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ヤマコーJINGI!  作者:
1/22

第1話 阿修羅に帝釈

カクヨムにて掲載していたものですが、こちらにて転生させました。


ぜひお読みいただければ幸いです。

「……私、安堂尊は、昭和半ばよりの長きに渡り、渡世人としての稼業を営んで参りました……」

 黒羽二重、染め抜き五つ紋付きの長着と羽織に仙台平の袴、第一礼服の紋付袴に身を包み、七十がらみの老人がとうとうと奉書を掲る。

 その年代を考慮してもなかなかの長身であり、その深く刻まれたしわと雪のような頭髪は、その人物をさながら古代中国の儒者のように穏やかに見せる。


 その老人の前に立ち、その言葉に耳を傾けるのは、重々しい制服と制帽に身を包んだ警察官たち。

 一様に無表情、無言だが、その老人の一挙手一投足に神経を尖らせている。

 この一人の老人に対する、尋常ならざる警戒の念が伝わる。


 そして老人のその身にまとう雰囲気も異様だった。

「……テキヤ稼業を営み、全国各地で庭先、軒先をお貸しいただき、細々と子分たちとともに肩を寄せ合い生きながらて参りました……」

 その口から響く声は低く、地鳴りのようだ。

「……しかしその中で、市井に住む多くの善良な市民の方々にご迷惑をおかけしたこともございました……」

 一見穏やかに見えるその瞳の奥には、隠しようのない覇気と殺気が垣間見える。

 

 老人の前に立つ警視庁川本署署長の後に、生活安全課刑事佐渡大吾は直立不動のまま老人の奉書の言を聞く。

 眉間にしわを寄せたまま、容易ならざる、相容れざる存在を睨みつけるようにして。


 しかし、その視線を一顧だにすることもなく、その老人はあくまでも飄々と、さながら清流のごとき弁舌を振るう。

「……本日私安堂尊はここに処々の組織を束ねる関東安堂一家を解散し、子分たちとともに稼業の道より足を洗うことにいたしました。多くの善良な市井の方々の生き方を見習い、一人の市民として生きていくことをここに誓い申し上げるところであります……」

 その老人、関東有数のテキヤ組織、関東安堂一家の総元締めを務めた安堂尊。

 安堂は奉書を丁寧に包むと懐へ仕舞い、深々と頭を下げた。


 親分の姿勢にならう形で、子分たちも一斉に頭を垂れた。


 その中に、ひときわ目立つ長身の男。

 身の丈六尺、古典的な表現が似合うたたずまい。

 こしらえのいい黒のスーツに包まれた屈強な肉体が自己主張する。

 人形のようにしっかりと伸ばされた手指には、稼業によるものか、繰り返された出入りによるものか、無数の傷とゴツゴツとした拳の節くれが目立つ。

 若頭格とみえるその男は、親分が、周囲の子分達がゆるりと顔を上げてそれでもなお、腰を折り続け礼儀を尽くす。

 まるで自己主張を続けるかのように。


 その男の姿に気がついた安堂は

「隆二ぃ」

 寂しげな微笑とともに、諭すように声をかけた。

「もういいんだ。もうな」


 その言葉に、その男はようやく腰を伸ばす。

 短く整えられた頭髪は、その体の動きにもいささかの乱れも見せない。

 その表情は涼やかであり、瞳は驚くほどに澄んで見えた。

 しかしその形作る視線と屈強な体に似合わない鋭角な頬は、この二十そこそこの男の、これも尋常ならざる人生を物語る。


 “阿修羅に帝釈”


 日本中のその筋に名をとどろかせた、関東安堂一家若頭、榊隆二。

 その澄んだ瞳に今映るもの、そしてその若き心に去来するものはなんであろうか。



※※※※※



「長い間、ご苦労さんでやんした」

 やや古くはあるが、手入れの行き届いた日本邸宅の廊下の途切れる玄関先。

 かつての子分に敬語を用い、かつてのその親分安堂は深々と頭を下げる。


 一家を解散し、擬制的な親子関係は完全に解消された。

 その今現在、親は親、子は子という関係はもはや成り立たない。

 しかしこれまでの長きに渡り、子分たちはそれまで安堂を親として義理を通してきた。

 安堂の折り目正しい振る舞いは、その子分たちへのせめてものはなむけ、一人の男としての礼儀だった。


 そしてそのかつての親に対し、低からぬ高からぬ頃合で頭を下げ、その信を示すかつての子分たち。

「……それでは安堂さん、長らくお世話になりました……」

「……それでは安堂さん、どうかお達者で……」

  

 こうしてまた、かつての子分達の背中を見送った。

 一人、また一人、安堂一家会長宅から去りゆくその背中に、一人ひとり、できうる限りの礼儀を尽くした。


 見送る背中が消え去ったのを見届けると、コキコキと肩をならし、ふう、と深いため息をつく。

 その顔には、軽い疲労の色をが浮かぶ。

 深いため息には、五十年間営んできた一家を解散した寂しさと、わずかな安堵がにじみ出ていた。


 ふと、安堂は玄関のその石造りの床に目を落とす。

 整然と並べられていたはずの革靴の消失した様は、安堂の心に独裁国家の大量粛清をよぎらせた。


 かつての子分たち、彼らはさっさと頭を切り替え、別の組織へと身を投じていくのだろうか。

 それとも安堂自身が解散式で口上したように、善良なる市民として、堅気として全うな生活を営んでいくのだろうか。


 それも、もはや擬制的な親足り得ない安堂の知る由ではなかった。

「俺の知ったこっちゃねえやな」

 誰に聞かせるでもなく、一人こぼす。


 ふと気づけば、丁寧に磨き上げられた、黒光る一揃えの靴が安堂の目に飛び込む。

 玄関に残されていたその靴のあり様、まるで冬場に狂い咲く一枝の桜のごとく。

 

 絹の上等の足袋に包まれた足取りを擦るように客間の間口へと戻り、そしてするすると襖戸を開く。

 膳のみが整然と並べられた大広間には、耳の痛くなるほどの静寂がこだまする。

 自身が一家を構え、多くの子分達がここに集っていたことなど、安堂にはまるで春のうたかたの如くあやふやなものにさえ思えた。


 そこに残されたのは、一言もなく前の前に正座を構える男一人。


 この日のためだけに張り替えられた、草原のように青々とした座敷畳の上。

 折り目正しく正座を崩さぬその男、榊隆二。

 目の前に据えられた仕出しに箸一つつけることなく伏目がちに盃を傾ける。


 そこに残るたった一人の顔を見て、安堂は小さく、気の置けない微笑みを浮かべた。

「最後まで残ったのはお前さんだけかい。ええ? 隆二よ」

 その男、もっとも信頼した子分を前に口から飛び出したのは、虚飾のない、混じりけもない、使い慣れたくだけた下町言葉だった。

  

「……もう少し、この場にいさせちゃあくれませんか、親分」

 隆二は表情一つ変えることなく盃から口を離し、淡々と口を開いてはつつと手酌で盃をあおる。

「解散の限りは今日までのはずです。今日今夜の十二時までは、少なくとも安堂一家のはしくれとして振舞わせていただきます」


 ややあきれたような表情で頭をかく安堂。

「ったく、お前さんは堅苦しくっていけねぇやね」

 隆二の前に無造作に胡坐をかくと、そのゴツゴツとした手で徳利を奪う。

「それも後ほんの数時間のことだわさ。まあ、お前さんの好きにするがいいさ。だったら、ほれ——」

 そう言うと頬を緩め、隆二に一献差し出した。

「その親分からだ。ありがたく傾けな」


 十年以上、その身を預け続けてきた親分の言葉に耳を傾けながら頭を下げ、盃を高く掲げてそれを受る。

「お言葉に甘えさせていただきます」

 トトト、閑寂な室内に静謐な音が響く。

 隆二は、くっ、両手で盃を支えながら一息にそれを飲み干し再び口を開いた。

「ですが——ですが親分、組という器がなくなったとしても、自分にとって親子関係は一生です」


「まあ、思い込むのは勝手だけどよ……」

 安堂は一瞬何かを言いかけたが

「……まあ、いいや。なんてこともねえよ」

 しかしそのまま口をつぐむと、横に転がる空の盃を手にした。

 すかさず徳利に手を伸ばす隆二を片手で制しながら、手早くコトコトと手酌を注ぐ。

「ただな、礼儀を尽くしてお上に解散状を口上したんだ。おいらたちの一家はなくなっちまうんだ。少なくともそのことだけは、肝に銘じておけよ」

 そして、ぐいと乱暴に、しかしどこか気品を感じさせる仕草で盃を空けた。

「……っふう。うめえやな、おい」


「はい」

 隆二は小さく言葉を返した。

「お言葉の通り」

 六尺豊かなその肢体に似合わない、低くはあるが涼やかな声で。


「しっかしよお」

 再び手酌で盃を満たすと、安堂はぐるりと周囲を見回す。


 一家の長の家としてはやや慎ましやかな客間、そこには床の間を上座に、整然と配膳のみが並べられている。

 料理に手をつけるのもそこそこに、わずかな時間でかつての子分は姿を消してしまった。

 配膳の上の、形ばかりに注がれた徳利と盃が、そしてただ安堂自身と隆二のみが

静かに客間に取り残されていた。


「お前以外、みぃんないなくなっちまったなぁ」

 またぐいと一口であおると、再び隆二に徳利を差し出す。

「ま、おいらもかみさんなくして長えしな。いまさら寂しいとかそういうのはなんもねえよ。だけどな、さすがにそこまで堅っ苦しいと、おいらもおいらでくつろげねえんだよ」

 そういって、手のひらでしゃくるようにして座を崩すように促す。

「舎弟と飲んでるんだと思ってよ。ちっとばかし楽にしてくれや」


「ですが……」

 一瞬の躊躇に顔を曇らせるが、親の命令と素直に受け止める。

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 着付けぬ着物を着せられたような胡坐を結び、盃を受けた。


「へっ、ったく、そんなにかしこまっちゃってどうするよ」

 言葉とは裏腹の、妙にぎこちない胡坐に安堂は苦笑した。

「おう、お前さんもおいらも、ねえ? 数時間後には堅気の身分だよ?」

 ポンポンと隆二の肩を叩き、徳利を傾ける。

「大体隆二よ、おいら、お前さんから今後の身の振り方ぁ何一つ聞かされてねえんだ。そろそろ教えてくんねえや」


「いえ、それが。まだ自分には何にも」

 くい、親分からの盃、二の句を継げずに飲み干す隆二。

 熱い清酒が五臓六腑に染み渡る。

 ほぅ、熱いと息が口から漏れる。

 酒には強いたちではあったが、一家の解散までの騒動、そして警察においての解散式、そして胸に蘇るテキヤ家業の日々への思いが、その酒の回りを早くした。

「情けないことではありますが、自分はこの稼業で今まで生きてまいりましたものですから。もう少しじっくりと考えさせていただこうと思います」

 

「そうか」

 その言葉は、安堂の心は一転掻き曇る。


 一家解散という自分の決断は、この道での生き方しか知らないこの青年の人生を翻弄した。

 泰然自若としていたはずの安堂の唯一の気がかりは、この不器用な、真っ直ぐな生き方しかできない男の行く末のみ。


「どうだい、それともまたテキヤ稼業に戻るかい? いいんだぜ、おいらの言葉に義理立てなんかしなくってもよ。それこそお前さん、きちんとお上に筋と押して、堅気の……そうだな、タコヤキの屋台かなんかでも出せばいいじゃねえか」

 くい、安堂はゆったりと盃を干す。


「他の一家の庭先を荒らすわけには行きません」

 眉間にしわを寄せ、低く強い言葉で隆二は断言した。


 テキヤにもそれぞれ回るべき庭、すなわち縄張りが存在する。

 今まで安堂一家が握っていた庭場は、すでに警察への届出とともに消滅しているも同然だった。

 自分が稼業に居座ることは、他者の庭先での商売に繋がる。

 いわば他の組の縄張り荒らしとなり、無用な争いを生むことになる。

 

 しかし、隆二がテキヤ稼業を続けない最も重要な理由はそこにはなかった。


「それに親が一家を解散し、稼業世界とは縁を切り、善良な堅気の衆として生きると約束したのです。子はそれに従うまでのことです」

 くい、胃の中にねじ込むに、更に酒をあおる。

「それが、仁義ってもんじゃないんでしょうか」


 その言葉は、いっそう安堂の心を重くした。


 その昔安堂は、十を過ぎるかの頃の、行き場を失った一人の少年を拾い、そしていわゆる“仁義”に生きる道を指し示した。

 それがこの青年の生き方を大きくゆがめる結果となってしまったのではないだろうか、その心に憂いがよぎる。


「……仁義、ねえ。お前さんらしいけどな」

 その憂いを振り払うかのように、安堂はせせら笑った。

「仁義仁義で五十年、てね。どうせあいつらだって、しばらくは堅気でナリ潜めてんだろうけどな。博徒の渡世に足突っ込もうが、テキヤ稼業に戻ろうが、おいらにはもう関係ねえことさ。それがあいつらの仁義なんだってんならな。そんなもんでいいじゃあねえか」


 ぴくん、今はまだ親に当たる男のその言葉に、隆二はその額に深く皺を寄せる。

「お言葉ですが、親分」


 自分の親に言挙げすることの意味、十を過ぎた頃からこの道に身を捧げた男であれば充分すぎるほどに身に染み付いている。


 しかし、それであるがゆえに、“仁義”なるもの、“任侠”なるものを唯一至高の行動原理としてきた男にとっては、まさしく聞き捨てならざるものだった。


「我々日陰者の生き方から仁義をとって何が残るというんです。親分の作った軒先で自分ら半端もんが誇りを持って生きることができたのも、ひとえに仁義を貫くという道を親分に指し示していただいたからこそです」

 酔いが回ったせいだろう、隆二のその声はいつになく感情的で、そしてそれを抑えきれないとでも言うように細かに震えていた。

「それは叔父貴や弟分たち、子分たちも重々知っているはずです。もしそんな筋目をたがえるようなことがあれば、自分が許してはおきません」


「筋目を正すって、どうするつもりだい」

 火のような隆二の視線を涼しげに受け流し、安堂は飄々とした視線を投げ返す。

 そして、くい、盃をあおる。

「もう一家は解散したんだぜ。おいらとお前さんはもちろん、兄弟関係も全部清算されちまったのさ。あいつらがどの道選ぼうが止め立てする義理はねえ。それこそ筋違いってもんだ」 


 隆二はぐっ、と言葉を呑む。

 確かにその通りだ。

 親と子、兄と弟という擬制的な家族関係は、安堂自らの解散式における口上の如く完全に精算されている。

 これからは、法律上にしろ観念上にしろ、全くの赤の他人だ。

 交錯することのない人生を歩むのだ。


 その隆二の様子を見て、気まずい様子で、ふぅ、安堂はため息をこぼす。

「しかしうめえやな、この酒は。灘のいいとこ、奮発したんだぜ。ほれ、お前さんも」

 片膝を立て、再び隆二に徳利を差し出す。

「もういいじゃあねえか。そういうもんに縛られる生き方なんてよ。稼業にとどまるも、渡世堅気にいくも、それぞれの道さね。おいらにできることは、堅気の皆さんにご迷惑をおかけしない道を選んでくれればいい、ってな。祈ることだけさ」


「腐っても自分らは神農です。稼業人です。博徒渡世の方々とはわけが違います」

 隆二は少々むきになったように言葉を返す。


 安堂一家は、関東一帯で活動するテキヤ組織である。

 各地の祭りや縁日を庭場として露天を出し、その場を取り仕切ることにより生計を立ててきた、いわば正業を持つ労働者である。

 正々堂々汗を流し、日本各地で日銭を稼ぎ生きてきた、その自負はやはり譲れないものだった。


「日陰者ではありますが、祭礼というハレの舞台においてだけはお天道様の下、真っ当な生き方をすることができたと多少なりとも胸を張らせていただきたい」


「いうじゃねぇか。ええ?」

 一張羅の染め抜きを無造作に脱ぎ捨てると、隆二の隣にすえられていた残りの膳を引き寄せ、そして子分たちの残り物に箸をつける。

「もったいねえな。ほれ、お前さんも箸つけねぇ」

 そういうと、ぽりぽりと数の子などを口に運ぶ。

「おごったじゃねえか。住所不定の博打打ちと、おいらたち正業を持った稼業人はちがう、そういいたいわけかい?」


 揚げ足を取られたかのように、隆二は言葉をにごらせる。

「博徒の方々の渡世稼業にものをいうつもりは毛頭ありませんが……しかし」

 自分自身の中にある信念を、その数少ない言葉の中に表現しようと、懸命に、誠意を持って言葉を連ねる。

「自分たちの生き方は、仁義の道、任侠の道を究めようとするものです。その目指すべき道に、一切の嘘偽りはないものと信じております。それこそが俗世に生きる堅気の人達にはない、自分たちだけのもつ使命だと考えております」


「おっかねえなあ、今度は使命と来たわけかい」

 ふん、小さく笑うかのように鼻を鳴らすと、ぱちん、つやつやとすべらかな塗り箸を叩きつけるようにして箸置きにすえた。

「そんなもんな、おいらたちの世界にははなっから存在しちゃいねえもんなんだよ」

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