エピローグ
「なあ、そうカッカしないでさ、話し合いと行こうじゃないか」
○△□は両掌を向けてなだめるようなジェスチャーをしてきたが、悪鬼はかまわず襲いかかってきた。
だがその爪と牙が○△□に届くより早く、銀色の閃光が悪鬼を両断する。
夜の静寂を裂いて、怨嗟の断末魔が森をざわめかせた。
「……やはり、無駄なのではないか? 悪霊と話し合いで手を打とうなどと、正気の沙汰とは思えんわ」
爪の先にたゆたう霊体の残滓を振り払いながら、クズノハが呆れて言った。もう何度目になるかわからないお小言に対して、○△□ももう何度目になるかわからない返答で返す。
「アシータみたいな幽霊が、他にいるかもしれないだろ。問答無用で殺していく以外の道があるんじゃないかと思うんだ」
「そうですよお母様。無駄だとお思いでしたら、お母様だけお帰りになったら?」
○△□の影からアシータがひょっこりと顔を出す。クズノハは渋面を作った。
「誰が誰のお母様だ、おまえこそ田舎に帰れ」
リ・アージュとの戦いの後、ヤマト帝国に戻った○△□は降神師こそ辞めはしなかったが、アシータと同じように話の通じる幽霊が他にもいるのではと主張し始めた。
悪霊即抹殺すべしという降神師の典型のような少年がそんな視点を持つようになったのは、アシータとの出会いや、アステリオーとヤマタノオロチの戦いの結末が多分に影響を及ぼしているのだろう。
そして今、マサシは自説を証明するための旅に出ている。
クズノハは口でこそ馬鹿馬鹿しい試みと一蹴していたが、だからといって邪魔はしなかった。
むしろ積極的に協力している。元々同世代と関わることが少なかったせいか、○△□の価値観はやや前時代的だったのだ。見聞を広めた方がいいとは以前から思っていた。
しかし、何故かヒエムスからついてきたアシータまでもがそれに同行しているのはいただけない。
「……なあマサ、神獣の次は幽霊にレズビアン、ゲイの軍人、それにこの前は両性具有と、おまえの女遍歴は最悪だな。前世で何か女絡みのとんでもない悪事を働いたのと違うか」
「別にアシータとはそんなんじゃないから」
「だといいがな。いくら何でも幽霊とくっつくなどいかんぞ非生産的な。それくらいならもういっそ私がもらう」
「何ですか、子離れしてくださいよお母様?」
「貴様にお母様と言われる筋合いはない!」
そんな女達の言い争いに、○△□は微笑ましささえ感じていた。
ここにお養祖父ちゃんもいればいいのに、と思う。だがもしいたのなら養祖父は自分を叱るだろうか。幽霊との融和など、降神師にあるまじき行動をしている自分を。
――ごめんなさい、お養祖父ちゃん。でも、降神師の使命を受け継ぐにしろ、捨てるにしろ、それをちゃんと、自分自身の意志で決めたいんだ。
あの時降神師を辞めると言ったのは、そういうことだ。
皆を守りたい、だから降神師として戦う。それは嘘じゃない。だけどもっと根本的で、揺るぎのない、自分自身のためでしかない理由が欲しかった。貴咲達のようにエゴイスティックな原動力を手に入れたかった。ヒエムスに来たばかりの自分のような、破滅的なものではなく。
もしこの先、アステリオーに会うことがあれば、その時には言えるようになっておきたい。今の自分が歩いている道は自分自身の意志で選んだ道だ、俺は人形じゃない、と。
「そろそろ宿に戻ろう、2人とも」
森を抜けた先には、ヒエムスでは見ることが出来なかった満天の星空が広がっていた。