閑話 孤独の結末。
一条 景宗視点のお話です。
気がつけば、ボクは一人だった。
両親の顔は知らない。
施設の職員に聞いても、何も教えて貰えなかった。
ただひとつ。
銀色の小さなロザリオだけが、両親の残したものだった。
寂しいとか、恋しいとかそういう感情はなかった。
最初からいないのが当たり前だったから、孤独という感情をこの時ボクはまだ知らなかった。
ボクはそれなりに優秀な子どもだった。
学問もスポーツも、同世代の子に負けたことはなかった。
両親がいないという点を除けば、非の打ち所のない子どもだったと自負している。
でも、出る杭は打たれるものだ。
同世代の子には爪弾きにされ、施設の職員からは冷遇された。
全ての施設がそうだとは思わない。
きっとボクのいた所の環境が劣悪だったのだろう。
ある時、施設の子どもたちに囲まれ、ロザリオを取り上げられた。
返してくれという懇願に、返ってきたのは冷笑だった。
職員に訴えても、何もしては貰えなかった。
両親との唯一のつながりは、それっきりだった。
子どもながらに問うた。
一体、何が悪いんだ?
ボクはこんなに頑張っているのに、どうしてみんな認めてくれないんだ?
どうしてこんなひどい目に遭うんだ?
やがてボクはひとつの結論に達する。
――ボクは、悪くない。
そもそも、善悪なんてないんだ。
この世の中は何でもあり。
ルール?
法律?
下らない。
そんなものはまやかし。
自分の身は、自分で守るしか無い。
ボクは強くなろうと決めた。
そして、どうせなら奪われるより、奪う側になろうと思ったのだ。
ボクは狡猾に生きるようになった。
強いものも弱いものも等しく利用し、自分の手の上で踊らせる。
全てはゲーム。
ボクがみんなを使って遊ぶゲームだ。
施設を出たボクは最初まっとうな職についていた。
けれど、すぐにバカバカしくなった。
どいつもこいつも馬鹿に見える。
馬鹿に命令されることほどつまらないことはない。
やくざな稼業に落ちるのに、そう時間はかからなかった。
アンダーグラウンドの世界は、生き残ったものが全て。
強いものが生き残るんじゃない。
生き残ったものが強い。
ボクは上手いこと立ちまわって、闇社会にそれなりの地位を得た。
表向きにはベンチャー企業の若手幹部。
裏では色々な悪事に手を染めていたけれど、決して尻尾は掴ませなかった。
そんな時、つきあいでとあるパーティーに出席した。
それが一条家のパーティーだった。
退屈なパーティーだったが、コネは大事だ。
まして、一条家のパーティーとも慣れば、出席者の誰もがそれなりの地位にある者ばかり。
目移りしそうになるのを必死に抑えて、冷静に品定めをした。
そうして、彼女に―― 一夏出会った。
美しい令嬢だったが、人を寄せ付けない冷たさを持っていた。
それでいて、近づかずにはいられない魔力も持っていた。
彼女はひっきりなしに声をかけられていたが、ずっと憂鬱そうだった。
どこか退廃的な空気に、興味をそそられた。
あれだけの人に声をかけられるのだ。
コネを作っておく価値はあると思えた。
「退屈そうですね、お嬢さん」
そう声をかけたボクに、彼女はこう言った。
「ええ、退屈。こんなパーティー来るんじゃなかった。あなたみたいなのにすら声をかけられるなんて」
自慢ではないが、容姿にも所作にも自信があったボクは、そんなことを言われるのが新鮮だった。
だから思わず、こう言った。
「抜け出しますか?」
「は?」
「退屈なら、面白い所に行きましょう。こんな所にいないで」
「あなたバカ? 私がこの場を抜けられる訳が――」
戸惑うように言う彼女の手を取って、パーティー会場を抜けだした。
彼女は警戒心をむき出しにしていたが、同時に好奇心も露わにしていた。
「どこに行くの?」
「どこへでもお好きな場所へ」
「なら、海が見たいわ」
お望み通り、ボクは海へ車を走らせた。
人気の少ない埠頭で、ボクたちは車から海を眺めた。
星空と海だけ。
他には何もないそんな場所。
彼女はずっと海を見ていた。
ボクはと言えば、どうしてこんなことをしているのだろうと、その時になって初めて自問自答した。
これは単にコネを作るという範囲を逸脱している。
何事にも慎重にことを運ぶボクらしからぬ振る舞いだった。
「あなた、お名前は?」
今更になって、彼女はボクの名前を聞いてきた。
「霞城 景宗といいます。お嬢さんは?」
「あなた、私が誰だか知らずに声をかけたの?」
「ええ。それが何か?」
「どうして?」
まるで、自分には名前しか価値がないとでも言わんばかりの問いに、ボクは少し苛立ちを覚えた。
「あなたが面白そうだったから」
その答えに、彼女は満足したのかしなかったのか。
とにかく、彼女は爆笑した。
「あー、おっかしい。こんなに笑ったのは久しぶりよ。私は一条 一夏。一条 源一郎の長女よ」
その出会いをきっかけに、ボクと彼女は密かに付き合い始めた。
不思議なことに、彼女を利用してやろうとは思わなかった。
ただ、何となく居心地がよかったのだ。
彼女といられれば、それで満足だった。
肌を重ねるうちに、彼女は妊娠した。
最初、彼女は実家にボクを認めて貰おうと奮闘したらしい。
けれどもそれは許されず、堕胎することを命じられた。
「私を連れて逃げて」
ボクはその申し出を受けた。
ボクは一夏と結婚した。
身重の一夏を連れて、一条の執拗な捜索をかわすのは至難の業だったが、ありとあらゆる手段を使って、ボクらは逃げ延びた。
海外に飛び、一夏はそこで和泉を出産した。
最初、ボクは一夏との子どもが生まれたことを喜んだ。
でも、すぐに後悔した。
彼女の関心はボクから和泉に移ってしまった。
何をするにも和泉が最優先。
ボクはワガママだから、それに耐えられなかった。
次第に、和泉を虐待するようになった。
一夏は最初こそボクを非難したが、既に生活の大部分をボクに依存するようになっていた彼女は、次第にボクのご機嫌とりをするようになった。
そのことが、ボクの苛立ちをさらに加速させた。
彼女は和泉を虐待して見せることさえした。
あたかも、今も一番はボクだと言わんばかりに。
でも、荒事に慣れたボクの目には、彼女の虐待がポーズに過ぎないことが見え見えだった。
ボクの虐待は日に日にエスカーレトしていった。
ある日、家に帰ると一夏と和泉の姿がなかった。
パスポートもなくなっていた。
逃げられた。
そう思ったら、頭の中が憎しみで塗りつぶされた。
許せない。
その一心で彼女たちの行方を探した。
彼女を発見したのは日本のとある町の寂れた賃貸マンションだった。
ボクは一夏に選択を迫った。
和泉を捨てなければ、ボクは和泉を殺す、と。
彼女は泣きながら実家に連絡を入れて、和泉を引き渡した。
それからの彼女はまるで抜け殻のようだった。
笑わず、ただ生きているだけの抜け殻。
ボクがいくらお姫様扱いしても、ただ空虚な表情を浮かべて、まるで人形のようだった。
それでもボクはよかった。
一夏はボクのモノ。
ボクだけを見ていればいい。
ボクは閉じた世界でずっと彼女の世話をしていた。
それからは変化の少ない日々が続いた。
穏やかなというよりも、停滞した日々だった。
それが動き出したのは、和泉が高校入学をするという春のことだった。
その日、一夏は少し生気を取り戻した様子だった。
何かいいことがあったのかいと訊いたボクに、彼女はこう言った。
和泉が高校に主席合格したらしい。
会いに行って、一言おめでとうと言わせて欲しい、と。
ボクは怒りで頭が真っ白になった。
結局、一夏は和泉のことが忘れられなかったのだ。
ボクは裏切られたと思った。
気が付くと、ボクは一夏の首を絞めていた。
ボクは一夏を殺してしまった。
死体は裏で秘密裏に処分した。
足がつくことはなかった。
でも、ボクの中には言い知れない感情が生まれていた。
それが孤独という感情だと気づくのに、ずいぶんと時間がかかった。
気づいた時、ボクは笑いが止まらなかった。
なんて滑稽なんだろう。
まるでピエロだ。
奪う側に回ったら、自分で自分から大切なモノを奪ってしまった。
ひとしきり酒に溺れ、それでもなお胸に開いた穴は埋まらなかった。
そうして考えた。
何が悪かった?
ボクはどこで間違えた?
結論は、子どもの時と同じだった。
――ボクは悪くない。
でも、何故か胸が傷んだ。
痛みは時を追うにつれて大きくなり、ついには闇医者の世話になるほどになった。
この痛みを消すにはどうすればいい?
元凶はなんだ?
そうだ。
和泉を殺そう。
あいつが生まれるまで、ボクと一夏は上手く行っていた。
全部あいつが悪い。
そう考えつくと、行動は早かった。
まず一条の敵対企業に近づきコネを作った。
反一条の勢力をまとめあげ、じわじわと包囲を狭めていった。
部下に和泉を誘拐させたが、これは失敗に終わった。
その後も、和泉の周りの者を操って暗躍を続けた。
佐脇を引き入れたと思ったのは痛恨のミスだった。
いやに協力的だなとは思っていたけれど、足を掬われた。
お陰で今はこのザマだ。
脇腹の傷は深い。
銃弾も抜けていない。
必死で逃げまわって、ボクはここにやってきた。
初めて一夏と海を見た埠頭。
もう足取りはふらふらだ。
これはもうダメだろう。
一夏。
もうすぐキミのところに行ける。
いや、キミは天国だろうから、地獄行きのボクは会えないかな。
何にしても、もう終わる。
きらきらと月光を跳ね返す海に、ボクはよろけるように落ちた。
うねる波に翻弄されながら、ボクの一生は一体何だったのか、とおぼろげな思考で考える。
世間一般的に見て、ボクはろくでなしの極悪人だろう。
好きに言うがいいさ。
そうとも。
ボクは多くの人生をめちゃくちゃにした極悪人だ。
でも、と思う。
ボクはあのロザリオを奪われたくなかっただけなのに。
一夏にボクを見て欲しかっただけなのに。
水中で水泡となって消えたのは何という言葉だったのか。
脳裏には銀のロザリオと一夏の笑顔。
そうして、ボクの意識は闇に飲み込まれた。
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