11 挑戦(ちょうせん)
道中の寄り道を終えたギラムは予定よりも少し遅くも、普段の出社時間に間に合う形で目的地へと到着した。彼を出迎える空調機の涼しさに身体を冷やしつつ移動すると、彼は自身のデスクに座りつつあることを考えていた。
『俺にしか出来ない事、俺だから出来た事……… ……つっても、やっぱり実感が湧かねえな。』
それは数十分前まで一緒に居た存在との内容であり、自分自身を見直すいい機会となる出来事であった。会社へとやって来る際に赴いた場でのリミダムとのやりとりは中々に考え深いモノがあり、彼としても簡単に片づけたくはない内容でもあった。
外部が騒ぐ程の行いとは違う、自分自身の新たな日常となった『リアナス』と『創憎主』という現実。それは自身の新たな可能性を見出せるだけの切欠でもあるが、同時に使い方を間違えればあっという間に破滅へと導く諸刃の剣とも言える代物だ。彼が生きるうえで必要かどうかさえ分からない力ではあったものの、今となっては自分にしか出来ない事柄として捉えていた。
だが実際にその行いは世間体で評価されるモノではなく、一部の間でしか知る事も視る事も出来ない。故に言葉を言い換えれば『裏家業』とも言えるべき内容であり、実際にやって来る賞賛の言葉が無い限り、実感など湧かないのである。
それを改めて告げられたその日の出来事は、彼にとっても強烈なインパクトを与えているのであった。
『創憎主を倒す事は、俺達リアナスにしか出来ない事。それは確かなアドバンテージになるはずだが、それが他の人達に認められるわけじゃない。俺達がやってる事は世間的に評価される事でもないが、放置したら崩壊を招く事柄。 ……だからって、威張り腐って良い理由でもない。どうしたら良いんだっつーんだよ。』
しかし悩んだところで解が出ないのが、彼の持つ魔法の力である。大多数の評価を得られない彼の行いに対して何かを言えるかと問われれば、それは誰に尋ねても答えは決まって曖昧なモノに変わってしまう。実際に視て感じたからこそ出来る感想が誰に対しても安心感を与えられ、今の彼にとって一番必要な感覚と言っても過言ではない。
そのため、結局の所は何時もと同じく『曖昧な感覚』で一度処理するしか出来ないのであった。一番モヤモヤするタイプの処理状況であるが、こんな悩みを一般人に尋ねたところで疑問符しか浮かばない。
そんな事を思いつつ彼は頭を切り替え、デスクワークに入ろうとした時だった。
「だからそれに関しては、さっき送った資料を基に片付けろって言ってるだろ? 何で出来ないんだ。」
「?」
「……送付資料だけじゃ解らねえだと? お前、あれだけ学歴やら知力云々を嵩に懸けて威張り散らしてた癖して、どの口がモノを言うんだ。仕事を片付けるペース回復のために助力してこれじゃ、話にならねえじゃねえか。」
何時もと同じく回って来た仕事を片付けようと手を動かしたその時、彼の右側から穏やかではない話し声が飛んできた。普段ならば仕事の『仕』の字すら似合わない上司が、珍しく電話を片手に不機嫌そうな表情をしてやり取りをしていたのだ。半ば温厚通り越してお茶らけの彼には似つかわしくないため、さすがのギラムも気になり作業の手を止めて様子を見守りだした。
どうやら電話の相手は彼の部下に当たる相手の様であり、仕事が大幅に滞っている様である。
『……珍しいな、カサモトがあんなに怒鳴るなんて……』
「なぁプッカ、ちょっと良いか」
「? はい。」
「カサモト上司、何かあったのか。電話越しに怒鳴るなんて珍しいな。」
そんな上司の様子を見かねた彼は椅子ごと身体の向きを変え、彼の後方で仕事をしていた事務勤務の女性に声をかけた。綺麗なメープル色の髪を頭の両脇で纏めた女性は突然の事にも動じず、ギラムの質問を静かに聞き丁寧にこう答えだした。
「何でも、新たに入社した方へ渡された仕事が片付かない事を、カサモト上司の元へとやって来たそうで。状況を確認し手伝ったものの、それでもペースが上がらないと困っているそうなんです。」
「仕事のペースが上がらない……な。それじゃイライラするのも無理ないか。」
「ギラムさんは時々ココでの仕事を片付ける際、手間取ったりする光景はお見かけしませんね。むしろお手伝いしている事の方が多い様に思えますが。」
「あぁ、基本的に俺の所に来る仕事は簡単なモノばっかりだからな。本部の所属はココになってるが、元々現場メインだからさ。デスクワークが苦手な部類に入るからって、その辺配慮してもらってるんだ。」
「そうなんですか? でも時々、カサモト上司や他の方の仕事を変わっていると前々から思っていたんですが……」
「カサモト上司は例外だ。入社した頃からそうだから……まぁ、慣れなんだろうな。お互い遠慮なしに仕事をしたり変わったり、って感じだ。」
「何だか良いですね、親子みたいな感じに仕事が出来るって言うのは。」
「そうかもな。親父とはそういう話をした事無かったから、気分的には悪くないぜ。」
他愛も無い会話を交わしながら上司の苛立つ理由を理解すると、ギラムは相手の女性に礼を告げ再びデスクへと向き直った。何やら自分には到底助力が出来ない事と理解したのか、手元にやって来る仕事を彼は黙々と片付け、書類の山を片付ける頃には昼過ぎを迎えるのだった。
その日の昼食も馴染みのハンバーガーショップで済ませたギラムが再び職場へと戻ると、彼の上司の元には一人の男性社員が纏まった書類の入った端末を片手に立っていた。雰囲気からして事務担当の相手であったが、ギラムよりもずっとベテランな雰囲気を醸し出していた。
「カサモト上司、先日の『新規企業回収の立案書』の件なのですが。」
「んぁ? ……あぁ、それか。悪いがそこに置いといてくれ。ちと遅れるとは思うから、先に別の仕事でも片付けておいてくれ。」
「分かりました。ではこちらに置かせていただきます。」
「おう。 ……ったく、よりにもよって仕えない人材が今期に限って複数人も入って来るなんてな…… 採用側も手を抜いてるんじゃねえのか……?」
提出すべき端末を置いてその場を離れた社員の後姿を見た後、上司はボヤく様に言葉を漏らしデスク脇に置かれていたビニール袋の中を漁りだした。取り出したのは外部で購入してきたのであろう『ケバブ』であり、仕事を片手に昼食を取る形で口にしだし、提出された端末を弄り中を確認しだした。傍から見れば完全に仕事の出来る上司であるが、何度も言うがサボってる時間の方が多い上司である。
しかし仕事が出来ないとは言っていない。
「完全に手一杯って感じだな。趣味の画像漁りすら出来ないか。」
「でもあれだけの仕事を片付けるとなると、そう簡単には行きませんよね。時間の関係上、急ぎの案件もあるでしょうし。」
「まぁな。マクビティだったら、どう片付ける?」
そんな日頃の分まで働いている様子の上司を見ながらデスクに戻ると、彼の隣で昼食を取っていた若い女性社員が彼を会話に巻き込む様に言葉を口ずさんだ。彼女も周りと同じ事務職勤務の相手であり、焦げ茶色のショートボムが印象的なオフィスレディであった。後方で働くプッカとは違い、こちらは少しお茶目な雰囲気が出ていた。
「そうですねー…… やっぱり『先に片付けるべき仕事』を優先しますね。先程の電話の案件を優先して計画を見直した後、後からやって来た立案所に着手して手早く片付け次に備える。これが一番妥当な考えではないでしょうか。」
「なるほどな。それなら前者の作業が止まる前に貯まった書類も片付けられるし、後からの仕事がストップする確率が減るってわけか。」
「ですがこの場合、双方の仕事を頭に入れたうえで行わなければなりません。立案書は新規内容と言えますから、そう簡単に片付かないのが現状です。前者もどのタイミングで止まるか、それも課題です。 ……となると、一番無難な方法で『助っ人に仕事を回す』というのがベストかもしれませんね。」
「んー…… 『猫の手も借りたい』って顔してるしな。まぁそれが無難か、仕事も止まらないわけだし。」
「ギラムさんに回されそうな流れですね。」
「いやいや、俺が出来そうな分野じゃねえって。元々ソロで行動する俺が協力する事も、新規の立案書を見て改正する事もだ。」
「そうなんですか? 優秀な方だと思っていましたが。」
「あくまで『外では』な。悪いが学歴は良い方じゃないから、助力出来ない分野の方が多いんだぜ。」
「あらま。」
サンドイッチ片手に話す彼女に対しギラムはそう答えると、仕事の合間に購入した飲料水の入ったペットボトルを取り出した。静かにキャップを外し水で喉を潤し終えると、彼は何か思いついた様子でデスクに向かい、電子盤を立ち上げ直接入力出来るモードへと切り替えた。すると彼は電子盤を手元へと引き寄せ、自身の指でメモする様に文字を記入しだした。
『とはいえ、このままカサモトを放っておくことも出来ないか。幸い仕事ももう少しで片付くわけだし、何か手段でも考えてみるか。 ……カサモトの事だ、俺でも片付けられそうな仕事だったら即座に回して来るはず。でもそれをしないって事は、俺の手に負える可能性が低いか準備の段階で結構な時間を要する場合が多いって事になるな。ボヤいてる部分からして新人も仕えないと見た方が良いだろうし、企画書に関しては本部務めの相手じゃないと出来ない仕事の可能性が高い。時期的に報告書関連はまだねえだろうから……… うん、何も手伝えねえな。』
半ば走り書きをするかのように彼はスラスラと考えをメモし、浮かんだ考えの冒頭部分を丸く囲いだした。こうする事で後からでもパッと見で冒頭を見つける事が出来る為、彼はよくこの手法を使う事が多い。考えが浮かぶ限り記入していく様子で彼は手を動かしていくと、次々に電子盤を新しい物へと切り替えパソコンの枠に貼り付ける付箋紙の如くその場に沢山展開されるのであった。
そして自身が出来る事があまり無い事を確信すると、今度は別のメモ書きに違った内容を記し始めた。
『そうなると、ベストな助っ人面での人材確保が一番早いか。だけど本部の奴等は基本デスクに付きっきりで、カサモトみたいに暇を持て余してる奴なんて見たことねえ……いや、違うな。カサモトが例外だったな。 ……っつーことは、助っ人面も無しっと。』
しかし彼は現場職の人間であり、事務としてこの場に居る事の方が珍しい相手だ。様々な観点から上司の手伝いをしようと試行錯誤はするものの、どうにも手助けが出来そうに無いため考えが先へと進まない様子であった。
仕方なく彼は手を止め貯まった電子盤を全て見える様目の前に広げ直すと、彼は腕組みをしメモ書きを見直しながら何かいい案は無いかと考えだした。そして一通りの内容を再度確認した後、彼はふとある事に気が付いた。
「………いや待て、何でそもそも俺はこんな事考えてるんだ? 上司の仕事を、外メインの俺が何とか出来るわけねえだろ。部をわきまえろよ俺。」
「何やらすっごく考えてるみたいですね、目の前の画面が凄い事になってますよ。そこまで手伝いたいなら名乗り出たらどうです?」
「いや、それも何かな……… カサモト上司の面目もあるだろ。」
「カサモト上司はそんな事気にしないと思いますよ? 世間体はどうであれ、カサモト上司は自身が楽出来る方を選ぶと思いますし。」
「考えに対して否めない俺が居るな……… まぁそうだな、無謀でも行ってみるか。」
「ギラムさんは仕事が出来ますから、大丈夫ですよきっと。」
「あんまり考えた事ねえけどな。」
半ば時間を浪費した様に思いながら彼は背中を押され、上司の座るデスクへと向かって行った。既に相手はながら昼食を終えた様子で仕事と向き合っているも、やっぱり効率が悪い様子で渋い顔をしながら仕事を片付けていた。ギラムが見ても完全に『居残りコース』に見える為、彼は何か力になれればと思いつつある言葉を思い出していた。
【ギラムはもっと、自分自身に誇りに思って良いと思うよぉ】
『リミダムの言葉に影響されたわけじゃねえが、やっぱり俺は普通じゃない部類に居るのかもな。あれこれ考えて背中を押されるとか、普通ならねえだろ。』
最近出会ったばかりの猫獣人に応援されるように彼はデスク前へと近づくと、相手が驚かない程度の声量で声をかけた。そして相手がこちらを見たのと同時にギラムは静かに深呼吸し、提案した考えを告げだした。
「失礼でなければ、仕事を少し手伝っても宜しいでしょうか。手空きでは無いと見受けられたので。」
「まぁ、手一杯っちゃあ手一杯だな。 ………
でも悪いな、今日は何もねえんだ。先に上がって良いぞ。」
「え?」
「コレは俺の仕事で、ギラムに任せられるモノでもねえんだ。任せられそうな仕事があったら即座に回す、気にせず帰ってくれ。」
「ぁ、はい…… ………」
「本当に大丈夫だ。お前さんは何も心配しなくて良いから、上司からの下らない仕事を回されなかったからラッキーって思っておけって。呆気に取られた様な顔、外ですんなよ?」
「す、すみません……… では、お先に失礼します………」
「おう、お疲れさん。」
だが彼の提案はやんわりと断られ、ギラムは驚きと拍子抜けた様子で流されるままに退社する事を口にするのだった。目の前に座る上司はいつもと変わらない表情で彼に対する返事をすると、再び仕事と向き合う様子で端末に視線を戻すのだった。
そんな上司の姿をギラムはしばし見つめた後、静かにその場を離れ再びデスクへと戻るのだった。しかしその表情は何処か複雑な心境を抱えている様子であり、複雑な顔付をしていた。
「…… 駄目でしたね。」
「あぁ…… ちょっと俺が外部勤務でも内部の仕事を出来るって、勘違いしちまってたかな。出過ぎた事をしたぜ。」
「そんな事は……」
「気遣いは良いって、マクビティ。んじゃ、俺先に帰るぜ。またな。」
「ぁ、はい。お疲れ様です、ギラムさん。」
目の前で交わされるやり取りを目撃していた彼女に返事を返すと、彼は早々に荷物を纏めいつもと変わらない様子で手を上げ帰宅を告げだした。その様子を見ていた相手は流されるがままに返事を返し、その場を去って行くギラムの様子を見つめる事しか出来ないのであった。
不穏な空気を部署内に残したまま、ギラムは廊下を歩きながら心の中で呟いた。
『馬鹿だな俺、何一人で良い気になってんだか。そう簡単に変えられるわけねえじゃんか。』