12 令嬢の護衛(れいじょうの ごえい)
ゆったりとしたゴンドラの船旅を終え、ギラムはアリンの勧めで花火大会を優雅に見られる場所として用意した、レストランへと向かっていた。すでに陽は落ち段々と夜の闇が街を覆う中、次第に彼等の歩く道路はガス灯の明かりで照らされ出した。丁度痴漢諸々が出てきそうな時間と暗がりではあるが、今の彼女は何も恐れるモノは無い様子で歩いていた。
それもそのはず、同行しているのが現役の治安維持部隊の准士官だ。普通のSPよりも仲が良く、雰囲気もさる事ながら腕っぷしもいいのだから、これ以上に安心感が得られるモノは無いだろう。とても心強い状態であった。
「ギラムさんが一緒に来て下さって、本当に助かります。 夜道を歩く際は車でしか許可が降りないものなので、とても新鮮な気分です。」
「まぁ、雰囲気だけでも追っ払えるだろうからな。 俺もゴンドラに乗れて、この後の食事まで貰えるんだ。 お相子だぜ。」
「解りました。」
並んで歩く彼女から心強いの一言を貰い、彼は嬉しそうに返事を返した。彼自身も半ば護衛で居る様な感覚で歩いていたこともあってか、面をもって言われると何となく嬉しいのだろう。
相手のために何かをして、その評価を得られる事が今の喜び。
それが、今の彼にとって一番の感動なのかもしれない。賃金は出てはいないものの、この後の食事も取れる事から2人にとってすでに条件が成立し合った関係になっていた。
ゴンドラから下船して歩く事数十分。2人はスワンクシフィでも指折りのレストラン『ヴォレール・モンド』へとやって来た。赤褐色と濃い灰色のレンガで構成されたレストランは、まるで1つのお屋敷の様な風貌。敷地内の至る所には洒落たガス灯が設置されており、夜でも灯りがあり温かい雰囲気を創りだしている。同様に店に向かうお客人の姿も見え、富裕層御用達のレストランの様だった。そんなレストランの外見をしばし見た後、先導するアリンに続いてギラムも来店して行った。
中へと入ると、外見とは違いモダンな作りをしたエントランスホールが2人を出迎えた。シンプルながらも煌びやかなシャンデリアの明かりに照らされたホールには、ブラウン色の家具が置かれ中央に大きなガラス製の花瓶が置かれていた。花瓶に生けられた花は一本一本が輪を作り、中央に咲くハイビスカスを程よい具合に引き立てていた。壁際に置かれたアンティークな家具達が出迎える中、アリンは近くに立っていたボーイに話をつけ、ギラムと共に奥の部屋へと通されて行った。
「……毎度の事ながら、店のチョイスは凄いな。 ココも行きつけの場所なのか?」
「はい。 晩餐会を催す際には良くこのお店を使っていまして、海が近い事もあってお魚の料理はもちろんの事。 お肉には特別なルートで調達した物を使用している、とのことです。」
「そうなのか。」
案内された場所に向かい最、通路を通りながら彼は質問をした。今日やって来た場所も彼女の行きつけの店であり、料理1つ1つにこだわりを持った物が提供される。普通に食べるだけでも料金が馬鹿にならない店と言う事もあってか、しっかりとドレスコードが用意されるほどだ。その日着ていた彼の服装は規定に反するものでは無かったため、すんなり入る事が出来たが一般層では立ち入る事がまずない店と言って、間違いはないだろう。
その後2人は店の奥にある部屋へと案内され、ドア前に立っていた警備員に扉を開かせ、中へと入った。扉の中へと入ると、そこは小さいながらも整備された部屋が広がっており、部屋の奥にはバルコニーへと通ずるガラス扉があった。部屋の隅に置かれている家具はホールに置かれていたものと同じであり、料理を食べる椅子もテーブルも、全て同じものが置かれていた。この部屋へ案内される際に見た大きな部屋と違い、こちらは個室タイプで周りのやり取りを気にする事無く食事が楽しめる場の様だった。
部屋に案内された2人は席へと案内され、椅子を引いてもらい席に着いた。
「それでは、ただ今お食事をお持ちいたします。 こちらのバルコニーへの出入りは自由ですので、どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい。」
その後ウェイターからの一言を貰い、係りの者達はその場を後にし料理を取りに向かって行った。
店の関係者が居なくなると、ギラムは早速バルコニーの方へと目を向けた。するとそこには入口からでは気が付かなかった風景があり、目を楽しませるには十分過ぎる演出が整っていた。バルコニーを囲う柵の目の前には大きな桜の大木が生えており、真夏の時期だと言うのを感じさせない見事な花を見せつけていた。
風が吹くと数枚の花弁達が散る所を見ると、造花ではなく本物の様だ。
「桜……? 夏なのに、満開の桜が見れるのか?」
「この桜の品種は、ある国から輸入してきた物だそうです。 現代都市内一帯の夏の気候はその国では『春』と同じ気候だそうで、このように季節外れの風物詩を楽しめるんですよ。 私が今回この場所を選んだのも、春の風物詩と夏の風物詩が同時に見える光景を見て見たかったからなんです。 普段はこの場に足を運ぶ事が出来なかったので、中々お目にかかる事が出来なかったんですよ。」
「そうだったのか…… 立派な桜だな。」
その場に咲いている桜に驚いていると、アリンは彼の疑問を解消するべく解説をしだした。
この店の目玉の1つであるこの桜は『ウィルキス』と呼ばれる品種で、原産地の国の気候上夏に咲く桜だ。現代都市内では流通していない希少な植物であり、店のオーナーが建物を建てる際この桜にとって一番綺麗に咲ける条件を満たす様設計された。丁度『エスト・フィルスター』の花火が見れる位置に満開が見られるよう、日々の手入れには特に気を使っているそうだ。
しかし彼からしたらとても奇妙な光景であり、四季のずれた風物詩が同時に見られる光景と言う物には違和感を覚える様だ。夏の夜の過ごしやすい環境に、夜空に浮かぶ大輪の花と共に可憐な桜の舞が見られる。夜桜と花火、そして空に浮かぶ満月が3つの季節を合わせているかのような雰囲気だ。
春の風物詩『桜』 夏の風物詩『花火』 秋の風物詩『満月の月見』
残りの冬の要素は今の所見つからないが、この様子では全てが揃いそうな状況だ。
「本当に、この夜に全ての風物詩を一斉にみられそうな状況だな。 贅沢過ぎて、忘れられないぜ。」
「本当ですね。 ……ぁっ、少しお手洗いに行ってきますね。 先に召し上がってても構いませんので。」
「あぁ、分かった。」
そんな四季の集いを感じられそうな空間を見た後、アリンは席を外すと言った。食事の量が多い彼のためにと『先に食べていて良い』と一言告げ、彼女は部屋を後にして行った。
残されたギラムは食事が冷めない様気を遣う言葉を考えつつ、再び桜を見ようとバルコニーへ向かって行った。銀の枠縁に収められたガラス扉を開け外へと出ると、彼の目の前には先ほどのウィルキスが花弁で彼を迎えてくれた。静かに舞い散る花弁が彼の横を舞いながら地面へと付き、その後吹いてきた微風に靡かれ周囲を乱舞しだす。気候的に過ごしやすい夏の夜に普段感じられるモノを見て、彼はとても楽しそうに桜を見上げた。
丁度夜空に浮かぶ満月が桜のそばに寄っており、時間的にしばらくすれば花火もセットで拝められそうな状態だ。静かにそよぐ風を身体で感じながら、彼は瞬きをしその時間を堪能していた。
「……良い気分だな。 周りが、自然と俺を包み込んでくれてるみたいだ。」
呟き混じりに彼はそう言い、静かに目を閉じ再び目を開けようとした。
その時だ。
【そうかもしれぬな。】
「ぇっ?」
彼の耳に低い声で発せられた声が入り、ギラムは背を預けていた柵から身体を起こし周囲を見渡した。するといつの間にか彼の居た空間が変化しており、桜や満月は有れど建物の姿が見えない草原地帯へと移動していた。
彼の立っていた草の上には桜から散らされたであろう花弁が敷き詰められており、さながら桃色の敷物を創りだしている様だ。何が起こったのかと状況を把握しようと彼は周囲を見渡すと、桜の近くに人影が見えた。周囲をそよぐ風に揺られ、影は衣服を靡かせるように身体を揺らめかせ彼の事を見ていた。
「……そこに居るのは、誰だ?」
影の動きに警戒しながらもギラムは一歩ずつ歩を進め、桜の元へと向かいながら影に問いかけた。すると影はゆっくりと桜の影から前へと進みだし、月明かりに照らされ身体の色を露わにしながら返事をした。
「俺か。 ……多少たりとも、あやつが気にかけた存在をみすみす壊させる事はさせないために参上した。 ただの、お節介焼きだ。」
「お節介焼き……?」
影はそう返事をしながら衣服を靡かせ、満月に照らされ姿を見せた。そこに立っていたのは、奇妙な仮面を被り背丈に見合う藍色の着流しを纏った存在だった。