りに本音が出てるな。』
「コレ、何て珈琲豆なんだ? 美味しいぜ。」
「ありがとうございまっす。それは『エイデッスP』と言って、淹れた本人が相手を想う心、そのものを反映してくれる珈琲豆なんす。」
「淹れた本人が、想う心……?」
「そっすよ。」
そんな珈琲に対し、気付けば二口目、三口目と口にしていたのは言うまでもないだろう。ギラムからの質問に対しライゼはそう答えながら席に着き、残った珈琲をカップに注ぎながら何の豆を使ったか教えてくれるのだった。
クーオリアスに存在する豆の木『エイデの樹』のうち、特殊な経緯を得て完成した豆に対し与えられる名称『エイデッスP』 それは一匹の蜥蜴が好いた事から伝わってきた、ある種のおとぎ話の様な伝説から生まれた名前であり、現在でも極少数の樹で育った珈琲豆へ対してのみ、その名前を与える事が許されていた。
誰かを想い、誰かを願い、そして心のままに淹れられた珈琲。
その珈琲には決まった味わいが存在せず、全ては淹れた本人が『淹れる相手に対する想い』で構成される。好いた存在ならば相手の好む味わいになり、嫌う存在ならば相手の全く望まない味わいになる、摩訶不思議な珈琲豆であった。
ちなみに余談を挟むと、その名称が許されなかった樹に対する名称は『エーデリナP』と言う名称が贈られる。品質そのものは状品質な物より少々劣るものの、コチラはリーズナブルな価格の為か割と入手しやすい代物として、クーオリアスでは認知されているのだった。
それだけの代物をライゼがギラムに飲ましたかったのには、理由があった。
「本当を言うと。俺……WMSの柵が無かったら、ギラ……ピニ……ううん、違うな。俺は……准尉の『相棒に成りたい』って思ってたっす。」
「俺の……?」
「准尉が真憧士としての手段を得たのは最近っすけど、俺は准尉なら『いつかそうなる』って想ってたっす。普通の人間達と違うのは貴方をココへ連れて来る前から解ってたし、准尉がそんじょそこらのヴァリアナス達と訳が違うのも……解ってた。」
「………」
「准尉が俺達エリナスと契約をしたって聞いた時、ちょっと残念だった部分もあったけど……リミダムからその経緯とかも聞いて、納得した。准尉らしい理由だったし、その時に契約してなければ貴方の命が危うかったのもまた事実。だから、今は気にしてません。」
「ライゼ……」
彼の口から告げられた理由を耳にし、ギラムはカップをソーサーの上に戻しながら彼の顔をしばし視る事しか出来なかった。目の前に座る相手は一度しか視た事のない鷹鳥人であり、初対面と言われても不思議ではないくらいの感覚を井出達から醸し出していた。しかし話せば話す程に懐かしい感覚を抱かせてくれる相手には変わりなく、自身を慕い、憧れを抱き、信じ続けてくれていた馴染みの部下でしかなかった。
姿形は変わっていても、そこに居るのは確かに『ライゼ』と呼ばれていた相手。
それを改めて理解した時、ライゼは珈琲を口にしながら静かに笑顔を見せ、こう続けだした。
「それに、俺は鷹鳥人としての素質が欠落してるし魔法の力も底辺に近い。仮に契約をしたとしても、貴方のお荷物に成ってたかもしれない。……って、今もそうっすかね。」
「まあ、そう言われる事はあるな。グリスンに対してそう考えた事はねえが……大方リミダムだろ、それ言ったの。」
「そっす。それに一度だけでも、准尉と一緒に共闘出来たのも今では思い出っす。あの時に言ってくれた言葉を今でも覚えてるし、相棒としての行動もそつなくこなせる事も解った。もしまた共闘出来る機会があったら、あの時以上に俺は完璧にこなして見せます! 貴方の、本気で頼れる相棒に成れる様に。」
「……そっか。」
気付けば沈むどころか笑顔を見せる相手を視て安心したのか、ギラムもまた自然と笑顔を浮かべ出していた。
自身の知らない所で交差していた思惑も思考も確かに存在し、そして今もなお変わらない願いも想いもある。それを改めて思い出させてくれた部下に感謝をしながら、ギラムは珈琲を一気に飲み干し面と向かってこう言うのだった。
「ライゼらしいな。そうやって面と向かってちゃんと想ってる事を言える、そう言う所は変わってなくて安心したぜ。」
「うっす。」
「俺の知ってるライゼと今のライゼは確かに容姿が違うが、中身は正真正銘の『ライゼ』だ。俺の命を紡ぐために行動してくれたライゼも、その行いに対して先を見据えて行動しようとしてくれてるのも、目の前に居る鷹鳥人のライゼだ。誇りに思って良いと思うぜ、俺は。」
「ギラム准尉……」
「珈琲、御馳走様。本当に美味しかったぜ、ライゼの言葉がそのまま反映された味だった。」
「うっす!!」
半ば涙目に成りつつも笑顔を見せた相手を視て、ギラムは席を立ち相手の頭を優しく撫で出した。フワフワの羽毛とはまた違う、少し固めの羽根の触り心地を思わせる彼の頭は何処か懐かしく、その触り心地をこれからもずっと覚えていようとギラムは思うのだった。
撫でられると同時にニカッと笑うライゼの笑顔もまた、何処か太陽の様にも思える眩しさであった。
次回の更新は、月を跨いだ『3月7日』の予定です。どうぞお楽しみにっ