09 留意(りゅうい)
リミダムとノクターンとのやり取りの後、ギラムは一人職場へと赴いていた。彼等から告げられた事実と相棒からの忠告に頭をモヤモヤさせつつも、ギラムは気分を入れ替えつつ仕事へと着手して行った。しかし普段通りに仕事をしているとはいえ、やはり何か気がかりな部分があるのであろう。その日請け負っていた書類整理やデータの打ち込みに対する仕事効率が悪いと思いつつも、彼は定時に上がりその日の仕事を終了させるのだった。
二人が襲来した次の日、二日続けて彼の前にやってきたリミダムがギラムの前に現れる事は無かった。同じ場で出くわしたが故に、緊張感と共に身構えつつ出勤していた彼にとって、リミダムが現れない事は少し違和感を覚えていた様だ。忠告が事実に成ったとはいえ、まだ彼の中には消化出来ていない問題があり、これからも会話を交わす事によって多少なりとも解決出来る事を望んでいたのかもしれない。現れない事による日常への安心感と共に未だに頭の中で立ち込める靄が消えない違和感が、彼の数日間の付添人に成るのであった。
それからも彼を悩ませる事実がハッキリしない中、数日間が過ぎたある日の事だった。
その日は平日で仕事へと赴く都民達が多い日であり、彼の職場でも外回りへと出向く者達で社内の人気が薄い日。ギラムは普段通りの時間に出社しており、その日の昼食を少し遅めに馴染みのハンバーガーショップで終え、空腹感が満たされ残りの雑務整理にとりかかろうと思っていた黄昏時を迎えない少し前の事である。
「……ん? 何だこれ、差出人がねえな。」
「どうした、ギラム。」
自身のデスクへと戻り新着メールが届いていた事に気付いた彼は、手で画面を操作する様に移動させ受信ボックスを確認していた。そこには午前中に確認した既読済みのメールを始めとした幾つものメールが並ぶも、差出人の無い謎のメールが混入していたのだ。他のメールにはしっかりと残っているアドレスがそのメールには無く、添付物も無ければ本文の冒頭すらも表示されていなかった。いわゆる『空メール』に近いモノがそこに現れていたのだ。
しかし唯一表示されている部分が一つだけ存在しており、件名には自身の名前が表示されていたのだった。
「何か俺のメールボックスに、差出人の無いメールが紛れ込んでてな。件名は俺の名前になってるんだが……」
「身に覚えが無いってか。」
「あぁ。誰だろうな…… ここのアドレス知ってる奴なんて、職場以外には居ないはずなんだが……」
ボヤく様に独り言を零していた彼の発言に対し、上司のウチクラはその場で彼に声をかけだした。
相変わらず如何わしい画像をデスク周辺に展開させていたものの、今の彼の発言には少し違和感を覚えたのだろう。
彼の居るデスクまでの間を遮る画像の一部を左右へと移動させ、机に乗せていた足を地面に降ろししっかりと椅子に腰かけながら話を聞き、彼に幾つかの質問を投げ出した。
「……ギラムは、酒とか飲む方だったか。」
「ん? あぁ、頻繁じゃねえが一応な。」
「酔いつぶれた事は?」
「いや、それは無いな。そうなる前に腹が満たされるようにしてるからさ。ソフトドリンク感覚だ。」
「そうか……… 後はそうだな、俺の行きつけの店みたいな」
「それはねえよ、断じてな。」
「場所…… まだ言い切ってねえぞ?」
「言い切る前に解るっつーの……… 何でそう、あれこれ俺にそういう店を勧めたがるんだ? セクハラだぞ。」
「安心しろ、男同士ならセクハラじゃねえよ。」
「十分セクハラだろ。 ……まぁ、添付ファイルとかもねえから後で良いか。」
「ウイルス感染だけはさせるなよー」
「へーいへい。」
とはいえ、真面目な質問は冒頭だけの様だ。徐々にギラムへ対するブレない上司の一面が露わになり、ギラムもまた変わらない返答と共に反論をするのであった。心配しているのか揶揄っているのか、そこだけは理解出来ないギラムなのであった。
そんな上からの茶々に対し生返事を返した後、ギラムは再度添付ファイルが無い事を確認しメールを展開した。するとそこには、何処か見慣れた口調で書かれた文面が記載されていた。
『やっほぉーギラムー リミダムだよぉー
ちょっと輸送隊のシステムの調子を確かめようと思って、ギラムのパソコンにメール送ってみたよぉー 届いてるぅ~?
後、約束のアイスが食べたくなったから、今日の夕方に会いに行くねぇー
いつもの場所で、落ち合おぉー
リミダム・ティブレン』
「………隠す気ゼロだな。」
覚えのある口調で書かれたメールを読み終えた後、ギラムは軽く頭を抑えボヤく様に感想を述べた。心配していた内容とは違う変化球に軽く苦悩するも、記載されていた『約束のアイス』を何処で購入するかを即座に検討していた。そこだけは律儀に守る所を見ると、彼自身もリミダムの事は『謎を抱く存在ではあるも根本的に嫌いな相手ではない』のかもしれない。
敵対する存在である事を知りつつも、やっぱり敵視は出来ないようである。
「どうした、やっぱり女からだったか?」
「違う。」
「じゃあ店からか。」
「くどい。」
再びやって来る上司からの茶々をスルーしながら彼は書類を纏めると、自身が持ち込んだ荷物を纏めメールを削除した。その後身の回りに忘れ物が無い事を再度確認すると、彼は退社前の挨拶と手続きを済ませその日の仕事を終えるのだった。
外へと出るとすでに夕刻を迎えているも、時期も時期の為まだ昼下がりの様な空色をしていた。職場を後にした彼はその足でショッピングストリートへと向かい、馴染みのスーパーにてリミダムに注文された『ロックアイス』を買いに向かって行った。本格的な夏を迎えたこの頃は小売店では多種多様な氷菓や納涼の意が込められた商品を多数取り扱っており、店内は涼しく快適な買い物が出来る環境となっていた。そのため指定された氷菓は店の冷凍販売ケースの中にしっかりと陳列されており、購入出来ないという事態に陥る事無く、彼の買い物は終了するのだった。
右手で持ち歩いていたビニール袋から冷気を感じつつ、彼は帰宅路を歩みながら待ち合わせ場所である住宅街の路地へと向かっていた。徐々に黄昏に染まっていく空色を目にしながら彼は歩き、目的地へと差し掛かり覗き込む様に路地へと視線を向けだした。するとそこには小柄な影の姿は無く、代わりに自身と同じ背丈を持つ立派な体格の主が立っていた。
「ぉっ、本当に届いてたのか。悪いなギラム、リミダムの呼出なんぞに律儀に応えてもらって。」
「サントス? じゃあ、リミダムは……」
「おれっちが来る前に捕まえて、仕事をしてくるよう隊員達に見張らせたところだ。今日は来ないから、安心して良いぞ。」
「そ、そうか…… ついにアイツ、バレたのか。」
「こうなる事は予想してたからな、なるべくディルには合わせない様にしておきたかったんだが……おれっちの計算が甘かった。すまない。」
「別に良いぜ、そこまで謝らなくてもさ。」
その場に立っていたのは以前少しだけ言葉を交わした獅子獣人のサントスであり、以前と変わらない井出達で彼を出迎えだした。予定していた相手では無かったため多少困惑するギラムであったが、直ぐにそうなった事実の推測が出来た様で、路地へと入り話をし始めた。
「そしたら、コレだけリミダムに渡してもらえるか? アイツからの注文なんだ。」
「? ロックアイスとやらか?」
「前々から食いたい食いたいって言ってたからな。今日は恐らくそれ目当て何だろうから、処分は任せるぜ。何なら、サントスが食っても良いからさ。」
「いや、コレはディルからの選別だ。仕事が終わり次第、リミダムに渡しておく。」
「そっか、ならそうしてくれ。」
「了解した。 ……時にギラム、ディルはおれっち達の事は敵だと聞いたらしいな。リミダムが変な事を言っていたから、すぐわかったが。」
「あぁ、一応聞いたぜ。どういうポジションにいるのかとか、詳しい部分は把握してないけどな。」
「そしたら、何故おれっちに会っても得意の魔法で銃を創り出さないんだ? 撃つだけの動機が無いか。」
「まぁそうだな。無差別に殺人をする様な趣味は、俺には無いんでな。仮にそれが創憎主であったとしても、それは例外じゃない。」
「報告で聞いている。ディルがこの世界で何をして、今はどういう風に生活をしているかも、な。」
「そっか、やっぱり全部知ってるんだな。 ……相変わらず怖いな、クーオリアスとやらの情報網は。」
「……でも、ギラムは。」
「あぁ、敵意は向けない。」
「そうか。」
手にしていたアイスを手渡し小話をした後、ギラムは苦笑しながらも返事を返し自身の意志を相手に伝えだした。告げられた意志に対して相手は首を傾げる様子もなく、ただただ理解する様に頷き相手の事を見るのだった。
会合の際に配られた資料の通り、ギラムは雰囲気は強面だが内心は丸く連戦連勝を重ねる程の好戦的な性格では無い。仕事の経歴で身体に染み付いた動きと言えばそれで片付く事かもしれない、相棒を前線に置かず自身から前に突っ込んでいく事も納得が行く。だがそれは戦場で行えば囮になり自身がハチの巣に成る可能性が十分にある為、命が幾つあっても足りない行いに過ぎない。命知らずの様だが確実に経験を積み、そしてなおかつ相手の事を見定めた上で戦いに身を投じるかを決めている。兵隊の動きに近くも上司の考えを持ち、なおかつ仲間を駒とせず犠牲にしない動きを大事にしている。
それは何処かアンバランスな思考回路と動きであり、やっぱり普通の人間では無い事をサントスは改めて感じるのだった。
「お前等は俺に敵意を向けられたいように聞こえてくるんだが、何でそこまでしたがるんだ。俺に殺されたいみたいだぞ。」
「実際の所、おれっち達は『死にたい』訳でそう言う風に言っているわけじゃあない。敵意を向けてくれてさえいれば、おれっち達にとっても都合が良いだけだ。」
「都合が良い? 何でだ?」
「おれっち達は、ギラム達リアナスを『消そうとしている』からだ。」
「消す……!?」
「『領土』っていう単語があるだろ、おれっち達はそれを拡大しようとしている。世界規模での拡大を目論んでいる、ただそれだけだ。」
敵視して欲しいという気持ちが少し強く表れている事を感じつつあったギラムは問いかけると、サントスは静かに本音をぶちまけだした。以前までに告げられた事実とは明らかに規模の違う内容に驚愕を露わにするギラムであったが、相手は何て事の無い様子で平然と話し、最終的にどういう事をするのかを教えてくれた。
彼等の言う『敵側』という意味、それは至って簡単なモノなのであった。
「おれっち達が見える存在を消す、それはおれっち達にとっても都合が良くて対抗手段を亡くさせるって意味でもある。獣人は確かに人間達よりも優れている面は多いが、全部が全部そうじゃない。対抗手段を得た人間達に反抗されれば、おれっち達も一筋縄では行かないからだ。」
「………それで、お前等は俺を目星に付けたってわけか。」
「正確には『危険因子としての可能性が高く、候補に挙がった』が正しいな。だからこそ、ディルには気を付けていて欲しい。」
「わざわざ、それを俺に言いに来たのか……? 何で………」
「何時また刺客が現れるか、創憎主に負けるかさえ解らないからだ。要らない情報だというならそこまでかもしれないが、おれっち達にもやるべきことがある。だからこそ、おれっちはギラムに接触したかった。」
「………」
単純な意味合いもあれば深い意味合いもあるのだろう。本音に等しい事柄を告げられたギラムは少し理解の整理に戸惑う中、やるべきことを全うしたいと言う相手の言葉に何かを返す事が出来ずにいた。
彼等は自分達の居る世界を侵略する事を企んでおり、計画の邪魔建てをする可能性の高いリアナスを見つけては処分する必要がある。しかし見つけ出して殺した所で世界の均衡は保つのが摂理で在り、新たにリアナスの可能性を見出した人間が現れれば再びその行いを続けなければならない。それでは幾ら倒した所で意味など成さない、無駄な時間を使い続ければ突発的な危険因子が現れ、自分達の命が狙われる危険性だってあると考えたのだ。
そして彼等が考え行きついた方法、それはリアナスと契約し自らで力と成る事象を与える事だったのだ。
本来得るべきではない力を得れば使いたくなる心理を利用し、行き過ぎた行いをし続ければ力を暴走させ世界の法則は捻じ曲げられる。ましてや感情面豊かな人間達の力が暴走するほどの負の感情が爆発してしまえば、簡単に世界を塗り替える事だって可能であった。それを『正義のために力を使ってほしい』と言えば、誰だって快く承認し行いを全うしても不思議では無いのだ。
それが例え同じ経緯で力を得た同じ人間だったとしても、事実さえ知らなければ苦しい事など目もくれないのである。彼等はそれを利用し、今まさに共喰いをさせているのであった。
『………あぁ、そうか。だからグリスンは俺に【視える人を野放しにしてたら、一番危険な目に合わせちゃう】って言ったのか。こうなる事がすでに解っていたからこそ、俺に対抗策と成る術を渡して何時巻き込まれても大丈夫、創憎主にもならない様に気を使ってくれてたのか。行き過ぎた力は自身で扱いきれずに自爆するって言うのは、こういう所でも有り得る話なんだな。 ……サントスもまた、グリスンと似た考えの持ち主って事なんだよな、きっと。』
段々と相手側の企みを徐々に理解しどうして敵側である事を理解していて欲しいのか。ギラムは少しずつではあるが分かって来た様子で視線を下し、再び空へと向けだした。
黄昏に染まった空は段々と色味が薄れ、夜へと向かっていた。この平和な空を見る事が出来るのは自身が過去に勤めていた治安維持部隊のおかげであると認識していたが、今ではその平穏さえも覆すほどの脅威が知らない所で動き出していた。解決不能の謎の事件を始めとした現実的ではない非現実的な事象は始まり、繰り広げられてきた戦いの中に自分が置かれ月日が経った。何時自分が死ぬ事も狙われる事も解らないその中で、自分はどうする事でその戦いを止める事が出来るのだろうか。力を使い過ぎれば脅威を周りに向けられ、あっという間に事実を知らない同胞にだって狙われる可能性もゼロではない。
様々な制約が存在する中、自分には何が出来るのだろうかと思いながら彼は再び視線を下した時だった。
「そしたら、おれっちはコレをリミダムの元へと届けるか。首を長くしてるかもしれないしな。」
「……… サントス!」
「ん?」
スッ
「……ん。」
「何だ、拳を前に突き出して。」
「お前は敵側に狙われる危険を犯してまでそれを言いに来たって事は、俺に何か出来る可能性があるって考えてるんだろ。だったら、お前は俺達の敵じゃない。『仲間』だ。」
「………」
「サントスも解ってるだろうけれど、俺は演技が下手だ。バレてお前等が辛くなる事も重々承知してるが、俺はサントス達とは仲間で居たい。どんな時でもそれは代えないつもりだ。だからこそ、誓う必要があるだろ? 同じ漢としてだ。」
「………」
別件を済ませその場を離れようとした相手に対し、ギラムは呼び止め目の前に拳を突き出した。それを見た相手は手を見た後に相手の眼を視ると、そこには強い意志に満ち溢れた輝かしくも美しいコバルトブルーの瞳があった。印象的な相手の金髪に似合う深い蒼はしっかりと自身の事を見ており、何があっても味方であると訴えていた。
そんな相手の意志と行動を見せつけられたサントスは口元に少し笑みを浮かべた後、相手と同じように拳を突き出し静かに合わせだした。
トンッ
「………情報通り、顔付に似合わず優しくも男気溢れる性格な訳か。確かに、そんな相手がおれっち達にずっと敵意を向けてる時点で不信だと思われるか。」
「え?」
「いや、何でもない。……解った、じゃあこうしよう。ギラムはおれっち達の事を知っていて、相対する仲だという事も知っている。だが、それは油断させるための『フェイク』だ。」
「フェイク?」
「ギラムは相手の根を視て決めるタイプ。だからこそ、あえて『敵だ』という本当の事を告げて本人に『実は違うんじゃないか』って誤認識させておくって意味だ。そうすればおれっち達が仲良くしていても不思議じゃないし、リミダムが来た所でその考えに変化は生じにくいってわけだ。」
「じゃあ、サントスの居る場の奴等は『俺はサントスを敵だと知っている、だからこそ敵だと認識しないで陰で操れるようになっている』って思う訳か。」
「あぁ。面倒だとは思うが、そうしておいてもらって良いか。」
「お互い様だろ? 全然面倒なんかじゃないぜ。」
お互いの中で決まった策略と関係性が確約すると、二人は拳を離し再び正面から相手を視る様に立ち出した。そして改めて同じ考えの中で動く存在同士である事を理解し、これからも気を使いつつも情報を共有して行こうと考えた。誇り高い獅子獣人と勇ましい強面傭兵の視線は静かにぶつかり、そして互いに笑みを浮かべるのだった。
「これからもリミダムが迷惑をかけると思うが、今まで通り接してやってくれるか。アイツ、本当は人間が大好きなんだ。」
「そうなのか。」
「だが、場所が場所なだけに過度な接触をする事はおれっちが禁じている。その行動が裏目に出て、面倒な引き金になりかねないからな。」
「まぁ、中々難しいお荷物になりかねないってことだろ。自由人過ぎる傾向があるのは、俺も解ってるぜ。」
「名前の由来の通り、な。ではな、ギラム。」
「あぁ、またなサントス。」
その後話が終了し、相手は静かに振り返り装束を靡かせながらその場を去って行った。後姿が視えなくなっていくのを見送るギラムは彼等の意思を感じつつ、その場を後にするのだった。




