02 温室庭園(ファンケルンハギール)
そんな招いた覚えの無い猫獣人とのティータイムを終えると、ギラムは『元の世界に帰る』と言い出したリミダムを見送るべく、外へと出て来ていた。相も変わらず何処に異世界を繋ぐ扉があるのか疑問を覚えるも、相手はいつもと同じようにリヴァナラスから徐々に姿を消し、本来居るべき世界へと戻って行くのだった。
元々敵同士である事も含めてか、ギラムは言う程彼等の行いに対してリミダム達に問い詰めたりすることは無かった。下手に追及して相手の立場を危うくする事もだが、彼等の思考と行いが何処まで正しく、そして間違っているかの判断が彼には出来ない事が主な理由だろう。
本心のままに接して来てくれているリミダムやライゼもそうだが、この世界に住まう友人達と共に行動する獣人達ですら、何故この世界に意図して存在しているのかも解らない。自身と契約を交わしたグリスンもまた『危険があるから』の一点張りであり、それ以上聞けなかったのもまた理由であろう。
だがそんな彼等と共に行動する中でも、ギラムは細かく考える事はせず『自身が赴くままに今の成り行きを視て行こう』と。それだけの理由ではあったが、彼等に対していつも通りで居られるのであった。
そんな彼が外へ出た後、軽く背伸びをした時だった。
フワッ……
「……ん?」
不意に彼の鼻先を掠めるかのように、一瞬柔らかな甘い香りを彼は感じ出したのだ。何処からやってきたのだろうかと思い彼は体制を戻し辺りを見渡すも、それらしき花の姿は無く香りを漂わせているであろう存在の姿も見つける事は出来なかった。
しかしその後もやって来た謎の香りの正体を知ろうと、その場から歩き出しアパートが立つ丘の崖際へと向かって行った。
その時だった。
「……あれ、グリスン……?」
崖際から都市内を見下ろす形で彼が視線を下した時、彼の視界に映える黄色い体毛の存在の姿が目に映ったのだ。その存在の主は自身の相棒であるグリスンであり、どうやら外出した後にコチラへと帰宅する最中だったのだろう、普段の帰り道を歩いていたのだ。姿を見かけその場から声を掛けようと彼は少し手を上げ息を吸い込んだが、その行動は突如として遮られる事となった。
相手は確かに帰路へ着く道中を歩いていたが、彼から離れたその場で突如進路を変えガラス張りの建物の中へと向かって行ってしまったのだ。不意に見せた相手の動きを視た彼は軽く首を傾げた後、何をしに行くのだろうかと思い身を翻す勢いで、アパートから続く下り坂を駆け下りて行くのだった。
彼が向かった場所、それはアパートから視て北側に位置する崖の下。約十階建てのビルの高低差に相当する場に顕在していた、ガラス張りの温室庭園『ファンケルンハギール』だった。独創的な湾曲を描いた屋根や建物の形はとても柔らかく、定期的に手入れが行われていた場に咲く花々は美しく、可憐に咲き誇っていた。
一種の観光スポットとして目を向けられていた時期もあったが、しかしそれも時の流れなのだろう。何時しかその場に訪れる者達も数えられる程となってしまい、今では都市が管理するも人気は薄く、何処か寂し気な雰囲気が漂う空間と化していたのだった。
『こんな所に【温室】なんて在ったのか……』
そんな庭園の元へと到着すると、彼は入り口から中へと入り受付で入場料を支払いだした。強面傭兵の彼がこんな可憐な場に訪れる事は中々に異色であり、受付から意味深な眼差しを向けられていた点は、あえて触れないでおこう。
一足先に訪れているであろうグリスンを探すべく、彼は壁に飾られていたフロアマップに目を通し、近くの『昆虫エリア』へと向かいだした。
彼が向かったその場所、それは温室内でも一部の昆虫達と直に触れ合えるスペース。都市内ではお目にかかる事の出来ない虫達を見れると、近くの学校に通う児童達が遠足に訪れる事もゼロではない。半ば野生児に近い少年時代を過ごした彼にとっても、中々に居心地の良い空間と言える。
そんな場に訪れ周囲を見渡したその時、彼はようやく探し人の元へと到着する事が出来た。しかしその場に居た相棒はいつもと雰囲気が違い、庭園内を静かに飛び交う蝶を見ているが、その表情は何処か切なく儚げな雰囲気を漂わせていた。一瞬声を掛けようか迷う彼であったが、その足を止める事無く静かに近づき、驚かさない程度の声量で声をかける事を選んだ。
「グリスン。」
「? ぁ、ギラム。どうしたの、こんな所で。」
「お前さんをたまたま見かけてな。……お前、蝶好きなのか。」
「……うん。好きな方……かな。」
「?」
声を耳にした相棒から、いつも通りの返事が返って来たのも束の間。気付けば再びシュンとした表情を見せながら蝶を見上げており、やはりいつもと調子が違う事を感じざる得ない光景と化していた。外出する事を申し出た時とは豪い違いだったからだろう、友人達と何かあったのかと問うも、返答はノー。
再びなんと声をかけたら良いかと考えだしたその時、相手は不意に口を開きこんな事を言い出したのだった。
「……ねえ、ギラム。」
「ん、おう。」
「僕が蝶を好きって言うか…… ……コレにはちょっと、理由があるんだ。縁があって。」
「縁?」
「うん。……僕の大切な人……って言うか、大事な人。その子の魔法がね……『蝶』なんだ。僕の『旋律』や『希望』の魔法とは、全く違った魔法なの。」
「……… それが今、蝶を視てる理由か。」
「うん。」
不意に聞かされた話に対し返答をすると、ギラムは静かに歩み寄りグリスンの近くで同様に蝶を見上げだした。庭園内に飛び交う蝶達は不規則な軌道を描きながら自由に羽ばたいており、あっちへ行ったかと思えば旋回し、こっちへ向かうかと思えば下降したりと、本当に読めない動きを繰り返していた。中には番なのだろう、二匹の蝶達は近くを羽ばたきながら大きな花の元へと降り立ち、静かに羽根を休める様に身体を動かしているのだった。
そんな番の蝶達を見ていたグリスンは視線を下すと、静かに振り返りながらこう言いだした。
「ギラムはさ。大事な人が苦しんでたら……どうする……?」
「どうって……… ……まあ、俺が出来る事をするだろうな。話を聞いてやれるならそうするし、そうでないなら……そうだな。相手にとって『気分転換』になりそうな事を誘ったりしてさ。色々行動してみるかもな。」
「……僕もね、ギラムみたいにそうしようって思って、いろいろ試してみたんだ。……でも、何も出来なくて……僕が唯一得意だった『歌』ですら、その子の心を晴れさせてあげる事が出来なかったんだ。」
「………」
「あの子は僕よりもたくさん世界を視てて、尚且つ視野が広くて……色々考えられる思考回路を持ってた。だからこそ求めていた『答え』があるんじゃないかって、ずっとずっと行動してたんだ。」
「グリスンの言う『大事な人』が、か……?」
「うん。……だけど世界を知れば知る程、あの子にとっての解は愚か『どの世界も醜い場所でしかない』って言う結論を……決めざる得ない光景しかなかったんだって。あの子は元々誰かと一緒に居る事が苦手だったから、きっと……そういう対人運は、無かったんだと思う。」
「………」
「あの子が苦しんでる時に、僕は何も出来なかった。今回の件だって、ギラムを早く見つけてあげられれば……スプリーム達に迷惑を掛けなかったし、ギラムを命の危険にさらさなくて良かったのに………」
「グリスン……」
気付けば落ち込んでしまっている相棒を視たギラムは、ただただ話を聞く事しか出来ずにいた。始めて聞かされた話であった事もだが、下手に何か言って良い様な話題出ない事を即座に察したことが、恐らく今の彼の行動に繋がったのだろう。普段であれば元気な耳と尻尾もダランとしており、一種の精神病を疑いたくなる程だ。
とはいえ話をしながらも瞳の色だけは変わらずにあった為、そこだけが唯一の救いと言えよう。静かに相槌を繰り返しながら相棒の顔色を窺い、満足するまで話を聞こうと彼は思うのだった。
グリスンがこの世界に来た理由は、ただ単にリアナスである自分が危険にさらされる事だけじゃない。何かもっと大きな理由がそこには隠れていて、それに関係している『大事な人』に対して何かしてもらいたいんじゃないか。
何処となく引っ込み思案で前に立つ事が出来ずにいたグリスンと過ごしたが故に、何とかギラムが気づけた意図であった。
そんな彼の意図を汲み取り、それが正しくどうしたいのかを聞こうとした。まさにその時であった。
「……って、感傷に浸ってたら駄目だよね……! 僕がギラムにとって良い相棒に成れる様にするなら『こんな顔の僕は隣に似合わない』って言われたから。見せない様にしなくっちゃ。」
「似合わないって……誰にだ?」
「『さすらいの狼獣人』……って、言ってたかな。ゴメンねギラム、僕もうちょっと気分転換してから帰るよ。御夕飯までには帰るから、安心して!!」
「ぁ、おい! ………」
不意に正気に戻ったが故か、改めて告げられた忠告を思い出したが故なのか。突如としてグリスンは背を向けながらそう言いだした瞬間、ギラムの動きよりも早くその場から駆け出し、入口とは正反対の勝手口方面から外へと飛び出して行ってしまうのだった。
予期せぬ動きと謎の単語の主を考えていたが故に、思考回路の遅れがその差に繫がったのだろう。手を前に向けるも足が動かなかったギラムはグリスンの背を見送る形と成ってしまい、仕方なくこれ以上の追及はしまいと結論付けてしまうのであった。
『………アイツ、本当にお人好しなんだ。自分が無力だ、非力だって思ってるからこそ自分が悪いって攻めちまう。……何時かの頃の俺とそっくりだな。………さすらいの狼獣人、か……』
その後残された彼は庭園内で一人ポツンと立って居た後、番の蝶達が飛んで行ったのを視てか、その場を後にするのだった。
次回の更新は『10月20日』前後を予定しています。お楽しみにっ