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デウステイマーズ~降神戦隊~  作者: 削畑仁吉
13/24

対峙

 その日、イヴェールの武装警察交通課に勤めるシュランマ・シュイナン32歳独身は、朝最初に駐車違反で取り締まった車が夕刻まだそこにあるのに気付いた。

 何の変哲もない乗用車のタイヤにはシュランマがかけた逃亡阻止用チェーンが南京錠付で巻き付いており、フロントガラスに「チェーンの鍵が欲しければ警察に出頭せよ」という内容の張り紙がべったりと貼ってある。

 結局、一日中車の持ち主は現れなかったわけだ。

 本来なら駐車違反の車は発見後6時間でレッカー車による強制移動措置がされるのだが、近所の悪ガキの悪戯か酔っ払いの犯行か、交通課の所有する年代物のレッカー車は、前夜忍び込んだ何者かにパンクさせられるという被害に遭って今日はおやすみだ。

 警察が野盗の被害に遭っていれば世話はない。おかげで今日は散々だった。

 ふと、シュランマは違和感に気付いた。

 違反駐車車両のリアウィンドウは半開きになっていた。朝、そして巡回中に見た時は閉まっていた気がする。何故だか、それだけのことが酷く不吉なもののように彼には思われた。

 まあいいか、とシュランマは頭を振る。もう本日の勤務は終わったのだ。殺人事件じゃあるまいし、勤務時間外まで熱心に働くことはあるまい。

 そんなシュランマの横に、パトカーが停車した。同僚が顔を出す。


「残念だが、これからお仕事だシュランマ。乗せてやるから今すぐ戻れ」

「なに?」

「軍がテロリストに襲われた。それも、かなり苦戦してるらしい」

「テロリストったって、どうせ強盗グループに毛が生えたようなもんだろ。ストレートに金だけ持っていくか、御託並べて金を盗っていくの違いしかない」

「詳しいことは署長にでも聞いてくれ。とにかく、街にまで飛び火しないよう、全武装警察官はフル装備で警戒態勢に入れだと」

「まったく、軍の奴等はだらしない」

「まったくだ」


 シュランマはパトカーに乗り込もうと植え込みを横切り、何かにつまずいた。見ると、旧式のラジオが落ちていた。

 なんでこんなところに、と拾い上げようとしたシュランマを同僚が急かす。シュランマはラジオをそのままに、パトカーへ急いだ。




 ぱすん、という気の抜けた音がして、隻腕の軍人が胸から血を噴きながら倒れた。ヤマト帝国ヒエムス植民地駐留部隊司令官の呆気ない最期だった。

 これであらかた終わったか、とランゾウは消音器付拳銃の銃口に息を吹きかける。

 

「ヤッタノカ」

「ああ。リストに載ってたお偉いさん連中は全部やったよ。祖国を遠く離れた地で死ぬのは無念だろうが、可哀想な怪我人をモルモットにしようとするような組織にいたバチが当たったな」

「疲レテイルトコロ、スマナカッタ」

「いいって。ヘルゲイターの操作に専念してろよ、旦那」


 デウステイマーの戦略上利点は、人間1人送り込むだけでその場所に戦力を瞬時に出現させられることである。

 グリュプスのデウステイマーによる基地進入を許した時点でチェックメイトだった。戦力の大半はタラスクス迎撃に投入されている。防衛戦力がなかったわけではないが、グリュプスを相手取るには足りなかった。

 貯蔵燃料に引火して起きたらしい火災の灯りが無残な屍を赤々と照らし出している。本部ビルには元の形がわからないほどの大きな爪痕が刻まれていた。格納庫は倒壊し、滑走路はズタズタに切り刻まれている。人と兵器の残骸がそこら中に散らばっている。

 その全てを成し遂げた獣は、自分がこの地の新たな支配者だとでもいうように本部ビルの上で翼を広げていた。

 

「もうそろそろか?」


 軍用ジープの運転席に乗り込んで、ランゾウは車内時計を確認する。


「アア」装甲服の男――グリュプスのデウステイマーが頷く。

「誤ッタ時代ヲ巻キ戻シ、正シキ歴史ヲ積ミ上ゲルタメノ戦イガ幕ヲ開ケル」

 

 時計が、午後九時を示した。




 その瞬間、イヴェールという街が言葉を発した。街のあちこちに放置されたラジオ、車、街頭のテレビが、1人の男の言葉を一斉に語り始めたのだった。それは街全体があたかも1個の生命として意志を持ち、己が身の上で日々を送る人間達に語りかけてきたかのように人々には感じられた。


『――親愛なるヒエムスの国民達よ。余の声を聞くがいい』


 帝国陸軍を襲ったテロリストの砲火がいつ自分達の上に落ちてくるか戦々恐々とテレビやラジオの情報に注目していた人々は、その声の持ち主の姿を目にすることが出来た。

 ヒエムス皇国皇帝の礼装を身にまとった黒い鉄仮面、それが声の主だった。髑髏に似たデザインの仮面は、ヒエムスで高貴な身分の者が収監された際、身分を隠すために被らされるモノだった。

 仮面は名乗った。


『――余はアレクシィ・シュヴァルツヴィチ・ヒエムス。ヒエムス皇国皇帝だ』


「アレクシィ……!?」


 無線から流れてきたその名前に、アシータが息を呑む。知ってるのか、と視線を向けた○△□は、だが声をかけられなかった。

 アシータの顔は蒼白だった。いや幽霊なのだからもとより青白いのだが、それを差し引いても明らかに彼女は狼狽していた。




「田中軍曹ッ!」


 田中のいる指揮車にも放送は届いていた。


「皇帝だって……馬鹿な……」


 誰かが呟いた。ヒエムス皇国。20年ほど前の世界大戦で滅亡した国家だ。その際、皇族は全員処刑されたはずである。革命に沸いた民衆の手によって。

 処刑者のリストの中には、当時まだ五歳にも満たないアレクシィの名もあったはずだ。ではアレクシィを名乗る仮面の男は何者だ。皇家最後の男子が生きていたのか、それとも。


「敵はヒエムス中央放送局を占拠、そこから街中に仕掛けたラジオやスピーカーを通じて全市民に向けて演説を行っています」

「市内のことは武装警察に任せましょう。電波傍受は切って下さい、耳を傾けるのはこの戦いを生き残ってからで充分です」

「もう切ってますよ」


 田中の指示に対し、副官は忌々しそうに言った。


「連中、こんな郊外にまで受信機をセットしてるんですよ」

「イヴェールの全市民に嫌でも聞かせようってことですか」


 イヴェール全域どころかおそらく既に他のドーム都市、いやヒエムス全土にこの演説は流れているだろう。電波に乗って全世界に伝播(でんぱ)するのも時間の問題だ。

 タラスクスで軍の目を引きつけ、グリュプスで駐留軍本陣を陥落させる。それだけが敵の狙いだと思っていた。だがそれすらも囮だったわけだ。本当の狙いは軍や武装警察の目を郊外に向けることだった。

 とんでもない失態だ。この責任を、いったい誰が、どのようなかたちで取らされるのか。

 せめて自分にまで飛び火しないことを田中は祈った。


『ヒエムス皇国はもはや亡い。皇国の終焉をヒエムスの民自身が望んだからだ。この地にいまだ留まり続けるヒエムスの子らに忘れたとは言わせない。革命の名の下に、君達民衆は皇族と貴族の命を奪い、その権力を我が物とした。目を覆うような野蛮な方法で!』


 怨嗟の篭もった言葉がイヴェール市内全域に轟く。かつて革命の闘士であった者達は恐怖に表情を硬くした。アレクシィは自分達に復讐するために戻ってきたものと考えたからだ。

 だが、アレクシィを名乗る男は一転して軽やかに笑ってみせた。


『安心したまえ。余は親愛なる同胞(はらから)に復讐の刃を突きつけるために地獄から甦ったわけではない。むしろ余は諸君を救いたいと思っているのだ。――今の自分達を振り返ってみたまえ。上流階級を打倒し、取って代わったはずの諸君が、何故披支配民として日々を過ごしているのか、疑問に思わないのか?』


 答えは簡単だ。昨日まで農作業しかしてこなかった者達や、数名の頭でっかちのインテリに、いきなり政治が出来るはずもない。熱意と努力はあっただろうが、世界は彼等の成長を待ってなどくれない。革命政府が自己破産し、ヒエムス大陸が戦勝国に分割支配されるようになるまでさほど時間はかからなかった。


『少し考えればわかる帰結だ。にもかかわらず、純朴であっても決して愚鈍ではないヒエムスの民がそのような暴挙に至った理由は何故か。君達を踊らせた者がいるからだ。幼子の空想にも似た幸福の絵図を描いてちらつかせた存在がいたからだ! それが誰かなど語るまでもないだろう。ヒエムスを占領支配してきた、諸外国に他ならない!』




 ヤマト帝国陸軍ヒエムス駐留部隊駐屯基地――だった場所。

 ランゾウと装甲服の男を乗せた車は地下駐車場から悠然と進み出た。基地の敷地内を遊覧するように横切る。主の凱旋に、グリュプスがうやうやしく頭を垂れた。

 ジープのラジオからもアレクシィの演説は流れていた。安全圏に避難し、演説のタイミングに合わせて基地に仕掛けた爆弾を起動させれば、それで今夜彼等に課せられた仕事は終わりを迎える。


「楽な仕事だったな」

「ソレハ、ドウカナ」


 火球が夜空を横切った。優雅に身を反らせたグリュプスの首を掠めて飛び去る。

 

「……あいつはッ!」


 火球が飛んできた方向を見つめるランゾウが舌を打つ。

 三つ首の魔犬が駆け寄ってくる。その傍らには馬鹿みたいにシールドを装備した緑色の駆鎧がある。

 乗っているのはもちろん、童嶋○△□だ。妄執に染まった瞳が、ジープの助手席に座った装甲服の男を見据える。


「グリュプスのデウステイマー! クズノハを返せッ!」

「クズノハ? 何言ってんだ、あいつは?」

「カマウ必要ハナイ。車ヲ出セ。ぐりゅぷす、俺ガ、オマエノ操作範囲カラ出ル前ニ、ソノ野良犬ヲ始末シロ」


 装甲服の男を乗せたジープが去って行く。追いかけようとした○△□の足元が爆ぜる。此処は通さぬ、とばかりにグリュプスが咆哮。○△□はサーベラスを前に出す。

 こうして2体の神獣は再び睨み合った。




『ヒエムス滅亡から20年近くが経とうとしているのに、何故諸君等はいまだに彼等の支配の下で喘いでいる? 過去の敗北は取り返せないとしても、未来まで明け渡して何とする! 諸君等の子供、そのまた子供にまで外国の奴隷にするつもりか!』


 レロー区は、駐屯地にほど近い小さな集落である。その中心を流れる深い川の両岸に、1体のヘルゲイターが陣取っていた。

 全長30メートルはあろうか、ライオンの頭を持つ6本足の巨大な亀。タラスクスと呼ばれるヘルゲイターだ。

 タラスクスだけではない。バーゲストとペリュトンもまた街の中を徘徊し、侵入者を阻むだけでなく住人を家の中に閉じ込めることで軍による砲撃を牽制していた。

 タラスクスのデウステイマーは、自身のヘルゲイターを川の中に移動させた。タラスクスは水を取り込み、長距離砲『燃える泥』の弾薬を体内で生成する。

 おい、何をやっているんだと仲間から声がかかった。帝国陸軍基地を陥落させ、宣戦布告も無事に始まった今、彼が取るべき行動は補給ではなく撤退である。

 しかしタラスクスのデウステイマーはまだ戦うつもりだった。この先使い走りで終わるつもりはさらさらない。一兵でも多く撃破して勲功をあげるつもりだ。タラスクスだって、まだ暴れ足りないと言っている。

 仲間は呆れたように去って行った。

 そして――。

 タラスクスが何かを警告するように吠えた。

 吠え立てる方向へ双眼鏡を向けると、何か光る平べったいものが接近してくるのが見えた。それは見る見るうちに肉眼で見える大きさになった。

 ブーメランのように回転する火の玉だ。こちらの頭上を一旦通り過ぎ、旋回して戻ってくる。

 舌から見上げたそれは、五芒星の形をしていた。空中で翼と尾を持つ人型に変形、タラスクスの目前に着地。


 炎の巨人、アステリオー。


 気合と共にアステリオーは手刀を振り下ろす。気合。そう、その声は獣じみた咆哮ではなく、知性あるものの叫びだった。

 タラスクスは甲羅の中に四肢と頭部、尾を収納した。アステリオーの手刀は甲羅にぶつかり、甲高い金属音を立てた。振り下ろした腕を押さえ、巨人がよろめく。

 タラスクスの頭が飛び出し、アステリオーの足に噛みつく。牙は鎧で止められたが、噛みついたのは足を食いちぎるためではなく、敵の動きを止めるためだ。

 そしてその狙いは充分に果たされた。

 毒々しい緑色の気体がタラスクスの口腔から漏れる。ポイズンブレス。アステリオーが喉をかきむしるようにして悶え、周辺の民家からも苦悶の声が合唱となって流れ出した。

 ガスマスクをつけたタラスクスのデウステイマーはアステリオーが膝をつく光景に満足げな笑みを浮かべた。この炎の巨人を倒すことが出来れば、奴に敗れて強力なヘルゲイターを失った挙句、軍に捕まった間抜けなランゾウよりも高い地位につける。

 アステリオーを解放し、数歩後退したタラスクスは両足に力を込めた。そして驚くべきことに、このライオン頭の亀はアステリオーの頭上高くジャンプした。空中で半回転。甲羅を下に向けた状態でアステリオーに向かって落下する。

 巨大な鉄球と化した亀の化物は身動きの取れないアステリオーの肩にぶつかる。炎の巨人は苦しみの声を上げる。地面に落ちたタラスクスは落下の勢いを利用して転がり、見事に態勢を整えた。

 タラスクスは再び6本の足に力を込める。もう一度落下攻撃を敢行するつもりだ。対するアステリオーはまだ毒の効果が抜けておらず、更にその右肩は大きくひしゃげている。毒によるものか、それとも痛みによるものか、巨人は荒い息をつく。

 タラスクスが跳んだ。甲羅がアステリオーめがけて落ちてくる。

 その時。

 異界の言語でアステリオーが叫んだ。その胸の中央から光球が発射され、天空のタラスクスに直撃する。稲妻が甲羅の表面を流れ、そのままヘルゲイターは空中に静止した。自分の身に何が起こったのか、タラスクスはわからなかった。パニックを起こしてじたばたともがくが、その身体は天に縫い止められたまま動かない。

 炎の巨人は、感覚のなくなった左腕をゆっくりと掲げた。次いで巨人は右手を同様に掲げた。前へならえをするようにして、伸ばした指の先を空中のタラスクスに向ける。

 背びれが発光。平行に揃えた腕の間で、スパークが弾ける。

 太陽と見紛うばかりの強い光を放つエネルギーの塊が、腕の間で膨らんでいく。

 それが、音速を超えるほどの勢いで射出された。

 直後、タラスクスは粉々に砕け散っていた。焼け焦げた肉片が街に降り注ぎ、住人ごと家屋を潰した後で灰に変わる。そんな惨劇には目もくれず、アステリオーは水車小屋に近づいた。

 屋根を引き剥がす。その中には、腰を抜かしてへたり込むタラスクスのデウステイマーだった男がいた。

 アステリオーは男を無造作につまみ上げる。それで男は、人類で最初に炎の巨人の顔を間近に見た者となった。

 煌々と燃えて輝く巨人の身体の中でもひときわ強い光を放つ、スズメバチのような2つの目が男を睨みつけている。炎の鎧兜の中には、のたくった巨大なミミズを思わせる筋組織が蠕動(ぜんどう)しているのが見えた。

 燃え盛る松明のようなアステリオーに握られても、男が燃えることはなかった。しかしそれは炎があえて彼を害しようとしていなかったからで、その気になれば一瞬で男は塵になっていたのだった。だがそうしてくれた方がよかったのかも知れない。

 数秒の間、命乞いをする男をじっと眺めていたアステリオーは、飽きたと言わんばかりに男を投げ捨てた。水車小屋の床に音速で叩きつけられた男の身体は水風船のように弾け、汚らしいマーブル模様を描いた。




『諸君よ、余は悲しい! ヒエムスの民が異国の者に搾取されているという現状がだ! それ故に、余、アレクシィ・シュヴァルツヴィチ・ヒエムスは冥府から甦ってきたのだ。ヒエムスの明日――未来のために!』


 グリュプスはサーベラスを嘲笑するかのように啼く。

 降神師達の思惑はどうあれ、神獣、ヘルゲイター、いやキマエラの本分は同じキマエラと戦うことだ。本来なら自分より上位の存在でありながら、それを忘れ悪霊退治などというおままごとに耽っているうちに爪も牙も鈍らせた三つ首の魔犬を、グリュプスは侮蔑すべき対象として捉えた。

 せめて同じキマエラである自分の手で葬ってやろう。王者の貫禄を漂わせ、グリュプスは優雅に浮上した。

 敵の頭上を旋回しつつ、立て続けにソニックボイスを発射。回避する中でサーベラスは敵の姿を見失う。グリュプスは火災で生じる黒煙に身を隠すようにして攻撃を続行。ダメージを受けながらも、サーベラスは瞬時に火炎弾で応戦するが、既にそこにグリュプスはいない。全く別の方向から攻撃が飛んでくる。サーベラスの脇腹から血が噴き出した。


『見えざる鎖に繋がれし民よ、余と共に立ち上がるのだ! 我が神の軍勢、【時代を呼び戻す者】(リ・アージュ)の旗の下に! さすれば余は諸君に勝利の美酒と自由、そして誇りある未来を約束しようッ!』


 ○△□は去って行くジープを追う。だがグリュプスはサーベラスを敵に回してもなお、○△□を妨害する余裕がまだあった。ソニックボイスが直撃し、盾の1つが砕け散る。アシータが悲鳴をあげ、○△□の頬を汗が伝う。


『そして敵には敗北と苦痛を与えよう! ヒエムスは不滅なり(ベスメル・ヒエムス)!』


 地響きが起きた。一方的に攻撃を受けていたサーベラスが遂に地に伏したのだった。

 たとえ死にかけの相手でも、油断はしないのがグリュプスの流儀だ。それまでと同じように身を隠し、必殺の一撃を与える機会を狙う。

 サーベラスは正反対の方向を探していた。今だ。黒煙の影からグリュプスが舞い上がる。そのクチバシが大きく開く。


 その側頭部が爆発したのは次の瞬間だった。


 何が起こったかグリュプスにはわからなかっただろう。まともに戦っては勝ち目がないと踏んで、射程距離ギリギリの位置に潜んでいた戦車――葉牡丹一〇六による狙撃だ。こめかみに見事命中した榴弾の衝撃に、グリュプスの意識が一瞬遠のく。

 その一瞬で充分だ。


「サーベラスッ!」


 サーベラスの尾がグリュプスの首筋に巻き付き、締め上げた。グリュプスが泡を噴く。そのままサーベラスはグリュプスを振り回し、大地に叩きつける。尾を引っ込めると同時に間髪入れず火炎弾を発射。グリュプスの翼に着弾。炎上。

 グリュプスはソニックボイスを自らの翼の付け根に向けて放った。翼が切断され、燃え尽きる。あと1秒遅れていれば炎はグリュプス本体にまで燃え広がっただろう。

 ただの重荷となったもう1枚の翼も切断しようとしたグリュプスに、サーベラスが飛びかかった。グリュプスの胸に3本の赤い筋が刻まれ、一瞬遅れて鮮血が噴き出す。

 グリュプスは苦痛に叫びながら距離を取ろうとするが、片翼を失ってバランスが取れないのか、その動きは緩慢だ。2度、3度とサーベラスの爪が襲う。

 と、グリュプスの身体が光の粒子に変化していく。もはやこれまでとデウステイマーが帰還命令を出したのだ。


「逃がすな、サーベラスッ!」


 サーベラスが三つの口から同時に火球を発射する。グリュプスが炎に包まれる。粒子化が停止。炭化したグリュプスは魔犬の尾による打擲(ちょうちゃく)を受けて粉々に粉砕された。




『敵は強大だ。決して楽な戦いではない。だが案ずるな、正しき者は必ず勝利する。その証拠を御覧に入れよう!』


 ランゾウはスイッチを押した。バックミラーの中、小さくなっていく駐屯地が爆音と共に炎に包まれた。基地中に仕掛けておいた爆弾を爆発させたのだ。立ち上った炎と黒煙は、イヴェールの中心からでも見えるはずだった。


「あのヘルゲイターはもったいないことをしたな」

「厄介ナ奴ヲ仕留メラレタ。元ハ取ッタト考エルベキダロウ」

「確かにあの三つ首ワン公もおしまいだろうな」


 装甲服の男はただの水晶となったグリュプスの御霊石を車外に投げ捨てた。車内に一仕事終えた後の気怠い雰囲気が漂う。

 しかしそれは一瞬で霧散する。


「おまえたちを逃がすものか!」


「何だと!?」


 ランゾウは振り返った。こちらを猛追するサーベラスと緑の駆鎧の姿があった。


(あいつ等、基地の爆破から逃げおおせたばかりか、まだ追いかけてきやがる)


 いつぞやの再現かよ、とランゾウは吐き捨てた。

 彼の予知夢では逃げ切れるはずだった。総督代理誘拐だって成功するはずだったのだ。だが夢には影すら出てこなかったあの黒いヘルゲイターとそのデウステイマーのおかげで何もかもが狂ってしまった。


――未来を先読みできる力。でもそれは、同種の力を持つ人間の行動によって容易く曲げられる。


 あの女の言葉を思い出す。別に能力を完全にしなくても事足りると高を括った結果がこの有様だ。

 覚えているがいい、三つ首犬のデウステイマー。胸の中でランゾウは呪いの言葉を贈った。この危機を乗り越えたら、貴様は絶対に殺してやる。

 サーベラスが火炎弾を放つ。人質がいない分遠慮がない。ランゾウは必死に右に左にハンドルを切った。炎がジープを掠める。熱でリアウィンドウが真っ白に濁り、どろりと崩れた。破裂音。車体が傾く。タイヤが融解したのだとわかったがどうすることもできない。横転したジープから2人は投げ出された。


「クソがッ……」


 装甲服を着た男は兎も角、ランゾウの方は無事では済まなかった。立ち上がろうとして、しかし激痛のあまり絶叫して倒れる。足が折れていた。肋骨も。

 装甲服の男が駆け寄る。その足の運びはどこかギクシャクしていた。バイザーに蜘蛛の巣状のヒビが入っているのをランゾウは見た。装甲服の男はランゾウの腕を肩に回し担ぎ上げようとしたが、それだけでランゾウの全身には電撃のような痛みが駆け巡った。


「無理だ、とてもじゃないが動けん、オレは置い――がはッ!」


 置いて行け、という言葉の代わりに血反吐が口から零れた。

 そんな2人を強い光が照らし出す。

 シールドと機体の各所に歴戦の勇士然とした傷を作った緑の駆鎧が彼等にフロントライトと銃口を向けて仁王立ちしていた。その背後には三つ首の魔犬。


「会いたかったぞ、グリュプスのデウステイマー! おまえがあの時盗んでいった御霊石は何処だ!? 今すぐ差し出すなら2人とも見逃してやるが、嫌だというならおまえたちを殺して死体を漁らせてもらうッ!」

「ソンナニ見タイナラ――見セテヤロウ」


 駆鎧のライトの光をも塗り潰す暴力的な閃光が周囲を包む。

 ○△□の視界が元に戻った時、巨大な四足獣が○△□の眼前にそびえ立っていた。


「これは……ッ!」


 サーベラスより一回りも二回りも大きい、白銀の狐。金属的な光沢のある毛の1本1本が鋭い槍のようだ。

 知性をたたえた4対の目がかっと見開き、立ちすくむ○△□を睥睨(へいげい)する。


「クズノハ!?」

「ええっ? あれが○△□君のお母さん!?」

「そうです、あれがクズノハの戦闘形態……戦闘?」


 撃てるのか、俺に――?

 そんな○△□の自問は無意味だった。戦意があろうとなかろうと、白銀の妖孤にとってテクターなど取るに足らないガラクタだ。クズノハの前足が無造作に風を切った。対処は間に合わなかった。オートバランサーもへったくれもなく、駆鎧がサッカーボールのように吹っ飛んでいく。地を転がるうちにシールドを支えていたアームは軒並みへし折れ、銃を握ったままの右腕が肩ごともげていった。

 ○△□はヘルメットの中に盛大に吐瀉物をぶちまける。

 サーベラスが突進する。だが銀狐が一瞥すると、その動きはぴたりと停止。そのまま、見えないクレーンに引き上げられるように魔犬の巨体が宙に浮かぶ。

 次の瞬間、サーベラスは遥か遠くへ弾き飛ばされていた。


「サイコキネシスか……あれが!」


 ヘルメットを捨て、○△□はファンクションパネルからF1キーを押す。テクターが軋みをあげながら起き上がろうとする。クズノハが悠然と迫る。サイコキネシスなど使うまでもないとばかりに腕を振り上げ――。


「待ってくれ、クズノハ!」


 ○△□はコクピットハッチを開放。ハーネスを引き千切るように外し、機体の外に踊り出る。顔面に付着した汚れを振り払いながら、


「俺だ、○△□だ! 童嶋○△□だ!」


 クズノハの動きが、止まった。


「ドウシタ、くずのは? 奴ヲ踏ミ潰セ――ウッ?」


 銀孤の動揺が御霊石を通して装甲服の男に流れ込み、それは強烈な不快感として彼の神経に知覚された。装甲服の男が膝をつく。


「何やってる旦那、野郎の頭を吹っ飛ばせッ!」


 ランゾウが声を振り絞るが、装甲服の男は首を横に振った。クズノハの頭部を滑り降りて○△□の前に立つ。


「うっ……?」


 怯む○△□の前で、装甲服の男は何を考えたかヘルメットを脱いだ。

 長く伸ばした前髪が風ではためき、その顔貌を露わにする。

 ○△□は息を呑んだ。

 ひどく消耗してはいても、男は童話の中に出てくる白馬の王子を連想させる秀麗な顔をしていた。すらりとした柳眉、その下にある吸い込まれそうなほどの深い瞳。


 だが何より見る者に強い印象を与えるのは、端正な顔の半分を覆う奇怪なデザインをした金属製の仮面だ。アシータが目を見開く。


「童嶋○△□、だったな。忘れんよ」


 冷たい声で男が言った。そして男は、親指で自分を指し示し、高らかに名乗る。


「刻め、我が名を――ヴァルハイト・エルマノス・マースカだ」


 装甲服の男――ヴァルハイトは宙に浮く。クズノハのサイコキネシスだ。ヴァルハイトとランゾウを背に乗せたクズノハは、○△□に尻尾を向けて脱兎のごとく駆けだした。


「クズノハ!」


 追いかけようとした○△□は足をもつれさせて転ぶ。顔を起こした時には、既にもう銀狐の姿は闇の中に溶け込んで見えなくなっていた。

 

「かあさん……! なんでだよッ! 戻ってきてよ!」


 駆鎧のシートに戻った○△□は直立させるためのボタンを押し潰す勢いで連打した。だが傷ついた機体は何かが空回りするような音を立てるばかりで身じろぎもしない。○△□は半狂乱でレバーを動かす。


「動けよ! クズノハを、かあさんを! 人殺しの道具にさせるわけには!」


 火花が飛び散り、モニターから光が消えた。

 役に立たない屑鉄が、と悪態を吐き、○△□はテクターを捨てサーベラスに駆け寄った。神獣は舌をだらりと垂らして横たわっている。辛うじて息はしていたが、明らかにもう疲労困憊といった様子だ。


「立て、サーベラス! 立てよ!」


 サーベラスは虚ろな目で○△□を一瞥し、そっと視線を外した。


「シカトしてんじゃねえよ、あいつを追いかけろッ! おまえ神獣だろう、俺達なんかよりずっと優れた時代の人が造った、すごい生き物なんだろう!? だったらその力を見せてみろよッ! でかい図体して、幽霊相手にしか役に立たねえのかよッ!」


 ○△□は神を罵倒する。サーベラスは何も応えない。アシータが制止の声をかけるが、少年の沸騰した脳に効果はない。


「ふざっけんな!」


 怒りにまかせて○△□はサーベラスを殴りつけた。

 べちゃ、と泥を叩くような音がした。拳が生暖かくヌルヌルした感触に包まれる。その不快さに、○△□の気分は一気に冷めた。


「…………」


 拳を見る。それは神獣の体液でべっとりと染まっていた。


「……すまない、サーベラス。痛かったよな、ごめんな」


 膝から力が抜け、○△□はその場にうずくまった。


「……全部俺が悪いんだよな。俺がちゃんと最後まで修行を受けた降神師だったら、おまえがこんな痛い思いをすることなかったのに」


 ○△□は御霊石を取り出す。サーベラスが光の粒子となって吸い込まれていった。


「ヴァルハイト……か」


 アシータの呟きは雪の交じった風にかき消された。




 雪原を疾走するクズノハは、前触れもなく光の粒子となって消えた。ヴァルハイトとランゾウは雪の上に投げ出される。

 立ち上がろうとして、しかしヴァルハイトはがっくりと膝をついた。その顔から汗が滝のようにしたたる。

 クズノハはグリュプスよりもサーベラスよりも高位のヘルゲイターだ。本来ならヴァルハイトには扱えない。起動するかどうかさえ賭けだった。

 賭けには勝った――ただし、あの場では。

 ついにヴァルハイトは雪の中にうつぶせになった。都市部でさえ、夜間の外出は推奨されない。民家の灯もない雪原の只中で意識を失うことは死と同義だ。しかしもう彼の精神は限界の極みにあった。

 心地よさすら感じる暗黒が意識を呑み込んでいく。ヴァルハイトとランゾウは動かなくなった。


 そんな2人を光が照らす。

 いつの間にか、軽トラックがすぐ側にやってきていた。運転席から降りた大柄な男が、倒れ伏した2人を荷台に担ぎ上げる。幌を張った荷台の中には毛布とヒーターが用意されていた。毛布で2人をグルグル巻きにすると、男は運転席に戻った。

 帽子を脱ぐ。その下にあったのはつるりとした禿頭だ。

 男は、以前○△□が見た、あの素性も知れない男その人であった。

 



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