09 契約(けいやく)
「それで、お前を置いておく事は決めたはいいんだが。 確か傍に置いておくと、何か良い事があるっておまけ文句を言ってなかったか?」
「うん。 僕達で出来る事をギラムが出来る様に、君を支えられるだけの事柄をしておく必要があるんだ。 簡単に言うと『契約』って言ってるけど、どうかな。」
「契約って、あれか? 紙とかにサインをする奴か。」
「近いんだけど、僕達の場合はそう言うのじゃないんだ。」
グリスンからの頼みに受理をしたギラムは、そのまま彼と今後どうして行くかを話し合いだした。
彼は自分達が視える相手に対し助力を惜しまない事を伝えており、今後現れるであろう『敵』と対峙するだけの力を貸してくれる事を告げていた。それは自身が想像するよりも遥かに恐ろしく、度量を越えた未知の力を持っている相手のため、一筋縄で討伐する事は難しいだろう。しかしそんな相手であっても、彼等の言う『魔法』が使えさえすれば、その行末も大きく変わるとグリスンは考えていたのだ。
そのためにまず行う事として、ギラム達を支える『契約』をする事が必要な様だった。
「僕達の契約は、僕達『エリナス』が視えている相手。 可能性を持った人間達『リアナス』を支える契約であって、皆の憧れに成り得る『真憧士』の力を与える事。 エリナスである僕達は、元々君達と行動を共にしていたんだ。」
「俺達と、お前達がか……? それは初耳だな。」
「って言っても、随分と昔の事になっちゃうんだけどね。 だから、知らなくても不思議じゃないよ。」
「そうなのか。」
しかし形式的に小難しい手続きを踏む必要はなく、彼等との距離を縮めさえすれば出来上がってしまう仕掛けの様だ。何処となく簡略化した契約だと首を傾げるギラムであったが、グリスンから聞かされた小話によって、少しだけその意味合いを理解する事が出来ていた。
過去へ遡る事数千年前。彼等が実際に同じ世界に居て、契約などしなくても彼等と意思疎通を図り生活をしていた事。当時はそれが『あたりまえ』だったため何の変化も無かったが、時が経つにつれてそれは『異例』となり、今となってはごくわずかの人種となってしまった。そのため世界を分離する必要があり、この世界の危機のためにやって来たのだ。
ゆえに、彼等は元より人間達に近い位置に存在していた。彼等とはすぐに繋がれる間柄なのだと、教えてくれた。
「で、契約をする時なんだけど……… 相手と距離を縮める仕草を取って、君に僕の力を使える『物体』を創る儀式みたいな物かな。 それをすれば、特に何もないよ。」
「へぇ、そういうのがあるのか。 今更だが、お前以外にも獣人は居るんだよな? いろいろパターンがあるってわけか。」
「そうだよ。 ……僕じゃ頼りない………?」
「まぁ、多少な。」
「うぅっ…… ギラムは正直過ぎるよ………」
「お前には言われたくないな。」
とはいえ、やはり何処かを妥協している点があるのだろう。ギラムは彼からの問いかけに素直に返答を返し、相手を沈ませるだけの言動を躊躇無く口にするのだった。
しかし仲違いと言う意味の悪意は無く、純粋な意見に過ぎないためか。ギラムは左程悪びれた様子は無く、彼の反応を見た直後、軽く苦笑し笑顔を見せるのだった。相手の声を耳にしたグリスンは顔を上げると、何故か笑いながら自分を視ているギラムを不思議そうに見つめるのだった。
「ま、何はともあれ契約とやらをしないとならないんだろ。 時間を食うのも勿体ねえから、さっさとやっちまおうぜ。」
「う、うん………」
そんな感情の移り変わりが激しい様にも思える青年の申し出を聞き、釈然としない様子でグリスンはその行動に移るのだった。
契約に入る際の準備と言っても、グリスンは特に変わった準備を行うことはしなかった。その場に立ち上がり周囲にある小物を軽く避けた後、小物が何処かへ行かない様、離れた場所へと移動させる程度だった。彼の準備を見ていたギラムも、その様子を見て少し驚きながら彼に質問した。
「何かこう言う時って、魔法陣みたいなものを用意するのかと思ってたが。 そういうのじゃないんだな。」
「うん。 別に異世界の扉を開くーとか、別次元の扉を開くーとかじゃないからね。 僕は目の前にいるし、魔術じゃないから。 必要なしっ」
『いや、俺の前に居るお前自身がそれに値するんだがな………』
片付けを手伝いながらギラムは質問をすると、グリスンは平然とした様子で荷物を移動させ、質問に答えた。だが彼の言う言葉には、相手の『常識』とは少しかけ離れた部分が存在しているため、ギラムは何処となく違和感を覚えていた。
それもそのはず、相手は人間でも普通の虎でもないのだ。それこそが『別次元の存在』であろう。
その後周辺の片付けが終了し、足元にラグマットのみが残った状態となった頃。グリスンは少し緊張している様子を見せつつも、深呼吸し気合を入れていた。
「じゃあギラム、もう一回だけ聞くね。 皆の憧れに成り得る存在になる覚悟は、ある?」
「あぁ、あるぜ。」
「憧れになるために、皆の憎しみを消して行くだけの覚悟はある?」
「あるぜ。」
「解った。 僕はそんなギラムのために、微力でも力になれる様にするね。」
「頼むぜ、グリスン。」
気持ちが落ち着いたと同時にグリスンは質問を行い、彼の意志に迷いがないかを再度確認を取った。相手の質問に対しギラムは素直な気持ちで返答を行うと、彼に手招きをされ、ラグマットの上に立った。
「じゃあギラム、ちょっとだけ額を借りても良い? 顔を少し出して、お辞儀する感じ。」
「額? あぁ、こうか?」
「うん。」
その後二人は互いに頭を少し下げ、互いの額が重なり合う位置で体制を維持し始めた。少しギラムにとっては厳しい体制ではあるものの、背丈の低いグリスンに合わせて体制を維持すると、グリスンは改めて礼を口にし、目の前で両手を組み目を閉じた。それを見たギラムも同様に目を閉じると、額から伝わる彼の体毛の柔らかさを感じていた。
そして目を瞑りしばらくすると、グリスンは言葉を口にし始めた。
【優しく煌めく太陽に 照らされ輝く大地へと
風と成りし祈りの歌 心優しき友へと届け】
フワッ………
『……? 風………?』
言葉を耳にしてしばらくした頃、ギラムは周囲で風が吹き始めた事に気が付いた。つい先ほどまで部屋の中は無風だったため、戸締りは完璧にしていたはずだった。ゆえに、何処から風が吹いているのか不思議に思える瞬間だった。
【ヒペリカムの声と彩で 友の夢を現実に………
変えて。】
ブワッ………!!
「ッ!!」
そして最後に口にした言葉と同時に、周囲に吹いていた風が突然乱れだし、強風となって彼等の上空へ集まる風と変化しだした。突然やって来た風に一瞬たじろぐギラムであったが、決して体制を変えず、その場所で目を瞑り続けるのだった。
それからしばらくして風が落ち着くと、グリスンは静かに彼の額から離れ、目を開けていいとギラムに伝えた。言葉を耳にしたギラムは目を開き体制を元に戻すと、彼の前に立つグリスンの掌の中に、何やら奇妙な物体が存在し淡い光を放っている事に気が付いた。グローブを装着した手の中には、銀縁に黄色い半透明の水晶体が埋め込まれた物体が在り、小さくも綺麗な輝きを放っていた。
「ありがとう、ギラム。 これが君との契約が成立した証だよ、はい。」
「お、おう。」
手渡された物体を目にしギラムは手にすると、物体は即座に変形し淡い光を抑えた自然体の物質へと変化しだした。突然の変形に驚く彼であったが、形が安定した事を見て、静かに物体を目にした。
彼の中で形作られた物体は銀色の『龍』であり、両手で丸い黄色の水晶体を握る形を取っていた。サイズは彼の親指程の大きさであり、細部の鱗まで細かく再現されており、繊細に創られた事が理解できた。
「それは『クローバー』って言って、リアナスとエリナスが契約をした際に、リアナスの人が貰える品物なんだ。 それを持っていればギラムも『魔法』って言える現象がが使えるようになるんだ。」
「これを持っているだけで、仕えるようになるのか……… ……綺麗な龍だな。」
「デザインはその人の好みになるから、ギラムは龍が好きなんだね。」
「あぁ、好きだぜ。 貰っていいんだよな? コレ。」
「うん。 身に着けてるだけで魔法が使えるから、常備しててね。」
「了解。」
手にした物体を彼が眺めていると、グリスンは物体に対する説明をしてくれた。
突如現れた【クローバー】と呼ばれるその物体は、真憧士となった人々に魔法と呼べる力を使わせる働きを行ってくれる代物だ。個々で形や色合いが変化するため固定の形は無く、彼の場合はイメージカラーが『黄色』だったため、黄色い半透明の水晶体が握られていた様だ。色合いは主に相手の好みになるため指定は出来ず、銀縁部分もその例に漏れずデザインが変化する様だ。
しかしデザインに関しては相手の好みや使い勝手に反映されるため、契約主が普段から身に着けていられるモノになる事をグリスンは教えてくれた。何に付けるのかとギラムは不思議そうに見つめていると、グリスンは部屋に置かれた『ゴーグル』を手にし、装着する事が出来ると言い出した。どうやって取り付けるのだろうかと、彼は不信に思いながら言われたとおりに物体を近づけると、龍の背面に再現された背鰭が伸び、ゴーグルのバンドにしっかりと固定された。まるで生きているかのような形成変化だったため、再度ギラムは驚き、彼を見たグリスンは苦笑するのだった。
「………それと。 ……ぁっ、あった。 ギラム、シャツの右腕を捲ってもらっていい?」
「右? ……あれ、何だこれ。」
取り付けた物体をまじまじと見つめていると、不意にグリスンは右腕を視る様指示してきた。何事かと思いギラムは自身の右腕を見ると、そこには奇妙な文様が刻まれている事に気が付いた。
彼の鍛え上げられた褐色の右腕には、濃淡のはっきりとした黄色い文様が刻み込まれていた。全体図を視ようとシャツの袖を捲り上げると、そこにはト音記号を崩したと思われる不思議な文様が浮かび上がっていた。いつの間にこんなものが刻まれたのかと不思議に思っていると、グリスンは自身の装着していたイヤフォンを視る様指さした。
言葉を耳にしたギラムが目線を上げると、そこには腕に浮かび上がる文様と同じモノが描かれていた。
「エリナス独自で持つ『刻印』が、リアナスの身体に刻まれるんだ。 契約した人にしか見えないし、部位は様々で何処に入ってるかとかはわからないんだけど…… ギラムは右腕なんだね。」
「模様が入ってる場所に、理由とかってあるのか?」
「ちゃんとした意味があるって言ってたんだけど……… ごめんね、詳しくないんだ。」
「そうか。 ……まぁ、外で支障が無ければいいか。」
刻まれた文様は自身と同様に契約した相手にしか視えない事を聞くと、ギラムは軽く納得した様子でシャツの袖を直した。
元よりフリーの傭兵と言う仕事を取っている彼のため、仕事へ対する支障が無い事は理解できていた。しかし外部で利用する事のある『施設』では『文様』を禁じている場所が幾つか存在し、顔に刻まれた痣で何度か静止を受けた事もあった。だがそれは外傷によるモノだと伝えると、決まって周りは受理してくれるため、少し気にかかっていた様だ。傷であればごまかしは効くが、あからさまな刺青となればそうもいかないのだ。
その後刻印を忘れ手にしたゴーグルを試着してみようと、彼は壁際に立てかけていた鏡の前へと向かった。鏡に映った自身を視ながら、彼は額にゴーグルを装着しその様子をまじまじと見ていた。
いつもの自身の額と髪の間を仕切るゴーグルは印象深く、ベルトに取り付けた銀の龍はとても素敵なカッコよさを演出していた。他では中々見られない味のあるアクセントが、なんとも彼には気に入った様だった。
「ぉっ、結構イイ感じだな。 ありがとさん、グリスン。 良いモノを貰っちまってさ。」
「ううん、気にしないでギラム。」
鏡に映った相手の顔を見たグリスンは笑顔を浮かべ、先ほどまでとは違った心から沸き上がる笑顔を視ていた。彼にとってこの先の未来がどんなものかは想像出来ないモノの、彼が戦えるだけの力を貸してあげる事が出来た。その際に見せた素敵な笑顔を大切にしようと、グリスンは密かに心の中で誓うのだった。