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デウステイマーズ~降神戦隊~  作者: 削畑仁吉
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接近

 イヴェール市、総督府――。

 (おおとり)千華(せんか)は細い三白眼を更に細くして、出勤簿を睨みつけていた。長いリストの中に、捺されてあるべき彼女の父の印――ヒエムス総督の印は、今日も見つけることは出来なかった。

 言われたことを言われたまま、右から左に移すだけのことしか出来ない木っ端役人の父がヒエムス総督に任命されたのは3ヶ月ほど前のことだ。

 彼の能力を考えれば異例の出世といえたが、実のところは左遷でしかない。いや、左遷よりもっと酷い。

 

 現在、ヤマト帝国領で暮らすヒエムス人の中で独立の気運が高まりつつある。支配者側も不良物件である植民地を捨てたがっているから渡りに舟だったのだが、最高権力者である巫女だけがそれに反対していた。


 では、巫女の反対を押し切るにはどうすればよいか――?


 本国の官僚達が出した答えは、国民の大半がヒエムスを忌避するような、何か大きなトラブルが起こればよいというものだった。

 そのトラブルを起こす役目に選ばれたのが千華の父だ。

 無論、口に出してそう命じられたわけではない。指示されて事件を引き起こしたと明るみに出れば全てが無意味だ。指示した方も咎を負う。だからこの先どんな悲劇が起きても、それは千華の父が自らの無能故に引き起こしてしまった、千華の父だけがその責任を一身に背負うものでなければならない。

 実際のところ、生け贄である。

 千華の父の不幸は、それを理解出来る程度の知能を備えてしまったことだった。

 仲間だと思っていた者達から「おまえには総督の任を問題なく勤め上げることなど出来はしない」と軽んじられていたことを悟りショックを受けた父は、すぐに総督府へ出勤しなくなった。背広と書類鞄を持って朝家を出たきり行方をくらませ、夕方頃に1日よく働いてきましたという顔をして帰ってくる。バレないと思っているのが父らしい。何処で何をしているのか千華は突き止める気になれなかった。公園のブランコを漕いでいる姿でも目撃したら泣いてしまいそうだ。

 悲しいことに、彼がいなくても総督府の仕事に支障はなかった。数年で任期を終えて本国に帰ってしまう総督など元々ただのお飾りにすぎない。実際の仕事は現地で長年勤め上げた職員が熟知している。故に出勤拒否程度では更迭に至るまでの事態にはならず、元々総督というものを威張り散らすだけのただの厄介者としてしか見ていない職員達と父の溝を更に深めただけだった。


 逃げ続けるだけの父。母はそんな父に愛想――思えば元々そんなものはなかったのかもしれない――を尽かし、千華の成人と同時に離縁するつもりでいる。

 冷酷ではあるが、母の判断は仕方ないと千華は思う。

 悪いのは帝か。彼女がヒエムス放棄を拒否しなければよかったのだ。それも確固とした意志や考えに基づいての主張ならまだしも、ただの占いの結果に過ぎないのだから始末に負えない。しかし彼女を責めるのは間違いだ。彼女は大昔から決められたしきたりを実行させられているだけの白痴の少女に過ぎないのだから、むしろ被害者と言えよう。

 では弾劾されるべきは現政府の官僚達か。いや、彼等も帝国の繁栄を願ってのことだ。千華からしても妥当な判断だと思う。

 無能で卑怯でも父を憎むのが心苦しくて、千華はいつもそうやって犯人探しをするが、明確に憎むべき個人は見つからない。あえていうなら緋魅狐帝の神託に左右されるヤマト帝国のあり方そのものだ。因習を伝統と称し無批判に維持しようとする、政府の中にも国民の中にも蔓延する愚か者達。そしてその迷信を利用し人々の不安につけ込み暴利を得るペテン師ども。だがその全てを打破しようと思えば本国の官僚達の計画に乗るのが1番で、結局父――あるいは父の代わりになる誰か――の犠牲を肯定することになる。堂々巡りだ。


「おはようございます、総督代理」


 職員の1人が、千華の姿を見つけて一礼する。

 そう、千華は今、父の代わりに総督の仕事を――もちろん出来る範囲で――担っている。

 この自分の手で、最悪の結末を回避する。それが千華の出した答えだった。

 父の任期が終わるまで何も起こらなければいいのだ。起こっても、それが父や自分達にとって最悪の結果にならないようにすればいい。少なくともこのまま甘んじて破局を待つのだけは絶対に嫌だ。


 あと5年。あと5年何もなければ任期は終わる。次の総督になる人物が代わりに生け贄にされるだけかもしれないが、その人はその人でなんとかしてもらうしかない。全てを守れるほど自分は強くないし、また守る義理もない。


 千華は総督室の入り口に彼女が設置した棚の上、並べられた色とりどりのトレイの中、『至急・重要案件』とラベルの貼ってある赤いトレイをデスクの上に移動させる。

 その中に、2日前に起きた宝石オークション会場爆発事故に関する最新のレポートがあった。

 事件から2日経ってもまだ『未確認』『不明』の文字が大群をなすレポートに、千華の顔が更に険しさを増す。


「眉間に皺が出来てるよ、チカちゃん」


 千華の隣に立つ気弱そうな少女が、おずおずと声をかけてきた。


「大丈夫よ、お妃様」


 千華は相棒の少女に向かって、可能な限り柔和な微笑みを作ってみせた。

 丑峰(うしみね)貴咲(きさき)というのが彼女の名前である。病弱で、内気で、引っ込みがちで、グラマーで、庇護欲をそそられる、男達が好みそうな『か弱い女の子』を具現化したような存在、つまり千華とは正反対の少女だ。

 正反対ではあったが、いやだからこそだろうか、千華と貴咲は子供の頃からの親友だ。家が隣同士で同年齢というのあって、何をするにも一緒だった。喧嘩をしてもしたうちに入らないほどすぐに和解してきた。

 

――約束だよ。大人になっても一緒にいようね。


 子供の頃、2人だけで花火を見上げながら、貴咲が小指を差し出してきたことを千華は思い出す。子供らしい他愛もない約束。守られるはずもない。どうせいつかは別々の道を行き、たまにしか会わないか、ずっと会わないかになるだろう――と冷めた気分で結んだ指を眺めていたのを覚えている。

 だからその数年後、つまり現在、より正確に言えば先月、貴咲が単身――仲のいい両親と喧嘩をしてまで――ヒエムスまで自分を追ってきた時は仰天した。

 同時に、胸が締め付けられる感覚に襲われた。

 あの時冷めた目でいたのは防衛反応だったのだと千華はその時理解した。貴咲と離れ離れになるのが辛いからこそ、あきらめることで現実に別れた時の痛みに備えようとしていたのだ。

 だが、貴咲は自分の元に来てくれた。

 きっと、これから先も彼女は自分の側にいてくれる、と思った。

 貴咲への感情が、友人に対するそれではないと自覚したのもその時のことだ。


「私のことより学校はいいの、お妃様?」


 千華もそうだが、貴咲はヒエムスの大学に通う学生だ。進学を口実に此処に来たわけだが、大学にはほとんど顔を出さずもっぱら総督府で千華の手伝いをしている。


「チカちゃんに言われたとおり、最低限の単位は取ってるから大丈夫。チカちゃんこそ、昨日の講義出てなかったけどいいの?」

「私の成績は知っているでしょう? 言っておくけど、私が教えたのは効率のいい単位の取り方であって、あなたが試験に落ちたら何にもならないのよ?」


 貴咲の長く伸びた栗色の髪を指で弄びながら、千華はその髪の香りを胸一杯吸い込みたい衝動に駆られる。


――ああ、あの桜色の唇を吸い、豊満な胸に顔を埋められたなら。


「大丈夫だよ、チカちゃんのお嫁さんっていう永久就職先があるから」

「…………」


 千華の胸が痛む。貴咲の軽口が本心からの言葉であればどんなにいいだろう。


「どうしたの、チカちゃん?」

「そ――、そういう台詞はカレー以外の料理が作れるようになってから言いなさい」

「カレーライス、カレーパン、カレーコロッケ、カレーパスタ、カレーうどん、えっと、それからカレー鍋……レパートリーがこれだけじゃまだ不満なの?」

「カレー抜きのメニューを作るという発想はないのかしら」


「……それでね、チカちゃん?」


 千華の機嫌が治まったとみた貴咲が、おそるおそるといった様子で話を戻す。


「何を怒っていたのかな?」

「聞いてちょうだい」


 千華の表情が再び険しいものになっていく。2、3人くらい殺していそうな凶悪な顔だ。彼女達がまだヤマト帝国の学生だった時、「あの顔でなじられたい」と男子達がよく話していたのを貴咲はよく記憶している。

 千華は机の上のレポートを見せてきた。


「ああ、あのオークションの」

「ええそうよ、あの貧乏バ華族(・・・)の屋敷が木っ端微塵になったやつ」


 2日前に没落貴族ワーシカ・エーデルシュタインの屋敷で開かれた宝石オークションの目玉商品、それはヒエムス皇国の秘宝と呼ばれるルビー『アマンテ』だった。皇家の秘宝を見世物にするだけならまだしも、他国に売り飛ばそうとする行為をヒエムスの『愛国者』達が快く思うはずがない。悪いことは言わないから開催を撤回しろと主催者であるワーシカに命じた千華だったが、身代を潰してもなお呑気な貴族は「金がない」の一言で一蹴した。

 不幸だったのは、アマンテ目当ての見物客を見込んだツアーをヤマト帝国の旅行会社が企画したことだ。旅行会社、鉄道会社、地元飲食店組合、挙句にはアマンテを欲しがる富豪からの抗議が次々と舞い込み、最終的に千華は屈さざるを得なくなった。大きな金の動きの前では、総督の権威もテロの脅威も意味をなさないらしい。金の亡者どもめ、そんなに金が欲しいなら金貨に押し潰されて死ねばいい、と思った。

 そして当日、当然の成り行きか、千華の呪いが悪魔に聞き届けられたからかは知らないが、悲劇は起こった。

 屋敷の崩壊。テロリストの襲撃に違いない、点数を稼ぐ好機だと喜び勇んで向かった武装警察は、そこで信じられないものを目撃することになる。


「巨大な怪物……?」

「象よりも大きな四つ足のワシが、空を飛びながら口から『何か』を吐いて、装甲車を破壊し警官隊を殺害。更に同じくらい大きな、首が3つあるワンちゃんが口から火を噴きながら暴れ回ったんですって」


 映像記録はない。体毛や肉片といった、怪物の存在を立証する遺留物は霞となって自然消失してしまったという。生き残った警官達も正気を疑われるのを怖れたのか、それとも自分自身でも信じたくないのか、証言は歯切れの悪いものばかりだ。その影響かレポートの筆者も怪物の存在には懐疑的立場を取っている。

 では、死んだ警官達は何に殺されたというのだ。


「……なんだか怖いね、チカちゃん」


 貴咲がレポートを読み終えた頃、千華は他の書類の処理に取りかかっていた。内容を吟味し、問題がないものとあるものに仕分けする。ないものには判子を押し、あるものは職員に突き返す。判子を押すのは貴咲の担当だ。既に数センチの高さに達した『合格書類』を貴咲は自分の机に運び、餅をつくように承認印を押していった。そうしている間にも新しい合格書類の山が積み上げられていく。

 ふと、千華の指が止まった。


「何かしら、これ」


 書類の束の中に1枚、黒い封筒が紛れ込んでいた。切手も貼られていなければ、差出人も宛名も書かれていない。真っ先に思いついたのはテロリストの工作だった。単なる脅迫状ならまだいいが、毒が塗られていたり剃刀が入っていたり、開けた途端に爆発したりしないだろうか?


「誰か来てもらう?」

「いいえ、待って」


 よく目をこらせば、封筒には黒地に溶け込みそうなほど暗い赤で『誰にも言わないでください』と肉筆で書かれている。達筆ではない。仰々しい黒い封筒に不釣り合いなくらい普通の字だ。

 貴咲に手袋を取ってきてもらい、千華は室内灯の光に封筒をかざした。黒い長方形の中に、それより黒い長方形の影が見える。入っているのは手紙か。

 貴咲を部屋の隅に下がらせる。手袋をはめ、千華は慎重にペーパーナイフで封筒を切り裂いて中身を抜き出す。

 中身は何の変哲もない、普通の白い便箋だった。ヤマト語で文字が書かれている。

 それに目を通すと、千華は鋏でそれを細かく切り裂いた。


「チカちゃん……?」

「仕事に戻りましょうか、お妃様」


 千華はにっこりと微笑んだ。


「ところで明日、金曜日だけど、時間空いてる?」

「空いているも何も、仕事だよね?」

「……私、ちょっと疲れちゃった。たまにはサボるのもいいかもね、どうせ総督御自身がサボっているんだもの。デートに付き合ってくれる?」

「チカちゃん……?」


 責任感の強い千華とは思えない言葉だ。だが、千華がそれを望むなら、貴咲にはついて行くという以外の選択肢を選ぶ気はなかった。

 いつまでも一緒にいようと約束したのは彼女なのだから。




 金曜日の午前9時。噴水のある公園で貴咲は千華を待っていた。待ち合わせの時間にはいささか早い。

 学生は学舎で授業を受け、社会人は働いている時間だ。病気でもないのに大学の講義も総督府の仕事も休んで平日の朝から遊びに出かけている自分に、貴咲は罪悪感をおぼえていた。公園を横切る背広姿のサラリーマン達の視線が自分を責めているような錯覚さえ感じられる。

 実際に彼女の姿は人目を引いていた。といっても咎められていたわけではない。平日の朝、オフィス街にほど近い場所におめかしした貴咲の格好は単純に目立つからで、それでなくとも彼女の儚げな美貌と豊かな胸は男達の関心を引きつけるものだ。


「ごめん、待った?」


 時間ピッタリにやってきた千華は総督府で働いている時と同様のスーツ姿だった。貴咲はなんだか裏切られたような気分になる。


「ううん、今来たところだけど……」

「じゃあ行きましょうか」


 そう言って千華はさっさと歩き出す。貴咲は足元に置いたバスケットをつかんで急いで後を追った。


「もしかして、お弁当作ってきたの?」

「うん。何を作ったかは食べるときまでのお楽しみだよ」

「どうせカレーおにぎりかカレーサンドイッチってところでしょう?」


 千華が懐から地図を取り出す。その上下をグルグルとひっくり返しながら、道路を挟んだ同じ道の右と左を何度も往復する。真っ直ぐ進めばいいところを、頻繁に角を曲がって無駄に遠回りする。


「チカちゃん、方向音痴だっけ?」

「それはどっちかというとお妃様の方でしょう?」

「うん、だよね……」


 だからこそ千華のやっていることがわからない。

 信号が変わるのを待っている間に当たり障りのない話を持ちかけてみたが、千華はチラチラと左右に視線を走らせ貴咲の言葉には上の空だ。

 1時間が経過した頃、2人はショッピングモールに辿り着いた。


「まだ時間があるわね」


 モールの壁に埋め込まれたアナログ時計と、腕時計を確認して千華が言う。さっきから貴咲にはちんぷんかんぷんだ。


「いい加減説明して欲しいな、チカちゃん?」

「わかったわ」


 入り口近くの露店でバラッタ――ヒエムス名物の庶民的揚げ菓子――を買い、ベンチに座る。1階に出店しているスーパーマーケットのセールスタイムには満車になる広い駐車場も今はがら空きだ。


「昨日の黒い封筒、覚えているでしょう?」


 周囲に誰もいないことを確認した千華が口を開いた。


「うん、何が書いてあったの?」

「――『あなたは敵に囲まれている。総督府も武装警察もあなたの敵だ。話したいことがあるので、あなたと個人的かつ極秘に会いたい。明日正午、バスラル・マーケットの駐車場にて待たれたし。なおこの手紙は読んだ後自動的に消滅する、ということはないので人の目に触れぬよう処分されたし。 DT』ですってよ」

「DT?」

「差出人の名前でしょう。全く身元保証になっていないけど」


 だが下手に確かめようとすれば総督府の職員達に千華の動きが知られてしまう。手紙の内容が本当だった場合、それは自分の首を絞めることになりかねない。


「罠じゃないの? 私達を誘拐しようとか……」

「かもしれないけど、確かめてみる価値はあると思わない?」

「チカちゃんって、本当無鉄砲だよね……」

「呼ばれたのは私――正確には私の父だけど――なのだから、貴咲は離れた場所で見守っていて」


 千華は肩にかけていたバッグから双眼鏡を取り出し、貴咲に握らせる。


「いい? もし私が無理矢理車の中に連れ込まれそうになったら、ナンバープレートを控えて警察に通報して」

「危険すぎる! 最初から警察に相談しようよ!」

「その警察さえ敵かもしれないって話でしょう? それにね、思い当たる節だってないわけじゃないのよ」

「そりゃ、現地の人達はヤマト人をよく思ってないみたいだけど……」

「とにかく私は、悪い方に転ぶ可能性は1つでも潰したいの」


 貴咲は肩を落とした。この友人が一旦決心を固めてしまったら、説得は極めて困難である。


「既に無茶すぎるほど無茶してるけど、命を捨てる無茶はしないでね」

「わかってる」千華は貴咲のバスケットを指さした。「お弁当、作ってくれたんでしょう? それを食べるまでは死んでも死にきれないから」

「縁起でもないこと言わないで!」


 口を尖らせる貴咲。その頬を指でつついて、千華が微笑む。


「仲睦まじいことだねぇ」


 背後から突然、せせら笑うような声がぶつけられた。反射的に声のした方を睨みつけた千華の表情は、しかし次の瞬間怒りから戸惑いへと変わる。

 異様な風体の2人組だった。

 1人はトレンチコートを着た長身痩躯の男で、その頭部は天辺から首元まで包帯にくるまれている。いや、男が近づいてくることで、ワイシャツの襟から覗く胸や指先までも包帯が巻かれているのがわかった。おそらくミイラ男よろしく足の指先まで全身が包帯で包まれているのではないか。肌が露出しているのは目元だけで、強い敵意を感じさせる鋭い眼光がそこから発せられている。

 もう1人の男は、フライトジャケットを羽織った肩幅の広い大柄な男だが、そのスタイルは幼児の描いた絵のように歪だった。太く長い腕に対して下半身が細く短い。だがそれも瘤で凸凹になった禿頭と、片方だけ異様に肥大してせり出ている眼球に比べれば些細な問題だ。

 しかし風貌以上に、2人の醸し出す空気こそが異様だった。

 住んでいる世界が違う、と千華は直感的に思った。彼等はきっと、人を殺したり殺されたりするのを当たり前のこととして生きてきた人間だ。他者の悲鳴を聞いて心地よく感じることはあっても、胸を痛めることは決してない人種だ。そして今この瞬間も、千華と貴咲を空想の中で痛めつけて愉しんでいる――そういう剣呑な雰囲気を、2人は漂わせていた。

 この2人組を前にしても、それでも千華が貴咲を背後にかばうことを忘れなかったのは流石と言えた。


「私に手紙を寄越したのは、あなた達ですか?」

「手紙……? ああ、そうそう。そうだ」


 全身包帯の男は警戒心を解こうとでもしたのか、目を細めた。効果は全くない。


「折り入ってお話ししたいことがありましてね、総督閣下。此処じゃなんですからついてきて頂けますか」

「そ、そっちの、お、お嬢さんも、ど、どうぞ」


 歪な体躯の男が貴咲に向かってにへらと笑ってみせる。千華の腕をつかむ貴咲の指に力がこもった。


「そうですか、ちなみにあなた達のどちらですか」千華は身体に力を込める。「手紙の差出人のBLさんは?」

「ああ、オレですよ」包帯の男が答えた。

「――走って、貴咲ッ!」


 千華は貴咲の手を引いてスーパーマーケットに向かう。だが、大男は見かけに反して俊敏だった。千華達と建物の間に回り込み、ここは通さないとばかりに両手を広げる。即座に方向転換した千華だが、貴咲の運動神経はそれについていけなかった。足をもつれさせて倒れる。


「貴咲――」

「チカちゃんは逃げてッ!」


 出来るわけがなかったし、そうしたとしても結果は変わらなかっただろう。

 包帯の男が千華の腕を捻りあげる。千華が呻く。


「大声は出すなよ、死人が増えるだけだ。こんな風に」


 包帯男の片手には消音器のついた拳銃があった。ぱすん、とガスの抜けるような音がして、こちらに駆け寄ろうとしていたバラッタ売りの店員がアスファルトの上に倒れる。

 あまりにも呆気ない人の死。そしてあまりにも躊躇のない殺人。流石の千華も顔から血の気が引いていくのを止めることが出来なかった。

 煙を立ち上らせる銃口を倒れたままの貴咲に向け、包帯の男は千華に酷薄な笑みを向ける。


「おまえが余計なことをすれば、まずお友達が死ぬぜ」

「その子は無関係よ!」

「じゃあ、どうなってもかまわねえな?」

「やめなさいッ!」

「命令してんじゃねえぞ、ヤマト人」


 包帯の男が千華の口に銃をねじ込む。


「お願いです、チカちゃんに乱暴しないでくださいッ!」


 涙混じりに訴える貴咲を歪な体躯の大男が踏みつけた。


「だ、ダメダメ、だ、なあ、ランゾウ。あっと、いう、間に、バレ、ちまったじゃ、ねえか」


 顎が曲がっているせいで大男の言葉はたどたどしい。


「騙しきれるなんて初めから思ってねえよ。たとえ本物でも、オレらみたいなのを見たら誰でも逃げるさ。特にヘルマン、おまえみたいな、な」


 包帯男はランゾウ、大柄な男はヘルマンというらしい。名前をペラペラ喋るとは、愚かなのか、偽名なのか。いや、自分達をはなから生かして帰す気がないからだろうと千華は思った。


「おい、この女、おれ、が、もらって、いいか?」


 ヘルマンが貴咲の胸に指を這わせながら問うた。


「ボスに言えよ」


 千華は痛切に後悔した。どうして貴咲を連れてきてしまったのか。

 待ち合わせの相手が危険な人物である事は想定していた。1人で会いに行くのはそれこそ愚策だ。信頼できる人間は貴咲しかいない。だとしても、何故自分は貴咲もまとめて被害に遭う可能性を考慮しなかったのか。

 千華達は一台の6人用ワゴンに連行された。最後部の座席に座らされ、前の席を抱くように指示される。その手と前席のヘッドレストの金具を縫うようにして手錠がかけられた。手慣れたものだ。見張りとして後部座席に乗り込んだヘルマンが貴咲の太腿に手を這わせる。異形の大男は貴咲のことをいたく気に入ったようだった。貴咲は蚊の泣くような声で拒絶するが、それがかえってヘルマンを悦ばせる。


 ランゾウの運転で、白いワゴン車がゆっくりと動き出した。

 窓にはカーテンが引かれ、自分達が何処を走っているのか千華にはわからない。だが先程からスピードが上がったまま、止まることなく走り続けていることから高速道路にのったらしい。その推察は当たっていたが、それは彼女に何の救いももたらさない。


 突然、ランゾウが叫んだ。


「――なんだ、ありゃ? あんなの知らねえ、聞いてねえぞッ!」

「ど、ど、どうした、ランゾウ」

「後ろだ、ヘルマンッ!」


 ヘルマンが後部窓のカーテンを開く。千華は見た。貴咲が目を見開く。

 3つの首を持つ巨大な犬――サーベラスが、ワゴンに迫っていた。



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