第65話 新しい関係、新しい悩み。
最終章の開始です。
「――!」
どうしよう。
どうしよう。
「――みん!」
本当に、どうしよう。
「いずみんってば!」
大きな声に後ろを振り返ると、いつねさんが私の肩を叩いていた。
「違うんです! 私、そんなつもりは――」
「なに言ってるのー? ほら、教室に戻ろー?」
我にかえって辺りを見渡せば、そこは体育館の中だった。
そうだ。
今日は3学期の最初の日。
退屈な始業式はもうとっくに終わったようだった。
「ずっとぼーっとしてたよねー? 何かあったー?」
「……いえ、なにも」
無邪気に尋ねてくるいつねさんの笑顔が心に痛い。
真正直に答える訳にもいかず、私は言葉を濁した。
「ほら、行こー」
いつねさんが私の手をとって歩き出す。
私より高い体温が、指を伝ってくるのを感じる。
心臓が、少しだけ跳ねる。
まだ、こういうのには慣れない。
冬休み。
いつねさんとの距離は大幅に縮まった。
親友と呼べる――いや、呼び合える存在が出来たと思う。
ぼっち宣言には反するけれど、客観的に見れば悪くない前進ではないだろうか。
いつねさんはかなり接近してくるタイプだけれど、束縛したり、同調を共用したりするタイプではないので、煩わしい友人関係にはなりそうにない。
唯一の懸念といえば彼女の病気だけれど、それだって、まだどうなるかわからない。
いい冬休みだったのだ。
初詣の最後までは。
『俺が好きなのは、お前だ。和泉』
思いもかけない、誠からの告白。
あれで全てが台無しになってしまった。
混乱の極みにあった私は「考えさせて欲しい」という一言を何とか絞り出し、その直後に冬馬やいつねさんがその場に戻ってきたので、何とか事なきを得た。
冬休みの間中悩み続けたけれど、何一つ状況は改善していない。
最悪だ。
よりにもよって、いつねさんが恋心を寄せている相手からの告白。
何でよ。
誠のことは嫌いではない。
夏休みからこちら、それなりに一緒に過ごす時間はあったし、学園祭では一緒にバンドを組んだりもした。
でも、一体どこに恋愛要素があったというのか。
雪原姉妹はどうした。
いや、興奮するのはよそう。
冷静になれ。
事態は深刻だ。
考えてみれば、幸さんには冬馬が嫉妬していると言われたし、実際に生徒会選挙の時に冬馬自身からそれらしきお言葉を頂戴している。
私が気が付かなかっただけで、それらしい――誠に脈ありと思わせるような――行動を取っていたということだろうか。
思い返してみる――けれど、何も思い当たらない。
私はあまり機微に敏い方ではないからかもしれないけれど、本当に何一つとして思い当たらないのだ。
私にとって誠という人物は、よく言えば音楽が恋人な、悪く言えば音楽バカな人だ。
恋愛という単語が有効なのは、音楽という共通項がある相手だけだと思っていた。
確かに私も一緒にバンドを組んだ。
でも、それなら以前から一緒にバンドを組んでいた雪原姉妹の方がずっとずっと彼に近いはずだ。
『チェンジ!』の彼を攻略するためには、歌を必死に練習しなければならない。
それこそ、彼を魅了する程の歌声になるまで。
たかだか数日、ボイストレーナーのレッスンを受けただけの私が、そこまでの高みに登れたとは到底思えない。
どこだ?
私は一体、どこで何を間違えた?
「いずみーん」
どうしよう。
どうしよう。
「前、扉ー」
ゴン!
「っ~~~!」
「あちゃ。やっぱり大丈夫じゃなかったかー」
目の前に火花が散った。
思い切りぶつけてしまったようだ。
ただでさえイマイチな鼻が、更に低くなったらどうしてくれる。
いや、どうもなにも、私の自業自得な訳だけれど。
「いずみん、やっぱりなんかヘンだよー?」
「いつねさんもそう思いますでしょう?」
訝しげないつねさんに、仁乃さんまでもが加わる。
まずい。
「昨日、寮に戻ってきてから、ずっとこの調子ですのよ。上の空というか何というか」
「……ちょっと、考え事していまして」
どう誤魔化したものか。
「何か悩み事ー? あたしでよかったら相談にのるよー?」
いや、むしろ、いつねさんにだけは相談できないんだってば。
「まさかと思うが、景宗関係のことじゃあるまいな?」
冬馬までもが詮索しだした。
「いえ。あの人は今のところ関係ないので、安心して下さい」
「ならいいが。奴のことで何かあったら、必ずオレに相談しろ。いいな?」
「はい」
とりあえず、冬馬は納得してくれたようだ。
もともと、深く詮索するタイプじゃないしね。
「恋やな」
なっ――こいつは――!
「ナキくん、所構わず色恋に結びつけるのはやめて下さい」
「せやかて、今の和泉ちゃん、まるっきり恋わずらいの症状やん」
「……何だと?」
いつの間にかいたナキがバカなことを言う。
お陰でせっかく向こうに行きかけた冬馬が、戻ってきてしまった。
ああ……。
ややこしいことに。
「おい、和泉。よもやと思うが、オレ以外の相手に懸想しているんじゃなかろうな?」
「ありません。世迷い言です」
「本当か?」
「嘘を言ってどうするのですか」
嘘はついていない。
少なくとも、私にその気はないのだから。
「そういえば……。冬休みにいずみんと恋バナしたなー」
「ちょっとお姉様、私のいないところで何楽しそうなことしてますの!」
「仁乃さんとはいつでも寮でお話できるでしょうに」
というか、仁乃さん、こんなこと言っているけれど、いざ恋バナとなるとちっとも話したがらないのだ。
自分はお姉様一筋うんぬんで誤魔化しちゃうし。
「いずみんは、恋愛感情がよく分からないんだってー」
「ふむ?」
いつねさんのとりなしに、冬馬は難しい顔をした。
「オレは少し和泉に恋されている自信があるんだがな?」
「ちょっ……何を言い出すんですか!」
これ以上、悩み事を増やさないで欲しい。
ああもう、無意味に体温が上昇しているのを感じる。
違うから。
これは条件反射だから。
「ま、恋愛は頭でするもんちゃうからな」
「考えるよりも先に感じるものですわよね」
訳知り顔に言うナキと仁乃さんは、悔しいけれど、少し大人びて見える。
なんだなんだ。
私だけか、お子様は。
「別にいいですよ。恋愛なんて面倒くさい」
「そんなこと言っておいて、和泉様はハマると泥沼になるタイプと見た」
「幸、余計なこと言わない」
「でも、恋愛って確かに面倒くさいかもしれませんね」
3人組まで参加。
と、いうことは――。
「絶賛、彼女募集中だぜ!」
嬉一も来るよね、流れ的に。
「オレは和泉が自覚してくれるのを待つだけだ」
「一途やなあ。わいは好きにするわ」
「ナキ君はもう少し節操を覚えた方がよろしいですわよ?」
いつの間にか恋バナになっている。
何という拷問か。
「和泉様のお相手かあ……。冬馬様以外に思いつかないわ」
「まあ、お似合いだよね」
「王道カプ萌え」
3人組はまぁ、平常運転なのでスルー。
「委員長、今頃何してっかなー」
嬉一の呟きにはひっかかるものがあったけれど、今は私に余裕がないので、これもスルー。
「いずみんに好きな人が出来たら、あたし全力で応援するからねー?」
「……ありがとうございます」
あぁ……いつねさんの純真な目が眩しい。
後ろめたさに思わず目をそらす。
「そういえば、そろそろセンター試験ですね」
とっさに話題転換を試みる。
会話の主導権を握るのは苦手だけれど、このままだと胃がもたない。
「1年生から全員受験やとか、かったるいわ」
そう。
ナキの言うとおり、百合ケ丘では1年生時からセンター試験に挑戦することになっている。
通常、国公立大学の1次試験に利用されることが多いセンター試験だが、実は受験生である3年生以外も受けることが出来るのだ。
「まあ、予習兼予行演習ってとこだろ。センターは慣れも必要だって言うしな」
「私は記述式よりもマーク式テストの方が得意でしてよ」
「あはは、それはみんなそうだと思うなー」
受験者数の多い私立大学は、マーク式テストであることが多く、一方、国公立大学は記述式試験であることが多い傾向にある。
どちらが難しいかと言われるとそれこそ難しいのだけれど、やはり記述式の方が苦手であるという人の方が多い。
特に顕著なのは、国語である。
回答を○○文字以内で答えよ式の設問は、受験生の多くを悩ます。
マーク式テストの場合は、選択肢を見比べてあら探しをすればいいのだから、まだましだけれど、記述式は一から自分で書かなければならないからだ。
とは言え、同じマーク式と言っても、私立の入学試験とセンター試験では傾向がことなる。
私立の試験問題は、よく言えば精緻な知識を求める問題、悪く言えば重箱の隅をつつくような難問・奇問が多い傾向にある。
時折、大学教授や予備校講師が実際に問題に挑戦して、解けないなどというTV番組が企画されることもあるくらいだ。
対して、センター試験は高校の授業をまともに理解していれば、平均60点台を安定して取れるような難易度に設定されている。
これはセンター試験が、先に上げたような難問・奇問を排して、基礎的な学力の充実度を測るという目的にそって作られた制度だからである。
ゆえに、高校1年生3学期という早い時期でも、学んだ科目の習熟度を測る為に、センター試験を受けるという学校は、特に私立の進学校を中心として少なくない。
「高校入試がついこの間だったような気がするのに、もう大学受験の話かよ……。かったりー」
嬉一は不満たらたらのようである。
「常に大学受験を見据えておけっていうことなんだろう。意識を高く持つには悪くない方法だ」
「とーま君やいずみんは余裕なんだろうけど、あたしはしんどいなー」
「私もですわ」
いや、私だって余裕なんかじゃないですよ?
冬馬は多分、余裕だろうけれど。
「よし。得点で勝負しようぜ」
「えっと……。それは……ちょっと……」
「そんなの冬馬様と和泉様の一騎打ちになるに決まってるじゃない」
「参加するだけ無駄」
冬馬の提案に、3人組が不満の声を上げる。
「いや、総合得点じゃなくて、自分の一番得点の低かった教科を比べ合って勝負っていうのはどうだ? それなら悪くない勝負になると思うんだが」
「ま、それならまだマシにはなるわな」
それでも冬馬が勝つ気がするけれど。
「で、最下位の奴は何か罰ゲーム」
「うーん……それでもやっぱり冬馬様かお姉様が勝つ気がしますわ」
私と冬馬を並べてくれるなというに。
「なら、オレと和泉は5点のハンデでどうだ?」
「ちょっと、私のことまで勝手に――」
「それならまだ望みあるかなー」
いやいやいや。
「罰ゲームは……そうだな。何か手料理でも振る舞ってもらうことにしようか」
手料理ねぇ……。
まぁ、それくらいなら、大した罰ゲームじゃないか。
負けるつもりはないけれど。
「よし。じゃあ、それでいいな? センター試験も本気で行くぞ」
「「「おう」」」
全く、冬馬はこういうイベント的なことが好きなんだから。
私は今日6つ目のため息をつきつつも、話題がそれたことに感謝するのだった。
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