21 宙域(きみのいたせかい)
輸送隊の激務から続く残業を合法的にスルーした後、リミダムはスキップ混じりの歩みで『衛生隊』の部署へと向かっていた。就業時間を迎えたWMSの施設内には外へと向かう人達とすれ違う中、ご機嫌な様子で彼は手を振りながら軽快に尻尾も振り回していた。
ある意味障害物と化していなくはないが、その辺はご愛嬌と言う事にしておこう。
そうこうしている内に彼は衛生隊の施設前へと到着すると、自身の入室パスコードを入力し中へと入って行った。移動も厳格に管理されたこの組織内では自由行動も制限されている為、こう言った所でもセキュリティ面がしっかりしていると言えよう。だがそれでも脱走を図れる彼は、ある意味大物なのかもしれない。
衛生隊の部署内で働く残業組に軽く挨拶をしつつ、彼は目的の相手が居るデスクへと向かって行った。ちなみに余談を挟むと、ライゼのデスクは施設内の窓辺付近、ベネディスの普段居る部屋からそう遠くはない場所に用意されていた。
「ライゼぇ~」
「ん? あれリミダム、どうした? 衛生隊に来て。」
「ちょっとお暇貰って、ライゼに会いに来たぁ~ レーヴェ大司教様とマウルティア司教様には申請済みぃ。」
「根回し完璧って事は、サボりじゃないんすね。俺に用事って事っすけど、何すか?」
「ココじゃ何だから、外行こぉ。早く早くぅっ!」
「ぉおいっ、引っ張るなって……!」
しかし矢継ぎ早に行いに移す辺り、リミダムにとっても早急に彼に伝え見せたかった事なのだろう。作業途中のライゼの端末を手慣れた様子で休憩モードに切り替えると、そのまま右手を掴み彼を連行し、中庭へ向かって連れ出して行くのだった。体格差の関係上ライゼが非常に歩き辛い体制で歩まされているが、リミダムは左程気にしていない様子。
そんな彼の行いと尻尾の揺れ具合からなのだろう、ライゼも途中で何か言うのを諦めそのまま向かう場所まで付いて行くのだった。
「……んで、何事っすか? 俺も仕事あるんっすけど………」
「良いの良いのっ、今だけは。ライゼなら遅れ取り戻せるでしょ?」
「その『俺を理解してる上での申し出』って部分が、また悔しいっすね……… まあ、出来るっすけど。」
「んじゃ良いじゃんっ ……それに、ライゼと一番に使いたかったんだぁ。」
「俺と?」
「じゃあーーーーんっ!!」
その後中庭へと到着したライゼは愚痴を零すも、あっさりとリミダムに流されつつ彼が取り出したモノに視線を向けだした。彼が取り出したのは、先程輸送隊に送られてきた『浮上板』であり、黄昏時の光に当てられ煌めきを放ちながら彼等の前に姿を現した。
友人が取り出したモノを視たライゼは一瞬瞬きを増やすも、初めて見るモノに対する疑問も併せて湧き出て来るのであった。
「………それ、ボードっすよね。どうしたんすか?」
「オイラが頼んで、ティーガー教皇様に造って貰ったのぉっ ギラムを手懐ける代わりにって、対価ッ!」
「ギラム准尉を手懐けるって………複雑な心境っすね。しかも対価って……… 変なモノだったら、俺怒るっすよー?」
「大丈夫、ライゼは絶対怒らないからっ それはオイラが自信を持って証明してあげるねぇ。」
「凄い自信っすね……… んじゃまあ、お手並み拝見って事にするっすかね。何すれば良いんすか?」
「ぁ、ライゼは何もしなくて良いよ。オイラが操縦するから、ライゼはオイラの後ろに乗ってぇ。」
「了解っす。」
疑問に対する回答を簡素に告げられた後、ライゼは肩を竦めつつ『とりあえずリミダムの好きにさせよう』と思った様だ。年の関係上ライゼが何か言える様な立ち位置ではないと言った観点からではなく、ただ単純に『言うだけ無駄』だと彼が判断したが故の行動である。
リミダムはこういう相手であり、自由だからこそ手に負えない部分がある。
それは彼の親友であるライゼが一番良く解っている事の為、自らの憧れであるギラムを出汁にされても、文句は後回しなのだ。無論下らないモノだとわかった時にはそれ相応のお説教と言及くらいは彼もするため、遠慮しない部分もちゃんとある。
要は親しい故の、匙加減と言えよう。
そんな彼の申し出を受理すると、リミダムはボードを軽く弄った後地面へと置き出した。すると周囲の空気を取り込み出したボードが数センチ程の位置で浮き始めたのを視て、彼は板の前寄りの位置へと乗り出した。
その後ライゼを背後に『肩に掴まって』と指示すると、ライゼは軽く頷きながら後方寄りの板の上に乗り、指示された通りにリミダムの肩に手を添えだした。何をするか分からなかったものの、なんとなく足腰に力を入れどう動いても大丈夫な様に彼なりの心構えをした時だった。
「ライゼ、良ぃー?」
「俺は何時でも良いっすよ。」
「りょうかーいっ んじゃ、いっくよぉーーー!!」
バシュンッ!!
「うぉっ!!」
リミダムの声に反応してか、板は急に空気の取り込む量を増大させ、発射音と共に上空へと高度を上げだしたのだ。勢いよく飛び出したが故に身体が後方に引っ張られるも、既に予測していたリミダムの身体が踏ん張った事も有ったのだろう、ライゼは宙に放り出される事無く彼と共に飛び出した。
そして周囲の空気に交じって、彼等は『空を飛んだ』のであった。
「……ッ!? えっ、空!?」
「うわぁあああーーーー!! すっごぉおおーーーーいい!! 飛んでる飛んでるぅっ!!」
のけ反る身体を元に戻したライゼは、瞬時に目を瞑っていた為か、ゆっくりと瞼を開き出した。そして目の前に広がる光景に対し言葉を漏らしたと同時に、前に立つリミダムが燥ぎながらその光景を楽しむように装束を風に靡かせだすのだった。
無論後方に立っていたライゼも同様に装束を揺らしていたが、その表情は彼とは違うモノを見せていた。
『空………』
彼の目の前に広がった景色、それは彼にとっての苦い想い出だった………
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WMSの施設に勤める前、彼がまだ風層地帯『ラヌスウィート』に住んでいた頃だ。この地帯では彼を始めとした『鳥人族』と呼ばれる種族が多数生活し、自らの背後に従えた翼を持ち居て足場の少ないこの場に居住していた。鷹鳥人である彼もまたその場で生まれ育ち日々を過ごしており、当時は彼も周りと変わらない『翼』を背後に持ち、今よりも明るく少しだけ傲慢な部分持ち合わせていた。
だが、ある日の事だ。
【危ないッ!!】
【うわぁあああーーーーっ!!】
彼はある日の空を楽しんでいた際、自身と共に飛んでいた相手の声と共に空から落下する事故に見舞われてしまった。しかし俗にいう『不慮の事故』とは異なり、それは彼自身を狙った『悪意ある事故』だった事が後に判明するも、加害者が誰か判明する事無く迷宮入りとなってしまった事があった。
発覚したのはその際に折れた彼の翼が物語っており、関節部から砕かれた翼は障害物が多くも、綺麗に避ける事の出来て居たライゼの行いからは到底あり得ない。家族も心配しそれに対する抗議も行ったが、結果的にそれは実る事無く事態は終息、彼は自ら飛べない身体となってしまったのだった。
【とても残念ですが、息子様はもう空を飛べません。】
【そんなっ……!! 何とかならないんですか!?】
【そうだ!! 息子は何よりも風と舞うことが大好きなんだ、そんな息子から空を奪うなんて出来ない!!】
【ですが、関節は愚か骨すらも粉砕されたこの状況では……… 義手ですら、風を扱う事には支障が……】
その上事故によって失われた翼へ対する一撃は的確だったのだろう、彼に再度その行いをする事すらも許さなかった。骨を寸断もしくは粉砕されたのであれば形状を復元出来たが、彼の場合はその大本となる部分だった為、それは叶わない。既にお手上げ状態だった医師に対し抗議する両親であったが、その場においても結果的に良くはならず、ライゼはいろんなモノを当時に奪われてしまった。
絶望に身を寄せる状況下だったにも関わらず、彼が一心で志願する両親に対し放った言葉は、コレだった。
【父上、母上。良いんすよ。】
【ライゼ……】
【俺、ココから出て行くっす。父上と母上を、空が飛べない俺が理由でこれ以上迷惑や蔑視され続けるのは、俺も嫌っすから。俺も、空以外の生き方を学んだ方が良いって事かもしれないっす。】
【………】
【大丈夫っすよ。俺には何処に居ても『メルキュリーク様』が見守ってくれてるっすから。それを教えてくれたのは、父上と母上っす。大丈夫っす。】
彼はその場に居ては生活は出来ず、ましてや種族が誇りに想う『翼』の無い状況でその場に居ては、因縁を幾多ぶつけられるか解らない。自身が居なくなったとしても多少は残るかもしれない、だが自分がその場にいるよりもずっといい結果になると信じたい。そう言った想いから告げられた言葉を聞いてか、両親は涙を流し再度我が子を抱きしめ、護り切れなかった事を後悔する様に。
彼への懺悔の言葉と共に、強く生きて欲しいと願い、外の世界に羽ばたく事を選んだのだった………
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「ライゼどおっ? 気持ちいぃー?」
「………」
「ライゼ……? ………ぁっ」
『手が、震えてる………』
そんな彼の心境にリミダムが気が付いたのは、空を飛び始めてしばらくした頃。何時しか返答が薄く無口になったライゼを気にしだした彼が、後方を確認しようとしたその時だ。
支えの無い宙で身体を振り落とされない様にと貸した肩に対し、普段では感じられない圧をリミダムは感じたのだ。喜びや怒りとはまた違う、感じた拍子に見せる強い力ともまた違った、恐怖へ対する握力。小刻みに揺れていたその手を感じ、気付けばリミダムもまた燥ぐのを止めている程であった。
双方共に静かになり始め、ライゼが回想から現実に戻された時。その時には既に彼等は地面との距離が近づいており、浮上板もまた高低差を無くし放っていた風を弱め、彼等を地面の上へと連れ帰っていたのだ。
行動へ対する急な変化を感じ、ライゼもまた彼に声をかけていた。
「………? リミダム?」
「ライゼ、ゴメン……… オイラ、軽視してた。」
「えっ?」
返答を聞いたライゼが軽く驚いた様子で返事をしたその時、リミダムは彼が触れていた手をゆっくりと剥がす様に前へと歩き出した。不意に歩き出した事によって自身の手が離れたのを視たライゼもまた地上に足を下すと、リミダムは前を向いたまま振り返る事は無く、ただただ言葉を続けだした。
残された浮上板も今では静かに成っており、彼等の元には凪ぐ風さえも無かった。
「オイラね。本当はライゼに『もう一度空の感覚を想い出して欲しい』って思ったの。ライゼは空を諦めて、地上の世界に暮らすって決めたって言ってたけど……… オイラは、そうじゃない方が良いって思ったから………」
「………」
「でも、オイラは凄く軽視してた。ライゼがそう思った理由…… ううん、そう思わないといけない理由って言うのを……ずっとずっと浅く視てた。………本当は、もう『空なんて飛びたくなかった』んだね………」
「リミダム……」
「御免……ごめんなさいっ!!!」
続けられた言葉と同時に浮かべた涙と共に、気付けばリミダムは振り返りそのまま相手にしがみ付く様に駆け出したのだ。泣きながら迫って来た親友に対しライゼは驚きながら受け止めるも、相手は俯いたまま自身の身に纏う白い装束を掴んでおり、その手も震え先程まで元気だった尻尾も、気付けば降りている程だった。
急な行いにライゼもどうしたもんかと軽く慌てている間も、リミダムの言葉が止む事は無かった。
「オイラ、ライゼにそんな顔させたかった訳じゃない!! 震えて欲しいなんて、一切思ってなかったのに……!!! なのにっ!! オイラの親友を怖くさせる事、オイラしちゃった!!!」
「………」
「ライゼ……!! ゴメンねぇ、ゴメンねぇえ!!! わぁあああぁぁーーーー!!!」
「リミダム………」
そしてその後も続く謝罪の言葉に続いてか、リミダム本人も我慢する事が出来なかったのだろう。そのまま泣き崩れる様に地面にへたりこみ、大声で泣き始めてしまうのだった。
彼にとっても大事な友の、喜ぶ顔が見たかったのだろう。相手にとって相応しい世界がそこにあり、尚且つもう一度望ませる事が出来るのならば、何としてでも得て貰いたい。そして、それを兆しに『一つの希望』と成ってもらえたら嬉しい。
その思いで行った行動が逆の結果になってしまった時、果たしてどれくらいの絶望が彼の身にやって来るだろうか。自らよりも年上の相手の見せた幼い泣き顔を視てか、ライゼもまた気付けば落ち着きを取り戻し、静かに相手の両肩に手を伸ばしていた。
「………リミダム。俺の話、少しだけ聞いてくれるっすか?」
「………」
「俺は確かに、空を飛ぶことを諦めた鷹鳥人っす。翼を砕かれ、その手をもう一度つかみ取る事が出来ないと分かった時。父上と母上へ対する周りの人達の蔑視を、少しでも軽く出来ればって思って……俺はこの地に来る事を選んだ。」
「………」
「無論後悔はあったし、それを機に周りの人達を信じる事が出来なくなった。唯一の救いとして『メルキュリーク様』の事を考えるだけで、俺の精神を保つ事が出来て居たような気がしたし、下手をすれば……それで自暴自棄になって、人生棒に振っていたと思う。」
「ライゼ………」
「でもな。リミダムみたいに、俺の事を親身になって考えてくれる人も居るんだって、俺は此処に来て知ることも出来たんだ。それは紛れもなく、初めはリミダムだったんすよ。」
「………」
大粒の涙を流しながら話を聞くリミダムに対し、ライゼはただただ自身が思った事を素直に打ち明けていた。自身を想って起こしてくれた行動を無下にしたくない、無論間違った結果に成ったとしても決して行いそのものを後悔して欲しくない。誰もが自身にしてくれる事、それこそが当たり前だとは思えなくなっていた自分に対し、唯一無二の親友が起こしてくれた行い。
それを知れば知るほどに、ライゼの心は気付けば暖かさに包まれていたのだった。
「リミダム、ありがとう。流石にどうなるか解らなくて、つい強張っちまったっすけど……もう大丈夫。可能なら、もう一度空を飛んでみたいっす。」
「ぇっ…… でも………」
「俺も何時か、立ち向かわないといけない事だとは思ってた。逃げる為の理由を取って着けて来てた部分があったから、かえって良い機会っすよ。それをリミダムがしたいって言ってくれるなら、それこそ俺は親友の想いを無下にはしたくない。頼むよ、リミダム。」
「……… オイラで、良いの……?」
「もちろんっすよ。」
「……ぐすっ ……分かった。オイラも付き合う!!」
「それでこそっすよ!」
そして気付けば、相手の見せていた涙も枯れ始めていたのだろう。お互いに意義を持った様子で笑顔を見せ合っており、ライゼもまた不思議と覚悟が固まった表情を見せていたのだった。
その後自身の頬元の毛が湿り気を帯びる中、リミダムは残った涙を拭う様に装束で顔を拭き出した。そして再度笑顔を見せ笑みを見せた後、彼等は再び空の世界へと浮上板で飛び出して行ったのだ。
「ライゼ、どぉー!?」
「すっげぇえーー気持ちいーっすよ!! 懐かしい感じだ……!!」
「んじゃあ、もっともっと上へ行くよぉおーー!!」
「了解!!」
お互いがお互いを知り、そしてその行いを絶望に堕とさない為か。二人は何度も何度も声を掛け合い笑いあいながら、黄昏時の空を思う存分満喫していた、そんな時。
彼等の様子を見ていた二人の人影は、決して干渉しない中でのやり取りをするのだった。
「……なるほどのう。アレが、風を得ていた時のライゼか。活き活きしとるわい。」
「リミダムの奴、あんな事をする為だけにティーガー教皇様に願い出てたのか……… もっとディルの為に、使えば良かっただろうにさ。」
「おや、レーヴェ大司教殿はそうお考えかえ。」
「何、普通の『奴等だったら』の話さ。リミダムがその枠に入ってるなんて、おれっちは考えて無いさ。」
「………御主の所から紹介してもらって、儂も感謝しておるよ。ありがとう。」
「此方こそ。リミダムにとっても、かけがえの無い出会いをさせてもらった。……二人こそが、帝政に屈しない輝きに成るだろうな。」
「同感じゃよ。」




