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デウステイマーズ~降神戦隊~  作者: 削畑仁吉
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浴室

 移動中、○△□は何度も田中から情報を引き出そうと試みたが、その目論見は失敗に終わった。このつかみ所の無い中年男はのらりくらりと当たり障りのない極めてどうでもいい世間話を休むことなく続けるばかりで、人間2人と幽霊1人を乗せた車がイヴェール市内のホテルに乗り込んだ頃には、○△□はもう話しかける気力を失っていた。

 なんだか自分の周りにはこっちの要求を聞いてくれる奴が1人もいないような気がしてきたぞ、と○△□は頭を抱える。


「どうですか、この部屋? いい部屋でしょう?」


 ○△□を部屋に連れ込んで、田中が訊いた。


「……はあ」


 何の変哲もないホテルの一室だ。ベッドは2つ。その向こうには窓があり、街が一望出来る。壁には水彩で描かれた海が安っぽいプラスチックの額に飾られている。


「今日はもう風呂にでも浸かってゆっくりしてください。やっぱりヤマト人は風呂ですよねぇ、風呂。ここ、狭いユニットバスしかなくて残念ですが。食事は1Fのレストランでどうぞ。あ、着替えも机の上に置いてますから。明日の朝9時頃にお迎えにあがります。会っていただきたい方がいますので、身だしなみは整えておいてくださいね。それでは私は失礼します」

「え?」


 部屋を出て行こうとする田中を○△□は呼び止める。


「それだけですか?」

「はい」

「俺を対策部隊に参加させたいんじゃなかったんですかッ!?」

「まあそうなんですが、ほら、外もあんなに真っ暗ですし」

「まだ5時じゃないですかッ!」

「もう5時ですよ」


 田中は笑う。

 

「そんなに気張ってたら身体が持ちませんよ。ま、今日のところは暖か~いお布団で身体を休めてくださいよ」

「でも、テロリストなんて1秒でも早く倒さないとッ! でないとクズノハが……」

「クズ……何です?」

「いえ、ま、街の平和?……が守れないじゃあないですかッ!」

「童嶋さんは真面目ですねえ」


 ○△□は肩を落とした。テロリストの危機にさらされている当人と所詮は余所者の自分の間に、こんなにも意識の差があるとは思わなかった。

 ふと気がついて、○△□は部屋を出て行こうとする田中を呼び止めた。


「帰るんですか? ベッドが2つありますけど、他に誰か来られるんでしょうか?」

「いえ、単純に1人部屋が空いてなかっただけですよ。それとも何ですか童嶋さん、おひとりでは心細くて眠れないと? では童嶋さんがお休みになるまで子守歌を歌って差し上げましょう。……膝枕と添い寝、どっちのスタイルがお好みですか」


 何故か田中は頬を赤く染める。


「結構です。それじゃ明日」


 田中を部屋から追い出して、○△□はあらためて室内を見渡した。


「……何が、1人部屋が空いてませんでした、だよ」


 奥のベッドと窓の間に、悪霊がこちらに背を向けて立っていた。頭の上半分――正確には頭頂から上顎まで――が吹き飛んでいたが、体格から男性とわかる。○△□はため息をついた。車の中で田中がヒエムスの夜景を絶賛していたが、首なし死体と並んでまで見たいとは思わない。

 ふと、異臭が鼻をついた。悪霊の臭いではない、○△□の体臭だ。ヤマト帝国から此処に来るのにはヒエムス大鉄道の夜行寝台列車を利用したが、その間ずっと濡れたタオルで身体を拭っただけだった。最後に湯船に浸かったのはいつだったか、もはや思い出せない。

 一度身体の汚れが気になり出すともう駄目だった。トイレと一体型の浴室に飛び込み、蛇口を捻る。狭く浅い浴槽を、湯が満たしていく。

 服を脱ぎ捨て、畳んで鞄の中に詰めているうちに準備が整った。

 湯の中に身を沈める。冷えきった身体が温められていく快感に、○△□はしばし己を雑念から解放した。


「ねえ」


 律儀に浴槽のカーテンを閉めていて正解だった、と○△□は思う。カーテンを少しずらすと、こちらに背を向けてトイレの便座に座るアシータの姿があった。

 子供みたいに足をプラプラするな、というか蓋の上に座るな、壊れる――と思ったが、幽霊なのでその心配はあるまい。何も言わずカーテンを閉める。


「なんですか、若い男子の入浴を堂々と覗きに来ないでください。これだからデリカシーのないオバサンは。幽霊(おなかま)同士で仲良くお喋りをすればいいじゃないですか」

「いや、『ソーセージの皮の色で味を語るな』って言うくらいだし、異性の顔の良し悪しにはそこまで拘る方じゃないけどさ、顔そのものがないってタイプは流石にちょっと……」

「話してみればいい奴かも知れませんよ。まあ、いい奴でも始末しますけど」


 ○△□はシャンプーを手に取る。普段の量では泡立ちもしない。


「戦いたいって言い出すからどうしてだろうと思ってたら、やっぱりクズノハさんを見つけるためだったのね?」

「他にどんな理由があるっていうんですか?」


 事件直後の光景が○△□の脳裏に甦る。

 屋敷はついさっきまで人が住み、暮らしていたとは思えない有様だ。装甲車が黒煙を上げて無残な屍をさらしている。負傷した武装警官達が担架に乗せられて、迷彩服の集団に連行される自分の隣を横切っていく。担架の中には血の滲んだシーツで覆われたものもあった。

 それを引き起こしたのは、神獣だ。

 降神師にとって神獣は悪霊を討ち滅ぼす神聖な存在だ。人類全体を守る崇高な目的にのみ使われるべき、偉大な力。人間同士の俗悪な争いに持ち込まれていいものではないし、また持ち込むには強大すぎる。

 それなのに、あのテロリストは神獣を自分達のイデオロギーを押し通すための武器に使った。降神師としての自分は、それを許せないと思う。だが、しかし――。


「この国の問題だ。俺に何の義理があるんですか?」


 ○△□にとっての重要事はクズノハだけだ。唯一の『家族』。精神的支柱。まだ生きている、たったひとりの大切なひと。世界の平和だの正義だの、降神師の使命などはそれに比べたら些末事に過ぎない。

 だが土地勘も頼るアテもないまま闇雲に探し回ったって結果は見えている。その点、この国の神獣対策機関とやらの仲間をしていれば当面の生活と情報が手に入る。あの装甲服の男と再会する機会もあるだろう。

 そう思ったから、あの事件の直後○△□は大人しく投降したのだ。

 問題は、彼等の力を借りた場合、クズノハを取り返してもハイサヨナラでは済まないだろうということだ。

 まあ、それは問題ない。神獣を兵器として扱う者達を許せないという気持ちは元々あるのだから。


「わたしは、クズノハさんをあきらめて国に帰ればいいと思うな」

「却下」

「じゃあ、この国で真っ当な仕事に――」

「はあ!?」


 ○△□はカーテンを勢いよく開ける。驚いて振り返ってしまったアシータは、○△□の裸体を直視する羽目になった。

 

「ま――○△□君ッ!?」

「真っ当ってなんだよッ! 悪霊を退治して人を救うのが、真っ当じゃないって言うのかよッ!」


 ○△□の目はアシータを見ていない。時空を越えて養父・征一郎の蔑んだ表情を映し出していた。自分に幽霊を見る力が無いことを当然とし、見える者を異常者呼ばわりしてはばからない、降神師の存在全てを否定するあの男の言葉が○△□の脳髄にカビのようにこびりついて離れないでいる。


「あんたにはわからないだろうさ! けどさ、あんたに理解できないものが価値のないもの、馬鹿にしていいもの、嘘にしていいものじゃないって事くらいは、わかれよッ!」

「わかった、わかったから、落ち着いて?」


 アシータは両手の平を上げて降参の意志を示す。視線は○△□の身体に向けられたままだ。目を逸らしたいのだが、そうすると目の前の情緒不安定な少年がますます激昂しそうで迂闊に視線を外せない。


「と、とにかく、その、風邪引くから座って? ね?」

「……クソ……。なん、……なんで泣いてんだ、俺……ッ!」

「○△□君……?」


 ○△□の頬にはシャワーから供給されるものとは違う熱い液体が流れていた。


「……すみません。俺、養父(ちちおや)に同じようなこと言われて……その時は、言い返せなかったんだ。なのにナーシャさんには怒鳴り散らして、最低だ……」

「え、ええ……」


 アシータは背を向ける。しばらくシャワー音だけが浴室に響いた。それ以外の音を、アシータは聞こえなかったことにした。

 強い子だと思っていた。年端もいかない少年がそれまでの全てを投げ打ち、身1つで異国に渡ってくるにはとんでもない勇気を要したはずだ。しかしそれを彼はやってのけた。ただ養母(クズノハ)を取り戻したい一心で。

 犯罪に手を染めることにすら躊躇しないのは流石にどうかと思うが、裏返せばそれも強さの表れといえるだろう、そう評価していた。

 だが違った。

 神獣が兵器として使われているのを見たときと、先程の一件――異常なまでの激情を示す○△□を見て、アシータは悟った。

 彼は強くなんかない。トラでもオオカミでもない、ただの追い詰められて自暴自棄になったネズミだ。実年齢よりも幼くて危うい子供なのだ。

 アシータは目を閉じる。

 彼女には、怒りに支配されている○△□の顔が、むしろ怯えきって今にも泣き出しそうなものに見えていた。


 水道栓を捻る音がして、シャワーが止まる。

 

「――それでも俺は、クズノハを取り戻したい」


 ぽつり、と少年が呟く。

 仕方ないわね、とアシータは微笑んだ。


「わかった。もう何も言わない。お姉さんが手を貸してあげる」

「えっ……?」


 帰れと言ったのは無責任な発言だった。そう言われても帰る場所がないのが童嶋○△□なのだから、まずは帰る場所(クズノハ)をなんとかしなくては。


「その代わり、2度とオバサンなんて呼ばないこと」

「は? 手を貸すって、物をつかめない手に何が出来るっていうんですか?」


 このガキ、せっかく優しくしてやれば……。アシータは拳を握りしめる。


「――ああ、ありましたよ、あなたにしてもらいたいこと」

「え? なになに?」

「そろそろ風呂から上がりたいんで出て行ってください」

「あっ、はい」




「おや、上がってきましたね」


 田中はモニターに映る半裸の少年を見て、そう言った。

 ここは○△□が泊まっている部屋のすぐ隣の一室である。○△□の部屋には監視カメラが仕掛けられており、録画した内容は田中のいる部屋の机上に置かれたノートパソコンにリアルタイムで送られてくる。その映像を監視するのが田中に与えられた仕事だった。


「ごめんなさいねえ、好きじゃないんですけどねえ、こういうの」


 プライベートを覗き見られる少年に、田中は小さく謝罪する。あまり気持ちがこもっているようには聞こえない。


「――ああ、トリアさんはまだ見ちゃ駄目ですよ、男の子の着替えを年頃のお嬢さんが見るもんじゃありません」


 モニターを抱きかかえるようにして、田中は背後に立つ少女、トリア・ブルースクリーンから映像を遮断した。

 中年にさしかかろうとする田中からすれば娘、いや下手をすれば孫のような年齢の幼い少女は、田中のいささか漫画的なオーバーアクションにクスリともしない(そもそも面白いかどうかは置いておいて)。いつものことだ。話しかけても基本喋らないし、表情を変えることも極めて稀。部屋に入った時から直立不動で、座ろうともせず疲れた様子も見せない。

 いささか下世話な話になるが、行動を共にしてから彼女がトイレに立ったのを見ていないことを田中は思い出す。


「ああ、着替えも終わりましたね。そこからじゃ見えづらいでしょうトリアさん」


 田中はトリアの脇の下に手を差し入れて持ち上げた。「たかいたかい」が難なく出来る痩せた小さな体躯を、自分の膝の上に座らせる。こうしてみると本当に娘のようだ。

 だが、この幼い少女は田中の所属する組織の擁するれっきとした戦闘要員であり、この場にいるのも田中の補佐及びボディーガードをするためだ。

 田中には幽霊を見る力はない。だが組織の霊能力者によれば今○△□のいる部屋には2年前に拳銃自殺した男の霊が存在しているという。本当に童嶋○△□が幽霊を見られるのか、見えたとすればどう反応するのかを監視し報告するのが田中の本当の任務だ。


「……しかし、彼に霊能力はあるんですかねえ……?」


 話し声が漏れるほど壁が薄くないことは確認済みだが、自然と小声になる。


「部屋に入った時、驚きもしてませんでしたけど」

「見えている」


 トリアが珍しく反応する。


「彼は部屋に入って以降、不自然に窓側への移動を避けていた。幽霊への接近を警戒してのことだと考えられる」


 トリアの吐く言葉はいつも淡々として抑揚がなく、最低限だ。彼女がロボットではないかと噂する者が出てくるのも納得である。

 だが田中が知る限り、ここまで人間に似たロボットを造り出せる技術は何処の国にもない。未来からやってきたとすれば成立はするが、その可能性を真面目に考えられるほど田中の頭は柔らかくなかった。

 それにトリアを抱き上げた時の感触、田中の太腿にかかる重み、伝わってくる体温は人間のそれと何も変わらない。

 いっそこの機会に彼女の全身をまさぐって確かめたい欲求に駆られる。それをしたところでトリアの表情筋は1ミリも動かないだろうが、気にしないということはイコール黙っていてくれることではない。他の者にバレた日には田中の社会的生命は確実に終わる。よって実行はあきらめた。

 任務に集中しよう。モニターに意識を戻す。

 寝間着ではなく私服に着替えた○△□がベッドの下をまさぐっていた。


「彼は我々の意図に気付いたと思われる」


 機械人形のように、トリアが言う。




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