第12話 怒りに苛立ち
何年ぶりのことになるだろうか、自身の身長から体重までの測定、果ては歯科検診。
隆二はおっかなびっくり体重計にのり、医師の言われるがままに口を開く。
その一つ一つの、他の生徒にとっては当たり前の出来事。
しかし、“阿修羅に帝釈”、紙切れ一枚の卒業証書のみで中学を後にした隆二にとっては、そのすべてが新鮮に写る。
隆二の頭に、こつんと乗る木の板の小さな音。
「身長……百八十.二センチメートル……」
測定器を繰る看護師が、問診票に転記する仲間の看護師に測定結果を言葉で伝える。
「……大きいわね……さすが成長期、って、あら――」
問診票に天気をおこなう看護師は、その隆二の生年月日に気がつき、笑顔を浮かべて謝罪した。
「あらあら、ごめんなさいね。あなたはもう、成長期、って言うにはもう大きくなりすぎているわね」
「いやいや、お恥ずかしい」
その大柄な体を恥ずかしそうにくねらせ、隆二は照れたように頭をかいた。
「……自分自身も不思議な気分ですよ。こんなおっさんが、何の恥ずかしげもなく高校生、なんてね」
「ここはそういう学校なのよ。はい――」
さらさらさら、手早く数値を書き込むと、中年女性の看護師はにこやかな微笑とともに問診票を隆二に手渡した。
「恥ずかしがることはないわ。私と同じくらいのおばさんだってこの学校には通っているんだから。それに比べれば、あなたも十分若いわよ。ええと……榊くん、でいいのかな?」
「痛み入ります」
隆二は涼やかな微笑を返す。
「それでは」
小さな微笑を返すと、隆二は次の聴力検査の会場へと歩みを進めた。
※※※※※
所定の検査項目をこなした後、ヤマコーの生徒たちはめいめい流れで教室に帰ることになる。
身体測定が終われば、その日は特に授業もない。
終礼のショートホームルームを終えれば、そのまま放課となる。
一連の測定の手順を終えて問診票を提出すると、ブルージーンに白のワイシャツ、そして雪駄、いつものスタイルに着替えて一年A組のクラスへと歩みを進める。
「失礼します」
誰に言うでもなく、スティール製の青いドアをがらりと開ける隆二。
すると
「……これは……一体……」
隆二の目の前には、クラスメートの一群。
彼らが一つの机を取り囲み、ざわざわと騒ぎ立てる。
その中心、一人の少年が突っ伏し、その頭をごんごんと木製の机の上に叩き続けている。
その少年は、と見れば――
「翼さん!」
隆二は一足飛びで駆け寄ると、その少年をはがい締めにする。
「一体どうしたというのですか、翼さん! ちょ……落ち着いてください!」
しかし、その言葉に耳を貸そうともせず、瞳を潤ませた翼少年は
「離してよ! 離してくれよ! 俺が……また俺が余計なことやっちまったから!」
隆二を振りほどこうとしてもがき、そしてまた何度も頭を机に叩きつけ始める。
「……もうやだ! もうやだ! 俺が悪いんだ!」
その力は、“阿修羅に帝釈”、いくつもの修羅場を潜り抜けたはずの隆二にとってさえ、抑えるのがやっとの呈である。
その叫び声と、形容しがたい怒りは周囲の生徒たちにも伝染し、中には恐怖のあまり啜り泣きを浮かべるようなものまで現れ始めた。
隆二が暴れる翼を取り押さえるのに四苦八苦しているところへ
ガラガラガラ
黒板脇の、教室前方の扉が開け放たれる。
「皆さん、それでは席に――どうしたんですか? 一体何が起こったんですか?」
担任の姿を認めると、翼少年は更に体を震わせ、暴れ始める。
「ああああああああああああああああ!」
隆二が全身全霊をこめて抑えなければ一体どうなっているだろう、と思わせるほどのものだ。
「また俺かよ! 何でいっつも俺ばっかり……俺ばっかりこうなんだよ!」
その声はもはや泣き叫びを通り越し、断末魔を思わせる発狂へと姿を変える。
担任の女性教員も、黒板の隅に隠れて何もできずに震えるばかり。
周囲の生徒たちも恐怖におびえ、ついには顔を抑えて泣き崩れるものも。
もはやこれまでか――
隆二は一瞬の躊躇の後に覚悟を決め、その右手を固く延ばして手刀を作る。
南無三――
トン、最短距離で、最速のタイミングで翼少年の首筋、頚動脈を撃つ。
「かっ!」
“阿修羅に帝釈”の狙いすました打撃は、発狂せんばかりに暴れる少年の意識を的確に寸断する。
少年の四肢からこわばりが消えうせ、そしてぐったりとその体を隆二の腕に預ける形となった。
ふう、隆二は小さくため息をつき、汗をぬぐうと
「――っと」
翼少年を軽々とその肩に担いだ。
その一連の動作を、あっけに取られたように見つめる教員と生徒たち。
「お騒がせいたしました、皆様。先生」
何事もない、落ち着かせるような涼やかな微笑を浮かべる隆二。
「お騒がせついでに申し訳ありませんが」
担任の女性教員の元に近づき、その肩を叩く。
「翼さんと、少々話がしたいので、教室をはずさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
※※※※※
「はっ!?」
飛び跳ねるように上体を起こす翼。
自分のみに何が起こったのか知る由もなく、周囲をぐるりと見回す。
「おや、気がつかれましたか」
缶コーヒーを手にその隣に座る隆二は、飄々とした様子で翼に声をかける。
「……ここは」
小さな痛みの残る頭を振る翼の目の前に、はらはらと散る花びら一枚。
そこは、やまびこ第一高等学校の校門脇にある、桜の木のたもとにあるベンチだった。
隆二はベンチから立ち上がると、チャリン、ごとん、移動販売機のボタンを押して取り出し口からペットボトルを翼に渡す。
「手荒な真似をして、申し訳ありません。しかし、ご理解ください」
そして、そのまま深々と頭を下げる。
「あの時、あなたは相当取り乱していらっしゃいました。ああするより他、なかったのです」
「……え、あ、ああ、えと……」
ペットボトルを受け取る翼の足元に転がるのは、隆二が額に置いたぬれたハンカチ。
そしてそこには、わずかな鮮血の跡。
「ごめんね、榊さん……俺、またやっちまったみたいだ……」
そこにいたり、ようやく翼は自分のしでかした出来事を思い出した。
「……俺、前からそうなんだ……人の気持ちとか、周りの空気読めないで、考えたことそのまんま口にしちゃうし。やらなきゃ、って思ったこと、そのまま考えなしに行動に移しちゃうし……いっつもそなんばっかりで、パニくっちゃうと、自分でもわけがわかんなくなっちゃうんだ……」
隆二より受け取ったペットボトルに口をつけることもなく、目に涙を浮かべながら肩を落とした。
「心持も落ち着いたようですね」
柔らかく微笑む隆二は、ぽんとその方に手を添えた。
「一体何があったのか、よろしければ自分にお話いただけませんか」
※※※※※
「――そうですか。確かに、あの時は翼さんが少々強引だったかもしれませんね」
翼の横に腰掛け、そしてその言葉に耳を傾けた隆二は静かにそう告げた。
「あなたも悪気があったわけではないのでしょうが、あの時美弥さんは、明らかに嫌がっていましたね。そこは、やはり配慮が足りなかったのかもしれません」
こくん、小さくうなづく翼。
「俺、いっつもそうなんだ。みんなが待ってるのに、宮川君が着替えようとしないから、ちょっとイラついちゃったんだ。それで……」
そして頭を抱え、か細い声で後悔の念を呟く。
「なんで、俺あんなことしちゃったんだろう……いつもいつもわけのわからないことしちゃって――」
身体測定、無理やり服を脱がそうとする翼の腕を振り払い、叫び声を上げた宮川美弥。
“……その……ごめんね!”
逃げ出すように測定室を飛び出した美弥は、そのままヤマコーを後にし、いずこかへと姿を消していた。
教室に一足先に戻った翼は、校内中を探しまわったが、美弥の姿は見つからない。
「――それで、教室に戻ったら、何で俺、あんなことしちゃったんだろう、って、頭ん中めちゃくちゃになっちゃって。そしたら、小学校とか中学校とかの時のいやな思い出が、いっせいに頭ん中にあふれ出ちゃって……あああああああああ! もおおおお!」
やり場のない後悔と自己嫌悪に、がりがりと頭をかきむしる翼。
そして、悲しげなため息をこぼして言った。
「俺、宮川君に悪いことしちゃった……俺、どうしたらいいんだろう……」
「起こってしまったことは、取り返しがつきません。冷たい言い方ですが」
突き放すような言葉を口走ったかと思うと
「ですが、少なくとも“償う”ということはできます。生きてさえいればね」
すぐに隆二は柔らかな微笑を浮かべた。
「……榊さん……」
はなを啜り上げ、涙を浮かべて隆二を見つめる翼。
「まあ、その“償い”というものがどれ程難しいのかも、同時に知っておくべきだとは思いますが。ただ――」
一瞬寂しそうな、真剣な表情を浮かべたかと思うと、隆二は翼の肩を叩いて笑顔を向ける。
「――ただ、自分たちは一つ屋根の下、机を並べて勉強する仲間です。心の底から詫びを入れれば、美弥さんも許してくれますよ」
「……でも、どうしたら……いいいいいいいい!」
ごんごんごん、拳で作った鉄槌を、苛立ち紛れに自身の額にぶつける翼。
「……今迄だってそうだもん……俺、こんな事ばっかやってきたから、なに言ったって、どうせ誰も聞いてくれないもん……」
「男同士です。自分も、あなたも。そして、美弥さんも」
隆二は翼の腕を取ると、その手を開かせ、翼の手のひらに優しく自分の手のひらを重ねた。
「腹を割って話しましょう。大丈夫です、自分が媒酌勤めさせていただきます。明日、美弥さんが登校されたら、自分と一緒に謝りましょう」
その言葉に
「……ひっ、ぐっ……ふ、ふぁあ……あああああ」
翼は小さく肩を振るわせすすり泣きの声を上げる。
涙を流す少年の頭の上から、隆二は己の身に纏っていたワイシャツをベールのようにかける。
男の涙の理由、そしてその意味、そのすべてを理解しているからこそ、誰にも翼のその姿を見られまいと。
※※※※※
「……うううううううう! んっ!」
ぐじぐじと両の掌でその目の涙を擦り取ると
「あー! すっきりした!」
さわやかな顔で笑顔を浮かべ立ち上がる。
もともとは、素直で明るい性質なのだ。
そして、傍らに座る隆二に向かい、恥ずかしそうに頭を下げる。
「……ごめんな、隆二さん……そんで、ありがとな……ねえ、俺のこと嫌いになったりしない?」
不安そうに、恐る恐る訊ねる翼。
「……俺と……友達でいてくれる?」
「何の二の句を継げましょうや」
隆二は涼やかに微笑むと、缶コーヒーを一口含んだ。
「少しずつ、自分自身の中にあるものと、向き合って――」
“あんたの中に眠る暴力性、狂気、そして――”
久光の言葉が脳裏をよぎる。
ぎりり、奥歯をかみ締めると、一呼吸を置いて、再びの涼やかな微笑を浮かべる。
「――自分自身と向き合っていきましょう。もしこういうことが起こったとしたら――」
どん、隆二は右拳で自身の胸を叩いて言い放った。
「――大丈夫です。自分が、あなたを止めて差し上げます。自分たちは――自分たちは、五分の友達ですから」
「うん! ありがとな隆二さん!」
そこにあるのは、さわやかな微笑を浮かべる一人の少年の姿。
勇んで教室へとかけ戻るその姿を、隆二はまぶしそうに眺める。
““阿修羅に帝釈”の力を必要とする人に、お前さんの“勇”を、どこかの誰かのために役立ててやってくれ”
心に浮かぶその言葉に、隆二は誰に聞かせるでもなく呟いた。
「……安堂さん……こんな自分でも、少しは人の役に立てたのでしょうか――」




