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デウステイマーズ~降神戦隊~  作者: 削畑仁吉
9/24

疾駆

≪すみませんねえ、童嶋さん。手伝ってもらっちゃって≫


 ヘッドマウント式の通信機から田中の声が届く。全くすまないと思っているように聞こえない。


「まあ、誘拐ですからね……」


 童嶋○△□の声は浮かない。正直なところ、誘拐犯の乗ったワゴン車を追いかけさせられていることにまだ納得していない。これは警察の仕事ではないのか。


 ○△□は今、サーベラスの背中にしがみついている。


 神獣と降神師は一定距離以上離れることは出来ない。○△□が車に乗っていては、サーベラス本来のスピードを活かすことは不可能だ。よって、スピードが何より優先されるこのミッションにおいて、○△□はサーベラスと行動を共にすることを余儀なくされた。

 サーベラスから引力のような効果が発生するために振り落とされることはないが、風圧や冷気まではフォローされていない。ヒエムスの冷たい大気の中、地表から約30メートルの高さにある高架高速道路を時速2百キロで駆け抜けるサーベラスの背中を流れていく風はもはやブリザードに等しく、○△□のちっぽけな義侠心は吹き飛ばされそうになっていた。


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……!」


 譫言(うわごと)のように○△□は繰り返す。

 

≪大丈夫、○△□君ならやれるよ!≫


 通信機からアシータの無責任な応援が聞こえてきたが、○△□にはそれに毒づく元気もない。

 人間は追い詰められたときにこそ、その本質が表出するという。

 だったら自分はクズでいい。人質の命などどうでもいい。頼むから早く終わってくれ。いや、終わってなくていいから帰りたい。帰って風呂でも炬燵でも、何でもいいから暖かいところに飛び込みたい。寒い寒い寒い死ぬ。それだけしか考えられない。




 半時間前――、ホテルで悪鬼と戦ったその翌朝。

 ○△□はホテルのロビーで、アシータ、そしてトリアと一緒に田中がチェックアウトを済ませるのを待っていた。


「それにしても、○△□君があんなに泣いてくれるなんて、アシータ感激ィ」

「一生の汚点です」

「ふふふ、その汚れはどんな漂白剤を使っても消せないね。一生ものだよ」


 一時は落ち着いたと思われたアシータのテンションは朝になって逆に悪化していた。ウンザリするくらいに上機嫌だ。徹夜明けだから、とか言っていたがそもそも幽霊は睡眠するものなのか。


「傷はもういいんですか?」

「え、何心配してくれるの?」

「……幽霊の生態に少し興味が湧いただけです」

「うーん、8割方回復ってところかな」


 破れた服は元通りになっている。流れた血はなんだったのだろう、輸血しなくても平気なのか。幽霊というのは本当にデタラメな『生き物』だとあらためて思う。


「……なにがそんなに楽しいのやら」

「楽しいよ? だって、死んで以来初めて出来る友達なんだもの!」

「ちょっと待て」○△□はアシータに向き直る。「いったいいつ、あなたと俺が友達になりました?」

「わたしが死んだと思って泣いてくれたじゃない?」

「どんな友達の定義ですか。友情が成立した時点で終わってしまう」


 自分にとっての友情とはなんだろう、と○△□はふと考える。死んで泣くのが友情の証ならば確実に自分には友達がいないことになる。泣く側にしても、泣かれる側にしても。だがアシータの定義を採用しなかったとしても、友人という検索項目に該当する顔が○△□には1人もいなかった。


(小学校のクラスメートは……1度家に呼んだら、クズノハに鼻の下を伸ばしていたのが不快で2度と口を利かなかったのだったか)


 それ以後、○△□は誰とも親しく付き合おうとはしなかった。降神師としての修行に注力し始めたのもそれに拍車をかけた。

 それを話すと、アシータは露骨に可哀想なものを見る目で○△□を見つめてきた。


「何ですかその目は」

「いや……寂しい子だと思って……」

「百歩譲って、確かに寂しいかも知れません。ですがそれを辛いとか不幸とか思ったことはありません。憐れむのはやめてもらいたい」


 あれ? とアシータは首をかしげた。

 

「黄寺君は友達じゃないの?」

「なんであんな奴と」


 ○△□は露骨に嫌な顔をする。


「俺よりたった2つか3つ年上で、数ヶ月早く修行を始めただけ、たいした霊力も持ち合わせていないくせに先輩風を吹かせるような奴ですよ。1年ぶりに会っても何も成長していない」

「きっと、○△□君と仲良くなりたくて、でも方法がわからないからつい乱暴に接しちゃうんだよ」

「この歳になって小学生並みの対人コミュニケーション能力しか持ち合わせていない奴なんてこっちから願い下げです」


「お待たせしました、皆さん」


 チェックアウトは終了したらしい。そのまま一行は田中のジープに向かう。

 運転席はもちろん田中、助手席に○△□が乗る。トリアとアシータは後部座席だ。

 見えないのをいいことに、アシータはニコニコしながらトリアの頭を撫でている。対するトリアは少し顔が赤い。風邪でも引いたのだろうか。


「それで、今度こそ田中さんの組織に連れて行ってもらえるんですよね」


 引き延ばし漫画じゃあるまいし、第2の試験とか言い出したらただで済ますまい、と○△□は思う。


「安心してください、ウチも時間が有り余ってるわけじゃ――」


――ガガッ。


 ジープに搭載された通信機が耳障りな音を立てた。


「どうした?」


 名詞の羅列にしか聞こえない暗号めいたメッセージが流れ、それに対して田中がやはり暗号めいた指示を出す。それを見て、ああこの人そういえば軍人だったなと○△□は今更ながらに思った。


「――童嶋さん」


 それまでとは打って変わって真剣な表情で、鼻先がくっつくほどの距離まで田中が顔を近づける。○△□は思わず顔を後ろに引くが、田中の頭はそれを追いかける。

 ○△□の後頭部が窓にぶつかった。


「な、なんですか?」

「正式に我々の仲間になったわけではないあなたに命令を聞く義務は存在しません。ですが、我々の頼みを聞いてもらえないでしょうか」

「……何故顔を近づける必要が?」

「それはですね」


 田中はおもむろに○△□の座席の下に手を突っ込んだ。そこからガムテープと緩衝材に包まれたサーベラスの御霊石を引っ張り上げる。


「まさかこんなところに隠してあるとは思わないでしょう?」

「……あの、それ俺達にとっては結構大事な物なので、粗末に扱われると不愉快なんですが」


 どうせならベタでも鍵付きの金庫に入れて大切に保管してもらいたいものだ。

 そんな○△□の思いを余所に、田中はヘッドセット型の通信機を渡してきた。


「とある重要人物が誘拐されました。相手がデウステイマーである可能性もあり得ます。サーベラスで追跡してください。ルートはこの通信機で誘導します」




 そういうわけで、街中で堂々と神獣を召喚していいものか、とか、人質を盾にとられたらどうしようもないじゃないか、とか、デウステイマーと決まったわけでないならただの誘拐犯相手に神獣は大袈裟すぎないか、とか、色々と不満を抱えながら――今となってはちっぽけな悩みだった――○△□は走り出したのだった。

 

≪童嶋○△□、間もなく道路が分岐する。目標を右折路に追い込めるか≫


 通信機からトリアの声がした。田中達のジープは遥か後方だ。車内はきっと暖房が効いているだろうな、と鼻水を垂らしながら○△□は思った。

 サーベラスがワゴンの左方向に火炎弾を放つ。誘拐犯の乗った車がじりじりと右に追いやられていく。

 分岐点が見えた。右に行けば都市部を周回するルート、左に行けば森林区画を経て隣のドーム都市に向かう速度無制限高速道路(アウトバーン)に繋がるルートになる。

 アウトバーンに出られたらおしまいだ、と○△□は思う。

 神獣は機械とは違う、生物だ。相手の車が燃料切れを起こすより、サーベラスの疲労の方が早いだろう。

 最初から目的はイヴェールの外へ脱出することだったのか、それともこちらの意図に乗せられるのを嫌ったのか、ワゴンは強引に左へとハンドルを切った。○△□は牽制の火炎弾を放ったが、車は臆することなく左へ流れる。こちらが人質を無視出来ないと見抜いているのだ。


「だったら、今すぐ止めればいいんだろッ!」


 慌てふためく一般車両の間を潜り抜けながらサーベラスが速度を上げる。ワゴンが目と鼻の先にまで迫った。後部窓の向こうに、不気味な面相の男と、手錠で座席に繋がれているらしい2人の女が見えた。


 美人だな、と○△□は場違いな感想を抱く。

 と、不気味な男が懐に手を突っ込む。抜き出された手の中にあるものが光を反射して煌めいた。


(あれは、御霊石か?)


 嫌な予感は的中した。一瞬の閃光の後、ワゴンの屋根にヒゲを生やした巨大なヒキガエルが顕現する。


「『ヴォジャノーイ』かッ!」


 ヴォジャノーイの開いた口から高圧水流がレーザービームのように発射された。サーベラスは右に跳ぶ。高圧水流はサーベラスがさっきまでいた空間を横切り、不運な後続車に直撃した。ドーナツのように車体に穴を開けたトラックが、スピンしながら後退。遙か後方で爆発音。黒煙が立ち上るのが見えた。


「……貴様ッ!」


 また、神獣が人殺しの道具に使われた。○△□はワゴンを睨みつける。噛み合わせた奥歯が、ぎり、と鳴る。

 ヴォジャノーイはハイパワー・ウォータージェットとでも呼ぶべきそれを連射。その全てをサーベラスは難なく回避。だが、その代償としてワゴンとの距離は広がっていく。


(火炎弾を――駄目だ、車も吹き飛ぶ)


 ワゴンが分岐点に到着した。

 

 左折。


「くそっッ!」

≪童嶋○△□、聞こえるか≫


 トリアの声。○△□はワゴンから距離を取った。ヴォジャノーイの射程圏内から外れる。その間隔を維持。


「悪い、相手を誘導出来なかった」

≪それでいい。君の失敗は想定通りだ≫

「は?」


 最初からトリア達の狙いはワゴンを左折路に行かせることだったらしい。○△□の任務遂行能力より敵の突破能力の方が高いと判断されたわけだ。

 予想以上に自分が低く評価されていたことに○△□は忸怩(じくじ)たる思いを抱いたが、実際に敵の進行を阻止できなかったのだから返す言葉がない。


≪次の指示だ。説明する時間がない、手短に。10秒カウントする、ゼロになったら全速力で接近、目標を確保せよ。カウント開始。10……9……≫

「敵が神獣を使ってる、迂闊に近づけないんだよッ!」

≪問題ない。5……4……≫

「まったく……ッ!」


 ○△□は逡巡する。迂闊に接近すればウォータージェットの餌食だ。サーベラスは耐えられるだろうか? トリアは何を考えているのだろう? そもそも自分は正式に田中達の仲間になったわけではない、少なくとも今はまだ。納得出来ない命令に従う義理はないはずだ。義理があったって、そう簡単に命を投げ出せるものか。しかもクズノハのためでなく、見知らぬ人間のために?

 誘拐された人を助けるのは確かに善行だろうが、自分の命と引き替えにしてまでやりたいとは思わない。

 何より寒すぎる。もう人質なんか放って置いて、帰っていいんじゃないだろうか? とにかく寒すぎる。

 そうとも、と○△□は呟く。もうやってられるか、帰ってやる。人質なんか知ったことか。もーさむいのやーなの、まーくんもうおうちかえるからね!


(……人質、か)


≪2……1……≫


 最接近した時に彼女達の顔が見えた。


(美人だったな)


≪……ゼロ≫


「うおおおおおおおおおッ!」


 雄叫びと共に○△□はサーベラスを突進させた。前進以外を一切考えない、一心不乱の全力疾走。○△□の闘志を受け、黒い魔獣は疾風となる。

 視界の隅を流れていたビル街があっという間に後ろに流れていき、自然に囲まれた光景が向かってきた。1度は点に見えるほど小さくなっていたワゴンの影が、サーベラスが地を蹴る度に大きくなっていく。

 ワゴンの屋根の上で、ヴォジャノーイが仰け反って力をためる。次の一撃に全力を込めるつもりだ。遮るものは何もない直線道路。この速度ではもはや回避は不可能。迂闊に身を捻ればバランスを崩す。そうなったら転倒するか、後ろに吹き飛ぶか、次のウォータージェットでとどめを刺されるか、とにかくロクな結果にならない。

 撃たれる前に撃つしかない。接近してあのヒゲガエルの喉笛を噛み千切ってやる。

 ヴォジャノーイが頭を振り下ろす。発射寸前。サーベラスからワゴンまでの距離、50メートル。爪も牙もまだ届かない。


――銃声。


「えっ?」


 ヴォジャノーイの頭部が何かに叩かれたかのように凹み、その反対側にあたる白い下顎から血の噴水が噴き出した。


 銃声、銃声。


 合計3つの赤い噴水を撒き、ヴォジャノーイが絶叫する。

 何が起こったのか、○△□には確かめる余裕はない。もはやワゴンは目と鼻の先だ。


「跳べ、サーベラスッ!」


 サーベラスが地を蹴った。目の前には血に濡れたヴォジャノーイの腹。そこにサーベラスの牙が突き立った。サーベラスの勢いは止まらない。ヴォジャノーイを車の屋根から引き剥がしながらワゴンを飛び越える。


 車内ではヘルマンがのたうち回っていた。

 馬鹿野郎が、とランゾウは毒づく。神獣をより精密に操るために、ヘルマンは感覚をヴォジャノーイと同調させていたのだが、その所為でヴォジャノーイの受けた痛みを己の痛みとして受け取ってしまった。砲台として扱うだけなら、わざわざヴォジャノーイと視界を共有する必要はなかったのに。


「ヘルマン、聞こえるかッ! 感覚同調を切れッ!」

「も、もうや、やって、るよぉ……」


 同調を解除したところで、スイッチを切るように痛みが一瞬で消えてくれるわけではない。ヘルマンはもう駄目だろう。ランゾウは唾を吐いた。


 ヴォジャノーイを下敷きにしてサーベラスが着地。全力疾走の慣性はまだ消えない。

 路面との摩擦熱でヴォジャノーイの皮膚が白煙を上げ炭化して崩れ去り、剥き出しになったピンク色の肉がまた黒焦げになって崩れ去り、露わになった色とりどりの内臓器官がまた焼き削られて砕け散る。

 サーベラスが停止した時、ヴォジャノーイは完全に磨り潰されていた。感覚同調を切断していなければ、ヘルマンはショック死していただろう。

 ○△□はサーベラスを道の真ん中で踏ん張らせた。ここから先へは通さないという意思表示だ。だがワゴンはかまわずに突進してくる。


「いい加減に、あきらめてくれよッ!」


≪後輪を破壊する、車を受け止めろッ!≫


「?」


 通信機から、田中でもトリアでもない声が響いた。その直後、ワゴンの左後輪が爆ぜた。車体を傾かせたワゴンはアスファルトに火花を散らしながら左方向に滑っていく。その先にはガードレールがあり、更にその向こうには崖がある。崖下には凍った湖。落ちたら助からない。

 ○△□は車体とガードレールの間にサーベラスの前足を突き出させた。それをクッションにして、ワゴンはようやく停車する。

 なんで俺がこんなことまで、と言わんばかりにサーベラスが不機嫌そうに唸り声を上げたので、○△□はずっと掴んでいたその背中を撫でてやった。


「サーベラス、よく――」

「よくやってくれた、おまえにしちゃあな」


 ○△□は顔を上げる。自分達がやって来た方向から、接近してくるものがある。サーベラスが威嚇する。


「あれは……ッ!」


 オークション会場で見た、あの黄色いテクターだった。ヤマト帝国陸軍が誇る高機動型テクター、禍啄(かたく)

 あの時と違い、禍啄は右肩先端のアタッチメントにスナイパーライフルを懸架していた。それで○△□は、ヴォジャノーイに血の花を咲かせたのが誰であったかを理解した。


「どーよ、俺の狙撃の腕前は?」


 狙撃仕様のテクターが前面ハッチを開放。コクピットシートに座っていたのは、何と黄寺だった。


「まあ、オレがサーベラスを操ってりゃ、狙撃ポイントに追い込む前にカタをつけられたがな?」

「おまえ程度の霊力じゃサーベラスを操れない。仮定自体が無意味だ」


 黄寺の挑発を、○△□は鼻息と共に吹き飛ばした。黄寺の顔が怒りでたちまち真っ赤に染まる様は、しかし○△□にはもう見飽きたもので何の感慨も浮かばない。


「なんだと、この疫病神! おまえが来たから朱川さんは死んだんだ! おまえがウロチョロしてやがった所為で!」

「……まだそんなことを言ってるのか。兄さんが死んでから何十時間経過した? いつまでその死を引きずっている。だからおまえは降神師として三下なんだよ。というか、そういやあの時おまえはウロチョロとさえしてなかったな。何処かで隠れて震えてたか?」

「…………!」


 ○△□が深く考えずに放った一言は偶然にも的を射ていたらしい。黄寺の顔は赤から紫に変わった。


≪童嶋○△□、黄寺瞬。何をやっている、犯人と人質の確保が先だ。黄寺瞬は犯人を捕縛、童嶋○△□は周辺警戒≫

「はあ? なんでオレが?」

≪おまえが着ているものは何だ≫


 テクターインナーは原則としてテクター搭乗時に着用士用装甲服(インナージャケット)を装備することが決まっており、実際黄寺も機体色と同色のインナージャケットを身につけている。インナージャケットは名前の通り装甲服で、歩兵用のそれと何ら遜色ない機能を有している。


「鎧を着てるんだから平気だろ。ほら、さっさと行けって」

「ちっ……ちゃんと見張ってんだぞ?」


 悪態を吐きながら黄寺がハーネスを外したその時。


 閃光。


「な、なんだッ……!?」


 光が収まったとき、ワゴンのすぐ側、道路の中央に巨大な岩山が誕生していた。疑似太陽の光を遮り、サーベラスを影の中に閉じ込めるほどの大きさだ。

 本能的に危険を察知したサーベラスが飛び退いて距離をとる。黄寺も外したハーネスを再接続しながら機体を後退させた。

 岩山が震えた。

 山頂近くの山肌がずり上がり、巨大な瞳が現れる。洞窟のような瞳孔の表面に、それを見上げる○△□達の姿が映っていた。

 サーベラスが再度後方に跳躍。直後、さっきまでいた場所に巨大な質量が叩きつけられた。砲弾でも落ちたかと見紛うばかりの土煙が上がり、巻き上げられた土塊や岩石が○△□の上に降り注ぐ。

 一つ目の岩山が咆哮する。○△□はとっさに耳を覆う。ワゴンの窓ガラスが震えて砕けた。

 そして岩山は『立ち上がった』。

 40メートルはあろうかと思われる神獣がそこにいた。金属製の棍棒を持ち、筋骨隆々とした体躯を誇る単眼の巨人。


「『スクロプ』か……ッ!」


 スクロプの背で何かが弾ける。黄寺の放った銃撃だ。しかしヴォジャノーイの皮膚を貫通した弾丸も、スクロプの岩のような筋肉の前では無力だった。

 単眼の巨人が大きく息を吸う。次いで吐き出したのは呼気ではなく炎だ。禍啄は足裏のローラーホイールをフル回転させて後退。だが1歩遅かった。ライフルの先端がぐにゃりと折れ曲がる。

 使い物にならなくなったライフルを黄寺はパージした。腰部アタッチメントに取り付けてあったハンドガンをマニピュレイターに持ち替える。

 ハンドガンが続けざまに3度火を噴く。しかし、効果があるようには見えない。


「……まずいんじゃねえの、これ?」

「訊かなきゃわかんないか?」


 ○△□はサーベラスと一瞬だけ感覚を同調させる。手足を中心に、どっと倦怠感がのしかかってきた。足の筋肉に限界が来ている。目の位置まで跳び上がるどころか、攻撃を避け続けるのも難しいだろう。火炎弾もガス欠だ。吐けたとしても、体内から鉄を融かすほどの火炎を吐ける相手にどれほどの効果を発揮するものか。




「おいおい、冗談じゃねえぜ。オレを守れって言ったのに後先考えず暴れやがって」


 ワゴンの運転席で、スクロプを召喚した当人の包帯男は車体に飛び火した炎を睨んでぼやいた。彼の起動させた神獣(ヘルゲイター)は肉体的には強力だったが、頭の方は弱いようだった。もう運転席からは出られない。


「おい一つ目のデカブツ野郎、オレが逃げるまで奴等を足止めしろ。言っとくが、もうクソッタレな炎は吐くんじゃねえぞ、わかったな?」


 スクロプは使役者の命令を理解したかどうか、足元を飛び回る魔犬と鉄人形を相手にしてのモグラ叩きにかかりっきりだ。ランゾウは舌を打つ。

 後部座席に移動する。足元に目をやると、ヘルマンは泡を噴いて伸びていた。自分より遥かに大柄な相棒を背負って逃げる自信はない。残念だが、見捨てるしかないだろう。

 次に、人質の女2人に視線を移す。栗色の髪の女は目を閉じてぐったりしている。呼吸はしているようだから生きてはいるだろう。もう1人の黒髪は――ランゾウを睨み返してきた。すこぶる元気である。


「動くなよ。お友達を殺されたくなかったらな」


 貴咲の頭に銃口を押しつけたまま、千華の手錠を外して座席から解放する。そして後ろ手にした千華にまた手錠をかけた。


「さあ、出るぞ。歩け」

「この子は?」


 手錠をかけ直す間、一切抵抗しなかった千華だが、ランゾウが貴咲を放置したまま出て行こうとするのに気付いて足を踏ん張った。


「オレがさらってこいと命令されたのは総督閣下だけですぜ。あっちはただのとばっちりさ。つまり、オレにとってアイツはどうでもいいわけだ」

「私が背負います。そうすれば逃げられる心配もないでしょう? その方が都合がいいのではなくて?」


 ランゾウは一瞬思案した。そして却下する。


「駄目だ」


 気を失っている間、貴咲は千華に対する生きた足枷として役立ってくれるだろう。だが意識を取り戻した後は2対1でランゾウが不利だ。それに自分が相棒を失う羽目になったのに、こいつらだけ2人とも助かるというのはどうにも癪である。


「貴咲を連れて行かないなら、私も動かないッ!」


 ランゾウは銃口を貴咲に向ける。


「今ここで確実に息の根を止めるのと、助かる可能性に任せるのとどっちがいい」


 千華の顔が目に見えて青ざめる。ランゾウは包帯の下でほくそ笑む。他愛もない。友人が関わると、この娘は面白いくらい従順になる。もっともそんなものがなくとも、小娘1人にいうことを聞かせるなどわけはないが。

 火の手が近づいてきていた。

 ランゾウは千華を盾にするようにワゴンから脱出する。

 炎を禁じられてもスクロプは優勢のようだった。黄色いテクターは巨人に対して有効打を持たず、サーベラスはヴォジャノーイとの戦いで疲弊している。




「目を狙えッ!」


 ○△□が叫ぶ。


「言われなくてもやってんだよッ!」


 巨人は瞼の皮膚さえ頑健だった。

 一番手っ取り早いのは、降神師を倒すことだ。○△□は白いワゴンを探す。だが既にランゾウは脱出した後だった。運転席はもぬけの空である。


(まだ、近くにいるはずだ――)


「おい、童嶋!」


 突然、凄まじい衝撃が○△□を襲った。

 ついにスクロプの棍棒がサーベラスを捉えたのだった。山肌に叩きつけられるサーベラス。その背から投げ出され、○△□はアスファルトに叩きつけられた。

 その目に、地に伏した魔犬に対してとどめの一撃を振り下ろさんとするスクロプの姿が映る。


「戻れ、サーベラスッ!」


 召喚を解除。サーベラスの姿が消えるのに半秒遅れてスクロプの棍棒が地を打った。とどめを刺し損なったと理解した巨人が怒りの咆哮を上げる。


「チッ、大口叩いてやられんなよ、クソマザコンがッ!」


 黄寺は機体を前進させた。ハンドガンを乱射し、スクロプの注意を引いて○△□の退却を支援する。いくらいがみ合っているとはいえ、味方を見殺しにするほど黄寺は状況を読めない人間ではない。


「くっ……」


 ○△□が身じろぎする度に身体のあちこちが悲鳴をあげた。

 いったい何本の骨が折れているのだろう。まずい落ち方をしてしまったようだ、とぼんやり思う。

 立ち上がるのをあきらめ、這うようにしてのろのろと、しかし今出来る最大の速さで隠れられそうな物陰に急ぐ。こめかみから何かが伝った。拭った手の甲が真っ赤に染まる。道理で意識が朦朧とするわけだ、と○△□は思った。気を抜くとそのまま深い眠りに落ちてしまいそうだった。

 途中でふと、○△□は振り返った。

 視界に白いものが映り込む。誘拐犯が乗っていたワゴン車だ。スクロプが最初に放った炎が飛び火したのか、車体の前半分が燃えている。

 その後部座席に人影が見えた。


(あれは……)


 女性が1人、取り残されている。生きているのか死んでいるのか、○△□のいる位置からではわからない。


 ○△□は車に近づいていった。


 まともな判断力が残っていたら、彼女を見殺しにしていたはずだった。そうしたとしても誰も彼を責められないだろう。しかし今の○△□は思考能力の大半が欠落していた。

 後部ドアは開いたままだった。車内には奇怪な容貌をした男も横たわっていたが、女だけを見つめている○△□は気付かない。


「ン……」


 女――丑峰貴咲が小さく呻いた。生きている。○△□の意識は少しだけ明瞭になる、少しだけ。

 助け出そうとして、彼女が手錠で前の座席に縛り付けられていることに気付く。○△□は手錠の鎖を力任せに引っ張った。パーティージョーク用の玩具なら兎も角、本物の手錠がそんなことで千切れるわけがないのだが、思考能力の落ちた今の○△□はそれに気付かない。


――クズノハを、たすけなきゃ。


 いつの間にか○△□の中で目の前の女はクズノハの姿になっていた。

 頭から血をだらだらと流し、目は虚ろで、半開きのままになった口の端から涎を零したゾンビさながらの少年は、無駄な試行をひたすら繰り返す。

 反動でワゴンが揺れた。

 スクロプの単眼がワゴンに向けられる。


「はあ? 何してんだ馬鹿、逃げろッ!」

≪撤退してください、童嶋さんッ!≫

≪○△□君!≫


 しかし○△□の通信機はサーベラスから落ちた時に彼の耳から離れており、仲間達の叫びは草むらの中でか細く響くだけだった。

 スクロプは無造作に棍棒を突き出した。ワゴンは軽々とひっくり返り、容易にガードレールを乗り越え、抵抗なく湖面へ落下していった。

 朦朧とした意識の中で、○△□は一瞬、誰かが悲鳴をあげるのを聞いた気がした。

 ワゴンの質量を受け止め切れず、湖の表面を覆っていた氷が砕け散る。炎に炙られた車体は一瞬だけ水蒸気を発生させたが、すぐに温度を奪われ凍り付いた。


 そのまま車は、生命(いのち)を拒絶する暗く冷たい水の底に沈んでいった。




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